家の中から扉で続くガレージには、スノウモービルがあったことを思い出し、サンジに言えば。
覗き込んできていた蒼が。ヒカリを増した。
野生児は、まだ遊び足りないらしい。
「彼ら、いまこっちに向かってるから。一緒に会いに行こう!!」
「彼ら」、オオカミのことだろう。
身体中で嬉しいと言って、サンジが抱きついてきた。

ずっと以前のことのようにも思える夏の間、話に聞いていたロッキーズの「群れ」。
会いたい、と言うなら付き合うまでだなと諦め、額に口付けた。
「オーケイ、会いに行こう」
コドモじみた熱心さで、サンジが必至に腕に力をいれてくる様子に笑いが零れた。
それと同時に。
心臓の裏の辺りが、温かくなる。
空気一枚分、現実が自分から剥がれ落ちる。
オマエといる間だけは。


森の迫る入り口で。不思議な光景を見た。
ロッキーズの山の中で育ったというだけあって、サンジがスノウモービルを限界近くまでスピードを出して歓声を上げていたのは少し前までだ。
いまは、それから雪の中に降りると。ゆっくりとした歩調で森の中へ入ろうとしている。
少し離れて停めた場所から、おれはそれを見ていた。

シン、と冷えた空気が感じられる。
自然の外、他者が介在しない空気だ。
自分の気配を落とし込んだ、消し去る寸前まで。

枝から雪の落ちるくぐもった音にも、サンジの反応しているのが判る。動きには出さずとも。
そして、眼。
ふわふわとどこか甘い例の調子では無く。
意識の底が研ぎ澄まされるような、ソレ。
視界の隅で捕え、ひっそりとわらった。
ランチで飼う動物じゃない、野生のソレだ。一度、眼にしたことがある。
記憶の底、あの夏の夜。銃声と一緒に。

ふ、と気配が動いたのを感じた。
森の暗がり、奥から。
なにかが近づいてくる気配。
サンジから、森の入り口へと視線を流す。
僅かだった動きの揺れが、段々と確かになっていく。
「来たか、」

す、と。
雪の白に、陰が落ちた。
それが形になる。灰色をした獣。
ぽかり、と。雪原の上に幻覚じみて存在していた。
目線、薄茶をしたそれが一瞬自分に向けられたのだと感じた。
離れて見てはいても、警戒しているらしい。
当然だ。
あぁ、おれのことは無視してくれていいぞ、そう獣に向かって呟く。

すう、と雪にサンジが膝をついて座り込み、両手を広げていた。
オオカミの目線がずれた。
ゆっくりと「仲間」に近づいていき。
前を左右に数回動く。
見知ってはいても、まだ確かではない、とでも言うように。

あぁ、ヒトにとっては野生児でも。オマエたちにとっては、アレでも充分ヒト臭いのか?
そう思い、また微かにわらった。
そうしている内に、サンジが名前でも呼んだのだろう。
言うなれば、「兄弟の再会」か?
ヒトのコドモが犬と遊ぶ、まさにソレだ。
雪の中。
楽しそうに転がって大はしゃぎだ、2匹とも。

そして、陰がまたいくつも森から出てきた。
茶、黒、灰白。
群れの他の「仲間」だろう。
転がってはしゃぐリーダーに安心でもしたのか、次々と姿を現し始める。
15頭ばかり、と目算する。
その全部の名前をサンジが呼んでいるらしい、音の切れ端が届く。

雪煙、だ。
あがった。
美しい眺めだ。
何頭もが雪の中を飛び走る。
けれど、賑わいとは違う気配が漂う。
この獣たちを、あのじーさん共は神とやらに近いものとして扱っていたが、少しばかり理解できる。
コイツラの気配は。酷く研ぎ澄まされている。

灰白をした一頭がおれを振り向き、金色の目で見てきた。
無言の問い掛け。
"オマエは何者だ?"
見つめ返す。
ヒトだよ。
"生憎だったな、"
―――言いやがるな、コイツ。

金色が、ふい、と逸らされる。
風が流れる先。
目線をあわせて同じ先に投げれば。
薄茶と、蒼の一対。強い光を弾く双眸。
サンジがこちらを見ていた。
「兄弟」と一緒に。
首に腕を回し、なにやら楽しそうに話かけていた。
サンジの傍ら、灰色は。
まだおれから目線を外しやがらなかった。
「悪いか、」
そう返した。
文脈なんざ、ムシだ。

オオカミのような笑い、って表現がある。
ソレを、おれは目の前でみた。
灰白がしやがった。
おれの言葉を捕えたかのように。
灰白が「わらった」あとに、高く雪を蹴り上げて空へ跳ねた。
そして、他の仲間の所へと跳躍していく。
舞った雪が光を弾いた、すべて。

サンジに、灰色が頭を摺り寄せていた。
体中でぐいぐいと頭を押し付けている。
倒れそうになりながら、それでもサンジの笑っている声が流れてきた。
これが「再会」なら。
悪くねぇな。

美しい獣どもが、雪に走り、跳ね。
不意に短く鳴く声がした。
犬の声よりは太く、微かに高い。
次々と似たような音がそこかしこでおこる。
ふ、と。
その中に、微かに耳に馴染む声を拾い。笑みが勝手に浮かんだ。
あぁ、「オマエたち」喜んでいるんだな。
良かったじゃねェかよ。

モービルのハンドルに肘をかけて。雪空のしたでオオカミどもの遠吠えを聞くとは思わなかった。
悪くねェな。
――――いや?むしろ。
上等だよ、気に入った。



スノーモビル、運転するのは久し振りだ。
ここらはゲレンデじゃないから、新雪がそのまま深く積もったまま残っている。
雪原、僅かに斜頚がかった。
アクセル全開で飛ばす。
目的地は森。
エンジン音の向こう側で、ティンバーが一度だけ位置を知らせてきた。
カレらは、オレたちの位置を知っている。

森の入り口でスローダウン。
木々の間を縫って、少し奥まで入り込む。
エンジンを切ると、ゾロも同じ様に切っていた。
エンジン音のエコーが消えると、風が森を通り抜ける音が聴こえた。

ゾロは、モビルからは降りてこないみたいだ。
その方が、ゾロにとっては安全。
ゾロは彼らに近しいけど、ヒトだから。

モビルを降りて、木々の間を抜けて行く。
すう、と意識が透明がかって、視界がとてもクリアになる。
踏みしめる雪が軋む音。
重みで枝から滑り落ちる雪が落下する音。
ゾロの息遣い。
斜め前の木の上、鳥の巣穴。
多分、梟…寝返りを打った。

雪を掻き分けて進んでくる幾つかの足音。
近づいてくる気配。
エヴァグリーンの匂いに混じって、空気が僅かに動いた。
熱、命の匂い。
木々の向こう、倒れた大木の向こう。
来た。

くん、と意識を引っ張られる。
視線を動かしたその場所、懐かしいカレがいた。
2メートルほどの茶色が混じった灰色のオオカミ。
オレのキョウダイ、ティンバー。
後ろにいるゾロを見ている。

膝を付いて、ティンバーを待つ。
匂い、嗅いでる。
ゾロ、気配を押さえてる。
怯えてない。殺気立ってもいない。
そのままでいて。

ティンバーが、こっちを向いた。
まずはゆっくりと向かい合う。
懐かしい匂いを嗅いで、嬉しくなる。
ゆっくりと近寄ってくるキョウダイ。
「ティンバー…」
名前をそうっと風に乗せた。

ハゥ、と甲高い声でティンバーが応えて。
両足が肩に乗せられた。
顔中、思い切り舐められる。
昔から、カレにされていたように。
抱きしめる。
腕の中で聞こえる、深い息継ぎ。
クゥゥ、と小さく鳴き声を上げながら、雪の中、押し倒される。
嬉しくてティンバーを押し返した。
転がる、雪の中。
まだカレがコドモだった時のように。

ティンバー、元気だ。
リーダーとして、立派に群れを引いているみたいだ。
短い合図と共に、次々と姿を現す群れの仲間たち。
みんな寄ってきて、挨拶をくれる。

ランド、シルヴィ、シエロ、ティオ。
スカーフェイス、でっかくなったなあ!!
ミアとジュールも。
ノワール、リリー、ゲルグ、スノゥ。
ああ、ラズロウがいない。
そうか、カレは年だったもんなあ。
アビー…いないの?
…ン?そっか、いないのか。

初めて会う仔が3匹。
大丈夫だよ、オレはティンバーのキョウダイだから。
誰の仔?
ティオとミア?
うわあ、ティンバー、シルヴィ、もう孫がいるんだね!!

うん、ああ、噛まない噛まない。
噛み返しちゃうぞ?
オマエ女の子だね。
ルース。
オマエは男の子。
フォーリ。
…あ、オマエ。レッドに似てる。
じゃあ、オマエ、レッドだ。
ティンバーの後を継げるかな?

挨拶をして、圧し掛かって、圧し掛かられて。
雪の中を転げて遊んでいたら、スノゥがゾロを見ていた。
オレのオオカミだよ、スノゥ。
オレの選んだヒト。
気に入らない?ヒトだから?
うん?…ああ、そっか。タバコの匂いがキライなのか。
オマエ、ジャックおじさんもキライだったよね。

ティンバーが寄って来た。
「ティンバー」
抱きしめてゾロを見る。
「オレの伴侶。カッコイイでしょ?」

ティンバーがゾロを見ていた。
「愛してるんだ、オマエがシルヴィを愛してるみたいに」
じいっと品定めしてるみたいにゾロを見詰めていたティンバーが。
ぐいぐいと頭を擦り付けてきた、肩の辺り。
「大丈夫だよ、ティンバー。カレはオレを傷つけたりしない」
オマエタチを傷つけたりしない。
ダイジョウブかよ、って目で言ってきたティンバーの身体を撫でる。
「オレが、カレを選んだんだ」
ゾロもオレを選んでくれたし。

頑張れよ、って耳を舐められた。
目を瞑って、感触を味わった。
意識の向こう、レッドがいた。
今にも木々の間から出てきそうな気配の濃さで。

ティンバーと目を合わせた。
「…オレたち、心配されてるね」
笑って、ティンバーの肩を抱いた。
一緒に森に帰るわけにはいかないから。
せめて、一緒に歌おう。
喉を開いて、空に向かって声を出す。
真横でティンバーも一緒に、風に声を乗せていた。
オレの周り全体で、声が上がる。

深く、太く、僅かに甲高い声。
腹の底から、空気を搾り出して細く伸ばす。
木々を渡り、山を越えていくのを感じる。
意識が同調する、群れと。
若い子たちは、少し戸惑っている。
オレの声、覚えていてね。
オレはティンバーのキョウダイ。
オマエタチの敵にはならないから。

声が出なくなって、深く息を吐いた。
んじゃあな、ってティンバーが顔を舐めてくれた。

「ンアォウッ」
「アウゥ」
「ウァウッ」
「ゥアオオ」

ティンバーが行くぞ、って命令を出して。
副リーダーのランドがトロットを始めた。
まだルースとフォーリは雪に転がって遊んでいたけれど。
スカーフェイスに怒られて、慌てて木々の間を走っていった。

スノゥは最後にじいっとゾロを見て。
それからトットットと走り始めた。
ティンバーが、最後にもう一度、ぺろり、とオレの唇を舐めて。
ゾロに向かって、ンアゥッ、と短く鳴いてから、雪の上を滑るように走り出した。

あんなにあった息遣い。
熱の塊がウソみたいに引いていって。
僅かな温もりが、雪の上に残って。
けれど、さぁ、と吹いた風に散っていった。

残されたのは無数の足跡。
ゾロが後ろで息を吐いたのが聴こえた。
さくん、さくん、と雪を踏むゾロの足音。
側まで来て。頭をとんとん、ってした。
笑ってゾロを見上げる。
「オレのキョウダイたち」
ゾロも目元で笑ってた。
「あぁ」
「アイツらと、オレ、一緒に育ったんだ」
ゾロが雪塗れのオレの髪にキスをくれた。

「仲が良いな、」
「ウン。ティンバーとギブリは、レッドと同腹のキョウダイで、リィのコドモ」
生まれた時から、知ってる。
レッドの3シーズン後に生まれたキョウダイ。
まだ目の見えない頃から、一緒にいたから。
「本当にキョウダイだと思ってくれてるんだ」
ゆっくりと、ゾロと一緒にモビルに向かって歩きながら。
木々の向こうに広がる雪原を見た。

「小さい頃は、オレにだけ尻尾が無いのとか、毛がないのとか。不思議がられてた」
ゾロの手、暖かくてツルンとしたソレ。
髪を撫でて、頬に触れて。
キモチがイイ。
オレの愛するヒトの体温。
「スノゥが…アナタをずっと見てた、灰白色のコが」
「あぁ、アイツか」
ゾロを見上げて笑う。
「タバコの匂いさせすぎだって怒ってたよ」
に、と笑ったゾロを突付く。
「ナマイキ言いやがるな」
「オレからコーヒーの匂いがするのも、嫌だって怒ってた」

すい、って片眉跳ね上げたゾロに告げる。
「エモノに気付かれるだろ、そんなんじゃ、ってさ」
笑う。
「スノゥはまだメイトしてないオスだから。若いコ教えてる気分になってたみたいだ」
ハハ!ってゾロも機嫌よく笑ってた。
「それであんなにナマイキだったか」
「そう。スノゥ、オレに。なんでそんなに覚えてないんだ、って怒ってた」

すい、ってゾロが手袋を嵌めていた。
スノーモビルの前で。
「おれがヒトで生憎だそうだ」
「あはは!!解ったんだ、スノゥのコトバ!」
笑ってゾロの肩に口付けを落とす。
ゾロをゆっくりと見上げる。
「亡霊どもよりはまだ愛想が良いけどな、ヤツの方が」

「ねえ、ゾロ」
ゆっくりと笑顔を刻んだゾロを見る。
アナタは平気かなあ?
「―――ン?」
「アナタに今、抱きついてイイ?」
「舐めるなよ?」
「わかった」
ゾロが大きく両手を広げて。
その中にぽん、って飛び込んだ。

ゾロの腕の中。
酷く安心する。
ぎゅう、と抱きしめられて、嬉しくなった。
オオカミの毛に塗れてても、抱きしめてくれるのが、嬉しい。
ティンバーが舐めていった耳の反対側、ゾロの唇の感触。
「ゾォロ」
嬉しい。
嬉しい。
どうしよう。
ぺろ、と舐められて、とろり、と意識が蕩けた。
「ダイスキ」
笑う。
幸せで。

きゅ、とゾロの歯が、耳朶をピアスした。
濡れた感触にキン、と肌が冷えたところに、落とされる囁き。
「アァ、しってる」
ふる、と身体が震えた。
寒いからじゃないけど。
きゅ、とゾロがきつく抱きしめてくれた。
それから、かえるか、って声が響いて。

「帰ろう」
笑ってゾロから離れた。
スノーモビルに跨る。
大分離れた位置から、ティンバーの声。
笑う。
「ティンバーが今」
「何て言ってる、」
「雪が降るから、早く帰れ、って」
「なるほど」

スノーモビルのエンジンをかけた。
きっと木々の向こう、彼らは見届けてくれている。
オレたちが"向こう側"に帰るのを。
バイバイ、また会おうね。
どうか元気で。

ゾロがまたな、って呟いたのが聴こえた。
そしてゾロもエンジンをかけていた。
ゆっくりとスロットルを回して、雪の上を滑らせる。
ゾロが直ぐに追いついて、走り始めた。
ゴォ、って風が鳴いて。
気圧が僅かに変化したのを肌が感知した。
ああ、これは夜には、吹雪になってるだろうな。
そう思ってたら、ゾロが前を指差して。
すう、って追い抜いていった。

ゾロ、解るかなあ、帰る方向?
雪原、タダの白だから。
目印、殆んどないからダイジョウブかな?
…ダイジョウブか。
ここまで来たのは、オレとゾロのモビルだけだし。
まだ2本のモビルの痕は、雪に消されてないし。
「…ゾロッ、競争しようッ!!!」
エンジンを全開にして、スピードを上げた。
森が背後でどんどん小さくなっていく。
ギュン、とゾロのモビルがスピードを上げた。
「フザケロッ」
ゾロの笑い声。

幸せな気分、抱えたまま。
ゾロと抜きつ抜かれつ、家を目指して走っていく。
頭上では、オレらより早いスピードで雲が動いていた。
もうすぐ雪が降り出してくる。
ホワイト・クリスマス。
ブリザードにならないといいな。




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