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男がハリウッド・バビロンの住人めいて、片眉を引き上げた。ゆっくりとエレガントに。その所作は役者よりよほど洗練されてみえた。
重厚な扉が開いた一瞬だけ音が静かな室内に雪崩れめいて入ってこようとし、また無音になった。
それで、と問い掛けと接続詞の混ざり合ったトーンが続けられた。
「あの悪徳警官にカドワカサレテここに来た、ってわけか」
に、と男の口許が吊り上るのをルーシャンが見詰め。ひとつ瞬きをしていた。そもそも、エイブに案内された場所からして奇妙だった。
ここがまだ劇場であったならまだ辛うじて納得がいく気もしたけれども、溢れてきた音は音楽ではなく、高架を走り抜けていく鉄道が立てる騒音だった。
まァた何でこんな面倒なとこにいるんだ、といったようなことをエイブが言っていたのを意にも介さずにいた男は、はァ?とでもいう風に掌を上向け、『気分転換』と言い切っていた。高架側のくたびれきった倉蔵が、実は絢爛とした内装の違法カジノだった。けれどもそこのプライベートルームはこの主の趣味であるのか、クリーンでどこか軽やかだった。
「で、」
と男が続けた。
「赤毛を捜してるって?」
「“ロイ”」
そうルーシャンが応える。
「赤毛のノッポで生意気だろ」
に、と男がわらった。
「バカだよ」
ルーシャンが付け足せば。
うん、まぁバカだよねえ、アレだな、親ばかの逆。そうさらりと言いきり、同意を求めるようにルーシャンに視線をあわせていた。
そして、僅かに笑みを引き込め。
「ガブリエーレだよ、“ルーシャン”」
何でもないことのように、顔あわせも早々にエイブを部屋から追い出した男は告げていた。
名前を呼ばれたことに、ルーシャンが僅かに目を見開けば。
「マックスがビビって、“あっち”に照会したら、お達しが出てね?」
ガブリエーレがソファに座るようにルーシャンを促した。そして、左腕を軽く自分の耳元まで差し上げ、時計の刻む音でも聞くようなしぐさでにっこりとわらった。
「蛇の腕輪をしたコに構うな、ってネ」
とさりとルーシャンの向かいに、まだ正体の不明な相手が軽い身のこなしで座り、視線を合わせてきた。
「エイブからはなにか?」
自分のことは訊いてるか、と琥珀色の目が告げてくるのに、ルーシャンが首を横に振った。
「ロイと同じ……?」
「ハズレ。おれは健全な実業家とマフィアと国家のど真ん中かな。永世中立国みたいなモン?」
だからさ、とガブリエーレが微笑んだ。
「もちろん軍隊も持ってるし武装してるさ。自衛はしねェとな?」
「兵士に情報屋もいる、って…?」
ルーシャンの言葉にガブリエーレが、くぅ、と唇を吊り上げた。
「微妙におばかさんだね?ルーシャン。オレがソレだよ」
ま、もちろん他にもたくさんビジネスしてるけどさ、とガブリエーレがひらりと手を揺らした。
「それで、ルーシャン。エイブが告げ口したみたいに、ロイのボスに用事があるってのは本当なんだな?」
ガブリエーレの話し振りにルーシャンが一瞬目を丸くし。そして頷いていた。
「……“パット”」
ルーシャンの言葉に、今度はガブリエーレが瞬きし。次の瞬間には、笑いを喉奥で押し殺すのに失敗していた。
ルーシャン、と笑い声に紛れる。
「そりゃあんまりだ、優秀な犯罪者が呼び名がソレじゃ形無しだよ」
そして辛うじて笑いを宥めると、はぁ、と息を吐いていた。
「しかしアレも性質が悪い。お役ゴメンにしておいて、首輪はまだつけっぱなしってネ」
あぁシツレイ腕輪か、とガブリエーレが歌うような口調に戻っていた。
「パトリックの“仔猫チャン”。キミはそれでどうしたいんだ?キミに首輪を着け放しなロイのボスはパトリック・ケリー・ブレンダン・マカーシー、今度会ったらケリーって呼んじまえよ」
パットとどっちを嫌がるかな、と笑う。
それに、とガブリエーレがまっすぐにルーシャンを見遣った。
「凡庸だったオヤジさんとは違って、パトリック・マカーシーはとても“優秀”だ」
告げられたラストネームに、ルーシャンがぴくりと眉を跳ね上げるのをガブリエーレが静かに見据えていた。
「うん、“悪名”高いよな……?」
キミもそのファミリの名前くらいは知っているだろう、とガブリエーレが微笑んだ。
言葉を聞いて、こくりとルーシャンが息を呑んだ。酩酊に近い状態であったとはいえ、マカーシーの“ボス”に酒を浴びせかけた、などと。自分はとんでもなく「ラッキー」であった、といえるのかもしれなかった、いっそ。その後で息をしていたのなら。
「現時点で、あの“ファミリ”と面倒を起こしたいバカは、ガバメントも含めて居ないネ。おっかないからサ」
一番、“なんとも思ってない”だろうはずの男が微笑んで、震えてみせた。
「そのパトリックを捕まえてどうしたいんだ?ルーシャン」
おれは、とルーシャンが息を吐いた。
「もう一度会いたいんだ、」
「会う……?パトリックとねェ―――。それさ、止めておれにしとけばー?」
「意味がわからない」
ルーシャンにあっさりと言い返され、ハハ、とガブリエーレがわらった。
「その首輪、外しちまわないか、ってことだよ。パトリックのじゃなくて、おれの“仔猫チャン”になってみれば?よろこんで里親になるぜ、オレ」
視線をあわせたまま、す、とルーシャンが齎された言葉に首を傾げた。
「いやだよ。だって……」
言葉にすれば酷く単純で。
けれど他に言い表しようが無いほど、切実で。
あの存在が自分を遠ざけようとした理由を理解したいまこの瞬間も、畏れは自分のなかに引き起こされなかった。
パトリック、という名前と。
マカーシー、という悪名と。
そのどれとも違う、自分を覗き込んで目元で笑っていた表情を持つ存在と。どうしても結びつけずにいた。
“パトリック”が、自分を『バカだ』と何度か小さく笑っていた口調が甦りそうになる。たしかに、自分はバカだ、とルーシャンは思った。
「ただ、会いたいだけなんだ」
ルーシャン、と柔らかな声に呼ばれる。
「そんなカオしてバーを歩いてて、よくもまぁ無事だったナ。さすがマカーシーの一声」
からかいカオでガブリエーレが口端を引き上げていた。
「ボスのために、って血気盛んな勘違いバカにどっかに遣られないでよかったネ。ご無事で何よりだ、」
あぁ、傷モノにでもしたら命が無いって思ったかな、そう言うとガブリエーレはソファから立ち上がり。ライティングデスクから革張りのメモパッドを取り上げ、ルーシャンの耳に紙をペンが滑る音が届いた。
「ブロードウェーにダーウィッチ、っていうバーがある。そうだな……明日。10時頃に行ってごらん」
アドレスはここだとガブリエーレが切り取ったシートをルーシャンの手元に滑り込ませた。
その表情が、どこか面白がっているようなことに一瞬ルーシャンが眉根を寄せたけれども、メモを丁寧に折るとポケットに入れ。礼を述べていた。
「んー?気にしないでイイよ。パトリックに貸しが出来たし」
さー、どれだけ毟るかなぁ、楽しみだってね、と琥珀色の目を煌かせる男に、ルーシャンが小さくわらった。
「よほど怖い、あなたの方が」
「そんなことなァいって」
オレなんか、まだまだ駆け出しのチンピラもどきだヨ。とガブリエーレがにかりとわらい。エイブに送ってもらったらいい、と言うのにルーシャンが瞬きした。
「―――――なんで」
「だって外で待ってるし」
「わかるんだ?」
「あー、まぁね?あのガキバカだし単純だからね」
カワイコチャン放っておくわけがない、と続けたのは無視することにルーシャンは決めていた。
「明後日までに会えなかったら、おれが直接カオだすから、バーに。次のところはそのときに教えてやるヨ。キミの気が変わったならそのまま連れ帰るし」
悪い子のパットの頭でも小突いてやる、面子潰しやがって、ってネ。とガブリエーレがわらい、すい、と右手を差し出した。
「タダ働きってのもな?握手。あと、もうちょっといいものももらっておこうかな」
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