*3*

 銃を突きつけられ、その横から静かな口調がまるでNYの成り立ちを説明するように法外な取引ともいえない通達を寄越してくるのに最初は意味がわからずにいた。
 三択ともいえないモノ。
 今この場でアタマを撃ち抜かれて水に突き落とされるか、生涯かかっても払いきれるかギリギリな金額を即日渡すか、それとも一ヶ月間弁償をするか。
 ぼろ、と勝手な理不尽さに涙が出てきた、感情がもつれ合い、その結果。おまけに、なんのジョウダンか、皮肉か精算かわからないけれども、選択の一つに『ハドソンに突き落とされる』ことが筆頭にきているのに笑い出しそうになった、だって、おれがあの男の死体を沈めたのと同じ。
 あれほど、自分は死にたいのだと思っていた、そのチョイスがいま急に目の前に突きつけられて、なのにそれを選べなかった。嫌だ、と生に縋りついた。因りによって同じ場所に落とされる?やめてくれ、ジョウダンじゃない。なんでアレはおれの人生に着き纏う。
 嫌だ、冗談じゃない、例え呪われるとしても。どれも、途方もなく馬鹿げていた。

 この連中は、けれど。
 急激に醒めていく意識のうちで、ルーシャンが唇を噛んだ。
 暴力を纏う匂いがしていた、曲りなりにも駆け出しの記者などをしている自分でさえわかるほどの。収監された監獄で見知った柔な暴力の匂いなどじゃない、ホンモノ。
 どの選択も途方もなく馬鹿げていて、そのどれもが笑ってしまうほど理不尽で。
 ふざけるなよ、と呟いた。全てに対して。
 自分や、無表情に銃を突きつけてくる男や、その隣の飄々とした風情なくせに怜悧な眼をした男にも、すべてに。愛している、といった先から手を離してしまった自分に対しても。
 ふざるな、なんなんだよ、くだらねぇよ、と眼を閉じて涙を零す間にも、くす、と微かな笑い声が聞こえた。それが告げる、人生は不条理の塊りですから、と。
 死にたくない、と首を横に振った。おれは、こんなことで死にたくはない、と。その声に返す。
「じゃあどうします?」
 灯台からの灯りの投げつけられるなか、その男が首を僅かに傾げて見せた。
「ボスが飽きる前に選んじゃってください、でないと選択そのものがなくなりますからね」
 一瞬だけその男の姿は光彩の中に浮かび上がり、すぐにまた黒く塗りつぶされる。
「あんたたちと違うんだ。そんな金、右から左に用意できるわけないだろ、」
 で、と呟いた。
 腕でも落とせって?いいよ、くれてやる、そう続ける。
 あはは、と軽やかな声がした。
「それが一体なんの役にたつんです?」
「しるかよ、」
 ぐ、と嗚咽が勝手に競りあがってくるのを飲み込む。
「あんたの大事な“ボス”とやらに、酒ぶっかけたのがこの腕だろ?」
 投げ出していた片足を引き寄せ、ゆっくりと立ち上がりかける。銃口が額に押し当てられるのは無視した。
 そうしたなら、声が続けられた。
「昔から金が無ければ身体で払えといいますよね?あとは自分で推測なさい」
 その声に、三流記事がアタマにフラッシュバックした。
「あんたたち、奴隷でも捌いてンのかよ」
「マフィアですからねえ?」
 す、と影が近付いてき。すぐさま腕が捕まえられたことにルーシャンがびくりと身体を奮わせた。
 あぁ、やっぱり、と雲って暗色をしただけの空を見上げた。馬鹿馬鹿しくて涙が零れる。
 腕を振り解こうと足掻く。

「死なないことを選択なさったんですから、覚悟をお決めなさい」
 そのまま引き摺られるように車まで連れて行かれ、銃を仕舞った男が後部座席のドアを開けた。本能的に抗えば、背中を押されて後部座席に転がり込むようになる。
 煙草の香り、それに記憶が振り切れかけた。
 押し込まれた後部座席のすぐ先には、確かに、肩に縋った人物がいた。
 びくり、と一瞬竦むほどの、さきほどのもう一人の男とはまるっきり深度の違う怜悧さをまとって。
 こんなヤツのカオだか胸だかに、酒あびせたって、おれ??とんでもねえド阿呆だぜ。
 押し込められたシートに体が着いたかどうか、のタイミングでクルマが静かに動き出した。
 煙草に混じって、ぶちまけたウィスキーの匂いまで充ちていた。
 ちら、と視線があわせられ、けれどそれは一瞬のことですぐにまた興味を失念したように灯りに照らし出された手元に視線を戻し、開かれたままの手帳に意識を戻していたようだった。
 う、と飲み込み切れなかった嗚咽は喉を揺らし、それが酷く悔しくてルーシャンは窓外に視線を無理やりにあわせ。この場に、自分はいないのだと思いこもうとしていた。
 頬を濡らしていく涙も、拭おうとせずにいたならば。
「悔しそうだな、」
 冷たい笑みを潜ませた声が届いた。
 窓のリフレクションに、視線を落としたままの男が映った。
 何か言葉にすればそれが震えそうな気がして、一層ルーシャンが唇を噛み締め。膝に置いた手を掌に血が滲むほど握り締めいてた。



 *4*

 長く伸びたブロンドの前髪が、ガキの表情を隠していた。涙を零し、唇を噛み締め。握り緊めた拳を震わせて。
 けれども、それは自分というオトコが怖いせいではない、と読み取って、パトリックは喉奥で笑った。
 今自分が在る状況に居ること自体が腹立たしくて悔しくて、コレは泣いているのだろう、と直ぐに読み取れる。
 甘やかされ、大事に周りから扱われていたのだろう、プライドの高さが鼻についた。
 ゆっくりと視線を上げて、すい、と手を伸ばした。片手で頤を強めに掴んで、無理矢理視線を合わさせる。
 ぐう、と。抗おうと、手は使わずに抵抗してくるガキに、パトリックは低く笑った。
 ブルゥアイズから涙が零れ落ち、けれど懸命に睨みつけてくるガキの頤を、ぎり、と掌で握った。
「オマエの命はオレが握ってるんだ。抗うのも結構だが、言うこと為すことには気をつけろ」
 ぅ、と痛みに呻いたガキに、ふわりと笑いかける。
「あそこで死ぬことを選べなかったのなら、無駄に抵抗なんかするな」
 強い眼差しで睨み上げていたガキが、目から涙を零していた。それでも視線を外そうと僅かに抗うのに、パトリックはにやりと口端を引き上げる。

「変態」
 そうぼつりと呟いたガキに、ハハ、と笑ってからその頬を引っ叩いた。
「それがどうした」
 がくん、と首が反らされ。っ、と呻いたガキが、口端から僅かに血を滲ませていた。
 何をされたのかわからない、と。見開いた目で呆然としたガキの赤くなりだした頬をそろりと手で触れた。
「ケンカを売る相手を選べないど阿呆に、何を言われたところで堪えはしないな」
 びくりと身体を跳ねさせたガキが、それでも詰まった声で言い募る。
「さわるな…っ、」
 新しい涙がぽろぽろと零れ落ちていくのを見て、パトリックが尖った犬歯を剥き出して笑った。
「オマエにどんな権利があると思っているんだ、クソガキ」
 愛を囁くように声を低めて告げる。
「オマエの人権より、オレの面子についた傷のほうが値段が高いんだぜ?」
 唇を噛みしめ、悔しさに震えるコドモに、パトリックは薄く笑った。
「オレにあの店で酒をぶっ掛ける程に酔っ払ったオマエのミスだ。諦めナ」
 恨むならカミサマでも恨んでみるがいい、と笑って手を離してやる。
 ぐ、とカオをすぐさま逸らしたガキに、くくっと笑った。
「気が強いのは結構だが、意地を張り通せば楽にはいかせねえ」
 静かに車がスピードを落とし。屋敷の敷地内に入ったことをタイヤが砂利を踏むオトから聞き取る。
「死んだ方がマシだっていうのなら、とっとと死んどけ。見苦しく足掻くな」
 膝の上で手を握りこんで、込み上げる震えを押さえ込もうとしている姿がケナゲで、パトリックは酷薄に笑った。

 目を瞑って涙を零しているガキが、きゅ、と停車した車にびくりと身体を跳ねさせたのに、視線を前に向ける。
「ロイ、支度しとけ」
「イエス・ボス」
 常より少しばかり硬い声が応えたのに笑って、降りた運転手が開けたドアから身体を滑り出させた。
 くう、と。驚くほど透明なブルゥアイズが見開かれて自分の背中を追ってきたのに気付かないふりをして、先に屋敷に上がる。
 背後でロイが語りかけているのが聴こえた。
「さあいらしてください。大丈夫ですよ、青髭城ではありませんから、それだけは安心してください」
 ロイの奇妙なユーモアのセンスに薄く笑って、出迎えてきた執事やメイドたちがアタマを下げてきたのに頷く。
「直ぐに風呂だ。レインバーグから報告書が上がっているな?風呂で読むから支度しておけ」
 畏まりました旦那さま、と執事のウィンストンが頭を下げるのに頷いて、屋敷の中を進んでいく。
 背後でガキがロイに連れられて屋敷に連れ込まれているようだったのを、鏡越しにちらりと確認した。
 ヘンタイ、ねえ。そう告げられた言葉を思い出して、パトリックはひとり喉奥で笑った。
 だったらヘンタイらしい方法で、たっぷり楽しませてもらおうか。




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