「よっしいいぞ、次。セト、遠慮しないで本気でかかってこい」
少し上擦ったカメラマンの声がする。どこか楽しんでいるのをそのトーンから割り出す。一体どんなショットが取れているのか、想像もつかないけれど。”アンドリュウ・マッキンリィ”が撮った写真に半端な出来のものはない。だから、ただでさえ美しいセト氏が、どれだけパワーアップして写し取られるのかが楽しみだ。アンドリュウが”使えない”と切り落とす写真のネガまで見たいくらいだ。
セト氏はちらりと目線でカメラではなくアンドリュウを見遣ってから、さぱりと水を手で叩いて飛沫を上げさせていた。豹が遊んでいる、そんな冴えた優雅さがそこにはあった。
それから、くう、と誘うようにセト氏は口端をゆっくりと引き上げ。身体をカメラの正面ではなく斜めに向けて、く、と首を反らしていた。濡れた白い首筋が張り付いた髪の間から覗く…たったそれだけの仕種が、煽情的だ。
潤んだアイスブルゥが濡れて重たげな睫の間から、熱を含んでたった一人をひたりと見据える。水滴に煌めく指先がゆっくりと動いて肌に張り付いていた髪を退かす。
ぺろ、と紅い舌が一瞬閃いて、薄く笑みの形に引き上げられていた口唇を濡らしていった。僅かに開いたままのそこは、柔らかそうで。間近にいたら、思わず口付けしそうになっていたかもしれない。
そんなセト氏の情熱的な誘いを一心に受けているアシスタントくんは、こちらからその逞しい背中しか見えず。何をしているのか、どんな表情をしているのか解らない。ただ時折動く腕や後ろ頭が、ぼーっと見ているだけでないことを知らせる。
きっと表情か何かでセト氏に挑んでいるのかもしれない。何故なら彼を見詰めているセト氏が時折嬉しそうな表情を浮かべたり、はたまたきらりと目を光らせ、今にも飛び掛かりそうな豹のような表情を浮かべたりしているから。一体アシスタントくんが何をしているのかが気になることは気になる。だからといって覗き込もうという気は起きないけれども。

アシスタントくんの背中を見ていて思う、カメラを見据えているセト氏の意識の中心にいるって、一体どんな気分なんだろう。つつ、と指を濡れた肌に滑らせ、トン、と心臓を突いている、そんな仕種だけで、セト氏は僕の視線を釘付けにする−−−彼の視界の中に入っていないのにも拘わらずに、だ。
セト氏の口唇が動き、けれど音にはせずに告げる、”ほら、来いよ。楽しもうぜ、なァ”と。無邪気に誘う豹のように瞳を煌めかせ、その尻尾をゆらりと揺らめかせて軽く肌を愛撫していくかのようにしっとりと指先を動かして空を掻いて。
へたり、と思わず床に座り込む。止めていた息を意識して吸い込む。心臓がどきどきと痛いくらいに高鳴っている。このまま見ていたら絶対に熱出して寝込むよ、僕は!だけど、セト氏から目が離せない。ちょっとした仕種が気になって、また知らず知らずの内に息を詰めて見詰めてしまう。

く、と切なそうにセト氏が眉根を寄せた。口唇を軽く噛んで、今にも泣き出しそうに目を潤ませている。指先が滑って金に煌めくサッシュに触れる−−−え?マサカ……?
ふ、とセト氏が笑みを零し、ちぇ、とでも言いたそうにぺろりと舌を出した。なんだろう、アシスタントくんに駄目って言われでもしたのかな?
ひら、とセト氏が指を蠢かせ。にひゃ、と悪戯っ子の顔で笑ってから一度水面下に潜っていた。気分の入れ替えかな?けど−−−あーもー駄目だ、頭がくらくらしてきた。心臓も痛いよう。なんでこんなにセト氏のちょっとした表情に振り回されちゃうんだろ。アンドリュウやアシスタントくんは平気そうなのに…って、何時の間にかジャンとステファンの姿が見えないし。……逃げた、のかなぁ。僕も逃げようかな、でも見ていたいし。あああ、ジレンマ。ぐっすん。本気で泣きたいよぅ。

セト氏がまた現れる前に視線をずらせば、位置が変わって少し見えるようになったアシスタントくんが、しばらくして水面に上半身を出したセト氏相手に指先で遠いフィギュアをなぞるように空を滑らせてから。今度は軽く息を詰め、音を立てずに切なげにセト氏の名前を呼んでいた−−−まるで映画のラブシーンのように。苦しそうで、けれど間違いなく満たされている顔、クライマックスが間近に迫っているような。キャッツアイが狂おしそうに煌めいて。……アシスタントくんはもしかしたら、舞台俳優か何かなのかな?そう思わせるに足りるほど、臨場感に溢れた表情だった。思わず唾を飲み込みたくなるほど。
アシスタントくんは多分演じているのだろう、けれどセト氏に向けられた感情は紛れも無く深い……愛情?
−−−いやそんな馬鹿な!幼馴染みのクソカメラマンが言うには、セト氏に迫った男性はことごとくご本人に駆逐された筈じゃ……?
頭で思わず可能性を否定し、ばっ、とセト氏を見遣ってみれば。なんと想われ人は、とろりと蒼氷色を溶かして、重たげに色付いた息を零していた。うっすらと染まった肌は艶やかで、その濡れ具合はまるで−−−ストーップ!止まれ僕、考えるな自分、有り得ないだろぅうーわーあーーーっ!
かーっと身体が一気に火照る。−−−まるでラブメイキングを覗いて見てるみたいだなんて、いくらなんでも−−−うあー、死ぬうぅぅ、強烈すぎるよおおお。
く、と息をセト氏が”喘いだ”。潤んだ目が”もっと”と求めているようでもあり−−−ダメ、もう死んだ。あまりに色っぽすぎて、僕にはトゥマッチだ。一生頭にこびりつきそう。うわああんっ。

視線を強制的に床に落として。ぐらぐらと揺れる頭だとか理性だとか、走りっぱなしの心臓だとか。そんなものをどうにか目を閉じてお経を唱えて宥めすかして、強引に落ち着かせてから視線を元に戻せば。なんとアシスタントくんは優雅に床に寝そべっていた。その様子はけだるげな肉食獣、もしくは遊興を楽しんでいる王様−−−千一夜物語に出て来るスルタンのような(殿ではない、どんなに間違ったとしても)。
……アシスタントくんがスルタンだとすると、セト氏は踊り子なのか?踊り手には間違いないけどさ。そういやさっきアンドリュウが言てたよな、踊り子は踊るだけが仕事じゃないしって何毒されてんだ自分ーッ!!馬鹿馬鹿、頭なんかちっとも冷えてないじゃないかッ!!!うわああん、誰か止めてよう!ベッドに誘う踊り子セト氏なんて失礼な想像はしたくないんだよーっ!うわああああんっ!(号泣)

僕の脳内のパニック状態をさらに煽るように、セト氏が張り付いた髪を両手で掻き上げていた。よくグラビアモデルが取るポーズ、けれど下品さはカケラも見当たらず、ただただ心臓に悪いくらいにセクシィで美しいだけだ。
手は頭の後ろにかけたまま、腕をゆっくりと引き上げていく。セト氏の腕で濡れていっそう鮮やかな鳳凰は休み。白い陶器のような肌と細かい筋肉が浮かびあがる様が、どうにもエロティックに美しい。
くすっとセト氏が悪戯を思い付いたかのように笑った。そしてそのまま、水の中で半ターンして背中を向ける。
濡れた髪から離れた手が軽く水面を撫で。ゆっくりとクロスしていった、胸の中に誰かを抱くように。それからその誰かの肩口に頬を寄せるように斜めに視線を落とし、一つ深い息を吐いた−−−抑えた歓喜の表現。
それから不意にアシスタントくんに呼ばれでもしたかのように、顎を落としたまま瞼を上げ。ちらり、と肩越しに上目使いに視線を投げて来た。軽く目を細めてからうっそりと笑った−−−あ、今度こそ駄目だ、目眩がする。ガンガン頭も痛いし、耳鳴りもするし、もう僕死んだ、むしろ死なせて……。


「ひひょう、ときひぇんひぇがだうんひてひんでまふー」
…ぼんやりと遠くでピーターくんの声がする。
「あン?なに言ってるか解らンねェよ、ってピーターお前なァ!機材鼻血で汚して無ェだろうな、うら!」
アンドリュウの怒声がウルサイ。エコーするから黙れ…。
「ふいへに、ひゅうひぇいふらはい、なんはほまらなふへ」
「ピーター、言語かそれはあ?」
うっすらと目を開けた先で、意地悪くカメラマンが視線を吊り上げていた。−−−セト氏に悩殺されるのと、アンドリュウに弄られるのとどっちがマシなんだろ…うーわ、視界が揺れるー…。
「らっへひょーららいららいれふは、ひぇひょひぇんひぇ、いろっひょいんれふも〜」
「だから何言ってるかわかんねーって!−−−ああほら泣くな馬鹿、からかっただけだろうが。上向いて鼻抑えてろ。−−−オイ、セェト!上がってくれ。タオル渡してやってくれ」
アンドリュウがアシスタントくんに指示していた。ジェンさんがティッシュの箱を持ってピーターくんに駆け寄る。マリエンヌが僕の額に冷たいタオルを置いてくれた。クローディアはジャンとステファンを呼びにいったらしい。
「よお、セト。今回は死者が二名だ」
カッカッカと馬鹿カメラマンが笑う−−−お前は水戸の御隠居かよ、こんちくしょー…。

「遊び過ぎちゃったかな」
セト氏の心配そうな声が、バスタオルが広げられる音の上に聞こえる。貴方は優しい人だよ……そして強烈にせくしー…。
……いま身体拭いてるのかな、寒くないかな、大丈夫かな…考えるの止そう、まだ世界がぐらぐらしてる…。オレが大丈夫じゃないのに、きっと心配なんかされたくないだろうな……。
「あ?平気だろ。お前はリクエストされたことをやっただけなんだし。ピーターはまだ我慢が出来ない血の気の多いお年頃で、トキは体力無ェだけだ。温室だけあってクソ蒸し暑いからな、逆上せンのもしょうがねェわ」
げらげらとアンドリュウが笑っている…なんか悔しいぞ、くそぅ。
「あ。オレの色気にアテラレタ、とは認めてくれねーの?」
くすくすとセト氏の柔らかな笑い声が響いている……目をつむって声だけ聞いていても、セト氏はセクシィだ。
「結構キた。後はどれくらい切り取れているかだな。それより早く風呂入って温まれ。−−−片付けには来なくていいから、コイツをよろしく。−−−ジェン、バスローブ!あ、あそこな?サンクス。−−−というわけだ、取って来てくれ。セト、濡れた服のままだとマズイ。そこの角でサッシュとスカートだけ脱いでけ。後はクローディアが服を受け取ってくれる」
てきぱきとアンドリュウが指示を出す。アシスタントくんが陽気でもどこかセクシーな声で、
「えー、センセー。おれの絶妙なアシストも褒めてほしー」
って悪ガキみたいに笑っているのが聞こえた。
「なぁ?セト」
そう甘えている声に、また柔らかくセト氏がくすくすと笑っていた−−−鈴が転がるようなって表現、適切だぁ……。

薄目を漸くのことで開けば、がし、とアンドリュウがアシスタントくんの腕を掴んでいるところだった。
「脱いで身体拭いている間、ローブ持っててやってくれ。そしたらそのままセト抱いて上まで上がってくれな?歩かせたら足が冷える。昼飯はセトがちゃんと温まってから食いに来い。こっちは先に始めてる。オーケイ?」
あ、……やっぱアンドリュウも優しい。つーか、気配りはさすがプロでセト氏の親友、だ。
「はーい、センセ」
そう軽やかに答えたアシスタントくんのフットワークも軽い。片隅であっさりと濡れた服を脱いだセト氏に、するんとバスローブを着せ掛けてあげていた。そしてセト氏の濡れて重たくなった髪にその手を差し入れ。
「ん、ちっと冷てェな、」
と呟いていた。ま、濡れたからねぇ、ってセト氏はふにゃりと笑って返してたけど……。
アシスタントくんが勢いのままに、やんわりと優しく、そしてあっさりと力強く抱き上げていった−−−わーお、本当に着痩せするタイプだ。しかも、あれは”抱き上げなれている”スムーズさだ……すげぇ…。
「ちゃんと温めてから戻れってさ?」
そうアシスタントくんがセト氏に言っているのが聞こえた。悪ガキみたいだけれども、間違いなく優しい笑顔で笑いかけているのが、見てとれる。まるで、警告されたか?それとも?って言ってるみたいだ。キラキラと輝くキャッツアイが、なんだか−−−恋、してる……?
両腕をアシスタントくんの首にかけて、あっさりと全体重を預けているセト氏が、ふわりと笑っていた。目は真っ直ぐにキャッツアイを捕らえ。指先でアシスタントくんの砂色の短い髪を摘んでいた−−−んー?幻覚でも見てるのかな……?




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