Day Two


朝、しっかりと着替えていつものダンディな姿になったステファンに起こされた。
僕の寝起きが悪いのはいつものことで、ステファンもそのことはよく知っている。だから随分と早くから起こされていた筈だ。
「朝食を食べて仕度していただかないと、今日も一日忙しいですからね」
「んー…、起きます」
起きないと撮影がね…。
窓の外を見れば、澄んだ青空に薄く雲が乗っていた。そんな景色の在るワンピースもいいな、シルクシフォンのランジェリー風で、濃い青のレースで縁取って……
「トキ、風邪引きますよ?」
「あ、ハイ」
朝から病気は強力だ。でもワンピースに黒い革のロングブーツもいいよな、グレイのカーディガンでフェミニンにしてさ。
頭の中でイメージを突き詰めながら、服を着替えて下に行く。もう朝食の仕度は、ジェンさんとクローディア、マリエンヌとジャンによって整えられており。使い回している撮影機材等の移動と設置をしなければいけないアンドリュウとピーターくんは、既にハムや目玉焼、サラダにスープ、パンと果物の朝食を終えていた。アンドリュウに到ってはパンケーキも五枚平らげていったらしい。
それでもなんだかいつもの朝だな、と思っていたら。そういえば、今朝はまだセト氏のキラキラに出会ってなかった。モデルに来てもらっているからまだのんびり寝ているのかなぁ、とか思っていたら。

「おはようございます」
にこやかな笑顔と共に、セト氏と新アシスタントくんがダイニングに新鮮な朝の空気を纏って現れた。天気が良くてもまだまだ寒い中を二人で散歩してきたらしい、雪に反射した朝陽くらいにキラキラと目を輝かせながら、気温差に紅潮した顔を柔らかな笑みに崩していた。
アンドリュウのところにいってなくていいのかな、とか思ったけれど。セト氏と同室だった彼には、アンドリュウと同室だったピーターくんみたいに話しがいってないのかもしれないし、もしかしたらセト氏のボディガードの役を忙しいジェンさんに代わってやっているのかもしれないので黙っていた。
狼のファーがついた淡い茶色のブルゾンの下に、細めの黒いデニムとモカブラウンの薄手のカシミア・タートルをネックを折らずにくしゅっと縮めて着ている彼は、どことなくセト氏をガードしているガードドッグに見えなくもない。それよりも人懐っこい大型犬に見えてしまうのは、がっちりとしたブーツと細い眼鏡でシャープさはあっても、絶えず屈託なくセト氏に笑いかけているからかもしれない。
セト氏の方は、といえば。真っ白のVネックのざっくりと編んだ厚めのウールセーターに淡いグレイのジーンズ、白のナイキとグレイブルーのカシミヤマフラーだった。中にはしっかりとした衿の、サーモンピンクの厚手のシャツ。コートはナシ。案外寒さには強い人なのかもしれない。

「時間通りに戻ってきたと思ったんだけど、遅れちゃった?」
ひょい、とセト氏が顔を覗き込んできた。んん?
「や、僕もさっき下りてきたところだったんで」
「そ?じゃあコート置いてきてもまだセーフかな」
ふわ、とセト氏が微笑んだ。………はりゃ?
「すぐ戻るね」
そう言ってセト氏が真っ直ぐにドア口に向かう。新アシスタントくんも後に続いて、ダイニングはまたさっきの状態に戻ったけど…ん?
瞬きをする。なにかが違う。しつこくまどろみと新しいワンピースのイメージをいったりきたりしていた頭が妙にすっきりしたというか、新なフェイズに入ったというか。
「…?」
なんか空気が甘いような気がする。セト氏たちが纏っていた朝の冷たく爽やかな空気はとっくに室内の熱に溶けているのにな?
「…むー?」
違和感というには優しく甘い変化で。むしろ空間にフィルタでぼかしを入れたような感じがする。それでも違和感には変わりがなく…。
ぱしん、と意識が繋がった。甘い匂いのようなものは、セト氏が纏っていた空気というかオーラの名残だ。昨日まではあれでも八分咲きだったと言わんばかりに、明らかに深みを増した美しさなんだ。いってみれば、雨上がりの薔薇。咲いている姿はあまり変わらないのに、色味、芳香、艶香が三拍子揃ってくっきり深く、よりいっそう鮮やかになったような。

「−−−ほえ?」
デモナンデ?毎朝寝起きがこうってわけじゃないよね、いくらなんでも?いやそうだったとしたら毎日が大変じゃないかな、周囲が?
そんなことを思っている間に、コートを置いて身支度を整えてきたらしい二人が、す、とドアを開けて戻ってきた−−−ああ、ほら。
昨日は綺麗でも凛々しくて颯爽とした兄さん風だったセト氏が、今朝は何気ない仕種の一つにも華があるっていうか、滴るような艶があるっていうか…目が離せないっていうか。
「ムッシュ?まだ目玉焼食べていらしたんですか?」
当の美人が目の前に座って、ひょいと気軽に顔を覗き込んできた。直ぐにアシスタントくんがやってきて、セト氏に目線でメニュウの組み合わせが大丈夫かどうか聞いてた。
ありがとう、って優しいセト氏の声の後、すぐまたマリエンヌとジェンさんの方に行ってたけど−−−彼もなんだか幸せそうだ。昨日よりも確実に。
視線を直ぐにセト氏に戻す。
「あ、すみません、見惚れてました…」
「昨日だけでは見慣れませんでした?」
ふわりとセト氏が表情を和らげる。それだけで背後に朝露に濡れたブルーローズの幻影が見える。
「見慣れるというよりは、なんだかセト氏がいっそう艶やかで…」
「そうですか?まあ昨夜はとても気持ち良く眠れたし、さっきの散歩も楽しかったし。そのせいか、気持ちも身体もなんだかふわふわと軽くて。指先まで充実してるって感じではありますけど」
くう、と微笑まれて勝手に心臓の鼓動が早まる。うーわー、なになになに?なんでなんでなんで?
「オレはこんな外見なので、のんびりと公園を散策とかさせてもらえないんですけど」
へ?ああ、他人は見惚れちゃうか、ヨコシマなこと考えちゃうかってことかな?…散歩も好き勝手できないのはなぁ−−−物騒だもんな、確かに。
「…大変ですね」
あ、安易に同情しちゃ失礼だよ自分っ!!
「ええ、でもお蔭さまで良い友にも巡り逢えましたし。こんな素敵なシャトーで二泊もさせてもらえますからね」
にっこりと笑ったセト氏は。花のように優雅で艶やかだけれども、その奥に真っ直ぐで強い心を持っている。しなやかなその身体のように、精神も折れることのない柔軟で強い意思から出来ているのが解る。−−−美しさは内面があってこそ、はじめてその威力を発揮するものだから。

「ムッシュ?」
あ、まじまじと顔を見詰めたまま押し黙ってた。うう、すぐに内面世界に飛び込むのは僕の悪い癖だ。
「−−−あの」
煌めく蒼氷色の目を覗き込む。穏やかに和らいで、有りのままの世界を愛する術を知っている目だ。
「なんでしょう?」
声まで優しいなァ…ふわりと染み込んでくるよ。
「僕、本当に貴方が好きです。貴方の強さと優しさに憧れます」
−−−って僕はいったい何を言って−−−
一瞬だけ目を見開いたセト氏は。内心でパニくってた僕の焦りだとか絶叫寸前の状態だとか恥ずかしくて穴でもあったら入りたいくらいの動揺とかを統べて飲み込んでしまうような優しい笑顔を僕に向けてくれた。
「ありがとう」
鈴が転がるように柔らかなトーンで齎された言葉。
「オレもムッシュの優しさや情熱が大好きですよ」
…どこにも女っぽさはないのに、セト氏が纏う優しさは。凜とした聖母みたいだ。
なんだろう、こういう優しさはなんだか泣けてくるよ。泣いてる場合じゃないんだけどねぇ…。
「いきなりすみません、なんか僕、栓が抜けたみたいで…」
イエイエ、とセト氏が笑う。
「アナタ程の人にそこまで純粋な好意をいただけて嬉しいです。モデルを引き受けてよかったと思ってますよ」
今日も一日ありますからね、きちんと食べないと駄目ですよ、って。セト氏が僕のプレートに、小さな姫林檎を乗せてくれた。にっこり笑顔と共に。
「…セト氏は本当に優しい」
いや懐が深いんだな。僕より年下なのに、抱擁力がすごいんだ。−−−アンドリュウもそういやそうだけど。
「オレが優しいのは、恋人のお陰です。なにがあってもオレを包み込んで愛してくれるから、優しく在るための力をくれるんです」
余裕ない時のオレってばかなり恐いよね、とセト氏が笑っていつの間にか隣に座って朝食を食べていたアシスタントくんに聞いていた。
「恐い、っていうより。目隠ししてやりたくなるよ?パニックの猫を抱きしめて隠してやるのと一緒」
目をきらりと煌めかせて茶目っ気たっぷりに彼が答えた。その声は優しくて、とても真摯でもある。

「−−−幸せですか?」
思わず聞いてみたくなった。答えを知っているけれども。
セト氏がにっこりと笑った。愛する術を識っていて、愛される術を識っている一人の大人の男の顔をしていた。そして優しい声が照れることなく答えをくれる。
「ハイ、とても幸せです」
真っ直ぐに目を見詰めてくるアイスブルゥアイズは温かくて、そして優しくて。僕までなんだか幸せな気持ちになった。
視線を感じて目線をずらせば。同じように優しいキャッツアイと出会った。す、とアシスタントくんが微笑をくれて。−−−君もセト氏に幸せを分けて貰ってるのかな、こういう優しさに?
質問を口にする前に目線はずらされ、彼は珈琲を飲み終えていたけれども。きっと答えはイエスだね。

なんだかストンと気持ちが落ち着いた。優しく地面に足が着いたような感覚。−−−撮影二日目にして、舞い上がっていた自分に気付くなんて、僕は自分の鈍感さを痛感したのだけれども。
それでもずっと憧れて夢を見ていたセト氏が、とても生身で生きていることをイカレタ頭が漸く理解したらしい。
素敵な恋をしているセト氏は。僕より余程大人で男らしくて…今も憧れる気持ちは消えないけれど。ただ崇め奉るような、そんな気持ちはどこかに吹っ飛んだみたいだ。
考えてみれば、それこそ失礼だよな。勝手に夢見て、崇めて、距離を置くなんてさ。”人”に対する感情じゃないもんな。
セト氏がアンドリュウを大切にするのも。スタッフのジェンさんを大事にするのも。アシスタントくんに全幅の信頼を置くのも。恋人さんをこよなく愛するのも−−−セト氏をありのまま、一人の青年として受け入れているからなんだろう。”理想のダンスール・ノーブル”や”ミューズの恋人”や”生きた芸術”とかでなく。
アンドリュウが僕をセト氏に逢わせたくなかったのには、きっとそんな理由もあったのだろう。アイツはこんな馬鹿な僕にも優しいから、そうストレートには言わなかっただけで。
これじゃアンドリュウに「ばぁか」ってデコ叩かれてもしょうがないよなぁ…。

朝食は、それから何事もなく終わり。アシスタントくんはアンドリュウの手伝いに温室の方へ、セト氏は髪をストレートにするためにジャンと簡易メークルームに行った。セト氏はストレートパーマをかけている間を利用して、身体のストレッチをするらしい−−−バレエダンサの日課。セト氏の本業に対する情熱は、日々の何気ない時間や行動にまで現れている。どんな天才だって、努力をしなければ更なる高みには辿り着けないのだから。
「あーあ…」
僕も本当に頑張らないとなあ……まずは今日の撮影からだな!




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