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 Calidoscopio (カレイドスコープ)
 
 
 ハナシの感じから。どうやらベンは弁護士に会いに出かける気だな、と思ったなら。
 やっぱり、そうだった。
 行ってすぐにあのクソメンドウくさい契約書の類、紙モノを銀行が揃える筈もないから、今日のところはおれは関係なし。
 30分もしないうちに、ベンはアポの時間を調整して。
 おれも、電話中のヤツの横から弁護士のケイタイを教えて。
 会うなら二人であってナ、と付け足した。
 あっさりと頷き。それから、「行ってくる」の明快な一言で。
 ひゅん、と。
 右から左。ライターはいなくなっちまった。
 やること、速いな相変わらず。
 
 「じゃな、あとで」
 ひらひら、と手遅れ気味に無人のスペースに手を振って。
 リカルドも、何だか用事があり気な様子でいるのにわらった。
 暗室だな?どうせ。
 「リカァールド、」
 イキナリ。
 「イイ?」
 「どうぞ、サブのバスルームなら窓が無いヨ」
 「アリガトウ、」
 
 「隣で見てるのは気が散る?」
 トン、と唇にキスが落ちてきて。笑って髪にすこしだけ指先を潜り込ませて訊いてみた。
 うん、と頷かれてしまえば。
 「ちぇー、」
 諦めるしかないか。フォトグラファー共め。
 世界が表われる瞬間は自分たちだけのもの、と言い切りやがる連中だ。
 印画紙との「ファーストサイト・コンタクト」とかなんとか。
 これまた、思いついたら動きが速いリカルドが荷物をもうごそごそし始めていて。
 「行ってこいヨ、」
 原っぱだか公園でフリスビーでも放った心境。
 「ん、」
 
 「仕上がりでも見せてナ、」
 にっこりわらってから、足早にいなくなりかける背中に声をかけてみた。
 「モチロン、」
 振り向き様に笑いかけられた。
 ぱたん、とドアが閉ざされて。
 珍しく.一人だった。
 
 「どうしよっかな、」
 時間が、宙に浮いている。
 今日あたり、多分またNYCに帰る筈の顔を一つ思い出した。
 偶然会った顔見知り。
 けどまぁ?
 別に会いたいとは思わないな、
 
 セブは、妙に大人しいなァと思っていたら。
 ニモツの下に突っ込みっぱなしだったおれのケイタイに山のようにメッセージを残して、昨日JFKに飛んで戻って、―――いまごろ、
 あー、アジア?向かってる頃だな。
 要約すれば、『諦めてないから』。そんなメッセージだった。
 セブも、……カワイイ。まだこっちにいたなら会ってもよかったンだけどナ。
 
 他にも何人か、思いつくけど。
 んー、別にそうまでして会いたくないし。
 こういうときは、仕方ない。
 気分が外に向かっていかないなら別にイイや。
 
 ワインセラー代わりにしてる棚、その中から適当にワインを引っ張り出したらスプマンテだった。却下。押し戻して。
 また別なのを引き出す。黒のボトル。
 Rivesaltesの―――ヴィンテージイヤーは1929年。
 
 あ、これは適度に美味い。
 ちょっと苦労してワインオープナーを別の棚のドロワーから発見して。
 ゆっくりとデキャンタージュしてから、グラスと一緒にリヴィングに持って戻った。
 それから、マクシーの写真集。
 思いついて、部屋に戻って新しいタバコのパッケージと。
 窓は開けておいた。
 マクシーがいつも吸っていたのとは、ベンのだからもちろん銘柄が違うけど。ま、そこはガマンしてな?
 
 アシュトレイに火を点けたそれを置いてから。
 重たい表紙を開いた。
 センチメンタリズム?それに浸ってみるかな。―――閑だし。
 
 グラスに注いで、重い、とろりと甘い赤を一口。
 熟れすぎたプラムと、良い意味での錆臭さが微かに底に残る。
 生きているものを飲む感覚が強い。封を切った瞬間から空気と混ざり合い味を変えていく。
 欲しくなって、ドライフルーツも何種類か小皿に出して持ってきた。そして、またソファに身体を伸ばす。
 
 カノジョ、マクシーのパートナー。
 あのヒトも、もうきっとどこにもいないんだろう、と。
 突然そんなことを思った。
 マクシーとリカルドの出会ったのが、アリゾナの何処かであったなら。カノジョはどこにもいなかったんだ、もうその頃には。
 ―――あのコみたいだったな、おれより全然年上だったけど。カノジョ。
 ボリス・ヴィアンの小説の、オンナノコ。やさしくてキレイで可愛い、「クロエ」。
 コイビトを想ってマクシーは。睡蓮の池じゃなくて、何の淵に身体を沈めたんだろう。
 
 「マクシー、おれはね、もう“ゆっくり死んでいってない”よ、」
 トン、と長くなった灰を内側に落として。細い煙の上がっていくのを確かめてから、また頁を捲った。
 そこに拡がっていくのは、マクシーの視ていた「世界」。その眼差しと同じように、厳しくて怜悧な、それでいて穏やかに包み込む。
 静まり返った家は、なんだか奇妙な気もしたけれど。
 居心地は悪くなかった。
 
 
 途中で。
 飲み干したワインを追加で取りに立ち上がったときに。
 中途半端な具合に何か食べたくなったから、久しぶりに『冷蔵庫』を開けた。
 確か、甘口の白とあわせようと思って『買えってば』と指差した―――あぁ、あった。
 ブドウやなんかと一緒に下段に入ってた。無花果を4つばかり取り出して。
 半分に切ってクローブとシナモンと、ブラウンシュガー、それからハニィ。そういった  スパイスを「かけて」オーブンに放り込んだ。
 これで10分も経てば美味いデザァトの出来上がり。
 
 それを皿に取り出して。ソーテルヌの新しいボトルといっしょにリビングに戻った。
 窓からの空の色が、もう薄いモーブに変わっていた。
 ゆっくりとソーテルヌを空けて、デザァトは結局食べ切れなくて2つばかり残った。―――ま、冷めても美味いけどね。
 
 寝そべったまま窓の外の色を眺めて、この時間までベンが戻らないってことは、まだ当分時間はかかるってことだよな、と。
 そんなことをふい、と思いついたら。
 かすかな音がした。
 そういえば、ずーっと暗室篭もりっきりだったよな、たしか。おれの“カワイコちゃん”は?思いつきにまた小さく笑った。
 ドアへ目を投げていたなら、よろ、とでもいった様子で。リカルドがドア口から姿を現した。
 よぉ、と声を掛けてみる。
 おおい、おれの声聞こえっかー?
 
 ふらっと、そのまま向かい側のソファまで歩いてきて。
 空腹の痩せ犬よろしく、「オナカスイタ、」そんな情けなくかつカーワイイ台詞付きで、ばったり横になっていた。
 「リカァルド、」
 呼んでみる。
 「Feed me food, please?(なんか食わしてくれ)」
 「何かハラに入れたければデザァトでも先にドウゾ」
 台詞にわらって。つい、とプレートを押し遣る。
 「ん、」
 アリガトウ、と酷く消耗した声が返された。
 現像液独特の、匂いがして。
 あぁ、オツカレサマだね、そんなことを思った。
 
 
 
 
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