「御早いお戻りでらっしゃいますね」
ジョージが声を掛けてくるのにひら、と手を振って。
目が、おれのオーダーは手配済み、と言っているのを確認してからエレヴェータに乗り込む。
「わ!」
「なにを驚かれて?」
に、と。エレヴェータの中の吃驚がしやがった。
すう、と扉が閉まる。
「御使いゴクロウサマですね」
「趣味、放っとけ」
あ、肩竦めやがって。
「一つよろしいですか?」
「んー?」
少しばかり、真剣なトーンになった「カルーさん」を見た。
「プリンシパルに、ドアは開ける前に一度相手を確かめるように仰ってください」
「あ、オーケイ」
フン、ありがとうよ?どうせセトのことだから。
ば、と全開したのかもねぇ。
「オマエが両手塞がってると思ってたんだよ、きっと」
「中々、魅力的なスタイルをなさってらっしゃいましたよ」
んん?
す、とドアが開いた。
長い腕に押し出されて、またドアが閉じた。
「――――アレは怒ってやがるな、」
ン?「カルーさん」。
オトコがたぁかだか名前がおふざけに確定したからってさ、度量が狭いぜ?
部屋の前で中の様子を探った。あぁ、ヒトが動いている気配はなし、ってことは。
ストレッチは終了したんだね。ドアをアンロックし声を掛けてみた。
「セート、着替え持ってきた」
さあああ、と。極々かすかに水音がした、と思ったら。
バッグ片手にベッドル―ムまで行く途中で、ひょい、と濡れた頭のままセトがバスルームから覗いた。
ん???
あたま、まだ泡のってねェか?セト。
おかえりコーザ、ってね、そんなノンビリ泡アタマで言われてもな?
「ただいま」
としか返せないだろ?
「おーじさま、後で遊んで差し上げるからさっさと済ませて出てきてくれよ」
ふざけ半分で返せば。
よく見ればまだ全身びしょぬれなセトが「ありがとね、」とにこりとし。
「ちょっと待っててすぐ出る」
また、ひょいっと姿を消していた。
「んー、おはやめにどおぞ」
「んー」
笑いの混ざった声を聞きながらクロゼットにバッグを放り込みに行き。
白の薄手のコットンシャツ、それから麻のパンツ。そのあたりを取り出しておいた。
うっかり、ただいま、って言っちまったけど。
よくよく考えてみれば、なんだか妙だな…?
大猫に仕返しするつもりだったんだけどね?まぁいずれ。
ぺた。と濡れた足音がしていた。
あぁ、出てきたんだ。
「美味そうだね。ところでフルーツ届いた?」
にこお、と笑って訊いてきたコーザの顔を見上げた。
「フルーツ、ああ、うん。バスケットな?シャワー浴びてる間に届いてサ」
ルームサーヴィスのスタッフ、固まらせちゃったっけ。
「とりあえず、冷蔵庫に入れといた方がおいしいものは、入れといてもらったけど」
うん、パパイヤにレモンかけて食うと美味いんだよなー。
あとマンゴー。
にこお、と笑いかける。
「オマエ、頼んどいてくれたんだろ?アリガトウな」
トン、と口付ける。
その弾みで、ぽた、と落ちて首筋を伝い降りた水滴に、小さく息を飲んだ。
慌てて、手に持っていたタオルで髪を拭く。
にこ、と笑ったコーザが、濡れた髪に手を差し入れてきた。
「急いで出てきたから、乾かしが甘いんだ、」
「そう?」
すい、と指に髪を絡めて、く、と口付けられた。
温かい唇の感触、僅かなニコチンのフレーヴァ。
ああ、オマエ、オレの前じゃ煙草吸わないでいてくれるもんな。
「オマエも入ってくる?」
つる、と唇を舐められて、笑った。
「んー?」
「外、まだ暑いだろ」
イギリスは、夏になると日が長く。ヘタをすれば10時近くまで明るいことも多い。
「いい、」
「そ?」
くしゃ、とコーザの髪を撫でる。
「喰いに戻ったんだし」
「…んん?」
に、と悪戯なドギーのような顔をして、コーザが笑った。
…ありゃ。
ありゃりゃりゃりゃ。
あーあ、頬赤くなった気がする……。
「早く帰ってきたダロ?」
声が笑ってて、思わず照れ笑い。
「うん、早くて吃驚した」
髪乾かし終わった頃に帰ってくるだろうと予測してたんだけどネ。
「オマエ…」
…あーあ、かわいいの。
「なン?」
「…なんか、飲む?」
にこお、と目で笑ったコーザの頬を撫でる。
「一息、吐いてからにするか?」
オレを喰うの、とはさすがにこの年でも言えないねー。
うわ、なんか……照れるゾ。
すい、とタオルで髪を一度拭いてから見上げたら。
コーザの目が、きらきら煌いていた。
……うん、きれーな目、じゃなくって。
「こぉざ…?」
す、と顔が近づき、耳元に吐息。
「だね?かぁわいいからしばらく見てる」
声が落とされ、あむ、と耳を食まれた。
かわいいって……あー…オマエのがかわいいって。
すい、とコーザの髪を撫で下ろした。
「……じゃあ、えと。髪、乾かしちまうけど、」
…オマエ、それも見てるの?
ぺったり、と肌が密着する。
タバコの匂いが僅かに立ち上ってきた。
背中に腕を回して笑う。
ハナサキを埋めた髪にも、同じ匂い。
「……コォザ?」
夏、そういえば…出会ったときも、こんな匂いだったっけ。
イッセー・ミヤケのオード・トワレ・プア・オム。
水をイメージしたという爽やかな匂いに、少し濃いタバコのクセが混じってた。
ハナサキを首筋に埋めた。
トップノートが漸くミドルに移ろうかという軽さになっていた。
今はそこに、前ほど濃くない、ほんの僅かなタバコの匂い。
ぺろ、と首筋を舐める。
僅かな塩気と、トワレの苦さ。
くくっとコーザが笑っていた。
そのまま、ちゅ、と吸い上げる。
ふ、と鏡の中の自分を思い出した。
「クッチャウヨ?」
囁いたオトコに、笑いを混ぜた声で返す。
「喰ってもいいけどさ、オマエ、痕付けすぎ」
あちこちに散った赤い痕を思い出した。
バスルームで、一人、赤くなっていたことも。
レッスン日までに、消えるのかねぇ?
「んー、だってさ、」
甘い声に、なんだよ、と返す。
「セトの、肌にも。おれのこと覚えてほしいから?」
「……くくっ、」
あーあーあー、オマエなあ!!
す、と項に掌を滑らされた。
「あ、そこもオマエ、噛んだだろ?」
結構まだ痛いんだぞ?
文句を言うつもりなのに、あーあ。声とろとろ、我ながら説得力ナシ。
「ん、つい。」
ゆっくり撫でられて、苦笑した。
「ゴメンね?」
声とともに、目が少し狭まられた。
…悪ガキめ。
あーあ。許すって知ってるんだろオマエ?
実際その通りなんだけどさ?
「もうダメだよ、」
痛いんだからさ。
「ん、」
する、とコーザの頬を撫でて笑う。
掌に柔らかなキス。
そして、す、と顔を埋めて、項の痕に口付けてきた。
「…こぉざ、」
片腕で腰を引き寄せられた。
「オマエ、服、濡れる」
ふわ、と意識が一瞬で柔らかくなる。
あーあ。ラヴ・モード全開。
一層強く身体を引き寄せられて、両腕をコーザの首に回した。
濡れた髪のまま、肩に頭を預ける。
「まだ、痛い…?」
「No, you kissed it better」
キスを貰ったから、痛くないよ。
笑う。
あーあ。
オレもなー…シャワー入っても、相当マイッテルネ。
まだまだ恋に惚けてマス。
そうっと何度も唇が痕に触れてくる。
コーザの背中をゆっくりと掌で辿った。
「なー…」
頭を預けたまま、語りかける。
弟に昔、教えたコト。
する、と髪の中に鼻先がもぐりこんでくる感触に、息を吐いた。
なに、とゆっくり低い声が綴る。
「"チチンプイプイ、痛いの痛いの飛んでけ"って魔法かけろよ、」
魔法がキスの中にあるのは、重々承知なんだけどな…?
コーザがすう、と吐息で笑った。
「あンたのなかの、痛いモノがぜんぶ飛んでいきますように、」
そっと囁きが落とされて、ちゅ、と口付けられた。
……あーあ。
……くそう、なんてこったい。
「…オマエ、ウィザード?いまの、すげぇ効いた…」
ココロの中のちっぽけなササクレだとか。
ちょっとした昔の古い傷からの疼きとか。
すい、って浮いてったじゃねーの…。
「Love is the strangest thing,って昔っから言うしね?それに、いま」
「…うん?」
「真剣にそう願ったし」
すい、と頬に口付けて、コーザが言った。
「セト、あンたってさ?」
「うん?」
ナンデショウ?
「クリスタルの球体、っていうか。つるんってしてるんだけどさ、磨かれきってて。シームレス、フローレス、でおまけに
クラリティ(透明度)もダントツ、だけどな?」
…ほえ?
クリスタルの球体?
「…だけど?」
コーザがく、と目を僅かに細めた。
「で、よぉく中見ると。目に見えないくらい細かい疵が入ってるみたいなんだよね、だから、それが薄くなって、痛くなくなれば
いいな、ってね」
優しい声に、嬉しくなる。
疵を持たないオトナなんかいないけれど。
オマエの言葉は、気持ちは…。
「…アリガトウ」
嬉しいよ。
「せめて、表面からだけでもオマジナイのフリしてそれを無くしちまいたいな、ってね。勝手な我儘」
にっこりと笑った年下のオトコの顔を見詰める。
オマエだって、疵をいくつも…まだ治りきってないものを抱えているのにな。
「あぁ、ケド。おれが齧ってちゃ意味ないか、」
す、と目が細められ、煌いた。
ココロの底から湧いてくる、暖かな感情に任せて、笑みを浮べる。
「大好きだよ、オマエが」
優しいオトコ。
甘えん坊で、甘やかしで、甘い優しい感情をも持ったオトコ。
願わくば、オレもオマエの持つ疵を。
少しずつ、治せていってやれたらいいな。
「甘く、噛めよ。そしたら…」
いくらでも、噛んでいいぞ。
「な…?」
next
back
|