*35*
ライティングデスクがあるのなら、引き出しにはレターセットが一式用意されているだろうと見当をつけた通り、中にはしっとりとした厚手のレターペーパーが入っていた。
イスを引き出し、卓上にセットされていたペン引き上げ、一瞬逡巡する。
けれど、すぐにオフホワイトの滑らかな表面にブルーブラックのインクが落とされていっていた。
一通目は新聞社の、直属だった局長宛てに退職する旨を短く書き、最後にサインした。同じ紙質の封筒に落とし込み、住所を書いていく。その筆致は酷く流麗だった。封はせずに置く。
次は両親宛て、しばらく旅に出るとだけ書いて、連絡を取れずにいたことを詫びる文章を付け足し。これには日付とサインを。
三通目は、しばらく視線を宙に彷徨わせた後に友人宛てに同じような内容のモノを書いた。ただ、少なくとも自殺はする予定もないし計画にも入ってないことと、新しいホンはイマイチ面白くない、とだけ追記してサインした。
自分の生死はこれで少なくとも知れるだろう、と思いながら宛先を書き留め、三通を揃えて机に置いた。中身のチェックをするなら、どうぞ、と。ロイに渡して投函を頼むつもりだった。消印やそういったモノはいくらでもこの連中は意味も無いものにできるだろうから。
生死がわからずに在ることは、きっと置いていかれた人間にしては酷く辛いことだろうと想像がつく。
死んでいるならそれで諦めもつくし。どこかで生きている、と思いたいならそれでもいい。自分は、あやふやなままで近しい人間を苦しめたいわけではないし、まして本意でもない。そう思いながら、ルーシャンがクセでポケットを探りそうになり、そこが平坦なことに一瞬眉根を寄せた。屋敷の主が戻ったなら、ロイがドア外に立っているとは限らない。
意識がはっきりとしているときに初めて部屋から連れ出され、屋敷の一角に誂えられた「温室」まで到達するまでに見た範囲で、此処が相当広い屋敷であることは想像がついた。階段を二階分降り、長い廊下を抜け。ガラス窓が吹き抜けになっている場所へ担いでいかれる間に。
歩く、といくら訴えても一切取り合われず、肩に担ぎ上げられたままで、緑に溢れた場所に連れ出された。
どこかに小さな泉でも作ってあるのだろう、水の流れる音と、陽射しで別世界じみた中に、テーブルがセットされており。どこの英国貴族だよ、と笑いたくなった。
けれども用意された昼食はきちんとした構成のイタリアンで。いつだったか、シェフの腕前がどうこう、言われたことを思い出した。何口かづつ、口にしただけではあったけれども、言葉にウソはないようだった。
どこか重く感じるシルヴァウェアを置き。見るともなく、タイミングを計って供される皿を丁寧に空にしていく様子を眺め。それから緑に視線を流していた。
特に何を話す、というわけでもなく。ロイとこの目の前にいる相手のほかは、初めてみるこの屋敷の人間が、執事だった、食事の最後に静かに持ってきた紅茶がテーブルに置かれるまで、奇妙な具合に時間がゆったりとしているように思えた。
なにより、状況が「オカシイ」。客扱いだ、これではまるで。
自分は「負債者」であり「担保」であるのに。
けれど、男の気紛れなのだろう、と思い当たり。そう受け止め、午後を過ごし。部屋に戻されるとき、このときも自分で歩くと主張したが一蹴され、また担がれて連れ戻され、居間のソファに降ろされたことも思い出す。
額に軽く口付けられて、言葉を失った。
コレが、同じ、ニンゲンかよ……?
目眩がしかけ、額を押さえてから。目に付いたデスクで、手紙を書いていたのだ。
ずっと思ってはいたこと、だった。この場所で息をするようになってから。
仕事を辞めることも、連絡を取ることも。
この場所から出て行っても、しばらくはNYに戻る気はなかった。
かといって、ルーシャンに何処へ行くあても目的もあるわけではなかったけれども。
南へ下るのは、自虐行為も甚だしい。あそこに、ジョーンの遺体は埋葬されていないのだし。ビルにしたって、ステイツに戻っている、とうに。
「―――――――パトロン、か……」
朝、でたらめに口から出した言葉が、実際は本意に近かったのかもしれない、といまになって思う。あまり長く生きなくても良いかもしれないオプションが付いてくるのなら、それもいいかもしれない、と半ば以上望んでもいるような自分に気付いた。
文字を書いて生きていこうとは思わない、友人たちのように、あるいは―――昔のジブンのように。
膝を屈することを畏れなければ、中身がお寂しいほど空なジブンでもプライスタグはつくらしい。「ルーシャン」であることを辞めても。
「歴史は、進化しながら退行する」
どこかの、思想家の言葉を口に出し、あーあ、と笑った。
「おれは、ナンだ……?呪われながら、愛されてるのか?」
どっかのカミサマに?
馬鹿馬鹿しい、とイスを戻し。夕刻の色を映し始めた窓を見遣り、ルーシャンがソファに身体を落とすようにして座りこんだ。
だから……また間違えそうになってるんだ、と思いながら。
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