セト氏が10分間の休憩を取っている間に、コートとブーツの仕度を整える。
背景代わりに使っていた深碧のシルクサテンの布地をピーターくんと新アシスタントくんが引き下ろし。本来の壁を出来るだけ剥き出しにして、全体的な部屋の明かりを増やす。
二つのグリーシャン・ピラーの間、白い大理石の床と壁を大きく空け。そこに薄く色の付いた大きな羊のラグを敷く。その上にサイズ違いの白いヴェロアのクッションを壁に立て掛けて置いておく。バカラのキャンドルスタンドに色もサイズも様々な蝋燭を半分だけ燈してアバウトに配置し。透明硝子で出来た大きさの違うボールをラグの上に転がしておく。
休憩を終えたセト氏のメイクとヘアを直してから、足首からアンクレットを外し、ブーツを履くのを手伝って。(だってあの爪じゃ無理だしね。)
「ピンヒールじゃなくてよかった」
にこお、とセト氏が笑う。さきほどまでの艶やかさはどこかへ消え失せ、優しくちょっぴり茶目っ気のある顔だ。
「最初はそう思ったんだけど、セト氏はダンサだから、足首にあまり負担がかかるのはよくないと思って」
そう言えば、ぱあっとセト氏の表情が倍明るくなった。うわ、キラキラだよっ!
「っく〜〜!貴方のその優しさと気遣いと才能に感謝のキス、今してもイイ?」
「へ?」
今なんと…?とか思っている間に、両頬にあたたかい感触が当たる。そのままぎゅうっと抱きすくめられた。おお、案外力強いなあ!ってバレエでほそっこいとはいえ一人の女性を持ち上げられるんだもんな、そりゃそうか。つうか僕より確実に筋肉あるしな。

「アンドリュウ!ヘイ!ムッシュ・ミクーリャって最高のクチュリエだな!」
わお、大声で褒められた!!
「あ?じゃなきゃこのオレがずっと組んでるわきゃ無ェだろうが」
わわわわわ、なんなんだよアンドリュウ、お前まで!!そんな当たり前のように言うな!心の準備がっ…!
にかあ、と笑ったセト氏が、ヒールを履いたままくるんと一回転した。分厚いソールとヒールで丈の上がったスカートの裾がひらりと舞って、なんだかかわいらしい。
「足がふわふわして暖かい。これなら外も平気だ」
天才だね、と続けられて思わず照れる。ひゃああああ。
「トキ、仕度出来たか?」
アンドリュウの声に我に戻る。
「直ぐ終わる」
ステファンがフード付きの白いバックスキンのロングコートを広げた。セト氏がするりと腕を通して、ジャンが髪形と口紅を手早く直す。緩くベルトを結わいて終了。
「いい感じ?」
セト氏がふわりと笑った。コートを縁取るシルバーフォックスがふわふわとしていて、セト氏はますますエレガントかつキュートだ。
「パーフェクト」
にこお、って思わず僕まで笑ってしまう。うう、頬が緩いぜ。
にひゃ、とまたセト氏が笑い、コートの裾を翻してカツカツと歩いていった。ぴしっと伸びた背筋にダンサならでわのしなやかさが加わり、後ろ姿すらかっこいいぜ。

お待たせ、と告げたセト氏に、アンドリュウがファーの上を指差した。
「おう、そこ座れ。裾気を付けろよ」
そして新アシスタントくんにセト氏をエスコートするように言っていた。周りのキャンドルをファーの裾で引っ掛けないようにだ。
彼の手を借りてセト氏がすとんとラグの上に直接腰を下ろした。それから握ったままの手をセト氏が引っ張り、顔を寄せた彼の耳元でなにかを言い。にひゃ、と猫のように笑ってから手を離していた。彼の方はといえば、僅かに首を傾けてにっこりと笑い。そっと指先でセト氏の頬を触れる振りをしていた。んーん、仲が良いねえ!
未灯火だった蝋燭に確実にご機嫌な彼が火を点していっている間に、アンドリュウと一緒にセト氏に近づいていってコートとスカートの裾を直す。
「今度はどんな顔にしようか?」
セト氏がにっこり笑って僕に聞いてくる。
ぱっと見た瞬間、真っ白いコートに埋もれたセト氏は、等身大のビスクドールだ。顔小さいし、プロポーション抜群だし、衣装はひらひらふわふわだし。
「女王は床に直に座ったりはしないよね、そういう服の系統なら」
すい、とアンドリュウとセト氏が顔を見合わせて笑った。んん?
「だから、とても綺麗な人形みたいなのと、パンクに弾けた女王が見たい」
いいんじゃねぇの、とアンドリュウが言った。
「残酷で暴力的で攻撃的かつ魅力的なのと、心が通わないアイスドールで」
そう深い声が言葉を続け。
「パンクメタルが似合うオートクチュールってまだ無いよね」
そう言ってセト氏が目を煌めかせた。挑む眼差しをしている。
ポラロイドで軽くテストショットを撮り。カメラの位置を決めて、キャンドルの配置を少し変え、す、とアンドリュウの表情が変わった。

「獲物志願、その辺りに居ろ。ピーター、ライト少しずらせ。目が反射してる…セト、アイスドール先な」
セト氏が一つ息を吸い、それから背中をピンとさせたままクッションと壁に預けていった。足は真っ直ぐに伸ばされ靴裏を見せ、両手はだらんとラグの上に落とされた。すう、とセト氏の目に在った圧倒的な生命力を表していたキラキラの光りが消え。アイスブルゥはそのまま綺麗な氷でできてでもいるかのように、透明になった。−−−魂の無い、冷たい氷の人形。それでも目線を奪われずにはいられない程、美しくて。
緩く開いたコートの襟元から覗く豪奢なダイヤモンドのチョーカーと、柔らかなカールの間から垂れ下がるイヤリングが、ますます硬質な冷たさを演出する。
染み一つない、真っ白なバックスキンと、シルバーの輝きを帯びたフォックスのファーはその高級な質感で、ますます手の届かない存在に人形を見せる。
なんて表現力なのだろう。服を魅せることができないなんて、間違っても誰も言わないだろう。ただ、確かに。演じることに長けたセト氏であっても、ランウェイのような場所では顔を作りにくいだろうし、どんなに役作りをして挑んでも”セト・ブロゥ”が持つ圧倒的な存在感は消えない。それは至高の宝石だけが持つ魔力じみた吸引力であり、”観客”の前に現れた瞬間に本人の意思がどうであれ発揮されてしまうものだ。
プロフェッショナリズムが徹底しているセト氏には、”服を見せる”場において一瞬でもそれが成されないことが許せないのだろう。写真なら好きな時間だけ徹底して眺めてもらえるが、ランウェイでは全ての瞬間が勝負だから。

「オオケイ、次。魔物の方な。好きに誘惑していいぞ。獲物、大好物な」
アンドリュウが、斜め横で陽気に手をひらひらさせてセト氏に挨拶していた新アシスタントくんの腰をばしっと叩き、ケケケケケッ、と笑った。つーかお前が魔物だよ、アンドリュウ…。
セト氏に視線を向ければ、にぃんまり、と笑っていた。んん?なんか寒気が…?
すぐにフラッシュが光り、すい、とセト氏が足を組んで引き上げた。太腿まであるブーツに包まれた長い脚が、挑発的に動く。
次の瞬間、雪がごおっと吹いたみたいに”魔物”が純粋に恍惚的とも取れる顔で笑った。キラキラと暗い煌めきをその蒼い瞳に点し、挑むような視線を目先の獲物に投げ掛けている。首を僅かに反らし、白い喉を曝し。来れるものなら来てみなさい、と煽ってでもいるようだ。
そのまま雪豹のように身体を斜めに倒し、ラグに長い爪を立て。膝をコートとスカートの間から覗かせたまま、下から目線で誘ってくる。ドライアイスのように触れれば火傷しそうなのに、それはキラキラと輝きを増しながら魅了してきて。噛み付かれるのを覚悟で、手を出したくなる。
セクシュアルなのに性別の判断ができない綺麗な魔物。艶やかなのに気品があり、まるで美しい野性の獣のようでもある−−−その牙に捕われたならば、選ばれたことに狂喜しながら腸たを割かれ死に到らしめられそうな。
ふ、と笑って。その美しい存在が、また気配を変える。無性だった顔立ちが変化し、ちらりと流した目線の動きだけで”女性”になった。着込んだ服の白さがかえって禍々しさを強調するくらいに、高圧的で残酷なクイーンだ。
長い腕をさし伸ばし、毒を含んでさえ極上に甘い蜜を湛えたような笑みを浮かべ。魂まで凍らされそうに冴え、それでいてゆらゆらと揺れる炎を映しこんだアイスブルゥ・アイズが、惑わされて自分の領地に入り込んだ獲物を見付け歓喜している。背筋が凍りそうに残虐な気配を浮かべたまま、目が離せない程艶やかに女王が笑う。幻聴なのか、甘い声が何かを呟き。それに否応無しに魅了されて、体中に震えが走る。ひざまずいて、その足元に服従の口付けを落としたくなる−−−幻想。

「オーケイ、もういいぞ。ご苦労さん」
アンドリュウがいつもの淡々とした口調で終了を告げていた。
途端にセト氏が発していた挑戦的な気配は消えうせ。ミィアウ、と綺麗な発音で”鳴いた”。…一瞬前とのギャップが激しすぎて眩暈がしそうな程かわいいぞ、オイ。お陰で妙な呪縛から解き放たれたけど−−−って。セト氏、絶対解っててやってるんだろうけど。
「手が空いてる人は、蝋燭消してってくれ。セト、先に階段のところにいるから、出て来れたら来い。ピーター、阿呆面曝してないでライト持って続け。もたもたすんなよ」
真横にいた新アシスタントくんにはセト氏をエスコートしてくるように言っている。つうかなんでお前アレを最も近くから、しかも真っ向から見てて全く平気なわけ?
そういえばこちらも全く影響されてなさそうなジェンさんが新アシスタントくん経由でペットボトルを渡しながら、蝋燭の火を消していっている。傍で撮影を見ていた僕のスタッフも、どこか夢から覚めたようにぽーっとしながらではあったけれども、いつの間にか参加していた。わ、僕だけなんか取り残されてる?

「”大猫”サマ、行くよ」
そうどこかからかうように言って、新アシスタントくんがセト氏の手を取って優しく引き起こしてあげていた。
「楽しんでいるんだね、」
甘いと形容出来そうな程に優しく言った新アシスタントくんに、セト氏はキラキラと綺麗な目を輝かせながら。実に幸せそうにこくんと頷いた−−−傍からちらっと見た僕でさえ、なんだか気分が向上したくらいに素直で柔らかな笑顔だった。うーん、セト氏って本当にすっごい表現力が豊かだねぇ。

ファーに高いヒールを捕られないように、たおやかとも言える仕種でその手をエスコートの腕に絡ませ。す、と背筋を伸ばしてセト氏がやってくる。
「どうでした?ムッシュのイメージ通りでした?」
キラキラと目を輝かせて綺麗な人が聞く。
「イメージ以上で恐いくらいでした」
「ふふ、そう?それなら嬉しいですね」
ふわふわとセト氏が笑う。本当にさっきまでの女王らしさは掻き消え、気の良い兄さんのような風情に戻っていた。育ちの良さがいい意味で伺い取れる。
「後少しですね、頑張ってください」
「頑張ります。外、寒いですから温かくして出て来てくださいね。オレはムッシュのコートのお陰で暑いくらいですけど」
にこにことセト氏が笑う。
「普段使うのにいまから欲しいくらいですから」
「光栄です」
いってきます、とセト氏が笑って、す、と脚を踏み出した。スカートの裾のレースが、シルバーフォックスの間から揺れ出て、素直にきれいだ。膝下直ぐくらいまで結われた靴紐の間からひょこひょこと飛び出しているファーは愛らしく、腿全体を包む高さの在るスウェードをカットしたV字の間から覗く肌はセクシィで、分厚くて高いヒールは攻撃的かつエレガントだ。履き熟してもらえて物凄く嬉しい。
セト氏のアドバイス通りにコートを羽織り。ブラシとメイク道具を抱えてセト氏の後を追ったジャンに続く。
エントランス・ホールまで行けば、緩くカーブがかかり、黒い鉄柵と金の手摺りと深紅のカーペットがクラシックな印象の階段の所で撮影が始まっていた。フラッシュが天井の高いエントランス・ホールを一瞬明るくする。
予定外の撮影は。貴婦人然としたセト氏が凛として階段を下りようと一歩を踏み出しているショットと、艶やかに誘うように冷たい女王が階段を上っているショットを撮ってあっさりと終了し。次、というアンドリュウの一種命令的な号令の元、スタッフ一同各々のコートを着て、とっくに日が暮れていた屋外に出ていく。ステファンだけが室内に留まって、セットの片付けを始めていた。小道具だけだけどね。





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