書きかけだったピアッシングについてのコラム。
"穴を開けることのエクスタシィと心理バランスについて"
そんなものを書き終えて。
ちらりと見上げれば、件のバレエダンサが跳躍していた。
180度スプリット、ピンと伸びたつま先。
信じられないほど床から高く上がっている肉体に、人体の可能性を見る。
ストーリィはハナから追っていない。
ただ気付けば横を向き、液晶画面を見詰めた。
ミューズの申し子。
次に見れば、インタビュの画面で。
アイスブルゥの双眸が煌くのを見た。色味に似合わず、内面の激しそうな個人。
優雅な物腰と、言い切るキレのいい喋り方は "王子"として括るには無理がありそうだと思う。
ミハイル・ヴラディミロヴィッチ・ウスティノフに会ったことがあった。
ロシアのバレエダンサ、若手ナンバワン。ボルショイ・バレエのプリンシパル。
パリからニューヨークに飛ぶ途中のフライトの機内での出来事。
声をかけてきたのは、甘いマスクのその男で。
『失礼しますが、そちらにカードを落としてしまったのです、拾っていただけませんか?』
そんな内容だった。
席が後ろで、落としたのが滑った、そんなことだった。
拾い上げたポストカード、見る気はなくとも見えたのは文字の羅列。芸術的な綴り文字。けれど内容には笑った。
"ミーシャ、寝言は寝てから言え。次にセティって呼んだら二度と踊らないからな。ついでに一生ミッキーって呼んでやる。クソッタレ。S"
渡せば、ロングフライトはタイクツだ、と。飛行機会社が一列ずつ客を座らせたにも拘らず、隣に移動してき。
そこで初めて、第一線で活躍する男性バレエダンサという存在と知り合ったのだった。自信過剰なほどの高いプライドと優雅な物腰の存在。
苛烈なポジション争いから恋の悩みまで、なぜか延々と語られ。
それからだ、オレがダンサァという職業のニンゲンにも目を光らせるようになったのは。
片思いで、振られ続けて3年だといったソイツは、にこやかにトランジットのために降りていき。それきり、あの妙なハイテンションのロシア人とは会っていない。
その片思いの相手が、テレビ画面の中で優雅に踊っているのを観るのは、妙な気分だった。
確かに魅力的なダンサァではあるけれど―――明らかにストレートの男だぞ、アレは。
インタビュを見る限りでは、ダンス一筋、というカンジでもあり。
多分ロシアの空の下で"ミーシャ"は今日も片思いなのだろう、と。妙な感慨が浮かんで困った。
頭から振り払って、次の仕事に取り掛かった。
シャンクスは画面のバレエよりはリカルドに気が向きっぱなしだった。
リカルドの意識は、プリンシパルの"王子"に釘付け。いや、王子の"表現"に、か。
相変わらずその気になれば集中力がすごいな、と。思って煙草を咥え、火を点け。
意識をノートパソコンに移した。
"ハカと刺青のトレンド―――スポーツ編"
タヒチの刺青師を思い出した。
次に予定を立てて行くなら、ニュージーランドか?ニュージーの刺青との対比は、面白いかもしれない。
次に意識を向けたならば。シャンクスとリカルドがこっちに来ている途中だった。
するりとリカルドが踵を返し、本を取りに戻っていくところで。
何を言われたのか、シャンクスが真剣に悩む顔で、家の中でならキスはオオケイか、と訊いてきた。
「本人がいいと言ったらな」
答えて。二人に珈琲を淹れるために立ち上がる。リカルドが紙袋ごと戻ってきていた。
「そろそろ、いいって言うかもよ?」
そう言ってくう、と笑みを浮かべたシャンクスに、ハイ、と1冊手渡していた。
M.シュトゥーテハウザの作品集。
ふい、と見上げたシャンクスに、
「プレゼント。もう持ってるかもしれないけど」
目線を和らげたリカルドが言っていた。
シャンクスは、ファッジより甘そうに蕩けた笑みを浮かべていた。
ありがとう、と一音一音を、そうっと大事そうに発音していた。
くしゃ、と赤い髪をリカルドが撫でて。それから、そのまますとんと椅子に座っていた。
リカルドはゆっくりと自分用に買った方を開いていく。
出来上がった珈琲をカップに注いで、テーブルに置いた。
片方はノートパソコンと資料に占領されているから、リカルドとシャンクスは隣り合わせに座って同じ写真集を開くことになる。
リカルドの目は、勉強している眼差しではなく、愛しむ目線でページを追っていた。
シャンクスは、かた、とイスを寄せ、座る。
対面に座ったオレの方を見、にこお、とまた笑っていた。
よかったな、と声に出さずに伝える。
それから、また資料に目を戻した。
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