ジャンは先にランチを済ませたらしい。自室でシャワーを浴び、メイクを落として来ると言っていたセト氏の、次のヘアメイクの支度に取り掛かっている。マリエンヌとクローディアはセト氏が脱いだ服を片付け、次の服を用意している。ステファンはジュエリィを取りに、僕の部屋の金庫に行った。アーティザン(職人)のグリフィス兄弟が、一番楽しんで作ったという人工ダイヤモンドのチョーカー。
「トキも先に食べておきなさいよ。キッチンにジェンさんがいて、あっため直したりしてくれてるから」
通り掛かったマリエンヌが言ってくれた。んん?
「ジェンさんが?なんで?」
「やるならきっちり全員の分をやりたいそうです」
ふぅん。良い子だねえ。どうやってセト氏のマネージャになったのかな?どっちかというと、サーファみたいな子だけどね、見掛けは。
キッチンではピーターくんが、サンドウィッチとスープ、そしてサラダのランチを食べていた。デザートには豆乳のケーキ。セト氏も食べられそうなものを選んだから。
「ピーターくん、セト氏と働くのは何度目?」
スープをよそってくれたジェンさんに御礼を言ってから、好きな量をお皿に盛る。コーヒーもディスペンサーからカップに入れ、砂糖とミルクを足す。
「今回で三回目っすね、トキ先生。プライベートで師匠んとこに遊びに来て、ついでに撮っていったのが最初で。あとはバレエ雑誌でのコラボレーションと、師匠の仕事で一回。ジェンとは会うの二回目だよな」
「あたしはアンドリュウとはよく会ってるけどね、セトに付き合って」
ハスキィな声が、凛々しいマネージャさんから齎される。これはピーターくんに言ったものらしい。
「二人ともよく平気だね、セト氏ってばあぁんなにセクシィなのに」
「あたしの場合、セトに見惚れてたら仕事にならないので。面接ではそこが決め手になりました」
「あー、納得」
そうだよな。それにしても有能な人を見付けたよなあ。
「オレの場合も同じっすね。見惚れてる時間が貰えないっすから」
それに、薔薇風呂みたいな理性のテスト・シチュエーションにはまだ居合わせてないっすからね、と明るくピーターくんが笑った。んん、いい子だよ相変わらず。
「君達恋人いるの?」
「「います」」
撃沈。揃って即答かよっ。
「あたしの恋人はプロのサーファで。時には雪山にも出没するボード馬鹿です」
にこお、とジェンさんが笑った。うわ、そっか。いい人なんだね。
「ピーターは?」
「オレの彼女は古本屋のアルバイトでっす。アンティークの本が好きで、将来店を持ちたいそうです」
「意外だね。モデルとかと知り合う機会多いのに」
言えば、ぶんぶんとピーターくんが手を振った。
「師匠は好きなんすけど、オレは大人しい子が好きなんです。オレ、カメラ馬鹿だし。知識のある人に惹かれます」
「なぁるほど」
やっぱり人それぞれってことかな、うん。
新アシスタントくんが、ひょこんと顔を出した。んん?ちょっとなんだか……男っぽさが上がってる?
ジェンさんが彼を手で呼んだ。
「セトの分、用意するから、メイクルームまで持って行ってくださいね。そしたらまた下りてきて一緒に食べましょ。アンドリュウも一緒になるし」
はぁい、と明るい返事が届く。−−−物腰柔らかいハンサムで明るい男だし、絶対恋人はいるよなあ。
じぃっと見詰めていたら、なになに?といった風に視線が合わされる。……印象的な目だなぁ!
「あの、君恋人いる?」
あ、思わずきいちゃったよ。
「あ、別にただの興味本位できいてるだけだから、嫌だったら答えないでもかまわないよ」
慌てて付き足せば。
「―――こいびと。」
色っぽさが残ったままの顔で、ふわあ、と極上に柔らかい笑みを彼が浮かべた。なんていうか、一応自粛はしてんだろうけど…”幸せです”って顔中に書いてあるしっ!!
「ムッシュ・ミクーリャ、」
ん?呼び方戻った?あ、そか、さっきまでセト氏と話してたしな。
「あ、悪い、ムッシュ・ミクリヤ、世紀の振られ男に何を仰るんです」
そう言って、にかーっと笑った。”世紀の振られ男”?んん?
ちらりと新アシスタントくんが、まだトレイを支度中のジェンさんを見遣った。まだ時間はあるよ?―――ってジェンさんの肩が微妙に小刻みに振動してるような気がするんだけど?
視線をアシスタントくんに戻す。
「そんなオトコがイノチより大切なヒトから愛されちまったらどうなると思います?惚気倒して、アナタに朝まで惚気てるに決まってます」
そう宣ってけらけらと笑った。明るい笑顔と煌めくキャッツアイ。なんだか僕まで気分が明るくなる。内容は惚気るから覚悟しやがれってこと、なんだろうけど。うーむ。
「なぁ?ジェン」
そうジェンさんに言ってから、ぱちんと僕に向かってウィンクした。へ?
「ランチアワーを台無しにする覚悟はオーケイ?」
なんて言って笑った。あああああ、やっぱり〜!!!そうなるのか、惚気倒す心積もりなんだな!いいだろう、聞いてやろうじゃないか!ウェディングドレスの発注も受け付けてやるっ。
僕の内心の意味不明のメラメラには気付かず(そりゃ気付かせてもいないけどなっ)、新アシスタントくんはジェンさんが支度したトレイを、頬にキスしながら受け取っていた。ジェンさんはもはや、くすくす笑いっ放しだ。−−−もしかしてセト氏やジェンさん相手にも、彼は惚気倒しているのかな?
「あ。ムッシュ・ミクリヤ、だからっておれだけ一人でランチ、って寂しいことはナシですからね。おれのとこのセンセーと2人っきりってのも暑苦しいしー」
暑苦しいっすか。まあいいけどねー、セト氏の麗しい笑顔の後なら他の誰であれ、二人っきりで顔突き合わせるなら暑苦しく感じるだろうし。君の笑顔はにっこにこで悪気はちぃっとも見えないしな。
トレイを持って、すたんすたんと長身のハンサムが部屋を出ていく。いいプロポーションしてるよな。着痩せするタイプみたいだけど。やっぱりモデルだったのかな?
「気にすることないですよ、ムッシュ」
ジェンさんが笑う。えっと……ああ、惚気ね。
「君も惚気倒されたの?」
聞けば、あっさりと頷かれた。しかも特大笑顔付きで。
「伏兵もいますからね、下手に振らない方が身のためですよ」
「へ?」
…まさか伏兵って。
「セトは始終惚気っ放しですからね。笑顔だけで惚気るなんて離れ業も使いますし。かわいいからいいけど、対抗したくはなりますよ。なんだよアタシだって幸せよ、って」
馬鹿みたいに幸せな気分にしてくれます、とジェンさんが笑った。横でピーターくんが何度も頷いている。
「ピーターくん、そうなの?」
「違いないっす。師匠も微苦笑してましたからね、”柄にも無く見守りたくなるじゃねぇかよバカヤロウ、頼まれたってそれ以上はしてやる気もねーけどな”って」
うう、強烈そうだなあ。
「けどまあなんつーんすかね、気付いたら惚気られているというか、幸せが抑えられないっつーか。うっかり心臓ドキドキしますけど、幸福そうな笑顔ってこっちまで幸せにしてくれるっすからね。いい恋愛してんだーよかったネ、って祝ってあげないと、それこそ罰当たりってなモンっすよ」
ありがたいお言葉で。その通りだよ。僻むのは僕の性根が悪いってことだよなぁ。気付けばなんだか、うちのスタッフ以外では僕が最年長なんだし。−−−あ、ちょっと凹んだよ僕。
とすっと頭に重みが乗る。
「なあに凹んでやがる。セト見放題だったクセに」
「アンドリュウ」
おまえはいつの間に僕の背後に来たんだよっ。
見上げればするりと腕が退いて、どっかりと隣に腰掛けてきた。にか、とベリーショートな髪形のジェンさんに語りかける。
「ジェン、悪いけどパスタとか作れるか?サンドウィッチじゃ後で腹空いてきちまうんだよ」
「オーケイ」
ソースは用意してもらってあったので、ジェンさんは鍋に水を張って火にかけていた。オレも食いたい、と呟いたピーターくんにもサムズアップで答えている。なんだかジェンさんも男前だなあ!
「ムッシュ・ミクリヤはどうなさいます?」
「あ、僕は」
「トキは食が細いんだよ、ジェン。ワッパー一個で平気な口なんだ。だからサンドウィッチだけで平気だ」
「…一口味見したい」
勝手に言い切られたけどアンドリュウの腕を掴んで見上げれば。
「オレのプレートから一口持ってけ。食べ過ぎるとお前、後で泣くから」
「−−−ハイ」
ごもっともです。つうかお前らが大食漢なんだよっ!!
くすくすとジェンさんが笑った。うう、気分は小学生だよ、とほほ。
「仲よろしいんですね、先生方」
アンドリュウが、ポン、と僕の肩を叩いた。そして返答。
「クチュリエとしては一流だからな。このギャップがたまんねーのよ」
ほ…められて、ないよっ!!うわあん、馬鹿アンドリュウっ!
内心の僕の喚きが聞こえたのか、クソカメラマンはその琥珀色の目で見下ろしてきて、にっかりと笑った。
「ある意味すんげえ尊敬してるって」
……ある意味ってどんな意味だよっ!!
恐れていた惚気タイムは、スケジュールの進行上訪れず。新アシスタントくんを交えてのランチはカメラマンチームのミーティングタイムで終わった。最も僕は途中で抜け出したので、最後までシリアスに連中がランチを食べていたかどうかは解らない。
簡易メークルームでは、セト氏が髪に真っ白いウールの毛をエクステンションとして編み込まれている最中だった。ランチはしっかりと食べたらしく、豆乳のケーキも胃袋に納めて貰えたらしい。アドバイスありがとう、と知り合いの栄養士に頭の中で礼を述べる。
セト氏はジャンと、なにやら化粧品の話しをしながら雑誌を眺めていた。髪のセットが終わるまで邪魔をしないように、フィッティングルームでマリエンヌやクローディアと服の仕上がりの最終チェックと、コレクション用のデザインやスケジュールのことについて話しを進めておく。今やってるのだけが仕事じゃないからね。
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