広い部屋はチャイナ柄の、様々な秋色の布地で覆われていた。深い緑のカーペットの他は撮影機材しかない部屋のライトに照らされた中心では、アンドリュウがセト氏になにやら型を教えていた。そういえばアンドリュウ、中国拳法やってたって言ってたしな。セト氏は合気道だっけ?
「久しぶりだから型の順番、忘れてたよ」
「基本の型はそんなもんだ」
じゃあ通しでやるぞ、とアンドリュウがぴしりと背筋を伸ばし、拳を掌に合わせて一礼した。……堂に入っているせいか、アンドリュウの拳舞は力強く鮮やかで、流れるように型が移っていくのが美しい。ひゅ、と空を切る度に僅かに風が鳴り、空気が揺れる。
アンドリュウが拳舞を見せるのはピーターくんの前ではなかったことなのか、目を真ん丸くしているのが少し印象的だ。
ふっとアンドリュウが息を吐いて。拳と掌を合わせて深く一礼をした。それから何事も無かったかのようにカメラの後ろに立った。
ジャケットを脱いだセト氏がそんなアンドリュウに向かってにかりと笑い、同じ様に一礼した。それから目を閉じ、すう、と息を整え。意識を集中させてから第一の型に入った。
アンドリュウの拳舞が力強いのに対し、セト氏のそれは酷くしなやかだ。アンドリュウの動きが、一つ一つの型をぴしりと止めていくのに対し、セト氏はふわりと柔らかく、それでも確実にぴたりと止めていく。柔らかで流麗な動作は、拳法の型というよりは一連の踊りのようであり、その姿はまるで宙を舞う蝶のようでもある。セト氏の動きのほうが明らかに優雅さがあり、対してアンドリュウの動きは武骨だが大きくて迷いが無い。
打って、受けて、流して、返して。蹴りが入り、身体が回転し、ふわりと浮いて、低く沈む。軸がぶれないセト氏の動きの中心は股間節にあり、蹴りを繰り出せば長い足がひゅっと空を切る。長い剥き出しの腕がぴたりと止まる度、鮮やかな入れ墨がしなやかな筋肉に添って美しく映え、まるで鳳凰が生きているかのように思わせる。
一連の動作を終え、一礼したセト氏が、また同じ型を繰り返す。テンポが早まり、技のキレがより強まり。四肢が空を切る度に耳に空気が鳴く音が届き、艶やかな黒髪が揺れる度に、さらっと衣擦れに似た音がする。ファーの付いたベルトもセト氏に添うように揺れて、いいアクセントになっている。
そして黒髪の間からひたりと覗く氷蒼色の双眸は、集中力を宿してシャープに切れ上がり、精悍さが漂い。呼吸をするために薄く開いた口唇にはストイックな色香があり、それはしなやかに動く指先の一本にまで行き届いている。
無駄のない動きは繊細かつ優雅で、一瞬一瞬が絵になっている。しなやかに伸びる四肢、切れ長の冴えた眼差し、ふわりふわりとセト氏が型を決める度に、溜息が零れる。神々しささえ感じる美しい型の連続に、魂が震える。
武道のことはよくわからないけれど、背筋を伸ばして見てしまうほどにセト氏の型には気が漲っていて。きっと達人が見ても美しいと評するだろうと思う。

「オーケイ、休憩の後はジャケット着て撮るからな。刀は使えただろ?」
アンドリュウの淡々とした声が響く。すう、と息を止めたセト氏が、一礼してから、ほうっとリラックスしていた。それでも、まだ冴え冴えとした表情のまま静かに頷く。……刀?そりゃ最初のイメージだと槍だったけど…?

ずっとアンドリュウの傍にいて、あれやこれやをカメラマンに手渡していたアシスタントくんが、ジェンさんから渡された飲み物を持ってセト氏に近寄っていった。ジャンもメイク道具を持って駆け寄る。僅かに息を荒げながらも、セト氏は楽しそうにジャンにメイクを直してもらいながら、アシスタントくんと言葉を交わす。
「うーん……、黒も似合う――か、も…?」
むう、となんだか悩んでいるように、からかい交じりにアシスタントくんが言うのに、セト氏は、新鮮じゃね?なんて言って笑っている。
次にアシスタントくんが水を差し出し、にこお、と笑い。お茶目な口調で、
「なァ?セート。凄ェ綺麗だけどさ、あンたのこと、極力怒らせねェようにするわ」
なあんて言って、こつん、とエルボーでセト氏に脇腹を小突かれていた。なんだかかわいらしいやり取りだ。
アンドリュウも水分を補給してから、またカメラの前に戻っていく。納得のいくショットが撮れているのかいないのか、巨匠の顔は小難しい表情のままだった。
休憩が終わり、ピーターくんに金と宝石で出来た飾り太刀を手渡されたセト氏が、軽くそれを宙に投げうっそりと笑った。
「少し重いね?」
「鞘が装飾的だからな。ジャケット着て、跪ずいて鞘から抜かずに構えてくれ」
わかった、とセト氏がアシスタントくんに手渡してもらったジャケットを着込んでから、カメラの前で右足を立てて跪ずき、刀は左手に構えた。そしてアンドリュウの指示に従って、位置と身体の向きを変えていく。
「…セト、お前の一番斬りたいヤツのことを思え」
アンドリュウが興味なさそうな声で言い、セト氏がすう、と目を細めた。その瞬間、ふわっとセト氏の気が殺気立った。まるで豹が身を屈めて威嚇しているかのようだ。こちらまでびりっと背中に電流が走ったかのように感じる。
「そう、ライバルじゃなくて、駆逐するべき敵だ…もっと研ぎ澄ませろ」
アンドリュウの言葉に、セト氏の纏っていたオーラがよりいっそう研ぎ澄まされた。きらきら、と光りを弾いたアイスブルゥの双眸がそんなイメージを沸き上がらせるのか、今イメージできるのはシャープなエッジの氷の刃。遠慮なく発せられる気迫の色もきっとシルヴァというよりは薄く青みがかった透明に近い白、なんだろう。
そこには戦うことを楽しむ”武人”ではなく、純粋に”斬る”瞬間を見計らっている戦神がいた−−−どろどろとした怒気を感じさせない程に研ぎ澄まされた殺気だけを纏った美の化身。

「…切り掛かれ」
アンドリュウの声に、セト氏がすうっと目を細め。すら、と音を立てて、カラフルな青や赤や緑や黄色の宝石が張り付けられた金の鞘の中から、磨き上げられた銀色の刀が現れた。ぴたり、と跪ずいたまま、刃の切っ先がカメラに向けられる。
すう、と眦を吊り上げ、セト氏が引き結んだ唇の間からゆっくりと息を吐き出した。
ぞく、と背筋が冷えた瞬間。短く鋭い気合いを発したセト氏の腕が鞘を置いて立ち上がりざま素早く動き。身体の一部かと思う程に滑らかに、白刃が空を斬った。きら、とライトを弾き、またぴたりと動作が止まる。
ふわ、と黒髪が額に落ち着いた。す、とただ冴えた光りの浮かんだ蒼氷色が、まっすぐアンドリュウを見遣る。
「…オーケイ、今度は感情を篭めて。相手は好敵手だ、楽しめ」
淡々とした声が響き。真顔でただただ芸術的だった顔に命が宿る−−−きらきらとアイスブルゥアイズから輝きが零れる。にぃっと笑ったセト氏が、刀を振りかぶって飛び上がった。−−−うわ、高いっ。
「とうっ」
明るい掛け声と共に、たしん、と床に跪ずくように着地してから、今度は顔の前で真横に刀を構えた。にいっと牙を剥き出すように、口端を吊り上げて笑っている−−−ヤンチャな武神だ。孫悟空のような。
そのままセト氏が立ち上がり、片手に刀を持ったまま、空いている片手を地面に着いてバク転した。…ふわー…、あっざやか〜!
ひゅひゅっと刀が空を斬り、セト氏が片手で手招いて挑発する。−−−同じ”呼ぶ”でもなんて”色”が違うんだろう。目がキラキラしてて楽しそうなことには変わりはないけどさ。

「オッケイ。もう刀置いていいぞ」
アンドリュウが言い、ふう、とセト氏が息を吐いた。それから刀の鞘を拾い上げ、刀を仕舞った。す、とそれだけで気配が変わる。
「アンドリュウ、なにが飾り太刀だよ」
「んー?名の在る刀じゃないぜ?」
「充分切れるだろうが」
「ナマクラにゃ変わりない」
「本物の剣士なら、間違いなく斬れてるぜ」
「でもオマエはダンサーだ、セト。だから切れてないだろう?」
真っ直ぐに見据え合う。豹とジャーマンシェパードの睨み合いだ。
「−−−ばァか、万が一オマエ切っちまったらシャレになんねェだろうが」
がしがし、とセト氏が柄悪くアンドリュウを蹴る。ははっとアンドリュウが軽く笑って、オマエの腕を信用している、と言っていた。−−−丸きり男の子の言い合いだぁ…!

「あ、そうだ。最後オマエの蹴り、撮りたい」
にひゃ、と笑ったカメラマンが言う。いいよ、とあっさりセト氏が承諾した。
「前蹴り、後ろ蹴り、上段蹴り、踵落とし。そんなもんでいいか?」
「上出来。ジャケット脱いでやってくれ」
「了解」
ぱしん、と手を合わせて二人が離れる。アンドリュウはカメラの後ろに、セト氏はライトの真ん中に。そしてジャケットを脱いでアシスタントくんに放って渡した。それをふわりと抱き留めるように受け取ったアシスタントくんが目元だけで笑ったのに小さくウィンクを返して。軽く屈伸したセト氏が、すう、とアンドリュウを見遣った。頷きが返される。
ふ、と息を整えたセト氏が、気合いと共に脚を繰り出した。裾にある薊の刺繍が、鮮やかに煌めく。
くるり、くるりとセト氏が蹴りを決めていく。その度に黒髪がさらりさらりと揺れて美しい。そして最後にくるのは踵落とし。ひゅ、と空気が裂ける音がして、鮮やかに脚が地面まで到達する。つっか脚長っ!!股間節から蹴りを繰り出している上、く、とカールした裸足の爪先が色鮮やかで、尚更長く見える。

ふう、と息を吐いて、セト氏が姿勢を整えた。アンドリュウが、最後に一枚ショットを撮り、お疲れさん、と声を張り上げた。ピーターくんとアシスタントくんが合わせて、お疲れ様でした、と声を出す。
うちのスタッフたちが熱心に拍手をする中、セト氏が優雅に礼をした。僕も拍手をして、アンドリュウとセト氏に近寄る。
「お疲れ様でした」
「ムッシュ・ミクーリャも」
ふにゃりとセト氏が笑った。黒髪に未だ違和感があるけれども、随分とシャープな印象は残ったままだ。
「セト見放題はどうだったよ?」
アンドリュウが、にかりと笑った。ひゃひゃとセト氏がまた笑う。
「楽しかったです、ありがとうございました」
セト氏に手を差し出す。きゅ、と手が握られて、そのまま白のウールに顔が埋まった。
「こちらも楽しかった、モデルを引き受けさせてもらえて良かった」
軽くセト氏の火照った背中に手を当てる。いつも思うけど、筋肉がすごいなぁ…!
まだ撤収作業が明日残っているけど、セト氏には感謝の気持ちとして、昨夜ちゃっちゃと作って貰った布製のローズブーケを、作ったクローディア本人から渡して貰う。純白のレースに包まれたアイスブルゥのサテンの花とフェイクの白いカスミ草。結ぶリボンは柔らかい金のシルクシフォンだ。

「わーお、ありがとう。アナタの手作りかな?とても素敵だ、クローディア」
ぎゅ、と抱き合って頬にキスを交わす。
「デザインはムッシュ?」
す、と柔らかな眼差しに見詰められる。頷けば、優しい抱擁と頬にキスを貰った。
「記念に大切にします」
「こちらこそ、セト氏にモデルになって戴けて嬉しかった。服がどれも”生きて”くれて、とてもセト氏によく似合っていて。アンドリュウがどういう風に切り取ってくれたかが楽しみで」
オレも楽しみにしています、とセト氏が耳に甘い低めの声で言った。そしてにっこり笑顔が僕を見下ろす。
「後はパーティですね。一度その前にお会いすると思いますが」
「必ず連絡します。あの、用事がなくてもお近くにいらっしゃったら、遊びに来てください。みんなも喜びますから」
くすっと笑ってセト氏が頷いた。
「わかりました。一緒にごはんでも食べに行きましょう」
ひょい、とセト氏の肩越しにアシスタントくんが顔を出し、
「トキせんせ、おれも混ぜて?」
PLEEAAASEって甘えたわんこのような笑顔を浮かべて言ってきた。
「せんせのアトリエ、パリでしょう?」
なんて、琥珀色のキャッツアイをきらきら煌めかせている。
「ぜひ一緒に来てください。きっと楽しくなるでしょうから」
アシスタントくんにも頷く。なんだか可愛いね、君は。どことなく…厳しい面を持ってるような気もするけど。




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