背中で、華やいだなかでも8割が緊張感で充たされたような空気を感じる。おーじ様の謁見の時間、からかい半分に思い。けれど、セトの微妙に掠れて艶めいた声が紡ぐのは模範回答とはいえ真摯なモノで。
ふうん、流石だね、と。毎回同じように感心する。
謁見の一団がいなくなり、セトの風情が肩から力の抜けたものに変わる。
そして、おれはといえば、自分のイカレ具合の再認識をしていた。
はやく素のカオがみたいな、と。
そう思いながら、とろん、と柔らかな笑みを零したセトに向かってクレンジングオイルを浸したコットンを渡しかけ。
「……次だな、」
第2波の到来を告げたならそう返され。
受け取る代わりに、指先に柔らかな感覚が押し当てられた。
ジョークで何度も啄ばみ、昨夜からは愛情と欲情を混ぜて幾度も舌先で辿ったソレ。
ちらり、と。扉に向けて身体を反す前に。蒼の上を光が流れていったのを見逃せる筈もなく。
どこか悪戯気に向けられる背中に向かって、口端を吊り上げた。
ふぅん?そう来たかよ。あーあ、かぁわいいねェ。―――参った。
内心で両手を空に上向ける。
じゃあせめてもの返礼に、今度は気配を無くすのはナシにしよう。
どうせおれは、ジョークのお蔭でカンパニーの関係者の間では「パトロン」だそうだから、バックステージで時間を潰していたって問題ねぇよな。
かるい、羽音のようなノックがドアから響いてきた。
次の一団は、ダンサー仲間だった。
昔、カンパニにいた元プリマのアーリヤと、元の団員のティモシ。
「ハァイ!!セス!!」
アーリヤはオレのことをセスと呼ぶ。
「ハァイ、アーリヤ、ティム!!」
ハグとキス。また花束をもらった。
「今日の公演、初日と違ってたわね?」
うーわ、アーリヤ、敏いね。
「なにをしたの?」
にっこり笑顔。
「解釈、今日のがうん、納得いったよ」
ティムが笑う。
「アリも実は恋してるんだよな、エピキュリアンのお頭(コンラッド)に」
「…ははん、なるほどね」
アーリヤが笑った。
「メドゥーラとアリは、パ・ドゥ・トロワでコンラッドを巡って明るくやりあってたのね」
「オレ、アリを潰してなかったか?」
「ううん、ヴィクトール、呑まれてたかもな」
「…ありゃりゃ」
オレの悪いポイント。
踊りに没頭して周りを「食う」。
「自覚してるなら大丈夫よ、セス」
頬に口付けを貰った。
「今日は、でも色気があったぞ」
ティムがにかりと笑った。
「オマエもそろそろ、いい頃だろ?」
うーわ、ティミィ、オマエ、うーわ。
思わず声をあげて笑った。
「グッドラック、」
パチン、とウィンクを貰った。
「あら、あらあら、そういうわけだったのね、セス」
にこり、とアーリヤが笑みを浮べた。
「知ってるヒト?」
「どうかなあ?」
後ろに気配を殺しているコーザを思い浮かべる。
「多分、知らないかな?」
「ふふ、まあいいわ。セスがイイって言うのなら」
「オマエ、今日そのコのために踊ってただろ?」
ううううううう、同業者は欺けないなァ。
「突っ込み入れられると思うか?」
「雑誌関連?」
アーリヤの声。
頷く。
「そうねえ、三面系なら」
随分とゴシップに振り回されているアーリヤが、小首を傾げた。
「早めにマネージャとかつけた方がいいかもな」
ティムが言った言葉を反芻する。
コーザのためにも付けたほうがいいかもな。
あとで相談するか?
それから今日の舞台についていくつかの意見を交わし。
ハグとキスを交換し合って、扉を閉めた。
くるりと振向いた先、コーザはソファでのんびりとリラックスしていた。
暖炉の前に蹲る大型犬みたいで、思わず笑った。
目が合って、近寄る。
「聴こえてた?」
「モチロン、」
目元で笑っていた。
「さすが同業者だな」
「さすが先輩だ、」
オレはもしかしたら。
言葉以外で、高らかに宣言しているのかもしれない。
listen up、I'm in love!(どうだ、オレ恋してるんだぞ!)
コーザ、もう解ってるよなぁ。
オレがマジで恋しちまってること。
「コーザ、」
ああ、クソ、止まんねェぞ?
じぃ、っとキャッツアイの瞳が見詰めている。
なに、と表情が訊いてきている。
少し細まった目が優しい。
「お預け、もうちょっとな?」
多分、同業者、というべきなのか。セトが自分と同レベルと見なしている相手に向ける口調が扉あたりから届いてきていた。
あぁ、じゃあこれは。第2波だ。
まだ、終わりじゃないわけだね。ダンサー仲間だったら。
関係者が訪ねてきたなら、この時間は終わるわけだから、まだまだだ。
と、なると。おれは大人しくしておこう。
存在をゼロスケールに戻して、ソファに座る。柔らか過ぎず、硬すぎずちょうど良い具合だった。
聞くとはなしに、静かに時おり華やかに高められる話し声を耳にする。
セトの、うわあやられた、とでも言っていそうな笑声に勝手に笑みが浮かぶ。
「スゥイッチが入った、」と。確かセトが言っていたことを思い出した。
勿体無い話、あれだけの―――なんだろう。「芸術品、Mater Piece, Piece of Art,」この表現は好みじゃない、そうだな……
あぁ、Jewel、宝石、まだこの方が好みだ、―――それを前にして一体世の中の連中はなにをしていたんだ?
スゥイッチを切られたまま指でも咥えてたか、それともセトに半殺しにでもされてたのかネ?
I was at the right place at the right time,(おれはいるべき時間に在るべき場所にいた)ってわけか。
それとも、めちゃくちゃに編み上げられたタペストリィにしっかり組み込まれでもしていたのか、あのバカの。いくつもの偶然と、その先に選び取るもの。縦糸と横糸が交わるより複雑にヒトとの関係はカタチを先々で代え、渦中にいたなら実は何も見えていなかったりする。
ただまあ。
おれのイトシノベイビイ、麗しき流線型の女神様。
あの、クラシックビューティを逃避行のチケット代わりにスクラップ以下にされちまった返礼がこの偶然なら。
―――――安いモンだ。
結局、あのふざけたハイウェイ沿いのスラムからよりによってあのバカが選んだクルマのキイだけが奇跡的に返ってきた。
とんでもねェ「ロミオ」もいたもんだぜ。
あの年代のシリーズの、スティールの流れるようなラインがガキの頃から好きだったけれど。
まぁ、タイヤ一つ残さずバラサレちまったんじゃあ仕方ない。
その代わりに。
もっと精巧で美しい良き物に会えて。
抱きしめれば笑みさえ返されるわけだから、余りある、ってヤツか。
語られる言葉を端々で拾いながら、意識を遊ばせていた。
恋をしている、というなら。そうだし、否定のしようも無い。
愛しているのか、と問われれば。その通りだから、頷くほか無い。
そう言えば、セトは。
どんなカオをしてみせるのか、少し興味もあるな。
あとで言ってみようか。それで、聞いちまおう。
なぜおれは、半殺しの目にあわなかったのか。
扉を閉めて、振り返ったセトをみつめながら思った。
すう、と。
悪巧みを見つけた大猫の剣呑さと優雅さを混ぜ合わせた笑みを浮かべて、まだ第3波が来るぞ、と別の言葉で告げてくるビジン。
「お預けね、ハイハイ」
軽い口調で返し。
たくらみを一つ返す。
セティ・ベイビイ。あンた、おれのカオ好きだろ、"こういう"ヤツ。甘えと自信のミクスチュア。
じゃあせめて。次の波まで抱かせてくれ、と言ってみる。
半ば腕を拡げて。
「How can I say no?(イヤだって言うワケないダロ?)」
低い囁き声と一緒に。腕にするり、と入り込んできたセトを抱きしめた。
気恥ずかしいくらい、シアワセじゃねェの、おれ。
「セト、」
耳もとに声を落とす。
「なぁん?」
あまい声が空気を揺らしていく。
昨夜より以前までは、聞くことのなかったソレ。ほわり、と意識の表にやさしく降り積もる。
「はーやく剥きてェーって。おれが喚きだしたいの、知ってる?」
わらって。
預けられた額に口付けた。
「好きだよ、セト」
スキダヨ、と声が言葉を紡いだ。
音が意味を込めていた。
抱擁。抱きしめられる、腕の中。
落とされる口付け。
オマエに"愛されて"みたいという思いが。
どんどん溢れてくる。
なんでだろう、なんでオマエだといいんだろう、コーザ?
ああ、オレはバカだな。
恋についてのファンダメンタルで難解な質問、最もベーシックなヤツじゃないか。
恋をしている、意識更新。
この分だと、すぐに"アイシテル"って言えちまいそうだ。
既に喉元まででかかってるのを感じる。
けど、抑えが効かなくなるの、解っているから。
そのコトバもお預け。
「コーザ、」
そうっとオトコの喉元に口付ける。
ぐうう、と抱きしめられて笑った。
オレの中の恋心という種に、アイジョウという肥料をくれたオマエ。
オマエのために、オレはどんな華になるんだろうな?
「スキだよ、」
華になって、オマエを喜ばしてやりたいと思うくらいに。
オマエのためにだったら、キレイに咲き誇ってみせたいと思うくらいに。
ああ、重症。クソ、宣言して回るかなオレは?
恋のモードに突入、要注意。
オレに惑ってくれるな、傍迷惑だから、って看板下げてみるか?
く、と髪に頬が押し当てられる感触。
化粧落とすよりも、シャワー浴びるよりも。
オマエの腕の中がいい――――
「――――あ、来た」
落とされたコトバ。
「…あークソ、せっかくいい気分だったのに、」
「第3弾。な、セト?」
覗き込まれて、ニガワライを刻んだ。
「おれ。この場にいることにしてイイ?」
「…オマエはいいのか?」
にか、と笑ったオトコを見上げる。
「ん、全然。一応おれあンたの"パトロン"だろ、オフィシャルな」
「…オッキドック、ベイビィ」
笑った男に口付ける。
「うわ、カワイイって」
「オマエ見せるの勿体無いケドなー」
にや、と笑ってみせる。
ノックノック、のBGM付きで。
「あーもーあンたかわいいよ!」
コーザのその声を聞きながら、立ち上がって扉を開けた。
扉の向こう、ファン5人組第二弾。
プラス、彼らを連れてきたコーディネータのサイモン。
カチン、と彼らも固まった。
果たして、彼らの視線の先にあるのは、バカみたいに蕩けた顔を引っ込められなかったオレ?
それとも、後ろで僅かに冴えた風情を湛えたオトコ?
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