熱い湯にアタマを突っ込んでみれば。
確かに自分は多少は疲労していたのかと気付き、苦笑した。
着替えてリヴィングに戻れば、サンジの姿は無かった。
画面は既に消されていて、薪のはぜる音と、窓の外の風の音が多少聞こえてくるだけだった。
シャワーでも浴びに行ったか?
フリッジから水のボトルを取り出し、またソファへと戻る。
クッションに背中を預けて、半ばまで飲み干した頃耳に慣れた電子音が響いた。
ディスプレイに走るナンバー。
あぁ、これは。
ペルーの"小熊"だ。"オシート"。
ちらりと時差が意識を掠める。―――クソ、トラブルじゃないといいんだがな。
「イエス、」
ピ、と通話ボタンを押す。微かなノイズの向こうから、聞きなれた声が届いた。
『ミ・ロード、ミサに行っていないのか』
陽射しの明るさが、この男の声からはいつもする。たとえ何を話していようとも。
「おれが撃たれたのは肩だよ、オシート。アタマじゃない」
抑えた笑い声、そしてスペイン語の祈りの欠片。そういったものが距離を越えて届く。
『ミ・ロード、オシートからの知らせはいつもバッド・ラックと思うか』
すう、と部屋になにかが入ってくる気配がした。
―――サンジ、だ。
目線を投げれば、おれに声をかけようとして、ふ、と口を噤むのが見えた。
「あぁ、それも仕方あるまい?」
すう、とオシートの声が低くなっていた。
投げたままの目線、サンジがひら、と手を軽く振って。マントルピースの前、ラグに寝そべるのを捕えた。
『ハンターに教えてやろうと思う。ミ・ロード、例の残党がこちらにいる』
「―――連中か?」
意識の底を掠める、夏の終わりに逃げ延びた末端の奴ら。「おれ」に恥をかかせやがって。…アタマは潰したが、尻尾がまだ生きてやがったか、やっぱりな。
「ハント」はまだ終わっちゃァいない。
更地にして還すまでだ、一度でも汚されたモノならば。
『ゾォロ、たァった2時間で殺してやるのか?オヤサシイねェ』
笑いを潜めていたネコ共の声が、聴覚の奥に甦った。
『オヤサシイんじゃァない、時間が勿体ねェんだよ』
『ラジャ、』
くくく、と喉奥。笑いを抑えていたネコ共。
『さァて、御仕事だ』
歌うような声。それが広く、けれど閉ざされた空間を揺らしながら広がっていく。
ネズミの末路は哀れだな、当然の報いだ。
鳴声など、誰にも聞きとめられはしない。
赤い髪のアクマ、アイツも。
『退屈だよ、ヒトの叫び声なんざ、なァ…?』
歌うように呟いてゆっくりと笑みを浮かべていたことがあった。
金色の眼。
ふ、と森にいた灰白を思い出した。
『シ。オシートが手を貸してもいいか?ハンターにこの地は遠いだろう』
機械の伝える声に意識が引き戻された。
ラグがオレンジの炎を照り返してあわく色を乗せる、その上で。寝そべったサンジがじい、っと見上げてきていた。
連想する、
身体を伸ばして見上げてくるネコ。
目を閉じた。
「おれ」は、この場所にいてはいけない。
「オシート、少し待て」
立ち上がり、マントルピースとは反対側の扉へ向かう。
抜け出て、振り向かずに後ろ手に扉を閉ざす。
無意識に息を吐いた。
意識が冴えていく。どこまでも温度を下げながら。
「オーケイ。ハントの話をしよう、ファーザー・クリスマス」
さっきしっかりとお風呂に入ったから。
今入ったのは、…気分を入れ替えるため、かな。
『ベイビィ、心配いらないって。それでも心配なの?じゃあ魔法のコトバ、教えてあげよう』
イトコの、なんとも言い難い艶っぽい声。
聴いてるオレまで、なんだかドキドキするような。
『Touch me, kiss me, I'm your bait. If you want me, come and bite』
"触れて、キスして、アナタのゴチソウ。欲しいならおいで、齧りにおいで。"
…うわぁお。
『口の中でね、繰り返してるとね。そういう気分になれるから』
とっても美味しいゴチソウの気分に。
そう言ったイトコは、クスクスと笑ってた。
『もっと他にもあるんだけど…ベイビィはそれくらいでいいよ』
クスクスと、甘い声。
カレの恋人はどんなヒトなんだろう?
ううん…想像も付かない。
でも、きっと、ステキなヒトなんだろうなぁ。
カレ、とても幸せだって、声が言ってるし。
お風呂から上がって、魔法のコトバを口にしてみた。
うひゃああ、って一人で赤くなっちゃった。
なんだか……すっごい、照れるんだけど。
照れたついでに、ああ、オレってばなんてことやってるんだろう、って思ったけど。
オレはゾロの"プレゼント"で"ゴチソウ"なんだから、って思い直してみた。
これでゾロが喜んでくれなかったら…ドウシヨウ???
けど。ドアの向こう側。
僅かな話し声。
ひょい、って覗き込んだら電話中だった。
声をかけようかなって思ったけど、…ううん、これは黙っていたほうがいいよね。
なんだか、…ゾロの周り、ぴりっとしてるし。
ううん……どうしよう?
頭の中、さっき聴いたクジラの歌を思い出す。
よし、これで聴こえない。
旋律を頭で追いながら、ラグの上に寝転がった。
フカフカの敷物。
ムートンの中敷に負けない手触り。
ゾロの視線がす、って流れたのを感じた。
甲高いクジラの歌。
硬い光を湛えたままの目。
そっか、今ゾロは。ハントの途中なのか。
縄張り争い。
レッドもグリズリーとやってたじゃないか。
群れで追い出しにかかってる最中。
ゾロを見上げながら、頭はいつのまにか、森の中に意識が戻ってた。
ハント・ダウン、枯葉の上を走る足音。
ゾロがドアから出て行った。
木の向こうに消えるレッド。
オレは残される。
さすがに付いていく脚力が無くて。
森の中、木々がざわめく。
雪がちらつく。
ぱちっと薪が弾けて、意識が戻る。
唸るような風の音。
窓の外、白い雪が降り落ちていた。
舞う雪。
身体の下にあるラグの手触り。
リィの巣穴に潜り込んで、ティンバーやギブリたちと一緒になって、丸まって眠ったことを思い出す。
踊る紅い炎。
それより温かかった体温。
ヴェイルの家で、一人で過ごしてた冬の夜は。
決まって群れと一緒にいることを思い出してた。
炎の側で、ラグの上で丸まって。
炎の向こうに見える僅かな影に、彼らと過ごした夜を思い出してた。
セトが来る時はガマンしてたけど。
来ない時はガマンしきれなくて。
雪が収まるのを待って、森に帰ってった。
にゃー…もう森に帰りたいとは思わないけど。
あの頃のように、狼になってしまいたいとは思わないけど。
一人でコロコロ転がってるのはつまんないぞう。
ううん…一緒に転がってくれるヒトが欲しい。
目の前のツリーの飾り。
寝転がったまま手を伸ばして、ちょいちょいっと触れる。
揺れる。
炎の揺らめきで、色が僅かに変わるソレ。
ちょっと楽しい。
指先で、腕を伸ばして。
ひょいひょい、っと揺らす。
首元で、シャラっと僅かにネックレスがずれた。
ううん、次に強請るなら、…オレと一緒にいてくれるコが欲しい、って言おうかなあ?
オオカミの仔。
番。
ああ、でも…卒業しないと。
ううん、一人でこういうときって何してればいいんだろう?
んー……あ、捕れた。
揺れてるのが楽しかったのに。
んんー…投げたらひっかかるかな?
やってみようっと。
あ、失敗。
もう一回。
もう一回。
投げてる最中で、すう、っと冷気が入ってきた。
扉が開いたみたい。
ゾロ、終わったのかな?
落ちた飾りを拾って、もう一回ツリーに投げる。
引っかからない。
ちぇー。
ころん、と姿勢を変えて、ゾロを見る。
なんだかまだぴりっとしてるゾロの気配。
まぁ、ハントの後だしねえ。
とか思ってたら、すいって近づいてきたゾロが、投げて遊んでいた飾りを拾って、木にひっかけていた。
「…にゃあ」
寝転がったまま、ゾロを見上げる。
ふ、とゾロが笑いかけてきて。
すう、ってまたいなくなった。
携帯電話を置きにいったのかなあ?
こて、っとひっくり返って、オレンジの炎に視線を戻す。
ユラユラ、陽光に近いソレ。
んん、ちょっと熱くなってきたカモ…。
襟元に手をかけて、少し寛げた。
「ンアゥゥ」
退屈だぞ、って咆えてみた。
ゾロが戻ってきた音。
す、って覗き込んできたゾロの髪、すこし濡れてた。
「こら、ドーブツ。唸るな」
「ウゥゥゥゥ」
にぃ、っていつもみたいなイジワルな笑み。
唸ってないもん、唸るのはこうだもん。
そう思って、唸ってみせた。
どうしても、オレだと迫力が足りないんだけどねえ。
ちょいちょい、ってゾロの足に触った。
ゾロの笑みが深くなっていた。
「…ゾォロ」
すと、ってゾロがラグの上に腰を下ろしてきた。
す、って首元にかかったチェーンを、指でなぞっていた。
あ、そうだ。オレ、オオカミじゃダメじゃん。
オイシイゴチソウ。
オイシイゴチソウ。
「懐けよ、壮絶に美味そうなのに」
「…んにゃあう」
手を伸ばして、ゾロの腕に触れる。
じ、っと見上げる。
アナタのためのゴチソウだから、食べて、って思いながら。
ゾロの目、キラキラ光を乗せてた。
なんか面白いものをみつけた、って目。
うん、やっぱりゾロってばオオカミだ。
嬉しくなって笑う。
「ゾォロ」
す、と耳元に唇が触れた。
ひくり、と僅かに身体が跳ねる。
ゾロのとても低い声。
「"ベイビイ"、誰の入れ知恵だ……?」
とてもとても、柔らかな声。
「…気に入らない?」
嫌だったかな、こういうの?
き、って耳を、唇で食まれた。
かぁ、ってそこから熱くなる。
緩やかに辿る舌先。
濡れる感触に、ゾクゾクする。
奥から熱りだす身体。
暖炉の炎なんか、比べ物にならない。
「いや…、グリーティングカードでも送っておこうと思ってな」
届く囁き。
気に入ったの、ゾロ?
嬉しくなる。
「オレのイトコ、今はニューヨークにいるハズ」
ゾロに手を伸ばして、頬に触れる。
また、す、ってオレを覗き込んだゾロの髪から、ぽたりと雫が落ちてきた。
笑う。
「―――イトコ?」
「ウン、イトコ」
ふわふわ、笑顔がもれる。
「従兄?」
からかうような口調。
「従兄だよ」
オレより年上、多分ゾロと同じくらいの歳。
く、とゾロの口の端が吊り上がっていった。
「サンジ、」
「なぁん…?」
つい、と頤に落とされた口付け。
ゾロの首に腕を回して、もっとして、って強請る。
ゾロの手、ゆっくりとオレの肩に回された。
静かに篭められる力。
「オマエ、ちゃんと"コピー"がいるじゃないか」
にぃ、とゾロが笑ってた。
…オレ、ゾロに従兄のこと、喋ったことあったっけ?
「コピーじゃないよ、カズンだよう」
まぁ、うん、同じ"サンジ"って名前だし。
見た目は…カレの方が数倍艶っぽいけど。
「オマエにこういうスタイルをさせるんだろう?どうせ似てるさ」
「似てないと思うよ。カレ、すっごおおおおいセクシーなんだ」
すっごい優しい顔してる写真も貰ったけど。
一枚紛れてた、とてもとても艶やかな顔写真。
ゾロがくく、っと喉奥で笑ってた。
「後で見せる。絶対ゾロも、カレの方がセクシーだっていうから」
「じゃあ見せるなよ?オマエのカオで色っぽいなら完全におれの好みじゃないか」
「カレはダメだよ。カレを幸せにしてくれてる恋人がいるから」
に、って笑ったゾロの首に牙を立てる。
ゾロがく、って笑ってから、項を撫でてきた。
ふう、って息が零れて、口を離す。
「ゾォロ?」
前髪をすぃっと梳き上げられて、額に唇が押し当てられた。
うっとりと目を細めて、ゾロの背中に手を這わせた。
「サンジ、"ベイビイ"、」
「なぁん…?」
目尻にすい、と落とされる口付け。
「おれの愉しみを奪うなよ?」
「…?」
ゾロの愉しみ???
「イキナリ進化されてたらつまらねぇだろ」
「…進化?」
ぱちくり、と瞬きを一つ。
オレ、変わったのかなぁ?
「そう、せいぜいゆっくりセイチョウしろよ、仔ネコチャン」
からかうような、ゾロの声。
「…オレ、美味しそう?」
さら、と喉元から肩口まで、直に触れてくるゾロの掌。
く、と襟元、開かされてる。
こくり、と息を呑む。
とっても…熱くなってきた。
「あァ、」
「…ゾォロ」
なんだろう、ドキドキする。
喉元、下りてきたゾロの唇が、く、と食んできた。
「…もっと…」
息を呑む。
じわじわと体温が上がっていく。
また僅かに、ゾロが襟元を開いていった。
空気に触れる面積が広くなる。
首筋に、息遣い。
ぺろり、と舐められて、びくり、と腰が跳ね上がった。
「くぅっ」
「肌、」
「…っ」
じわ、と熱が、ゾロが触れたところから広がる。
イイ匂いがしてるな、って声が落とされた。
「…なにもシテナイ」
ぞくぞくぞく。
快楽が走り出す。
ゾロが笑った。吐息が震えるだけの静けさで。
肌を掠めていったソレに、皮膚が粟立つ。
「あ…」
快楽の尻尾が見えた。
捕まえる。
震える。
「オマエと、ファーの匂いが混ざってる」
つう、と肌を辿っていくゾロの舌先。
「ふあ…っ」
ひく、と身体が震える。
それがつ、と耳の下まで登ってきて。
じんわりと歯を立てられた。
「あ、ァ、」
うる、と視線が潤んだ。
もっと触ってもらいたくて、身体が震える。
ラグに指先を埋める。
く、と鼻先を髪に埋めるようにして、きり、と強さを増す頤。
「あ、はァ…」
こくり、と息を呑む。
「サンジ、」
「…ッ」
優しい声に、また身体が震える。
「オマエ、美味そうだよ」
潤んだ視線を、ゾロの目に合わせる。
ぺろり、と唇を舐めた。
熱に乾いた、唇。
そして、願いを音にする。
食べて、って。
けれど、吐息にしかならなかった言葉。
つるり、と潜り込んできた舌に、拾い上げられて。
ゾロの首に腕を回した。
絡まった舌、吸い上げる。
目を閉じる。
ウレシイ。
もっとオレを食べて。
くう、と回された腕。
毛皮に包まれたままの身体。
抱きしめられる。
けど、オレはもっとゾロに触れたい。
口付けを解いて、囁いてみる。
「Unwrap me, and touch me more」
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