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 人前で泣いたことがない、と。そう言っていたのは今朝方―――今となっては昨日の朝―――だった。
 マックス・シュトゥーテハウザというカメラマンが、シャンクスにとってどんな人間だったのかは。会った事がないから解らないし、
 最早量りようがないが。
 それでも、大事にしてくれていたのだと解る。
 ちらりと広げられた絵の中。寂れて忘れられた墓地に溶け込むまだ幼いシャンクスの姿は、それでも包み込まれているのが見えて。
 仕事を、それまで総てをかけていた"人生"を放り出そうとしていたコドモを。
 見詰めている目はあったのだと、シャンクスにもそういう人がいたのだと知った。
 
 "大切なものは大切に。"
 解ってはいても、気付けるのはいつでも失くしてしまってから。
 失くしたものの大きさに、けれどあンたが絶望する前に。
 リカルドも、オレも。あンたが手を伸ばしさえすれば、いつでも握り返せる位置にいることを、気付いて欲しいと思った。
 身体ではなく、気持ちで。
 
 テーブルに伏したシャンクスの手をそうっと放し、モニタに向き直る。
 新しく頭を動かして文章を書く気にはなれず。代わりに、打ち終わっていた文章の添削に入った。
 スペルミスと言葉の並ばせ方をチェック。
 何度も読み返し、打ち直し。スムーズにする作業。
 
 リカルドは、もう十分に師匠の死は悼んでいたのだろう。
 否、追悼の意味も篭っているのか、真剣な眼差しで、アンドリュー・マッキンリィの写真集と向き合っていた。
 
 もう少し落ち着いたら。ノース・キャロライナまで足を伸ばしてみようか。
 リカルドはきっと飛び立つだろう、だからシャンクスだけを連れて。
 リカルドが切り取った空間は、哀しみが満ちていたけれど、暖かだった。
 写真家の目を持たないオレには、その場所はどんな場所に見えるのだろう。
 そしてシャンクスの目には―――?
 
 しばらく文章と睨みあって、諦めた。
 ノートパソコンの電源を落とし、閉じて。資料を片づける。
 「なぁ、ベン」
 リカルドの声に顔を上げる。
 シャンクスはいつの間にか、静かに寝息を立てて眠っていた。"泣き疲れた"らしい。
 寄越されたハンドサイン、『一緒に寝るか?』
 『オマエも来い』
 「……オーケイ」
 
 テーブルの上、資料を片付け、本は山に積み。
 眠り込んでいるシャンクスを抱き上げた。
 『三人で寝れるのか?』
 『キングサイズだ、ちっとキツいがなんとかなるだろう』
 先にシャンクスをベッドに下ろし、リネンを被せ。リカルドが電気を落として着いて来た。
 
 『ベン、先に寝支度しろよ』
 言葉に甘えて、バスルームに向う。
 戻ってきてから、今度はリカルドがバスルームに向い。真ん中に横たえたシャンクスの右隣、いつも眠っているほうに横になった。
 早起きのリカルドは、昔のようにもっとも窓に近い方へ。
 
 シャンクスのボトムスを脱がせ、代わりに寝巻きのボトムスを穿かせ、シャツはそのままにしておいた。
 それから自分もデニムとシャツを脱ぎ。そのままリネンに潜り込んだ。
 Tシャツにショートパンツのリカルドが戻ってき、部屋の奥のほうからシャンクスの隣に滑り込んだ。
 コントロールパネルでライトを落とし。月明かりが忍び込んでくる中でシャンクスの髪に口付けを落とす。
 
 うつ伏せ寝のリカルドが、シャンクス越しに視線を投げかけて来た。
 目線を向ける。
 「―――またこうやってオマエと一緒に居られるようになるとは思ってなかった」
 ぽつ、と零された言葉。
 シャンクスがく、と声にか寝返りを打ち。いつもと逆側に向いて、リカルドの体温に気付き、引っ付いていった。
 「なぜ、」
 訊き返せば、リカルドがシャクスの髪に口付けを落とし。それからオレに目線を向けてきた。
 「軽蔑されるかと思った」
 「しねェよ」
 「ああ、オマエはしないよな」
 けど結構怖かった、と。リカルドが言い切った。
 「ほんと、"馬鹿者"だよなぁ」
 く、とリカルドの肩の辺りに額をくっ付けたシャンクスにくす、と笑って言った。
 
 「―――人生は階段だってハナシ、聴いた事あるか?」
 「ソレはないな」
 「掌にはガラス玉みたいに丸くってキレイで壊れやすい宝物を積んでいてな」
 「ん、」
 「一歩一歩、登って行くんだが…途中でどうしても何個は落ちていっちまう」
 「あー…引き返すことも出来ずに、それが転がり落ちていくのを見送るってか」
 「落ちていく速度に追いつけず。それだけのために引き返す勇気も持てず。もう失ってたまるか、って歯を食いしばって次を登って…またそのうち落とすんだな」
 「ベン、」
 「キレイに転がって落ちていけばまだいいが。時々割れてその場で粉々になるだろう」
 「…ん、」
 
 「掌に乗せられる数は限られてる。大切に持てる分だけ持って。あとはそうっと転がして、わざと落としたほうが楽だと思って
 そうするのに」
 「気付けば、いつの間にか山積み、か」
 「オレはオマエを落とさないぜ、リカルド」
 「……そういうことはこの赤いのに言えよ」
 「言ってある。降りて行っちまいたいなら、それも自由だってことも含めて」
 「……厳しいな」
 「それはオマエも一緒だ」
 
 「―――オレはオマエのその厳しさに、憧れる」
 ますますリカルドに、きゅう、とくっ付いているシャンクスを見ながら、リカルドが言ってきた。
 「オレは駄目だな。最初から転がしておいて。オレが壊さないよう、他の人間に大事にされているのを見てないと、安心できない」
 「リカルド、」
 「本当に大事だから。オレが大事にはできないんだ」
 「オマエの掌だってでかいんだぞ」
 「……解ってる。けど、な」
 枕に顔を埋めたリカルドの肩に顔を埋めているシャンクスの背中を撫でる。
 ふ、と吐息をシャンクスが零していた。
 
 「このコドモ、な。ちっとも足りてないんだ」
 「映画のインタビュ見て解った。けどいまはそうじゃないだろう、ベン?」
 「どうかな。オレだって欠けてるからな」
 低く笑う。
 失くしたパーツ、サラ、墓に埋めた―――取り返せない。
 リカルドのTシャツを、シャンクスが握っているのが見えた。
 服を着ている相手に縋る―――癖。14ヶ月じゃ埋められない空白、シャンクスの中の疵の深さ。
 
 「オレは"愛せない"ぜ、ベン」
 「愛してるだろ、誰よりも広く」
 オマエの写真は、何よりも雄弁だ。
 「赤いのが、それで納得できるか?」
 「できるできないじゃなく、しなきゃならんだろ」
 誰にだって変えられないモノはある。受け入れられないコト。
 自分を変えてまでも、望むか、諦めるか。
 「―――オマエも取材であちこち飛び回ってるんだろ、だからか?」
 「それを言うなら、オマエだって飛ぶんだろ、これから」
 
 「―――何を考えている?」
 「リカルド、オレと契約しないか?」
 アイデア、昨夜浮かび上がったモノ。
 「なんの?」
 「会社を立ち上げようと思う。オマエ、カメラマンとしてオレのところに居ろよ」
 「―――ハ!修行中だぜ、オレは。しかもまだ始めたばかりだ」
 「アンドリュー・マッキンリィの写真集を見ただろ。光る原石は、見るヤツが見れば、磨かれる前からだって解る」
 「……自信家だなァ、ベン」
 「馬鹿野郎。"天国も地獄も総てを分ち合う"んだろうが」
 笑う。
 
 「…オレがぽしゃったら、オマエもぽしゃるんだぜ?」
 「ぽしゃんねェように気張れ」
 ごそ、と。リネンが動く音。リカルドの左腕が伸ばされてきた。
 シャンクスの上で、ゴチ、と合わせる。
 「「"エィメン"」」
 そのままリカルドの腕はシャンクスの頭を抱えるように回され。
 甘えるように吐息を吐いたシャンクスの頭を、打ち合わせた方の手で撫でてやる。
 大概甘やかすなオレも―――自覚する。
 悪い気分じゃない。
 
 「なぁ、ベン」
 「なんだよ」
 「ヴィヴ、覚えてるか?」
 「ああ―――ヴィヴァーチェ。"セカンド・スクエアの飾り窓"」
 「一緒にさ、抱いただろ、彼女を」
 「ひでぇガキどもだったのに、笑ってくれたよなあ」
 「カノジョさ。オマエがシャワー浴びてる間にオレに言った」
 「―――はン?」
 「"オトコの友情はセックス抜きのほうが本物なのよ"ってさ」
 「…ハ」
 
 「オレはオマエとセックスしたいなんて、カケラも思ったことはないけど」
 「オレもねェよ。勘弁しろ」
 「シャンクスより、愛してるかもナ?」
 「―――友情で括っとけ。一生プラトニックで添い遂げてやる」
 「シャンクスが、オマエの掌から降りても。オレは降りない」
 「……降ろさねェよ、ばぁか」
 くくっと笑って目を閉じる。
 あーあ。三角関係がイコールで結ばれちまったよ。
 
 「……サンジが好きだったよ」
 「"ウサギチャン"か」
 「幸せになってくれるといいなァ」
 「オマエの"兄弟"に言え」
 「聴く耳持たねェかも、」
 ぷくく、とリカルドが笑って。すう、と声が落ちていく。
 「オマエに逢えて、よかった…」
 ……参ったね。"コイビト"挟んで告白大会かよ。
 クソ。
 
 「オレもオマエに逢えてよかったよ、リカルド」
 すう、と静かに眠りについたリカルドに、告げる。
 シャンクスが、きゅう、とルカルドに抱きついていた。
 「シャンクスも、だとよ」
 言わなくても解るか、ハハ。
 
 リカルドに出会う前。
 最後に居たのは、イリノイだっけか。
 人生も、人間も。クソツマラナイばっかりだと信じ込んでいた。
 壊す価値すらない、汚染された空気よりどうしようもないものだ、と。
 
 アリゾナの、赤茶けた大地。巻き上がる砂埃。
 午前7時だってのに、照り付けてくる容赦無い太陽の中で。
 オマエの目がギラギラと睨んでいた。
 立ち上る陽炎の中に居たオレを。
 何も遮るものが無い中で。
 初めて"他人"と正面切って向き合った。
 サラを失くしてから初めて、他人が"人"に見えた。
 
 「オマエを降ろさないんじゃなくて、降ろせないのかもな、」
 二人を見下ろして、呟く。
 「オマエらが降りていっても、オレの中には残ってると信じたいだけなのかもな、」
 そうでもしないと、崩れるだけなのかもしれない。
 「―――参ったな、」
 脆さと強さを同時に味わう。在ることの奇跡と、無いことの怖さ。
 
 「ちくしょ、眠れないかも」
 呟く。
 聴かれていなくてもいい、そこに居てくれるだけで。
 「所詮は25の馬鹿か、オレも」
 するりとシャンクスの腕が落ち、リネンの上を彷徨っていた。
 見抜かれてるか?置いて寝酒でも飲みにいこうとしていたことを。
 オマエらだけに、弱みを晒させはしないってか?
 それとも―――。
 
 たす、と。シャンクスの腕がオレに回され。きゅう、と抱き込まれた。
 「双方向性のダブルトライアングルかよ」
 ワガママ、欲張り、けどそれでイイ。
 失くせ無いものには、がっちりと捕まっておかないとな。
 
 「ヒデェ人生」
 笑って零す強がり。
 悪いな、男だから、それくらいの意地は張らないとな。
 
 「―――引っ越すか」
 購入してきた中にこっそりと紛れ込ませておいた売買物件情報誌。
 リカルドには才能を。
 シャンクスには愛情を。
 それぞれ引き出させるか。
 
 銀行口座の中身。ローンを組むか、シャンクスに有効活用させるか。
 「……シャチョウでもやらせて、あンたに一個重しをつけてやる」
 シャンクスの腰に腕を回しながら呟いた。
 「いつまでもそうフラフラしてられると思うなよ」
 1歩を踏み出せ。
 オマエもオトナになれよ、シャンクス。
 それくらいになって貰わないと―――オレたちのベースが、壊れるだろ。
 責任の一旦は担ってもらわないとな。
 
 「なにせトライアングルだからな」
 自分ばっか楽できると思うなよ。
 「あンたよりゃ年上だがな。そう違っちゃいねェんだぞ」
 "乳の恋しいお年頃"。
 「あーあ」
 溜息。
 
 「ま、―――どうにでもしてみせるけどナ」
 目を閉じる。
 呼吸を整えて―――久しぶりに、深く。眠れそうだ。
 
 
 
 
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