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 ゆら、と。水面が割れた気がして。意識が表層に浮いた。自然と目が覚めた。
 ぱ、と天井のウッドと、ベッドの枠に。一瞬場所が定かじゃなくなる。
 さらさらとリネンが身体の下で音を立てて。
 四肢を伸ばしても、空っぽなことはわかった。
 
 手首の内側だとか、腕の奥。ひっそりと赤が残されてる。
 いま、ジブンの目じゃ見えないところにもきっと願ったとおりに残されているんだろう。
 普段は、好きじゃないから極力痕なんか残させない。
 ―――けど…。
 ベンにだけは時折強請るのは何でだろうな―――?
 
 聖痕、にみえなくもない位置。
 掌に釘、あれはマチガイ。本当は、手首に釘を打ち付けるんだ。
 さもないと、体重で掌が裂けちまうからね、支えきれずに。
 教えてくれたのは、――――あぁ、アントワンだ。
 『ねぇ?スティグマ(聖痕)。見て、リアンに遊んでもらった』
 そう掌を翳したなら、撮影現場で。
 『馬鹿め、破けるだろうが』と小突かれた。額。
 
 アントワン、どうしてるかなぁ……?
 おれの頭、あれだけ容赦なくドつき回したの、ロビンかあのヒトくらいだよ。
 もう少しで、オンナノコ役までやらされるところだった、例のプリンセス役の子がいつまでも『歩けない』からってさ。
 
 『怒られた、』と。肩に懐いていたなら。
 リアンに向かって芸術カントク様は。
 『テキスト読んでこい馬鹿者め!!』って。フレンチ訛りで怒鳴ってたっけ。
 『アントワン、フレンチが怒っても恐くない、』とわらったら。
 また小突かれたんだよナァ。
 
 ちゅ、と。残された痕の上に口付けてみた。
 ―――なんだって、あの馬鹿はここにイナイんだ……?おれのコイビトだろ?
 あれだけ、散々。夢の中まで追いかけて好きだ好きだ言ってたくせにな。
 「なぁんで、いないんだよー」
 
 ぼす、と。空気を吸い込んだ枕を腕で潰した。
 甘い、低い声。耳に残ってる。
 身体の内にも、意識の底にも。
 愛している、と言われた。
 信じてもいいかもしれない、と思った。
 抱きしめてみて確かめようと思ったのにな。―――クソ。
 
 肌に溶け入る手をもつ人間には要注意、あー、アントワン。センセイ、カントク。アナタの教えは本当かもしれないヨ?
 おれのコイビトは、『曲者』だ。
 繋ぎ止めない、と笑う。
 けれど、愛していることを忘れるな、と請う。
 きっと、それは。誰と居ても、ということを暗に含んでいるんだ。
 繋ぎ止めないっていうのは、そういうことだろ?
 
 肩、鎖骨、首元、腕、胸、脚、腰、多分もっと…?
 口付けられて、追い上げられて。身体の震えて熱の上がる場所にばかり多分。痕が付いてる。
 印の残っているうちに、誰かに痕を辿らせても同じようには震えないんだろう、わかってら。そんなことは。
 だから、余計に。
 ―――なんで、いまいないかな、あの馬鹿。
 
 考えれば考えるほど、ムカツイテキタぞ。
 枕をもう一度潰してから、半身を起こした。
 見下ろしたなら、やっぱり。幾つか、もう目についた。
 肌に残る赤。
 鮮やかな、濃い。
 薄い血の色。
 相反する色味。
 乱れてみせても、どこかいつも理性の欠片を忘れない銀灰の色を思い出した。
 また、すこしムカッ腹が立った。
 一度、限界まで抱き合ってみようか?どうなるんだろう……?
 「変わらねーんだよなぁ、どうせ」
 考えるだけで腹が立つ予想が出てきそうだ。止めにした。
 
 着替え、それをクロゼットから引っ張り出して。バスへ行くときになにか話し声が聴こえたけど無視した。
 陽射しが、まだ昼は過ぎていないことを知らせてくるなかで、ゆっくりシャワーに浸かって。
 髪のぬれたままで鏡の前で服を着たなら。効果テキメン、な位置に赤のアクセントが覗くことを知った。
 きょうも、シャシン撮るんだっけ。
 リカァルドだったら。これを晒してても別の温度になるだけなんだろうな、どうせ。
 むしろ。
 見る方の連中のリアクションが自然なんだとおれは思うよ。
 「片思いも両思いも。曲者だよなぁ2人とも」
 鏡のなかの困りカオの癖にどこか嬉しそうなカオに言ってみた。
 よし。
 朝のデェトの邪魔してやるぞ、プラトニック共めが。
 
 
 バスルームからまっすぐ、声を追って書斎の方へ向かった。
 リビングにまず出て。
 床に散らばる本に首を傾げた。…なにしてんだ??
 ダイニングには。モーニングサーヴィスらしい、銀のトレイがまだ出っ放し、中身は空っぽだったけど。
 ―――あ。苺発見。
 何粒か手に乗せて。
 妙に賑やかな書斎を覗いた。
 
 「なぁ、薄情モン。オハヨウゴザイマス」
 コイビトの背中にまず一声。
 それから、「リカァルド、おはよう」
 にっこり、と朝だから笑み。
 「起こしたぞ」
 ベンだ。
 振り向いた。
 「知らない」
 「したらオレより枕の方がイイと言った」
 最後の粒を嚥下した。
 「嘘ばっかり」
 ひら、と手を振る。
 「嘘吐いてどうする」
 「枕よりオマエの方がイイに決ってる」
 「オレより枕にしがみ付いたんだぞあンたは」
 んん…?知らねェよ。
 「覚えてない」
 
 リカルドが真顔で、オハヨウ、と返してきて。
 すぐに眉根が寄っていた、んん?どした?
 「オマエのカオが最初に見たかったのに」
 コイビトに目を戻した。
 「愛想無し、」
 そう言えば。
 ベンはひらっと手を空に上げてみせてから
 「あンたの首筋に新しくキスマーク付けたけどな、反応ナシ」
 思わず瞬きしちまった。
 「それでどうしろって?」
 そんなことを言いながら何歩かで傍にやってくると、唇に軽く口付けられた。コイビトから。
 「そんなん、見えない」
 風呂場でちゃんと確認したぞ。
 「アタリマエだ、あンた、最愛のコイビトのように枕抱え込んでたんだからな」
 んんん?
 ベンの目つきが。オモシロイ。
 軽く、恨みがましく見つめてきてるって―――?
 
 「してくれれば起きたのに、」
 からかい混じり、ささやきに落として耳元に。
 「枕には出来ない技、」
 あむ、と耳朶を唇で挟んだ。
 「ひとまず枕はキスマークなんぞ付けんぞ」
 「朝から寂しい思いさせんなヨ…?」
 きゅう、と抱きしめられて、ムカツイテタのはどこかに消えていってた。
 「夢かと思うだろ?」
 目を覗き込んで、半分本音。
 オマエにじゃなけりゃ、言わないねこんなあまったれたことは。
 
 「夢なわけあるか、」
 「深く眠るとわからないときもあるから」
 「それだけ痕が残ってるのにか?」
 くう、と笑みをコイビトが刻んだ。
 「Buenos dias, mi amado. 」
 “オハヨウ、オレの最愛”
 言葉を受け止め、頬に口付けた。
 「許してやる」
 そして、おはよう、と。
 キスする前に言った。
 首に両腕を回して。
 
 朝にしては、濃いキスで返されて。
 濡れた唇を浮かせて訊いてみた。さっきまで聴こえていたハナシ声の内容を。
 「衣装。あンたの。リカルドがどうしても着せたいと」
 床に、これまた散らばった本を指し示された。
 「―――衣装?」
 「そう。衣装。フツウの服じゃ嫌なんだと」
 画集、美術書、映画のパンフレットまでひっくり返されてる。
 「リカァルド…?」
 がさっと本を捲くっていたフォトグラファを呼んでみる。
 「んー、シャンクス、唇赤い」
 「へ?」
 あぁ、唇…?そりゃ、キスしたてだからね…?
 そう返事しようと思ったら。
 フロアにしゃがみ込んでいたのが立ち上がって、トン、と唇にキスされた。
 朝の挨拶。
 けれど、また。ちらっと浮かんでた笑みは引っ込んで。
 本に戻っていった。
 
 
 
 
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