なんだかキラキラと輝きを増したようなセト氏が楽しそうなアシスタントくんに連れられていくのを見送った。
横になったまま視界を緑に溢れた部屋に向ける。
「トキ、逆上せちゃったみたいですね」
「マリエンヌ、なんで平気なの…?」
溜息と共に聞けばあっさりと、
「眼福、って思って見ているからですわ。まあ多少はくるものがありますけど、こっそりクローディアと騒ぎあっていましたもの、溜め込んだりしないので平気なんですわ」
にっこり笑顔と共に返された。んー…よくわかんないやー…。
ゆっくりと身体を起こせば、鼻にティッシュを詰め込んだピーターくんが、ジェンさんに慰められているところだった。うーん…依頼したアンドリュウが極悪なのか、セト氏が魅力的すぎるのが罪作りなのか、あっさり頭に血が上っちゃう僕たちが弱いのか…(溜息)。
「少し休んだら、お昼になりますけど。その前にトキもシャワー浴びて着替えてさっぱりしていらっしゃい」
ね、と微笑まれて、頷いて立ち上がる。亜熱帯の気候よろしく暑くて重たい空気は、また頭をぐらりとさせるけど…踏ん張って堪えて、コートを持って鮮やかな緑の中を歩き出す。
途中、ステファンに会って、クローディアと一緒に服のクリーニングについて話し合った。その結果、ステファンがこのまま一度、濡れた服を持ってアトリエへ戻り、スタッフにケアを任せたほうがいいということになり、夕方また帰ってくることで同意した。
温室を一歩出ると、すうっと渇いて冷えた空気が身体を包んでいった。ぼうっとして熱かった頭が漸くクリアになると同時に、ぞくっと寒気が襲う。…ああ、アンドリュウはこれを心配してたのかな。濡れた服を着たままじゃ確かに風邪を引きそうな温度だし、それに…
「うぉらトキ、ぼけっとしてやがると風邪ひくぞ」
背後から声がかけられた。カメラやなにかが入ったケースを抱えたアンドリュウだ。
「……アンドリュー」
「なァに気の抜けた声出してやがる。セトに魂まで抜かされちまったか?」
くしゃりと頭を撫でられた。
「…アンドリュウ、」
酷いよ、変に優しいのは…。
「あーあー、オマエも泣くなよ。ったくしょーがねーなァ、ちょっと待ってろ」
こつっと額を叩かれて、勝手に涙が滲んでいた目を思わず押さえる。うー…なんで泣きそうなんだよぅ〜っ。
がしゃがしゃ、と音がして。それからかつかつと足音が戻ってきたかと思ったら、腕に抱えたままだったセータを引き抜かれ。ほえ、と見上げた瞬間、ぐいっと被せられた。
「うわ!」
腕をセーターの中で抑えられたまま、ひょいっと足が宙に浮いた。
「んぎゃっ!!」
「ハイハイ、暴れない暴れない。また貧血起こすぞ」
「…ぎゃー」
カメラマンの太い肩が腹に食い込んで痛いっ!つーかバランス取れないし、頭下がるし、揺れるしーっ。
「姫様ダッコのが良かったか?」
けっけっけっとアンドリュウが意地悪く笑う。
「それはイヤダ」
「そうだろう。だから大人しくしてやがれ」
「う〜…」
肩に荷物担ぎで、部屋まで連れ戻される。アンドリュウの太い腕は暖かくて力強くて。男らしさ、なんてものを肌で感じ取ってしまった。うう、ひ弱な自分が恨めしいぜ…(泣)。
「まあでもよく頑張ったな」
とん、とドアの前で降ろされる。
「そもそもお前、ああいうロケーションは苦手だろ」
ふいに前にそんなことも話していたことを思い出した−−−じっとりと重く、甘いような雨上がりの植物が放つ空気は苦手だ、と。
ドアを開けて、振り返る。
「−−−でも、企画立てた時に僕が承諾したから」
「ん。トキせんせのそういう根性は好きだぜ」
にかっとアンドリュウが笑う。んん、でっかい犬みたいだなァ。
「後は写真を見てどうなるかだなァ。見事鼻血吹けたら、焼肉でも行こうや」
ぽん、と肩を叩かれる。−−−妙な自信の現れなのか、それは?
「じゃ、風邪引かないようにな。ランチ食ったら最後のセッションだし、気合い入れて来いよ」
ひらっと手を振って、アンドリュウが踵を返した。大きな背中が頼もしげで、不意に荒野の馬を連想する−−−今度カウボーイの衣装一式送ってやろうかな。いや、どうせだったらアレンジして、クチュールで仕立てて……って、風邪引く前に切り上げよう。万が一こじらせてセト氏に移しちゃったりなんかしたら、申し訳ないどころの話しじゃないし。
シャワーを浴びてすっきりとして。気分を入れ換えてから下に降りていけば、今日も見事にビュッフェランチが用意されていた。
温かいスープにパスタ、サラダに果物とケーキ。立派なハムとチーズにバゲットまで用意されていて、なんだかリッチだ。全部が彩り豊かでなにより美味しそうに見える、うん。配置が上手いのかな…?
セト氏とアシスタントくんはまだ来てないらしい。きっとゆっくりとケアしてから来るんだろう。本業のバレエ以外でコンディションを悪くする、なんてセト氏はきっととても嫌がるだろうから。
既に食事をしていたアンドリュウの前に座る。あれからも機材を運んだりして忙しかったのだろう、服は朝と同じサンドベージュのタートルだった。だから見掛けはまさに軍人だ。ちなみにボトムスには青のデニムに、サンドベージュのトレッキングブーツで、本人いわく”楽な格好”。歩く度にどかどか足音が響くのが僕は喧しいと思うのだけど、本人は知ったこっちゃないらしい。ついでにこの重厚でリッチな城の雰囲気も、飲み込まれるどころか蹴散らす勢いだ。
「よお、すっきりしたか?」
に、と口端を吊り上げたカメラマンに頷く。
「さっきはありがとうな」
「ん、まあ気にすんな。それよりちゃんとメシよそってもらったか?」
「ん」
自分のプレートとアンドリュウのを見比べれば、僕の量はヤツの半分くらいだ。それでもいつもより多いくらいで…まあでも、僕のウェストはアンドリュウの半分くらいしかないけどな。
ゆっくりと食べながら午後のスケジュールの確認をして、それから気分転換に散歩をしに一人で外に出る。といっても、メインエントランス出て、ぶらぶらと歩いて引き返すだけだけど。
まだ昼過ぎの空は僅かに灰色を帯びたような色をしていた。雪が降るような気配はしていなかったけど…。
「んー、降ったら冷え込むんだよなあ…」
そしたらセト氏が大変だよな。明日の朝早くにはここを発つって話しだし。…ん?でもジェンさんは恋人さんとアルプス、なんだよね?−−−まあ、僕が気にすることでもないんだけどさ?
ホールに戻れば、調度セト氏とアシスタントくんが階段を下りてきているところだった。
ひょい、と気軽にアシスタントくんが手を振ってくれて、笑顔で返す。彼も着替えたのか、心持ち袖が長めの黒い薄手のカシミアニットにヴィンテージのデニムを浅く穿いていた。センスがいいね。
セト氏は白い厚手のシャツに、チャーコルグレィのカーディガン、それに黒のコーデュロイのボトムスを合わせていて、すっきりとシャープなブリッツスタイルだ。
「いまからお昼ですか?」
すい、とセト氏が笑った。
「そうなんだ。風呂に入った後少し寝させてもらったから、ちょっと遅くなっちゃった」
ふにゃ、と照れたように笑うセト氏は先程までの引き込まれそうな艶香はなく、ほんのりと漂う色っぽさがあるばかりだった。僕に同性を愛する気質がないからかも知れないけど、柔らかな笑顔で笑うセト氏を純粋に見ているだけで気持ちがいっぱいになる−−−幸福なんだと解るから、それだけで嬉しくなって満足するのかもしれない。
「−−−あ」
「どうしました、ムッシュ?」
「いえ。ストレートヘアも似合うなって思って」
優しいけどシャープさを増したな、と思ったら。真っ直ぐの髪がフェイシャルラインを覆っていたからだ。さらさら、と柔らかな音がしそうで、ちょっとだけ触ってみたい気もする。アシスタントくんの目も、なんだかセト氏の髪に釘付けのような気もするし…。
「弟に似るかな、って思ってたんだけど、弟は父親似なんだよな、案外。オレはシャーリィに似てるし」
なぁあんま似て無いよな?とセト氏が横にいたアシスタントくんを見上げて聞く。あ、ほら、髪がさらってなった。手触りがすごく気持ち良さそうだなぁ…。
とか思ってたら、アシスタントくんの手がすいっと伸びて。さらーっとセト氏の長いプラチナブロンドに指を通していった。ふわ、とセト氏がくすぐったそうに目を細めている。うーわ、血統書付きの猫みたいだ。
「ん、いっつも言ってるのにな、似てねぇって。さては聞いてないな?」
からかうみたいに、それでも愛しそうにアシスタントくんが言う。
「だからさ、ストレートにしたらもっと似るかと思ったんだよ」
ぷ、と僅かに膨れたようにセト氏が言う。うーわ、かわいい!すげえかわいいって!!
じいっとセト氏を見つめていたアシスタントくんが。
「−−−昼までの見納め?」
とキャッツアイを煌めかせて言った。さらっとまた髪を指にくぐらせる。楽しみだな、と甘やかすような声が続いて、くすっとセト氏が笑った。
「すごいイメージチェンジだよね」
実はかなり楽しみなんだ、と微笑んだセト氏の髪、食後はあれが黒になるんだ。専用シャンプーで落とせば、色残りもなくきっちり落ちるヤツだけど…セト氏は本当にチャレンジャだ、やってみようと思ったら絶対に尻込みしないんだ。すごいなあ…。
仲良くランチを食べに行った二人の背中を見送り、そのまま真っ直ぐ午後の衣装の仕度をしに二階に上がる。
クローディアとマリエンヌが、既に衣装の最終チェックを始めていた。
「どう?」
「パーフェクトよ、トキ。いつでも始められるわ」
クローディアが笑った。
「んん、でもセト氏たちはいまからランチだから、もう少しゆっくりできるよ」
「あらそうなの?」
「ん。さっき散歩してきたら、戻る時に会ったから」
頷けば、マリエンヌに随分と落ち着いてセト氏と話せるようになったのね、と言われた。仮縫いの時もあんなに緊張してたのに、って。
「−−−僕、すっごい気遣って貰ってるし」
セト氏にも、アンドリュウにも、アシスタントくんにもさ、と言い足せば、二人も揃って頷いた。
「類は友を呼ぶっていうのかしら、マッキンリィ氏はお茶目なジョークと豪快な態度でリラックスさせるのがお上手ですし、ブロゥ氏は柔らかな笑顔と物腰に加え、時々笑わせてくださるような冗談をおっしゃいますしね。緊張を良い方向へ流す方法を知っていらっしゃるから、気持ち良く仕事をさせてくださいますわ」
クローディアが言う。マリエンヌはくすっと笑い。
「けれどお友達同士でいらっしゃると、普通に仲の良い男の子って感じがしますわ。マッキンリィ氏とアシスタントの彼もそうですけど」
と続けた。
「そういえば、前にアンドリュウのオフィスに行った時、帰りに寄ったレストランで挨拶してた人ともそんな感じだったよね」
連れの女性ともども、アンドリュウとは親しそうだった大柄な甘いマスクの青年、髭があってもきっと年はそんなに行ってなさそうな。
「あーあ、あのイタリア訛りの可愛い子」
くすくすとクローディアが笑う。
「凄い愛想の良い子だったわよね。手にキスして挨拶だなんて、行き過ぎだと思うけど」
マリエンヌとクローディアを遠慮無く褒めたたえていたアンドリュウの年下の友人の顔を思い出す。
「タラシ仲間?」
ぼそっと呟けば。マッキンリィ氏とマーロは全然違う態度と意思を持って女性と向き合っているわよ、とマリエンヌが笑った。
「マーロは挨拶なのよ、アレが。だからどんな子が来たって、それが女の子であれば同じ笑顔になる。マッキンリィ氏はビジネスとプライベートがくっきりと別れている。だから特別な相手には、もっと厳しく、そして心から慈しむように接するんだと思うわ」
あの人がきれいな人を連れてパーティに出ている時は、いつもと変わらないようでいても明らかに営業用のカオをしているもの。そう言ったマリエンヌがまた小さく笑った。
「セト氏はそういった意味じゃ、女性にも男性にも分け隔てない態度なのよね。誰にでも優しく、親しい人にはお茶目に、特に親しい人にはシャープで切れ者なんだけど、上手に甘える術を知っている。信頼には信頼を、って。きっと自分には人一倍厳しい人なんでしょうけど、恋人さんが甘やかし上手なんでしょうね、とっても無理がなく凜としていらっしゃるし」
「そういえば、恋人がいるから優しく在れるって言ってたっけ」
−−−そういやアシスタントくんに抱えられたセト氏は、なんだか機嫌良く甘やかされている猫みたいだったなぁ…………ん?
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