*9*

グリーンの多めのトスド・サラダとチキンで軽めの昼食を作り、父親はしばらくショーンと話をしていたけれどもやがて書斎に戻っていき。
ふぃ、とショーンを見遣り、にやりと口端を引き上げていた。
『パトリック、緊急性は感じるね。よほど急いで街を出たかったと見える、』と。
ヴァンのTシャツを借りて着ている姿がおもしろかったのだろう。
確かにショーンは「着のみ着のまま」クルマに飛び乗っただけあって着替えといったものはゼロに近かった。
そして、ヴァンに向かいひらりと手を振ると。
『ショーンをダウンタウンに案内しておいで。10年もたったなら少しは変わっているだろう』
そう言ってリビングを出て行っていた。
言葉を受けて、ひょい、とヴァンが従兄に視線を投げ。
『似合ってンのにね』
そう言って、にこりとしていた。
『んー、でもたしかに。夕方は肌寒くなってきるし。おれのじゃちっせえぁかなあ』
そうしたならショーンはちらりと自分の服を見下ろして。
『セクシィ過ぎるかもな』
そうわざと真顔で返答していた。

そんな遣り取りがあって、午後はヴァンの運転でダウンタウンまで出かけていき。ヴァケイション中であるから、気楽なスタイルの服、例えばさらりとしたシャツやパーカやTシャツ、ナイトウェア用にスウェットといった肩の力の抜けたモノを選んでいき。2件もストアを回れば事足りていた。元々、裕福な住人の多い避暑地であるからテイストがわかっていれば二箇所で十分ではあったで。
そして、コーヒーショップで息抜きをし、陽が落ちる頃にまた家へと戻り。
ダウンタウンで過ごしている間も、ヴァンは高校時代の知り合いに誰一人、顔をあわせることはなかった。
そのことが、ふ、と大学のタームが始まっていることを一瞬思い出させたけれども、すぐに別の思考に散らされていった。
ランチ前から、正確に言えば午前中の釣りをしているときから、ずっと自分のなかではっきりとはしなかったモノ。
けれども、カフェテーブルを挟んだ向かい側に座ったショーンととりとめのない話をしている間は、その形のはっきりしないモノは少し影を潜めていた。
ただ、どうして自分がこうやってコーヒーを飲んでいる間にも、ふ、とショーンの見せる笑みから眼が放せないようなのはどうしてだろう、であるとか。カップを持つ手がきれいだなあ、であるとか。
ほんの少し、陽射しに眩しそうに眉根を寄せるような表情が昔と変わらず、とても好きであることとかを見つけ直すたびに、ふわりと心のどこかが軽くなるような気がしていた。

家に戻って夕食を作る間も、隣に立つショーンに以前と変わらずくっついていたりであるとか。
テーブルセッティングをしながら、ヴァンが視線をあげれば。コドモのころに作ってくれて以来好物になったクリームドスピナッチを用意してくれているショーンの背中に意味もなく腕を回したくなるのはナンデだろう、と。カトラリィをセットしながらヴァンがひっそりと内心で首を傾げた。
10年の空白は、決して短くは無い。現に、まだほんのチビだった自分がこうしてハイスクールを卒業している。
その間に一通りのことは経験し、少なからず挫折をしてみたりクダラナイ真似もしてみたりはした。
キラキラとしたブルーアイズの印象の強い、どちらかと言えば女の子の憧れるような王子様タイプであったと記憶していたショーンは、どこか草臥れた風情も『セクシィ』なオトナになっていたし。決して、10年は短くない。

けれども、アタリマエのようにショーンは『ショーン』でしかなく。自分にとっては、そんな空白はまるきり意味がないんだ、とヴァンは思っていた。
なぜなら。コドモのころに感じていたままに、いまだって無条件にショーンがいれば側に行きたいし、腕が届くならその身体にくっついていたいし。額が押し込めるなら、肩にだって背中にだって、首元にだって喜んで預けるだろう。
けど、とヴァンが視線を僅かに泳がせた。そういえば、トモダチにはそんなこと思いつきもしないよな、と。いくら仲が良くても。
家族―――――いまは、父親だけだけれども。父親にも、そんなにくっついていたいとは思わない。精々、ハグするくらいだ。
ガールフレンドたちとは、確かによくくっついてはいたけれども。心がふわりと形をなくすほど気分がよかったのは、もっとフィジカルコンタクトが密だったり、要はベッドのなかだったし、と思い当たる。
額に軽くキスされるだけで、バカみたいにウレシイのは後にも先にもショーンだけじゃないか、と。

10年の意味は、無い。何も変わってないんだ、と。
夕食が終り使い終わった皿をシンクに沈めながら不意に気がついた。
イキナリやってきたショーンも、自分に対する扱いが何も変わっていない。
チビの頃のままに、ハグしてくれて、キスをくれる。
ショーンにしても、不在の10年間をそれほど大きな隔たりとはとらえていないように思える。

ジュニアハイに入る頃には、ショーンを恋しがって泣くことはなくなったけれども、代わりに、一つ心が重くなる可能性に思い当たった。
それは、ショーンのジンセイからもう自分は不要な過去のモノ、昔の記憶と一緒にショーンのどこかに仕舞いこまれたか、置いていかれたかしたんじゃないかな、と。
あるいは、オトナとして子供時代のことは切り離されてしまったか。
オトナは、何でも切り離せることをその頃の自分は知っていたから。現に、母親は自分を切り離すことに何の躊躇いももたなかったのだから。

けれど、こうしていま、目の前にいて、手の届く範囲に立って、呼べばきっと笑みを乗せて振り向いてくれるショーンは従弟のチビを別に疎ましくも、切り離しもしていなかったのだろうと、そのことはわかる。
そして、酷く久しぶりに。ここ二日、何の迷いもなく普通に自分が笑えていることにもヴァンは気付いていた。
表面上はとても穏やかで、けれど、少しウチを深く探ればそうでもないことにも。

変わらない扱いは、コドモとして自分のことを捕らえているからだ、と嫌でも気がつく。けれど、そのことが酷く不満だった。
その理由を、ずっと考えていた。
ショーンは、自分のことをこの10年間、疎ましがっていたわけでも忘れていたわけでもない。けれど、ただ。
この『オトナ』は酷く不遜なところがあって、ただ忙しいから、自分はオミットされていたんだ、と思い当たった。ぼんやりとそのことを感じ取って、湖の側で腹を立てた。いまは、その思いの形が見えてきた。
そして、自分は――――――

「ショーン、」
ダイニングテーブルでギネスを開けたショーンに向かってヴァンが声を掛けていた。
ひょい、と気軽に振り返り。なに、と返される。
「ステーキ焼くの巧いね」
言いたいことは多分別にあるけれども上手く言葉にできそうもなかった。
「年季があるから」
に、と笑うその表情に、また眼が離せなくなる。
「スピナッチも上手」
しってる?と続ける。
「おれね、あんたがそれ作ってくれるまで、絶対ほうれん草は食べなかったんだ」
「ふぅん?そうなんだ」
「ん、」
「おれが水泳始めたのも、あんたが褒めてくれたからなんだ」
チビのとき、湖で泳いでいて、と。そう続けてヴァンも椅子にゆっくりと座った。
「そうなのか?」
「そうだよ」
僅かに驚いたような声に、ヴァンがにっこりと微笑む。

ぱち、と瞬きしたショーンにヴァンがまた笑いかけた。
「コドモに迂闊なこと言えないね」
「迂闊、かな?」
ギネスの缶を、コン、と指でノックしながらショーンが続けた。
「オレは世辞は言わないぞ?」
「そう?けど言われたことはそのまんま全部飲み込んじまうから、子供は」
「踊らされたって思っているのか?」
からかうような口調に、す、とヴァンが眉を片方引き上げた。
「うーん、少なくとも、コドモのころにさ、“秋”の記憶ってないんだよ、おれ」
に、と唇を吊り上げる。
「泣き暮らしてたから、それこそ川ができるくらい。かあさんが呆れ果てておばさんに電話してたよ」
「…フォール?」
知らないな、とショーンが首を傾げる。
「秋中泣いてたのか?」
「ウン。新しいガールフレンドが学校で出来るまでね」
ぶ、と笑い出したショーンにヴァンがにっこりとしてみせた。
「ほんとのハナシ」
「ソイツはまた、えらく好かれてたものだね」
「ほら、またおれの言ったこと聞いてない」
くくっと笑ったショーンに向かい、ヴァンがまた少し声を潜めた。

「ヴァン」
すい、とショーンが口端を引き上げた。
「オレは真逆だったよ。秋になるといつもフリーになってた」
「あ。おかあさん疑似体験しちまったから?ゴメンネ」
「んん?んー」
敢て否定はしないところがショーンなのだろう。
「ま、いいさ。追いかけていきたいほどのヒトもいなかったし」
「――――――ふぅん、」
でも、とヴァンが視線を上向けていた。
「ショーンのこと好きだったのに、同じだけは好かれてなかったなんてあんまりいい話じゃないね、」
つうか?とヴァンが続けていた。
「あんたさ、追いかけたいくらい人を好きにならないで、よくミュージシャンなんてできてたね」

あぁでも、と。ヴァンがわらった。
「そんな人がいたら、いまごろショーンすっかりそれこそチビのことなんか忘れてるか。じゃあいなくて良かったよ」
だってさ、と続けていた。
「おれ、ショーンのこときっとすきだもん」





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