Agua

寂しい、という感情だけに取り憑かれたかと思った、ガキのころの熱を出す前触れじみたどこか意識の上っ面をすべっていく
漠然としたカタチの無いもの。
腕がほしかったんだ、と。言葉になるより先に意味だけが通っていった。
撫でるだけじゃなくて、引き上げてくれるモノ。
ウチもソトも満たそうとしてくれるもの、体温。
―――いまみたいに。
……イマ―――?
熱のカタチ、それがわかる。包まれ―――
ちが…引き寄せて、
ぱら、と。
紙が擦れる音が、拡がる雨粒の形で意識に潜り込んできた。
ぱら、ぱら、と。

抱いて欲しい、と請いて。望んだものを与えられた、その甘いばかりの名残。
温かいのは、腕だ。ほしいと願ったもの。
長く息を吐いた。
ゆっくりと。
長い腕が、回されている。
眼を開ける前に、肌に唇で触れる。
とん、と。返礼のように額に軽く口付けられた。
「おはよう、」
柔らかい声が、するり、と留まる。
まだ、返事は多分できそうにない。
だから、触れている肌に、額を押し当てる、そうっと。

さらさらと指が髪を梳いて行き、また。ぱら、と音が零れ落ちた。なにかを読んでいる。
肩に近いところ、掌で触れて。どうにか言葉を返した、同じように。
「両腕、」
やっと、まだ掠れ気味だけど声が出た。
「ワガママ、」
「しってる、」
静かに笑って、両腕で抱きしめてくるコイビトにおれはなにを返してるんだろう……?
「キスもいるか?」
返事を必要としていない問いを放って。さら、と。また額にキスを落としてきた。
身体を一層添わせる。

留まっていた寂しさ、それがゆっくりと浮いた。
LAから帰ってきて、実際にはアントワンの家から帰ってきてから、この部屋が静か過ぎた。
時間の中に浮いている空間に、そのまま座しているかと思う。
アントワンの家は、同じアンティークに囲まれていても一々全部が饒舌だ。ここのモノはどれも静か過ぎた。
「足りない、」
コイビトを見つめた。
優しく、深く。身体は抱かれたことを知っていても。

「今日から撮影じゃなかったか?」
く、と。笑みが刻まれる様を見つめていた。
深く、望んだように口付けられる。
頬から頤へ掛けての線を手指で辿った。
ぐ、と身体が沈み。酷く浅いところでまだ蹲っている欠片を深く煽られるかと。甘えた声と溜め息を混ぜ合わせたモノが喉を
競りあがっていった。
さらり、と指を離れる髪を指先で縫いとめて。暫くの間、齎されるものと供するもののバランスを考えた。
そうっと身体の浮かせられた感覚に眼を開けば、覗き込まれた。
笑みが作れない、
―――どうしようか、

「……ロビンと、」
―――ロビン?あぁ、LAで。二日目。
ジブンの声に、他人事のように思った。
言葉の代わりに、やわらかく口付けられる、顔中。
「会って、預かっていたものがある、って言われて…」
夜になる前の時間。ロビンのオフィスに連れて行って貰って何時間か笑って過ごして。それから―――
ロビンの、低い柔らかい声が言った。『プレシャス、だからアナタのことを探したのに』と。非難めいた響きはゼロだった、
ただ真実を告げてくれるだけ。その底には愛情。
「中は開けてない、って言ってね」
とん、とん、と。柔らかく、ゆっくりと落とされていく口付けに眼を閉じた。
「マクシーからの手紙だったよ、おれ宛の」
何通もの、手紙や、ハガキ、貼り付けられたシャシン。

する、と。目許に触れるようなキスを落とされる。
ゆっくりと、息を吐いて。言葉を続けた。
「3人で過ごした夏のヴァケイションのすぐ後から始まって、カノジョとマクシーがマジョルカ島でわらってるシャシンとか、」
そして、カノジョがホスピスにいるからよければ会いに来てやってほしい、と書かれていたモノ。震えていた文字。
『彼女のお葬式は、ださなかったそうよ』と、ロビンから聞かされた。
温かな、熱。穏やかなソレ。頬を寄せられている。
静かに、聞いてもらえているのだとわかる。
「そのあとも、何通か。変に明るいハガキ、世界のいろんなところから。」
そして、消印がだんだんとバラバラなっていっていた。
最後は、マクシーが見たものだけが貼って残されていた。
「アリゾナの砂漠だとか、古い施設だとか、―――だけどリカルドの画と、ぜんぜん違うんだ、」
さら、と髪を撫でられて。抱きしめられた。
……強い腕。

「一番最後の手紙が。空だった、多分ネヴァダとか、アリゾナ。切り抜いてたよ、ソラなのに何も無い、ヴォイド、ってヤツ」
光は、熱を伝えていたのに。
あのヒトの冴えた眼差しは、温度を全部なくしてた。
「消印はいつ、」
「おれが19の頃。2年半くらい前だった」
それが、最後。
だから、その後、マクシーは階段を見つけなおした…?
でも、それは―――問題じゃない。
なにかを求めて差し伸ばされていた腕、その在ることすら知らないでいた、自分。

『アナタへ宛てられたものよ、持っていってあげて、』腕の中に抱きしめられて、ロビンの声を聞いた。
そのあと、おれの家までロビンと一緒に戻って、手紙の殆どを仕舞ってきた。
「LAの家は空家にしてるのに。ロビン、ここはゴーストだらけね、だってさ。メイドは入れていてもね」
手紙を取りに戻るときは、一人で来なさい、と。ロビンはそれでも柔らかに笑みを刻んでいた。
「シャシンと、ハガキは何枚か。もって帰ってきた」
引き払っちまえ、と。
優しく提案されて、すこしわらった。
そして、今度写真のあの場所へ行くか、と。柔らかなばかりの声で告げられた。リカルドが切り取っていた風景。田舎町の
寂れた教会。
頷く。

「いっつも、手遅れだ」
寂しい、と。
だからアントワンの家でも思っていたし。
ヴァーミリオンの部屋に戻ってしまえば、もう完全にダメだった。
どこへも行かずに留まる部屋と。流れていく取り返しのつかない流砂と。
アントワンはエネルギィの塊のようなヒトだから、きらきらしたモノが主が不在でも感じられていたけど。
マクシーの『愛弟子』と、この部屋で向かい合わせに居たなら、とっ掴まった。
ふ、と。
優しい口調が聞こえた。
だったら、方向性を変える努力をしてみろ、同じ轍を踏み続けるな、と。
大事なヒト、無くせないモノ、
「少しは変わっているとは思う、」
応えた、溜め息に紛れて聞こえなかったかもしれないけど。
「だから、寂しくなっちまってた」

「まだ寂しいか?」
「腕が。欲しかったんだ」
低く優しい声に口元に笑みが浮かぶ。
「…でも、貰えたから、」
「オレの腕はあンたのものだ、知っているだろう?」
「抱きしめてやりたかったよ、好きナヒト」
腕をまわした。

「今度はあンた、“トクベツに好きなヒト”にだけする“トクベツなコト”を考えなきゃな」
くく、と。
コイビトが静かに笑いを洩らした。
ぎゅ、と腕に力を入れた。
「それがジブンかもしれない、って自負あったり―――?」
「無くはないな。オレのところだけだろう、あンたが帰ってくるのは?」
「アントワンと、リカァルドもリストに追加した」
笑う。お互いに。
「だったらますます、何か連中が喜びそうな表現をあンた、考えなきゃな」

「―――おれが楽しくないことならいいんだよ、サイアク」
キスとハグだけじゃ連中は誤魔化されないぞ、ちっとも、と笑うコイビトに。
やっと、出てくるようになった軽口で返した。
まだ、本調子じゃないけれども。
「もっと考えて、何度も試せ」
「オマエはカンタンなのに」
もう一度、両腕で背中を抱きしめれば。
そうっと身体を浮かせたコイビトがハナサキにキスを落としてきた。
甘えて言っているだけの台詞、そうと知っていても。オマエが、カンタンな筈が無い。
「そうだな、難しい方がいいか?」
と。
アントワンが、眼で。『コレは難物だぞ、』といって寄越したコイビトが。
笑った。
それに、ハンドサインで応えた。指を4本。
『4時間か!』
『ノン、4日だよ』
アントワンと、こそりと耳元で交わしたナイショ話。
所要時間、もとい日数。
この難物がとりあえず罠にかかった振りをするまでに費やした「時間」。

「ベン・バラード、」
すい、と眼をあわせた。
「ん?」
目が、笑みを過ぎらせて。
「おまえがおれのでウレシイ」
その目許にキスした。




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