コーザがすい、と遠のくのを。なんでもないことのように見送った。
何度も、そうしてオトコが"行っちまう"のを見送ってきたけれど。
意識改革後は、ハジメテだ。
ん、なんだか寂しいね。
遠のく気配に寂しさを感じている。
あーあ…メロメロもいいとこ?
早く帰ってきてオレを食べて、なんて軽く言ってはみたものの。
「シャレんなんねーかも、」
込み上げてきた笑いをクスクスと零しながら、呟いてみた。
長い禁欲生活の後は、反動が激しい。
まあ、うん。それもそうだけど。
なんつーか。ただ触れ合っていたいわけで。
けど触れ合ってると、じわ、と湧き上がってきちまうものがあるのは、まあ。ショーガナイよね?
欲情する、ラヴ・モード。
オレの天使ちゃんなら、イン・シーズン、って言うだろうか。
「ボクタチ、オトコノコだしねえ」
すい、とポジションを取りながら考える。
何も知らないオコサマってわけでも。
経験のないガキってわけでも。
貞淑さを求められるオジョウサマってわけでも。
気取らなきゃいけないプレイボーイってわけでもない。
ただ。まあ。"オンナノコ"の役割ってヤツをベッドの中でしていても。
オレは28のオトコ、で。
セックスの快感も、夢中になる恋心も、欲しい時には欲しいという素直な欲求もわかってるわけで。
「オマケに時間もない」
ドウブツじゃないから、没頭ばかりしているわけにはいかない。
戻らなきゃいけない現実ってヤツを決して忘れることができない。
オトナだからネ。
恋に夢中になっても。
愛すること、愛されることにドロドロになっても。
アイツがビジネスを100%放り出せないのと一緒で、オレもライフスタイルを変えることはできない。
融通できるトコロは全部、アイツにやるつもりでいるけれど。
プロのバレエダンサ、プリンシパルってポジションを。
おろそかにする気などサラサラない。
「あーあ…禁欲に付き合わせちまってもいいのかね、ホントに」
基本ポジションを取りながら、頭を回す。
オレがアイツの年の頃は―――――
リンゴーン、と丁度いいタイミングでベルが鳴った。
時間を見ると、…ああ、まだ4分くらい?
ドアに向かう。
カルーさんだ。
チップ、払っとくべきなのかな?
うううん、まあいいか、訊けば。
「カルーさん?ありがとう、中に入って置いてってもらっていいかな?」
レモンとハチミツ、なんて買物をしに使い走りをしてくれた"カルーさん"は。
キッチンまで運び込んで、レモンの収納までしてくれた。
コーザの側で、いつもシャープな雰囲気を纏っていた彼を、何度か見たことがあったな、と思った。
磨き上げたハンドガンのような、シャープな切れ者。多分年はおれと同い年くらい。
コーザにチケットを渡す時。彼ら用にもいつも多めに渡していたから。
彼はオレの踊りを観たことがあるのかな?
チップを渡そうとしたら、ほんの僅かに笑って。
けっこうですよ、と柔らかさを少しだけ混ぜた声で、さらりと言ってきた。
ボディガードでもあるのだろう、良く似合う黒いスーツの下の筋肉は、厚めで硬そうだった。
イメージ。軍用犬、警察犬。優秀なヒトなのだろう。
彼が帰っていって、きっちりと基礎をこなしながら。
オレも随分と弟に感化されちまったなあ、と笑った。
ヒトに対して、軍用犬、ってイメージはないだろうに。
けれど。
ほわ、と甘えた顔で笑うコーザは、やはり大型狩猟犬のイメージがあって。
「―――――思い出したら、抱きしめたくなるじゃねぇか」
脳内のイメージにすら、ぎゅう、と腕を回したくなって、思わず笑った。
Who can say I ain't madly in love?
I know I'm in it real deep.
誰がオレが夢中になってないって言える?
バカみたいに深く嵌ってるのを、自分でもわかるってのに。
身体に染み付いた基礎を、浮かれたココロでもがっちりルティーン通りにこなしてから。
キッチンでレモンを絞ってハチミツを加え、水で割ったものを飲んだ。
運動中にも、少しずつ飲んだ方が、ほんとうはいいんだけどね。
大量に作っておくかー……あのオトコに溺れてる最中にも、飲めるように。
運動、って言ったのは、コーザだし、な?
身体が水分を受け入れて、少し落ち着いてから、1リットルボトル1本分のドリンクを作っておいた。
それくらい、すぐに飲んでしまうけど、ま…一応?
冷蔵庫にそれを仕舞ってから、濡れたタオルを持ってバスルームへ。
熱った体が冷えてきて、汗を吸ったTシャツが冷たい。
「あー…そーいや、服無ェじゃん」
着替えを、と思って、それを取りに行ってくれたオトコを思い出した。
…いつ帰ってくンのかねえ、オレのダーリンは?
早く帰ってこぉい、と頭で思いながら、バスルームに向かった。
恋にバカになっちまってる頭、少し落ち着けないとなぁ?
エレヴェータに乗り込もうとしたなら、すい、と廊下の反対側、「カルーさん」の影が形になった。
「よぉ、」
わらう。
なにしろ、「カルーさん」は盛大に顔を顰めてやがったからね、笑い顔殺すのに。
「コーザ、」
「あぁー、ストップ!お小言ゼロな、」
まあとにかくエレヴェータ乗っちまおうって。
「で、カルーさん。御使いに行くのかヨ?」
「まさか!」
そりゃそうだね、ははは。
使いはとうに出したわけだね、ハイハイ。
「プリンシパルのご自宅まで?」
「そ、御使い」
「お一人でいらっしゃる、と」
「アタリマエ」
に、と笑みを浮かべれば、さもありなん、というカオをルーファスは作ってやがった。これは、オーケイ、ってことだ。
「車線が違いますからお気をつけて」
「わぁかってら」
わらって、開いたドアを抜けた。ロビーフロア。目礼だけしてきたヤツは、多分先に下まで降りて「御使い」の来るのを待つ
ツモリだな、どうせ。
ロビーを抜けていきながら、あ、と思いついた。セトの言っていた言葉の欠片。
ディナーを多めにとる代わりに、フルーツでも食べるとかなんとか。そして、小振りなリンゴをいつも気が向けば食べていた
ダンサアのオンナトモダチ。
―――フン。
目線を投げれば、すぐにコンシェルジェがデスクからにこりと柔らかな笑みを浮かべた。
あーっと、だれだっけ。今日はリーズじゃないんだね、―――あぁ、この時間だからか。胸のタグには……
「こんにちは、ジョージ」
丁寧に返される。あぁ、ウン、ご機嫌は麗しいよ?おかげさまで。
「部屋に美味しそうなフルーツ、カットしてくれなくていいからバスケットで入れておいてくれるかな、」
にこりとジョージがエレガント、の見本じみた笑みを浮かべた。
「大きさの限度はオレンジ程度、ですね?」
「あ、正解。ついでにエキゾティックなのも混ぜておいてくれると面白いな、あとは」
「トロピカルフルーツでも、」
語尾を補充してコンシェルジェがまたにこりとした。
「アタマいいね、」
に、と返す。
「おそれいります」
にっこり、とデンワをもう片手にしていた。
「ヘッドハンティングするかもしれないよ?」
じゃあよろしく、と今度こそエントランスへ向かった。
「良い一日を、」と声が背中に追いついた。
うん、だから、もうすでに完璧なんだって、きょうは。
ここから、セトの部屋までは混んでてもまぁ15分くらいかな、30分以内に戻ればおーじさまも拗ねないだろ?
ベルボーイにクルマをまわさせている間、突然。
タバコが吸いたくなった。あ、そういえばおれけっこうな時間タバコ抜きだったんだな。
我ながら驚いた。
とん、と掌にライターを遊ばせ。まわされてきたクルマに乗ってすぐに火を点けた。
移動中の一本くらいは大目にみてくださいませ、王子。ご自宅では努々吸いませぬゆえ。
出来損ないのクラシックイングリッシュをアタマのなかで作って。
とっくに覚えた道を抜けて行った。ふうん、この程度のトラフィックなら10分かからないかもしれないね。
上出来。
あ、やっぱり。もう見えてきた。端整な家並み。
すぐにイメージできるような「古きよきイギリス」ってイメージだ。毎回思う。
すぐ浮かぶのは昔ニュースでよく流れていた絵面、ちょいとごつめのオンナ首相が自宅の前を歩いているそれ。
まさにその通りのイメージ、裕福な階級のニンゲンの住むエリア。そこの、背の高い2階建ての建物、前庭つきでブルーの
ドアの前には3段ばかりの石の階段、そんなのがずらっと並ぶ一角。
よく自分の家がわかるね、と。最初に寄った時に言ったのを覚えている。
夜中に帰ってきて他所の家のドアを叩いたことあるだろ!とわらったのは、ルフィだった。
「庭の花とかね、そういうもので覚えるんだよ」
くくっと笑ったセトの返事。
ん、たしかに。おれも覚えた。
前庭の名前も知らない花と、ドアの金色をしたノッカーの上にゴールドで書かれた番地。
はい、到着。運がいいことにすぐ前の路肩にスペースが空いていた。
なんだっけな、この花。
足元を見下ろした。
水仙と―――あー、……忘れた。
石段を上がりドアを開け。
ドアマットの上に手紙が3通ばかり。拾い上げて、サイドテーブルに置いてから2階のベッドルームまで直行。
確かクロゼットがあったのはあの部屋だよな。長い階段を上がっていき、左手のドアを開けた。
適当にクロゼットを開けて服を選んで取り出していく。
記憶と照会しながら。例えばこれはたしか家で着てた、これは似合ってた、簡単な外出はだいたいこのイメージ、―――で、
3日分。
どうせワークアウトもするんだろうからあとは適当にTシャツとスウェット、だな。
ディナー?あぁ、行くかもしれないけど。
選びかけて、ヤメにした。
多分、非常に確率は少ない、おっそろしく。
選んだ着替えを眺める。
「ん、こんなモンだろ」
クロゼットの中にあったなかから目に付いたバッグにそれを入れて、時計を見る。
部屋をでてから、20分経過。
「おっと、」
すっきりと片付いたベッドルームをくるっと見回してからバッグを片手に階段を半分走り下りる。
一階にはたしかリヴィングとキッチンがあって、あぁ、ダイニングも。オーガニックフード、とけらけらと笑いながらサーブされた
食事をしたことが何度かあったな、そういえば。地下がレッスンルームで、あとはベッドルームのほかにバスとライブラリが
たしか2階にあったか?
18の頃からここで暮らしている、と言っていたセトを思い出した。余計なモノが少なくて素っ気無いくらいクリーンな内装で、
片付いていて。けれど、どこか人懐っこい。
居心地の良い部屋だから、今度はここに泊まるかな、それも愉しそうだ。
クルマまで戻り、ドアを閉めた拍子に花の名前を思い出した。アドニスだ。
本日の御使いの収穫、―――そんなもんだろ。
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