「これの発売からしばらくして、表情の表現が更にバリエーション豊かになりましたよね」
「あー…そうきたか」
”アプサラの庭”の中から最も色気の在る、と評された一枚をまじまじと見つめる。”水の精霊の出現”と名付けられた作品。
「オマエだから言うけど。やっぱり男が恋人って解るモンかな?」
「普通は確証を持って断言できないでしょう。セトは”彼”以外には丸きり興味が無いのでしょう?」
ライタというよりは精神科医かも、と笑いながら頷く。
「男性の”セクシュアリティ”ってものの表現には興味が湧いたけど。確かにちっとも興味が無いなぁ」
でも言い寄って来るのは増えたんだよねぇ、と溜息を吐く。
「ダンサとして求められるのなら良いんだけど、あいつ以外ははっきりいって駄目。想像つかない。イメージするだけで寒気が
する」
うえー、と仰向いたセトに、男がくっくと笑った。
「特別を見つけられて幸運ですね」
「オマエのアレも特別だろ?」
「そうですよ」
あっさりと肯定されて、セトはにひゃあと笑った。
「アレを愛したことでオマエの世界は広がったか?」
「もちろんです。セトほど顕著にはでませんが、解る人には見破られます」
くすくすと男が笑う。
「ああ、じゃあ”いい恋愛をしている”ってことは見れば解る?」
「解る人には」
「それはどんな人?」
「自分の恋愛が満ち足りている人、人生が満ち足りている人」
「例えばオマエ?」
「そうですね」
「わーお。オマエってば素直なイイ子じゃねえの」
けらけらと笑うセトに男は苦笑を刻む。
「ううーん、そうかー、オマエは足りてるから、余計な妄想的脚色を交えることなくオレを楽しむ余裕があるのかぁ…」
「貴方に夢を見る必要は全くないですね」
「でもそれはアーティストとしては少し残念な発言でもあるなあ」
「”王子”としては理想的な外見に加え、磨き抜かれた一流のテクニックと鍛練された踊るための肉体をお持ちなのは、
否定しようのない事実ではあると思いますが」
男の闇灰色がやさしくて。セトはこの男の持つ見抜く力を見直す。
「…アントワンにさあ、すんげえ小さい頃に言われた。外面だけ良い物が欲しければ人形で足りるけれど、人間を人間らしく
させるのは表情だ、と。芸術家を技術屋と区別させるものは、技術でいかに自分の内面を表現するかというのに対して、技術
自体に美しさを表現させるというポイントの違いだって」
男が静かに頷く。
「自分のイメージするものを表現できなければ三流止まりだって何度も言われた。そしてイメージするものを的確に表現する
ためには日頃常から表現したい中身を持ってなければダメだって。魅力は生まれ持った顔貌じゃなくて、それを生かす内面。
面白い中身がなければマネキンと一緒だってさ」
「アントワン氏は風貌よりキャラクタのインパクトのほうが確かに強いですね」
男が口端を引き上げた。
「シャンクスが言うには、アントワン氏の周りはキラキラしているそうです」
「うん。感情の起伏が激しいけど、その分表現は豊かだし。自分を基準にして生きてるけど、いつだってポジティブな性質だから」
オーラだね、とセトが頷く。
「子供みたいな人だけど、その分淀みがない。怒っても悲しんでも純粋なんだよね。しかもどの瞬間もフル・スロットルだし」
「セトも同じですね」
「あーあ、似てきたかも」
にゃは、と笑う。
「前はもう少し抑えている感がありましたよね」
「それはねぇ…やっぱり、オレがずっと守る立場にいた人間だからだね」
支配欲はないけど、弟も恋人も守るものだったからねぇ、と笑うと。今は違うんですか?と質問が返ってきた。
「前は守るだけを心掛けていたけど、いまはどちらかというと守られている感が強いな。それに今は守るにしてもスタンスが
違うね。オレの愛するダーリンはオレより戦う人間だし、オレが直接的に身を以て彼を守ることって多分ないと思う。オレが彼の
安らぎの場で在り続けることが彼を守るってことだと思ってるからさ……弟やガールフレンドを守るのとはのっけからスタンスが
別でしょ」
「そうですね」
「オレは彼より年上だけどさ、彼の腕の中に居る時、物凄く安心してるし、他の誰といるより自然体だね」
繕う必要がないからさ、と笑うと。男はふんわりと笑みを返してきた。
「素敵な関係ですね」
「そりゃもうね。あいつは誰よりもオレがオレらしくあることを許してくれるし、受け入れてくれる。傍に居るだけで幸福になるよ。
男はそもそも論外だけど、いまはどんな女の子を見ても関係を持ちたいとは思わない。魅力的だな、と思っても、友達以上に
はなりえないって頭が最初から判断してる。踊ることを止められないのと同じくらい、あいつを愛することを止められないなぁ」
「彼を愛して、なにが変わりましたか?」
「感情が柔らかくなった。ずっとあいつを想っているから、愛を表現する時に限りなく本気に近いくらいの心持ちで役を踊れる。
恋することのポジティブなイメージを出しやすくなった。愛されることで得られる安定感がすべての面に及んでいるから、焦らなく
なったし、より穏やかに自分自身とも周囲とも向き合えるようになった。それでもって、奇跡を信じられるようになったかな」
奇跡とはなんです?と男の低い声が問う。
「”絶対”の可能性」
「といいますと?」
「彼を愛し続けること−−−永遠の愛を捧げることとも言い換えられるかな」
改めて言葉にすると照れるね、とセトは肩にかかるプラチナブロンドを掻き上げて笑った。
「大袈裟な意味じゃなくてさ、でもずっと愛情が湧き続けてるんだろうなあって彼を想う度に感じる。だからきっとそれは永遠」
「いくつかの役の中にある程劇的な感情ではない?」
男が片眉を引き上げた。
「平均するとね。時々自分でも驚くくらいに愛情が沸き起こる時もあるし、時々はとても静かに愛してる。役の中は舞台だから、
ある性質を一面に顕著に現すけど、生身は実際には絶えず揺れ動いているものでしょ」
男が静かに頷く。
「あいつを愛するようになってからはさ、その揺れ幅が拡大して、感情のバリエーションが広がった。力強い役でも暴君に近い
烈情家か、リーダータイプなだけで実はナイーブとかあるわけじゃない」
感情の揺れ幅に対して別々の動きを当てて表現するわけだから、そう言い足すと、ライタは納得した、という風に頷いた。
「コンラッドはヤンチャなガキを青年にしたイメージだし、胡桃割りだと優しくて力強い、個性的じゃないオンナノコのドリーム・
カムズ・トゥルー。白鳥の王子は軟派だしってね」
すい、と時計を見遣り。セトが声のトーンを返る。
「ベン、オマエなにか頼む?オレ、リンゴとミネラルウォータが欲しいんだけど」
「新しいポットにコーヒーを頼みたいですね。あちらのお嬢さんは?」
「うん、ちょっと待っててな。ジェンにも聞いてみるから。ヘッドホンしてるから側まで行かないと駄目なんだよね」
ロンドン市内を見渡せる窓際のソファから立ち上がり、部屋の入口の傍にあるソファに座り込んで本を読んでいるジェンに
近づく。気付いたジェンがヘッドホンを外した。チャイコフスキが流れているのに微笑む。
「ケーキ食べる?」
「セトは?」
「リンゴとミネラルウォータ。ベンはコーヒーをポットでだって」
「アタシが頼んでおくから、セトはあっちでのんびりしてなね。楽しい?」
「うん、すっごく」
「やっぱり。きらきらしてるよ、目」
「惚れる?」
冗談めかして聞けば、トンと頬に口づけられる。
「惚れてるよ、王子さま。セトに惚れない人なんて滅多にいないよ」
「ラブィの次でしょ」
「恋人よりセトに惚れてたらヤバイでしょーが。ほらあっちの大きい人に遊んでもらってなよ」
笑ってシッシと追い払われる仕種に、セトはちぇっと口を尖らしてから戻る。一部始終のやり取りが聞こえていたらしいライタが、
くっくと笑っていた。
「ジェンはかわいいでしょ?」
「ええ。でも貴方も相当」
「そう?でもオレのダーリンのがかわいいよ」
キラキラの琥珀色がたまんないの、そう笑えば。ふと思い出したように男が見上げてきた。
「一度、空港で擦れ違ったことがあるんですよ」
「へえ?」
「お一人で、酷く嬉しそうなウキウキとした足取りでしたよ」
「いつ頃?」
告げられた日にちから、コーザが向かった先を知る。
ふにゃあ、と勝手に口端が解けるのを感じながら、ソファに座ってクッションを抱き締める。
「うにゃ、どーしよ。すげえしゃーわせ。あー…ベン、ちょっと電話してもイイ?」
「どうぞ」
「うーわー」
ふにゃふにゃな笑顔のまま、鞄に入れておいた携帯電話を取る。着信とメールがないのをちらりと確認してからリダイヤルを
押す。
コール音からメッセージセンタに繋がり、メッセージを吹き込む。
「ハロ、セトだよ。まだ仕事でインタビュ受けてる最中なんだけど、どうしても言いたくなったから電話しちゃった。ダーリン、
愛してるよ。もう仕事にならないかも。オマエのこと想ってたら、すげえふにゃふにゃのトロトロになっちった。どーしよう?
−−−また電話する。チャオ」
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