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 まわしていた腕にやんわりと力を入れたなら。
 僅かに、セトの口許に。ふわ、と笑みの欠片が「舞い降りてきた」。
 あぁ、そろそろ。こっち側に戻ってきてくれるんだな。
 これまた、初めての試み。
 髪に口付ける。そして、小さく音に乗せた。
 「おかえり、セト」
 
 腕の中の存在に、くうっと。意識が戻ってくる気配が触れている箇所すべてから伝わる。
 長い、静かな息がふ、と零され。僅かに指先が動いて、そして。
 みつめている間近で、ゆっくりと睫が震えた。現れるアイスブルー。
 まだどこか、ぼう、と甘いソレ。
 
 「ただいま、」
 囁きで返された。
 吐息に名前を乗せられ。一瞬、心臓の底辺りが痛んだ。
 ただの記号が、あンたの声に模られると別の意味を持つみたいだ。
 冴えた蒼を覗き込む。
 
 「生き返った?」
 ゆっくりと上げられた腕で、心臓の側に触れてこられた。あぁ、ヤバイかもしれない。鼓動が伝わったらバレルネ。
 際限なく、あンたに惚れてるってことが。
 「お土産つき、」
 ふわ、と。微笑みながら囁き声が返してくる。
 これも、初めてのレスポンスだ。
 
 「ふうん?」
 一瞬だけ、腕にきつく抱いた。
 そろそろ、タイムリミットが近づいてくる時間だっていうのに、ヤラレタ。
 視線が熱を孕み、(これも初めてみたな、「この場」では)。そして、どこまでもやわらかい微笑がふわん、と乗せられる。
 記憶から意識して沈めていた表情と、声。真夜中過ぎに初めて手に入れたもの。あっさりと、腕の中のセトとゆらりと重なる。
 まだ24時間さえ経っていないのだから、それもアタリマエか。
 
 公演終了後の定例事項。
 意識から追いやっていた、閉ざされた扉越しでも、浮ついた熱気と高められた感情の波が伝わってくる。
 まず最初にあらわれるのが、花束を両腕に抱いたオンナノコ。そして関係者。
 30分っていうのは長いようで短い、けれど。
 セトが目を閉じている間は、その瞬間瞬間が永遠に続くかと思う。
 
 「あ、そーいうカオする?」
 冗談めかして言ってみる。
 「ん、」
 あまい声。
 ――――だから。セト。反則だ、ってのに。理性を繋いでいる糸だか鎖だかはけっこう脆いンだぜ?
 「フウン?あと2分でどうせドアが開くぞ。オマケに、2メートルくらい先でさっきからヒトの立ってる気配がしてる」
 シャツをく、と引かれて苦笑する。
 
 「セティ、」
 我ながら、あきれ返るくらいあまい声でフザケて名を呼んだ。
 「あ、コー、って呼ぶぞオマエ」
 きら、と蒼が光を弾く。
 ハハ、現実世界へようこそオカエリなさい、セティ・ベイビイ。
 
 「ちぇ、お預けかよ、」
 そう呟いて起き上がろうとした腕を引いた。不意を狙わないと全身運動神経のカタマリは揺らいでもくれやしない。
 「わ、」
 突然のことに落とした半身を受け止めて、半ば開いた唇に舌先を潜り込ませる。
 おーじサマのファンに見せる気は欠片も無ェけど。
 「んン、」
 笑い声とも抗議ともとれる声を閉じ込める。
 絡めて、擽って。
 零れ落ちる甘い吐息も貪って。
 
 もっと深くから、あまったるい声を出させてみてェな、と思いが掠めて。
 セトがかすかにわらった気配に、深く舌を絡めて応える。
 衣装剥いちまうぞ、セト?
 
 なんの因果か習性で。壁の向こうの気配がわかるっていうのものな。時と場合によっては考え物。
 わざと軽く、濡れ合わせたあまい熱に歯を立て。
 我慢しきれずに扉に近づいてくる何人かの気配に苦笑する。
 くう、とセトが息を呑むのを感じ。
 最後に、唇をかるく噛んでから口付けを解いた。
 「2秒後、ドア開くぞ」
 
 ノックノック、ほらな。
 
 「ゆったり系の衣装でよかった、」
 すこしばかり笑い顔で、そう言って寄越したセトの。首筋に顔を埋めた。
 「ふうん?」
 「続き、お預けな?」
 「オーケイ。あぁ、どうする?おれ外にいようか」
 
 ノックノック。
 
 「いいよ、ドア口で対応するから。シャワーの仕度だけ、しといてくれるかな?」
 「うけたまわり、」
 マシタ、は省略。
 
 ぺろ、と血の流れる上を肌を舐めてみる。
 待つ楽しみ、ねぇ?
 ハタチを越えてて良かったぜ。
 
 
 
 恋してる、恋してる、恋してる。
 
 自覚を手土産に、意識の底の安寧から"生き返った"。
 起きたら、スキなニンゲンの腕の中。
 名前を呼ばれて目覚めることが、こんなに新鮮だとは思わなかった。
 ゆったりとした目覚めに、甘いキス。
 クソ、オマエ、そうとう遊んだな、コーザ?
 やんちゃボウズめ。
 
 気持ちよく、復活。
 一部、復活しなくてもいいところまで反応しやがった。
 オマエもお預けだ、昨日面倒見てもらっただろうが。
 素早くコーザの頬に唇を押し当ててから、跳ね起きるように起き上がった。
 
 「Who is it?」
 あ、声、甘くないか?
 ヤバイヤバイ。もう誑すのは一名でいいんだよ、オレ。
 コホン、と咳払い。
 
 横を、誑す相手に選んだ男が、オレのためにいろいろと仕度してくれるのに動いていた。
 すい、とエレガント。
 イイオトコだね、オマエ。
 あーあ、全開の笑顔で出たら、ソレ、オマエのせいだぞコーザ。
 
 ぱちん、と両頬を軽く打ってから、扉を開けた。
 目の前、群舞の子、名前はターニャ。
 すい、と上げた視線のまま、固まっていた。
 他、知り合いかなんか、どういうツテだかここまで入ることを許されたオンナノコ四人とオトコノコ一人も、固まった。
 事態を知ってか知らずか、背後からくす、と笑う声。
 ナニシテンノ、って、ああ、顔な?
 オマエ専用笑顔から、一般笑顔に戻してるだけだ。
 けど失敗か?
 つかなんで固まる?いつもより酷ェなオイ。
 
 「ターニャ?」
 「あ、セ、ト、さん、ええと、ファンの子たちです」
 我に返ったターニャが、紹介してくれた。
 フランスから来たドミニーキュ、ニホンから来たマイコ、ロスから来たリリアンに、同じくアーシャ。
 そして、オトコノコ、スイスから来たマグナス。
 姿勢からして、踊るコたちだね。
 オトウトと同じくらいの年だろう。
 
 「コンニチハ、楽しんでくれた?」
 甘すぎない声で、サーヴィス・スタート。
 "遠くまで観に来てくれて、アリガトウ。"
 "踊る楽しさを学んでってくれたら、オレはそれだけで嬉しい。"
 サーヴィスとはいえ、口にするコトバは紛れも無い本音。
 
 背後から、コーザの気配が消えていた。
 相変わらず器用なヤツめ。
 にっこり、と笑う。
 
 一人づつから、花束やらプレゼントやら貰う。
 そして、たくさんのコトバ。
 「あ、ゴメン、今日は写真はナシで。ゴメンネ?」
 カメラを取り出したアーシャに、首を振る。
 「パンフレットになら、サインできるけど」
 ほら、まだ化粧も落としてないし?と笑いかけると、納得してくれたみたいだ。
 
 色っぽい顔していたら、オマエのせいだぞコーザ。
 けど、最初に記録に残したいなら、オマエに第一権利を与えよう。
 つーか。
 意識改革、コーザ優先政策。
 話をしながら考えるのは、いかに早くこの状況から抜け出すか。
 
 禁欲生活が長いと、反動がすげェんだよなぁ。
 オレを目覚めさせた罪は重いゼ、覚悟してろよ?
 にこやかに手を振って、ファンの子たち第一陣と別れた。
 送っていくターニャの背中と、いつまでも振り返ってくれるコたちが消えるのを待って、一時避難。
 
 テーブルの上、もらい物をそうっと乗せてから、気配を薄めたオトコを見遣る。
 す、と振り返ったコーザが、
 「次もそろそろお出ましだな」
 そう言って、にっこりと笑った。
 
 「なぁ、コーザ、」
 甘えた声、自覚する。
 ふぅん、自覚するってのは、コワイねえ?ボトルを振ったシャンパンみたいに感情が溢れやがる、しかも遠慮なく。
 さぁどこまで降り注いでやろうか、思慕、恋慕、愛情のシャワー。
 本番前の肩慣らし、やりすぎると抑えが効かなくなるしな?
 
 「ン?なに、」
 優しい目に、ひとつウィンクを送る。
 「マジでオマエのこと、好きだ」
 言い終わらないうちに、ノックノック。
 クレンジングオイルを含んだコットンを差し出されて。
 片眉を引き上げてドアを見て、ほらな?と得意げに笑ったオトコに、くす、と笑いかける。
 「…次だな」
 
 受け取る代わりに、素早く指に口付けて、ふぅ、と飛ばした。
 反応を見る前に、扉に手をかける。
 オマエも固まるってことあンのかねえ?
 
 
 
 
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