シャンクスが食べきれなかったオムレツを、結局リカルドと二人でクリアし。
プレートは食器洗いに任せ、グリルとフライパンの掃除だけ終えた。
テーブルに戻り、何杯目かの珈琲をカップに注ぎ。オレは本日1本目の煙草に火を点けた。リカルドは3本目。
窓は開け放してあり、時折爽やかな風が吹き込んでくる。夏の終わりにしては、まだ暑いくらいの好天気だ。
「シャンクス、あンたの今日の予定は?」
訊けば。リカルドの横に座って珈琲を同じように啜っていたシャンクスが、
「ん?べつになし―――、」
僅かに微笑み、言った。
「のはずだけどなぁ?」
と追加され、苦笑する。
リカルドがちらりとシャンクスを見下ろした。
「約束は大事だぞ」
弟に言い聞かせるような口調。
「大事なら覚えてる、」
シャンクスがそう見上げて返し、機嫌よく笑った。
大層な気に入り様だ。
「オマエは、ベン?」
リカルドに訊かれて、肩を竦めた。
「取り急ぎ、何もない。時間があれば仕事をするだけだ」
締め切りに追われるようなスケジュールを組んで仕事はしない。
なるほど、相変わらずだ、とリカルドが煙草を咥えながら立ち上がり。部屋の隅のかばんを取りに行っていた。
シャンクスの目が、じっとそれを追う。そしてリカルドに目線を固定させたまま、
「サヴァナ、案内とかしねぇのー?」
と歌うような口調で言ってきた。
「リカルドが行きたいと言えばな」
灰を落としながら答える。
「ふゥん、」
機嫌のいい声。
リカルドがかばんごと戻り。中からごと、と瓶を取り出していた。
「昨日渡せばよかったんだけどな。一応、土産物」
シンプルなガラス瓶に入った、薄い蜂蜜色に近い液体。
「なんだそれは?」
「アルトゥロと、グレート・サンダー・フィッシュ曰く、"猫チャンのエサ"」
リカルドがにぃい、と笑った。
「いないよ、猫」
珈琲を飲み終えたシャンクスが言って、リカルドと目を合わせ、肩を竦めた。
"ハイハイ。"
「ウサギチャンになっちまう前の、仔猫チャンに作ってもらったモノなんだ」
構わずに続けたリカルドに。シャンクスが、
「あ、無視してンな。じょーとー、オマエラ」
と言って、すい、とソファに移動していった。
リカルドが小さく笑う。離れ際、するんと背中越しにシャンクスが腕を回し、懐いていったのに。
「で、どうするって?」
瓶を持ち上げ、透かし見る。透明なばかりで、何が入っているかは見当がつかない。
匂いにしても同じで。さらりとした肌触りは、けれど。不快になる類のものではなかった。
「オマエの恋人が同性と知ったから」
リカルドの返事に、笑う。
「ナルホド」
「ワラパイの秘薬。解明するなよ」
「了解」
ソファに伸びるように座っているシャンクスを振り返る。
「外部に持ち出し禁止だとよ」
すう、とシャンクスが目線を投げてきた。ひらりと瓶を振ってみせる。
「猫じゃねぇぞ」
ふぅっとわざと猫のように威嚇してみせたシャンクスに、リカルドが笑った。
さらりと甘やかすような、宥めるような笑顔。
こと、とテーブルに瓶を置き。リカルドが、ぱさ、と束を置いていた。
現像液の匂いがまだ僅かに残る、ビッグサイズの写真の山。
風景モノ。アリゾナからニューオーリーンズにかけて撮ってきたものらしい。泊まったモーテルの部屋で寝る前に現像して
おいたのだろう。
ちらりと見ただけで、"イイモノ"が混じっているのが解る。
距離を置いても温もりを閉じ込めたような画。
腕はある、と瞬時に理解できる。
するりと戻ってきていたシャンクスが、瓶の蓋を開け、匂いを嗅いでいた。
その好奇心がオマエを殺すことのないように―――と内心でからかう。
「ああ、それは食用じゃない」
1、2滴ほど指に落とし。くう?と突き出してきていたシャンクスに、リカルドが告げた。
「美味くはないよ」
害はないが、薦められない、ってことか。
……"秘薬"ねえ。
その意味に気付いた。
「フン?」
シャンクスが、ぺろ、と舌先で舐め取っていた。
リカルドがくくっと笑う。
「麻痺作用も僅かに含んでいるから、あまり舐めると舌が鈍感になるぞ」
シャンクスは、ほんの少しだけ眉根を寄せ。
「ハーブ味」
と結論を出していた。それ以外のものであったら、使うには躊躇うものがある。
「ケミカルじゃねぇのな、」
けらけらとシャンクスが笑った。
「怪しい味ならインプット済み」
リカルドが、すう、と静かな目線でシャンクスを見上げた。
首を少し傾け、目線を受け止めた彼に。リカルドが静かに言う。
「そんなものを渡すようなら"親友"じゃない」
「わかってるよ、」
目を細めたシャンクスに、リカルドは肩を竦める。
「けどそれは。今のオレたちだから言えることだ」
「違いないな」
同意。"いいコ"だったわけでは決してない過去を、棚に上げる気はオレにもリカルドにも無い。
「"何事も程ほどに"」
「"同じ轍は踏むな"」
ガツ、と拳を合わせる。
さら、と蓋をしてテーブルに戻したシャンクスを、リカルドが見遣った。
「お心遣いいただいて」
リカルドの首に腕を回し、に、と笑ったシャンクスに。リカルドが真顔のまま、告げる。
「当たり前だ。アンタはベンの大事な人だからな」
黒い双眸は、静かな色味を湛えたままだ。
「ふゥン?」
シャンクスの翠が、きらっと光っていた。
「がっかり?」
欠片もそういう風には思っていない口調で訊いたシャンクスに、リカルドが表情を変えないまま、訊き返す。
「なにが?」
黒の瞳孔が僅かに開き。ワンステップ、シャンクスの内にリカルドが踏み込んだのが遠目に感じ取れる。
距離は保ったまま、ただ深く。
ここで笑い飛ばして終えてもいいケド。
眼が、気に入ったから。もう少し言葉を持ち出した。
こなれてるくせに、どこか真っ直ぐで。大事なものは大切にする、そんなシンプルすぎていまどき却って難関なモラルの指標を
もっているような。
性質の良い媚薬の類を「土産、」と平気で持ってくるくせに、妙なところがピュア。だけど真っ白、ってわけじゃない、それはワカル。
底を見てきて、それでも呑まれなかった眼。フォトグラファになるんだよな、たしか?
「いい眼」をしてる、きっと。
「ん?ウサギチャンでも天使チャンでも無くてサ、」
「アンタがベンを選んで。ベンがアンタを選んだ。オレが口を挟む問題じゃないんじゃないか?」
あっさりとフツウの口調で、ほぼ予想通りの答えだった。
「リカァルド、」
「ん?」
ほんのすこし、距離を狭めた。
煙草の灰を、片手でとん、と落としていた。かすかに、煙の筋が上る。
「すきだよ」
「アリガトウ」
笑みが零れた。
「キスしていい?」
「なんで?」
「したいから。いいって言えよ、」
「オレは別にしたくないぞ?」
「―――ちぇー」
あっさりと言ってくるのに、眼を覗き込んだ。
「礼言おうと思ったのにナ」
「なんの礼?」
「オマエの視界の中に、はいれた礼」
つか、入れさせなきゃ追い出すけどさ、と付け足した。
くう、とリカルドの口元が笑みを作ってた。眼に感じの良い線。
「別に礼はイラナイ、」
「じゃあ、すきだからさせろ。」
「オレはそういう意味じゃアンタに興味ないけど?」
「わ、ナッマイキ、オマエ」
わらっちまった。
「おれがおとせなかったフォトグラファいないんだぜ?」
「ふぅん?」
「うたがってンなあ?」
煙草を咥えたままのを間近で見て、妙に普通に笑いが零れる。
「疑うもなにも。そういえばアンタ、"フツウのヒト"っぽくないけど何に興味のあるヒトなんだ?」
「―――おれ?」
さらり、と聞かれた。
「そう。個人名はイラナイ、」
こういう先手を取るのは流石にベンの親友だけある。
案の定、おれのコイビトが親友の出来のよさに、ぶっと吹きだしていた。
で、おれは。妙な具合に感動した。
そうなんだよなァ、あーんな狭いインダストリにいたから周り中おれを知ってて「息が詰まった」ケド。
エンタテイメントに興味の無い人間もタクサンいるんだ、きっと。
メディア・リテラシーだとか、インペリアリズムとか。関係なく、興味のあるなしで人間をわけちまえば。
「おれは、―――ウン。"なんでもない"よ」
興味のあることは、禁じ手出されちまったら言えないし。
「大変だな、それは」
なぜか、妙に感心した風なリカルドを見つめた。
「17までに、フルに生きてるから。あー、アレだね、早期退職者。」
なぁ?ベンそんなモンだよね、おれ。と。
写真の束を手際よく分けていっているコイビトに投げてみた。
あぁ、アレ。リカルドの撮ったものなんだ?
「そうとも言う」
目線を一瞬上げて、言っていた。
「な?あとは、ただのー……」
イイ媒体。そう言って。
「リカァルド、オマエ映画なんて観てなかったろ」
に、とわらった。
「そういう時間はない生活をしていたな」
ここ2年くらいで観るようにはなった、と続けていたから。
どの監督や役者が好きか聞いたなら。
全部一緒に仕事をしたことのある連中だったから。監督連中は、すくなくとも。
あとはタイトルや役名で返されて、役者は脇役を固める連中が好きなことがわかった。
それに、美術監督の好みもだいたい掴めた。
「じゃあな?その大仰なコスチュームプレイ撮った監督。そいつの、ちょいと前の観てみ?まぁっるきり天使チャンナおれがいるって」
みつけられっかー?とわらって。
腕を解いた。
「持ってないのか?」
んー、どうだろう。スチールくらいあったかな、わかんねぇや。
「数多すぎてわかんない」
ひら、と両手を上向けた。
そうしたなら。初耳。
「DVDなら粗方ストックしてある」
まだ写真の整理をしているベンが言ってきて。
「りゃ、そうなん?」
おれが驚いた。
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