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 この郊外の城は、一定の期間で貸出される別荘のようなものだ。主に結婚式や撮影、ちょっと優雅な休暇を過ごしたいセレブレティが家具付き、使用人付き、警備員付きで一日から利用出来るという。
 セト氏のリクエストもあって使用人は断り、家具も撮影に使う分はステファンが用意し。警備員は、城の広大な敷地を囲む城壁と森の向こう側に居るだけという、最低減の人数が三階建ての広い石造りの敷地に宿泊していることになる。
 電気も水道も通っているし、改装されてモダンもアンティークも良い具合に混ざりあったこの建物は、実はライトアップの設備もあるのだけれど。今回は雰囲気のある撮影をするために切ってもらってある。だから城からゲートまで真っ直ぐに敷かれたコンクリートの道に添ってある低い外灯以外には真っ暗で。まだ寒い冬の夜空には久しく見たこともないような、満点の星空が見えていた。最も、良く手入れされた柴に足を引っ掛けないように、歩く時は下を凝視してなければいけないけれども。
 ぐるっと建物の外周を三分の一程歩いた所にある黒いフレームと薄く青みがかった硝子の張られた一角に到達する。内側は元々は植物を育てていたらしいが、今は小さな室内プールになっている。どういうわけか水滴が付かない硝子越しに青くゆらめく水面の反射が幻想的だ。
 アンドリュウが持ち込んだライトに照らされていたその一角の地面には、驚くばかりの量の雪が残っていた。
 
 「ピーター」
 「直ぐやります」
 アンドリュウの声に素早く応えたピーターくんが、”雪”のかかったランタンを灯火していく。新アシスタントくんも、それに倣う。アンドリュウは自らライトの位置をずらし、思い描く通りに光りを操っていた。ジャンはセト氏の髪を直している。
 全ての火が燈されればそこに出来上がったのは、現世でもあり幻想の世界でもあるような、不思議な空間。降り積もった雪に浮かぶ青いアンティーク硝子と黒いメタルフレームのランタン。甘いオレンジと青に照らされた雪よりも白いフェイクは、けれど冷たくはない。さらさらと優しく重なったソレは、踏み込めば軋むような音を発する。侵入を拒むように。
 セト氏がピンと背中を伸ばして、セットの中央に向かう。柔らかく雪が”鳴く”音に、ゆうるりと口端を引き上げた。
 「…オーケイ、ピーター。降らしてくれ」
 「うっす」
 たたたた、とピーターくんが走っていく。不意にエンジン音が聞こえる。それから−−−
 「雪、だ」
 そういえば企画をアンドリュウと立てた時点で、セットさえきっちり組んであれば特にスタッフはいなくても平気だと言っていた。確かピーターくんは、ハリウッドにある映画学校の特撮技術科出身で、アンドリュウの”絵”にいたく魅せられて鞍替えしてきた変わり種なのだと。
 カッと音を立てて、新たなライトが宙に斜めに照らされる。…ひらひらと降り落ちる人工雪が青い光りに照らされて、青い花びらが降っているみたいだ。
 ……そうか、セト氏って蒼い薔薇みたいなんだ。どこか男性ではなく、さりとて女性でもなく。成熟しているのに、清楚でもあり。艶やかに美しく、どこか妖しい程の艶香を湛えて咲き誇っているのに、凜と真っ直ぐに天を向いている。その甘い匂いと美しさで誰をも魅了するのに、誰にも手折れない”夢の華”。奇跡の具現。
 
 冷たく、優しく、拒絶するように、誘うように…何通りもの顔に女王が表情を変える。そのどれもが”雪”の持つ表情であり、着ている服は景色に女王を優しく溶け込ませ、または温かく守るように包み込み。次々と現れる表情に見惚れる−−−なんて綺麗なんだろう……。
 
 「オーケイ、今日はこれで終わりだ。お疲れさん」
 アンドリュウが告げる。夢がするりと溶け行くように、ふつりと意識が繋がる。
 視線の先でまるで大輪の華を咲かせるように、セト氏がにいっこりと笑った。
 「わあい、雪だあ!」
 ……へ?
 「お前なあ、ガキの頃は散々コロラドの雪山で転げ回ってたじゃねぇかよ」
 アンドリュウが呆れたように言った。
 「手足が冷えるの嫌だから、今は出来るだけ雪ン中は出て行かないよーにしてンだよ」
 べぇ、と舌を出してセト氏が言った。それからピーターくんに、
 「なあ、この雪食っても平気?」
 なんて聞いていた。
 「やあ、一応土に還っても無害なモンで出来てますけどね、お勧めはできないっすよ」
 「ちぇっ、残念」
 なあなあもうちょっと遊んでてイイ?とセト氏がくるりと周りながら聞く。
 「いいぞ、その変わりオレも遊ぶ。ピーター、その機械は放っておいてもいいんだろ?」
 「そうっすよ、師匠」
 「じゃ、暫く見てろ」
 「うっす」
 おおおお、なんだかみんな元気だな、オイ。
 ふと気付けば、セト氏はにっこりと笑って、新アシスタントくんをダンスに誘っていた。
 「ワルツかタンゴ、付き合ってよ。雪の中で一度踊ってみたかったんだ」
 キラキラと目を輝かせて、セト氏が新アシスタントくんを見上げていた。それから小さな声でなにかを言い足した。僕にはよくわからない。
 新アシスタントくんは、にっこお、と人懐っこい顔で笑い、
 「へぇ?どっちかだけでいいンだ?」
 なんて返していた。
 「おれ、両方巧いよ?セト。お試しいかがでしょう」
 そういって優雅にセト氏の差し出した手を取り、す、と腰を引き寄せていた。きらきらきらっと彼を見詰めていたセト氏の目が輝きを増す。そして子供みたいに無邪気な声で言う。
 「じゃあワルツからな!うわー、ドキドキする」
 優雅にお辞儀をする為に一瞬離れた二人が、また手を重ね直してから、す、と目線を合わせて滑らかにステップを踏み出した。ちらちらと降る蒼い雪の中で、くるくると回る彼等はなんだかかわいらしく。一対の人形みたいだと思った。セト氏のゴージャスなコートに対して、新アシスタントくんが淡い茶色のシンプルにストレートめなブルゾンを着ているせいかもしれない。甘い色合いの組合せに、二人ともライナーと衿がファーだし。−−−しかも彼、狼だよあの毛皮。銀狐に狼?どう考えたって”フツウ”じゃないよアイツ。ある意味すんげえファンタジックだけど。
 
 す、とマリエンヌが近寄ってきた。
 「すごいですね」
 「んん?」
 「マッキンリィ氏がモデルをその気にする才能は知っていましたけど。あれだけ多彩にムッシュ・ブロゥが魅せてくれるとは思っていなかったですわ。息を呑む程お美しくて…でも一度役を離れられるとあんなに朗らかでいらして。なんだかかわいらしいですわね?」
 おらテメェらこっち向け、などと笑いながら指示しているアンドリュウと、くるくる周りながらはしゃいでいるセト氏たちを見て、くすくすと彼女が笑う。
 「さっきまでが夢のようですわ」
 「それは僕も思うよ」
 見ているだけで楽しくなる。
 「ね、トキも踊りません?」
 「へ?僕は踊りは−−−」
 「いいから」
 マリエンヌに引っ張られて、雪とライトの中に飛び込む。うわ、冷たくないしサラサラしてるよー。
 踊るマリエンヌにつられて腕を差し出す。セト氏は朗らかに笑ってターンを決めていた。柔らかな笑い声が響く。
 「オラ、トキ、マリエンヌ、こっちに視線寄越せ」
 「わ、」
 眩しい閃光に瞬く。甘やかにマリエンヌが笑った。−−−なんだか楽しい、うん。
 
 ステファンとクローディアは先に城に戻ったようだ。ジェンさんの姿も見えない。きっと晩御飯の仕度、かな。
 
 そうやって暫く”雪”塗れになって遊んでから、フィルムが切れたのを以てセッションはクローズした。こんなにはしゃいだのは久しぶりだった。
 遊びと称していただけに笑い交じりに写真を撮っていたアンドリュウとピーターくんは、今もまだなにか談笑しながらライト等の片付けのために残っており。先程まで情熱的なタンゴを披露してくれていたセト氏は、素人目ながらとても息の合ったパートナーだったように見えた新アシスタントくんの腕を借りて城へと戻っていく。途中、二人がお互いに降り積もった雪を落としているのを見て思う、なんて優しい絵なんだろうね。
 彼等の背中が消えるまで見送り。白い息を空に向かって吐き出して、煌めく星を眺める−−−恐ろしく綺麗で、どこか優しい眺めだった。
 傍にいたマリエンヌが、優しく肩を抱いてくれた。温もりがほんのりと伝わってきて嬉しくなる。
 「…楽しいね、マリエンヌ」
 「ええ」
 「夢みたいだ」
 「夢じゃありませんわ」
 にっこりと笑ったマリエンヌが、頬に優しい口づけをくれた。
 「ね?」
 「−−−明日もあるしね」
 「まだずっと先までありますわよ?」
 −−−うん、まだまだ先があるね。
 「頑張ろうね」
 「頑張りましょう」
 「お腹空いたね」
 「冷えてきましたわ」
 戻ろう、そう言えば、力強い頷きが返ってきた。ふんわりと笑みが零れる。
 「…セト氏は魔術師だね」
 そう言えば、マリエンヌがくすりと笑った。
 「私の魔術師はトキ、貴方ですわ」
 −−−期待と信頼が嬉しくて、笑った。なんだか子供みたいな気持ちになっている自分が面映ゆかった。
 
 
 
 
 
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