マリエンヌはジェンさんと朝食後の片付けにキッチンに残っており。僕は気分を入れ換えて、クローディアとステファンと一緒に次のセッションで使う服を用意しにいく。必要なアクセサリ等もこの際出して並べておこう。
ダイニングで起きた僕の一大告白大会には(ありがたいことに)誰も触れず、けれどもなんだか温かい眼差しで見守られている気がする。それはそれでなんだか気恥ずかしいけれど、僕は未熟者だから仕方がない。割り切ろう、うん。
「できたよ〜」
明るいジャンの声と共に現れたのは、ストレートにした髪を緩く結って腰下まで届く長いエクステンションを付けたセト氏だ。いつもの緩いカールした柔らかな前髪ではなく、さらさらと横に流れ落ちるそれは予想以上に長く。眉のラインはシャープに、朱のアイラインを引いた目は涼やかに仕上がっていた。ナチュラルカラーに近いリップは赤みを上品に足す程度ながら、薄くても肉感的な唇をよりくっきりとさせていて。−−−それでも女性っぽくならないのは、セト氏が凜と背筋を伸ばしているからだろう。中性的な顔はより鋭角になり、色っぽさが増してより”サラスヴァティ”という神格に近づいているようにも思える。
それだけ印象が違うセト氏なのに。
「どう?スーパーストレート・ヘアのオレ」
にっこりと笑ってターンを決めたセト氏はいつもの無邪気でお茶目なお兄さん、だ。
「ストレートだとカオがキツくなって”ビッチ”にならないか心配だったんだけど」
−−−”性悪女”って…がっくし。
あははははー、と豪快に笑い飛ばす口の悪いセト氏の様子に、なんだか気遣われていることに気付いた。本当に優しいね、セト氏は。甘チャンな僕に、ここまで心を砕いてくれるなんて。
セト氏が大好きなことには変わりがないから、せめて寄せる好意は正直に出そうと決め。
「とってもお似合いで、綺麗ですよ」
沸き上がる笑顔を添えて告げてみる。
一瞬だけ目を見開いたセト氏は、次の瞬間には、にぃ、と口端を引き上げ。
「いまのカオ、いい顔だったよ、ムッシュ・ミクーリャ」
そう男らしい口調で言ってくれた−−−なんか嬉しい褒め言葉。って、少し照れるぞ。
「でも貴方は、貴方の服でもってよりオレを素敵にしてくれるのでしょう?」
にっこり。こんな笑顔でセト氏は僕を試し、同時に僕を勇気付けてくれる。
「もちろんです」
言い切れば、向けられるのは優しい笑顔ではなく、挑む眼差し。一緒に高みに向かおうと誘うカオ。
「それじゃよろしく」
にぃ、と笑いかけられて頷く。
「よろしくお願いします」
残った二着の内、先に撮影するのは夏の”弁天”。インドというよりは寧ろバリ風なのだけれど、麻の大きな一枚布に南国の鮮やかな植物と極彩色の鳥の刺繍をびっしりと入れてある。それをローブを脱いだセト氏の細いけれどしっかりとした筋肉の付いた腰に回して、横でたくし入れる。万が一でも擦れ落ちたりしないように、内側から一度だけ、安全ピンで留めておく。
同じ麻の幅広の長い布地に、縁を除いたほぼ全面に金糸で刺繍を縫い入れた。これをサッシュのようにきつめに腰に巻いて、縁はたくしこんでおく。
「きつくはないですか?」
聞けば、
「平気だよ」
常と変わらない声が帰ってきた。どこか楽しんでいると解る眼差しを受け止めて頷く。
「次はアクセサリです」
服はシンプルにそれだけだけれども、アクセサリが相当数がある。
金とプラチナの太い円形の二重のネックレスの先に、同じく円形の大きなイエロートパーズをはめ込んである。留め金は宝石を囲んでいるプラチナにひっかけるようになっているので、イエロートパーズの下にはセト氏の鎖骨の間の肌が見える。
ブレスレットとアンクレットは太めの円形のバングルを、プラチナと金それぞれ片腕に五本ずつ、つまり片腕片足には十個の輪が嵌まることになる。
「結構重いね」
じゃらじゃらとそれらを鳴らして、セト氏が軽い溜息を吐いて笑った。
「けど、この入れ墨、取れてしまわないかな?」
剥き出しのセト氏の綺麗な左腕には。肩口から手首にかけて巨大な深紅の鳳凰がその羽を広げている。セト氏の腕の大きさを図って、ジャンの知り合いの入れ墨師に依頼してステッカーを作ってもらった物。
「お湯と石鹸で洗っても三日ほど持つって言われているので大丈夫かと思う」
答えれば、次の撮影に差し支えないのか、と聞かれた。
「次は紅の上から紫と金の入れ墨パターンを張って印象を変えますから、平気ですよ」
「そうなんだ。それも楽しみだな」
後はジャンに、セト氏の髪に極楽鳥の羽根を、垂らした前髪の両サイドと結わいた後ろ髪に編み込んでもらえば完成だ。作りこんだ昨日に比べれば、随分とシンプルだ。
ステファンに後5分で仕度が調うことを伝えにいってもらい。鮮やかな色彩の長い鳥の羽根がプラチナブロンドに編み込まれていくのを見守る。
サラスヴァティという芸術の女神がコンセプトではあるけれども。上半身は裸のまま、長い巻きスカートを履いたセト氏のどこにもひ弱さはない。むしろそのしなやかに鍛え上げられた身体を晒すことによって、より凛々しさを増している。金とプラチナは長く力強い四肢をより美しく彩り。深紅の鳳凰は、目元に挿した紅と相俟って猛々しさを演出している−−−いや、多分それはもとよりセト氏の内に在ったものなのだろう。ただ今までは柔らかな物腰と爽やかな笑顔に隠されていただけで。
鏡に映った自分を見て、ふわりとセト氏が笑った。
「日焼けしてたらもっと似合ったかもしれませんね」
昔の弟ほどに焼けていたらよかったかも、そう言ってセト氏が振り向いた。
「オレの弟、アリゾナでシャーマンの弟子、やってたんですよ」
「弟さんが、ですか?」
ふわりと頷いたセト氏が、シャン、と腕を揺らしてバングルを鳴らした。
「オレのベィビが舞う姿を一度だけ見せてもらったんですよ。あのコは北アメリカのネイティブ・ダンスを踊れるんです。魂と祈りを篭めて、精霊のために」
トン、と裸足の爪先を床で叩いて、しゃらん、と一度だけゆっくりとターンした。
「バレエのような技巧はなくても、それは美しい舞でした。大地を踏み鳴らすリズムと祈りの歌の他は、明け始める空とまだ暗い大地に点された焚火しかなく」
ドアが開いて、アシスタントくんが入ってくる。セト氏がすい、と彼に向かって手を差し延べた。その手をアシスタントくんはとても真摯な笑みを浮かべて取っていた。そして、心臓がとくんと跳ねそうに落とした声が続く。
「おれの知ってるあンたの中身にこれが一番近いかな、いまのところ」
くう、とセト氏がまた笑った。一度きゅ、と手を強く握り締め、また僕に端正な顔を合わせる。
「世界と一つになって踊るあのコの姿はとても神秘的だった。オレには真似ができない美しさがそこに在った。ムッシュにはそれがなぜだか解りますか?」
す、と真剣な眼差しのセト氏と視線が合う。とても澄んだ眼差しに、なぜだか胸が痛む。
小さく首を横に振れば。アシスタントくんにガウンを着せかけられていたセト氏がちらりと口端を引き上げて笑った。
「あのコは祈る手段として踊ったからです。オレは踊るために踊る術しか手に入れていないから、表現できるフェイズが違うんですよ」
さらりとセト氏の長いプラチナブロンドが揺れる。
「でもサラスヴァティならオレのミューズに近しい存在ですから、今から撮影するのが楽しみなんです」
ふわりとした笑みを残され、アシスタントくんに連れられて裸足のままのセト氏がするりと部屋を出ていく。
「でもさ、セト?あンたの祈りしか響かないバカもここにいるンだけど」
そうアシスタントくんが甘えたような、口説くような甘い口調で言っているのが、聞こえたような気がした。−−−んん?
残されたまま、ジャンやステファンたちと視線を合わせる。
「−−−セト氏は」
ふんわりとクローディアが笑った。
「パーフェクトな人間なんてどこにもいないとおっしゃられたのでしょう」
「…うん」
それは解るよ、うん。
さ、私たちも行きましょう、と促されて温室に向かって歩き出す。
次の撮影は南洋植物に溢れた温室内の、小さな人工の滝と小川がある場所で行われる。日差しがよく入るその場所は随時気温と湿度が高く、年柄色鮮やかな花が咲き乱れている。このシャトーを借りたのも、この温室が在ったからだ。
アンドリュウの作品集で使われていた場所より濃い緑に溢れたセッティングの中で、セト氏がどんな表情を見せてくれるかが楽しみだ。
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