さらさらと。
ナンでもない会話が朝食のテーブルに乗っかった。
リカァルドの字は相変わらず眩暈がするほどチャーミングだったし。
旅先からのハガキ、うん。これは絶対に頼むしかないな。

フルーツのプレートを4分の3ばかり片付けて。終わりにした。もうクエナイし。
「―――ベーン、いる…?」
正統派な朝食を片付けたコイビトに言った。
「ん」
すい、とプレートを引き寄せた、と思ったら。ものの見事なスピードですっかり空になってた。
「お見事、」
「お褒めに預かりまして」
ぱちぱち、と拍手。
すいすい、と。真っ白のナフキンで口元を拭って、何事も無かったような顔でテーブルを片付け始めたけど。
―――オマエ、機嫌いいね…?

す、とまた気分が上向く。
ああ、そうだ。
「ベン?」
「ん?」
「水、まだ冷たいのある?」
「もちろん」
片付けながら返事された。
「―――ベン?」
「ん?」
視線が合わせられる。
「美味いジン・トニック作って欲しい」
笑みで返す。

「撮影するのに酒はオオケイ?」
「うーん?薄くてもいいし、オマエの美味いもん」
「薄めでいいなら、作ろうか」
「アリガトウ」
テーブルから離れて、眼だけで微かに笑ったコイビトの肩に口付けた。
「水って、どこ?」
「ここにあるのでよければ。冷蔵庫にも入っているぞ?」
「んー、」
テーブルからピッチャーを取り上げた。使っていないグラスと。
「風呂入ってくる、美味いの持って来てナ?」
とん、と。口端に口付けた。

「オーライ、いってらっしゃい」
「へーイ、行ってきます」
さら、と髪を撫でて言ってくるのに返してから、メインのバスまで行った。
設えは、バスルームももちろんアンティーク尽くし。
取っ手の一々が全部金や真鍮の光を弾いて、描く線がどれも優雅、ってヤツ。
陽射しを取り込んでるガラス、それまで古いモノだから微妙な凹凸や気泡がいいアクセントになってる。

部屋の内装が暗めだから、ここの明るさは対照的だ。
いい意味で。
バスタブに水を溜める間、白の陶器の縁に座った。
他にも、座る場所はあるんだけど。無駄に広いしね。
猫足じゃなくて、すとん、とシンプルな足が生えたバスタブは。アントワンなら「かわいいぞ!!」と溺愛するだろう。
実際、同じタイプの、使ってるし。NYCのアパートメントの方は。
あそこも、陽射しで気持ちがいいよなあ、とそんなことを思い出していたなら、もう十分な水量になってて。
「お、」
水を縁にグラスと置いてから、シャワーブース、モダンデザインにこれはあえてしている風、そこへまず飛び込んでから。
バスタブで身体を伸ばした。
気分がイイ。

誰が言ってたのかな、いつもヒトは熱を放ってばかりだけれども、他からその熱を還元されて受け取れるのは入浴中だけ、っての。
ぱしゃ、と湯の表面を軽く撫でた。
開け放していたドアからヒトの気配がして、ベンがリクエストを持って来てくれていた。
「あ、」
ライムが一切れ、グラスの端に引っ掛けられてるのを見つけた。
さーすが?って、オマエ。
目の前で、ライムを搾ってグラスに長い指が落としていた。

「どうもありがとう、」
腕を伸ばしてグラスを受け取る。
「どういたしまして」
ぺろ、と。舌先がライムの果汁がついた指先を舐めていった。
「美味い?」
それ、と指差す。コイビトの口元の指。
「オレにはな」
一口、ジントニックを含んで。―――ん、やぱり美味いね、コレ。
水の横に新しいグラスを置いて。に、と笑って指先を差し出してきたコイビトを見上げる。
遊び。
舌先で触れてからやんわりと含む。柑橘類の香りがまだ少し残っていた。

コイビトがくくっと喉奥で笑う。
指のハラ、舌先で擽ってきゅ、と吸い上げた。
舌を這わせてから引き出し、爪に口付けた。
「Este delicioso?」
美味いか?と問われ。
「Sabroso,」
美味いよ、と応える。
に、と。笑う顔が好きだと思う。
指を引き戻され、見上げたまま訊いた。

「ここ、座る…?」
過ぎた冗談にしても、付き合ってくれてもいいよ―――?
バスタブの縁をとん、と指先で弾いた。
「それより。髭剃っちまってかまわないか?」
「―――どうぞ?」
すい、と頤を僅かに上向けるのを見つめながら言った。
またトニックのグラスを片手に、身体を戻して。
朝のルーティン、それを眺めた。
手際が一々良い。
から、とピッチャーの中の氷が崩れて涼しい音をさせていた。

大層クラシックな。ルーティーン。
シェービングクリームを泡立てて、フェイスボウルに張った湯の中にタオルを沈めて。
メンドウじゃないのか、と話し掛ける。
「この方が良く剃れるんだ。二度手間が無い」
泡立て終えると今度はタオルを引き上げて、思い切り絞る、熱そーだな。
おれはこれが理解デキナイ、ええと、ああ、「蒸しタオル」。
熱いだろ?!どう考えても。
「熱いって言え」
「“熱い”」
「ありがと、サー」
からかってやがんな?
はさ、とタオルが落とされると。
シェービングクリームをざっと塗ってから、これまたクラシックな剃刀。
いまどき、シリアルキラーくらいしか使わないんじゃないか?床屋と。
象牙の柄がいい色してる、ってことは。結構このルーティーンが好きだったってことなんだろう。
面倒くさがりだから能率的に細かいことをする、だったか?

す、と剃刀を走らせているベンの背中に言う。
「後で触らせろ」
剃刀じゃなくて、オマエの顔ナ。
おれはカンタンに済む方で良かったよ、体質的に。めんどくせ、こんなのルーティンなら死ぬ。
「ドウゾ」
頤を伸ばしながら、それでも返事が寄越された。
「ん、」
またジンを一口。
縁に頭を預けて、肩口までバスタブの中に滑り込む。
一定のリズムで音が刻まれてるのは中々気分がイイ。

「それ、もっとやってろ?」
「無茶言うな」
無理な相談、とか言われると思ったら、ほらな。
「もうそろそろ終わり、」
ざ、とフェイスボウルに水の跳ねる音がした。
眼をやれば、一度クリームを流したあと、また温めなおしたタオルで仕上げに拭いて。
アフターシェ―ブ、それをぱしん、とつけていた。
「ぱしん、ってしたらイケナイんだぞ」
「へえ?」
「そういう刺激は意味がナイ」
初めて聴いた、そんな表情で振り向いたコイビトに言った。
「気分がイイだろう?」
「“ハニィ、動作の基本は下から上、掌で撫でるように”」
カラ、とグラスを揺らした。

「ドナタの指導で?」
「メイク。ジーナ、2歳の時に叩き込まれたよ?」
笑いながら律儀にさらりとその通りに塗りなおすコイビトに向かって。
わらいながら話し掛ける。
「髭剃りのハナシかソレ?」
「さーあ?ローション全般?それかオトナへのアリガトウのキスのあとの、コドモの手がほっぺたさわる時のご指導かもねぇ」
手早く後を片付ける背中を眺めながら返す。
ローションの塗り方の話。

―――あ、ジントニックが無くなった。
する、と振り返ってくるコイビトに向かって。ふ、と微笑みかけた。
下から上、頬をコイビトの掌が撫でていき、キス。
「ごゆっくり、」
そう耳元で低い声が落とされて、カラにしたグラスを持って、出て行った。
「オカワリは無し、と仰る」
開けっ放しのドアに向かって一言。
けれど、妙に気分は良いままだった。
ひらり、と手を一振りして、姿が完全にみえなくなった。
「寂しいからまた来てナ!」
わらって言い足してから、足先で水を少し散らした。

ゆら、と揺れる水がキモチイイ。
本でも読みたいかな。
あとでベンに取ってきてもらおう。
目を閉じて、瞼を透かしてそれでも明るい陽射しを感じていた。10分くらいか、時間にすれば。
そして、眼を開ければ氷水の入ったグラス片手のベンがいて驚いた。
久々に。
なんでそんなにイキナリ現れる!と。ムカシもえらく驚いたっけ。

「本でも読みたい、」
礼を言ってグラスを受け取った。
頃合だろ、とあっさりと笑みを受かべたコイビトに頼んで。
「なんでもいいのか?」
「欝明けで、気分が良くて微妙に精神的に酔っ払いナニンゲンの機嫌をさらに向上させる本、選んでな?」
勝手に零れる笑みを乗っけて、頼んでみた。
「なにがお勧め?」
「E.M.フォースター、『眺めのいい部屋』など?」
「―――いいね、」
ひら、と手を動かした。
「うん、それをオネガイシマス」
「了解」

す、と。
またバスルームからは誰もいなくなった。
けれど、もう。
時間は澱んでいなかった。
ん、上出来。




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