*10*

'Cause I was in love with you, Sean.
柔らかくて甘いトーンに、小さく苦笑する。
おれ、きっとあんたに初めて恋してたんだなって思うよ、と。そうっと告げてきたヴァンを見遣る。
少し視線を斜めにし、顎を引いて上目遣いになり。ふわりと目元で微笑んだヴァンが、自分に寄せてくる感情をショーンは読み取る。よくある年上の兄貴分に憧れる感情、というヤツだろう。
「ヴァン」
柔らかく名前を呼んでみる。
なに、と目が言ってくるのに微笑を返す。
「You're the only one I really ever care about」
オレが気にかけるのはオマエしかいないよ、と誇張ではない事実を述べる。
「You're my little sweet thing」
オマエはオレのかわいいちびっ子だ、と。

ヴァンが僅かに唇を噛んでいた。それに気付かないフリをして、ギネスの缶を呷る。
「まあそんなにちびっ子でもなくなったけどな、オマエ」
背丈も、もう何年かすれば追いついてくるだろう。
このまま泳ぐことを続けていけば、もしかしたら自分よりもガタイがよくなるかもしれない。
「付き合うか?」
すい、とギネスの缶を掲げる。
こくん、と頷いたヴァンに笑いかけながら缶をテーブルに預け、タバコを買ったその場で穿いてきたデニムのバックポケットから取り出す。

「オレなんか、ちっともいいヤツじゃないのにね、オマエ」
「それはショーンの決めることじゃない」
ぽそっと呟いたヴァンに小さく笑みを零してから、咥えたタバコに火を点けた。
「あんまり買い被るな。自分がどんなヤツだか知っているよ」
ふう、と煙を吐き出す。
「じゃあおれだってあんたのかわいいちびっこなんかじゃない」
「んん、事実はそうかもしれないな。けど、オレの目にはそう映る」
オレのかわいいおチビさん、そう歌うように続ける。
「からかうな、」
そう言って声を落としたヴァンから、視線を灰皿に落とす。
「からかってなんかいないさ。久し振りに会ってもオマエはまだ小さなオレの従弟だった。そのことが、マジにオレは嬉しいんだぜ?」
トン、と灰皿の上に灰が転がった。
「別の従姉弟どもとは、もう他人も同然だからな」
もっとも、とヴァンに視線を戻しながら告げる。
「オマエに接するように、連中と接したことなんか一度もないけどな」

「―――――憧れだけじゃ、ないよ」
そう言って俯いたヴァンが、カシ、とギネスの缶を空けて、一口啜っていた。
細い指先が何故だかとても綺麗で、ショーンは小さく微笑んだ。
「オマエがさ。オレのことを見上げて必死に腕を伸ばしてくれるの、すげえ好きだったよ」
オマエがまだこんな小さかった頃、と手でまだ本当にチビだった頃のヴァンの背丈を示す。
「なんにでも興味を持って見上げてきてたオマエに答えをやること、すげえ好きだったよ」
すう、と視線が真っ直ぐに合わせられる。
「思い返してみると、」
そう言って一度タバコをふかし、それから言葉を告ぐ。
「オレなりにオマエの模範になりたかったのかもな。ロクでもないガキだったけど、オレもさ」
に、と笑いかける。

「いつだって大好きだった、」
呟いて、一気にヴァンがビールを呷っていた。
細い咽喉が小刻みに動くのを見るともなしに見詰め、タバコを咥えた。
「オマエやオヤジさんのことを今でも好きでなかったら、ここまではオレ、戻ってこなかっただろうな」
視線をバンガローの外に向ける。
「いくらここの景色が懐かしくてもさ」
「おれは、」
そう言って、ヴァンが空の缶をテーブルに置いた。
「んー?」
ヴァンがヒトツ息を吐いてから、視線を真っ直ぐに合わせてきた。
「あんたに、“ないこと”にされちゃってるんだろう、って思ってた」
語尾が柔らかに擦れ。ヴァンが視線を伏せていった。

「正直に言えば、」
缶をまた引き上げて、ヴァンを見遣る。
「思い出さないでいることと、なかったことにしちまうことの差を着けることはオレにはできない」
視線は伏せたまま、それでもヴァンの意識が自分だけに向けられていることに気付く。
「………うん、」
小さな声に、自分が従弟を傷つけたかもしれない、とショーンは思う。もう十分に、傷つけてきた上でまた。
「だからオレはひでぇヤツなんだって言ったろ」
ふ、とヴァンが息を吐く様に言った。
「でも、いいんだ。あんたは――――オトナだもん、」
ガキと違って、忙しい。そうぼつりと呟いてから立ち上がった。
「おやすみ」
そう告げてくるヴァンのブルーアイズが潤んでいた。それでも泣き出さないだけ、ヴァンもオトナになったのだと知る。
「おやすみ、ヴァン」

わざと泣き出しそうになっていることには気付かないフリをして、微笑を浮かべ。する、とヴァンがベッドルームのほうに消えていくのを見守る。
後姿が完全に見えなくなってから、椅子に背中を完全に預けた。
ギネスの缶を空けきって、テーブルに置き。指に挟んだままだったタバコの灰を落として口に咥える。
この場所が好きだった―――――家が変わった今でも、この場所が好きだ。
けれど―――――今更戻ってくるべきではなかったのかもしれない、と後悔が渦巻く。

                                  * * *

例えば、世界に自分のことだけを見てくれるヒトが居たならば、自分はそのヒトに必ず好意を抱くだろう、と思う。特にそれが小さい頃に起こったことだったならば―――――狭い世界の中に、常に新しい刺激と注目をくれる相手だったならば。
ヴァンが自分に持っている感情は、そういったものから生じた結果だろう、とショーンは分析する。
ヴァンは寂しがりやのコドモで、いまでも間違いなく寂しがりだから。尚更一度覚えた好意を捨てがたいのだろう、と思う。

You're not worthy ―――――そう何度も言われてきた。
友人にも、“コイビト”にも―――――時には笑いながら。時には涙交じりに。
『アナタにそんな価値はない』
注ぎ込まれた情の深さを省みることなく、いつでも一定に、そして誰に対してもドライだからそう言われるのだ、と。他人に言われるまでもなく気付いている。
ドライ、とは体のいい言葉だ。要するに、関係を深めようとするほど、ほとんどの相手には興味がないのだ。
その場その場で興味を持っても。長い先を共に、と望むほどではないのだ―――――だから申し込まれていたならば、その相手が誰であろうと結婚できていた、と今更思うのだが。
それが何故なのかは解らない。ただ相手が誰であれ、どんな相手であれ。『そんなものか』と思ってしまえるのだった―――――好きか嫌いかは、明確に判断できてしまえるから、余計に切り捨て易くなってしまうのだろう。
将来のことを考えたことがない――――仕事的なことではあるけれども。自分の精神的な面においての将来設計などを思い描いたことはない。誰かに側に居て欲しいと願ったことはない上、誰かが側に居ても居なくてもどちらでも構わないと思っている。どうでもいい誰かなら、望めばどうにでもなると思っているから益々先のことなど考えはしない。
だから、言われる結論がYou're not worthyなのだ。
その先は、Of love(愛情)でも、Of consideration(考慮)でもなんでも続く。
誰だって、永遠に潤うことのない砂に栄養を与え続けることなどは嫌うだろう。ショーン自身でさえ不毛だと思う。だから―――――自分は好意を与えられるに値しない人物なのだと理解している。

要するに、自分は他人から与えられる好意を食い散らかすタイプなのだと分類していた。
それが本質だと思っているから、相手にもそれが伝わるように振舞ってきた。
周りが自分のことを悪く言うのを咎めもしない―――――そして、それでもいい、と言ってくる相手だけを選んで、“付き合って”きた。
だから今、振り返ってみれば。いまでも繋がっているのは、“音”で意気投合してきた連中と、仕事仲間と、切っても切りきれない“両親”と、まだ繋がっていたヴァンと叔父だけだ。
それが格別、寂しいことだとは思わない。思わない、けれど―――――自分のような人間に好意を示してくるヴァンが、可哀想だと思った。
ヴァンのようないいコには、もっとずっと素敵な相手がいくらでもいるだろう、と思っているから。こんなところで自分なんかに躓いている場合じゃない、と。

どこか思考の遠くで耳が拾い上げていた水音が止み。ふ、と背後にヴァンが居ることを気配で知る。
気付かなかったフリで振り向かずにいれば、きゅ、と背中越しに腕を回された。
濡れた髪が肩口に当たる。じんわりと冷たい雫が布を伝う。
動かずにいる――――動けずにいる。変な期待をヴァンに抱かせたくは無かったから。10も年上で、しかも同性の従兄なんかには、憧れ以上のなんの感情も持つべきじゃない―――――失望されても不思議ではない自分だから、余計にそう思う。

する、と腕が静かに離れていき。ひた、とフロアリングを横切っていくヴァンの裸足が立てる音が響いてきた。
もし、世界でたった一人、自分が愛しているといえる人間がいるとすれば、それはきっとヴァンなんだろう、とショーンは思う。
けれどそれは、家族の域を出ない。
年下のカワイイ従弟――――――寂しがりやのヴァン。

自分は他人を愛せるキャパシティが酷く低いのだと思う。
受け入れるキャパシティは広くても。深く愛せなどしない―――――両親ですら、切り捨てなければいけなくなれば、直ぐにでも切り捨ててしまうだろう。
そうしてしまわないのは、そうしてしまって引き起こされる事態が嫌だからだ。面倒臭いのとは違う、後味が悪いから避けたいだけのことだ。
自分を酷い人間だと思う―――――それは十分に自覚している。
だから表面的に“優しい”自分などを想ってくれるヴァンの優しさが、余計にかわいそうに思える。

ふ、と冷え始めた肩の濡れた箇所に、ヴァンのことを思い出す。
泣かせたかもしれない、と思う。
こんな自分のことを思って、泣いているヴァンはかわいそうだと思う。
この場所に来たことで、ヴァンの気晴らしになればいいと。最初に叔父に言った言葉は本当だ。けれど、自分がヴァンの何かになってやれるなどとは思わない。
音を弄ることが楽しくて、ワーカホリックになりがちな自分。のめり込みすぎて、職場の軋轢に曝されて、ストレスから不眠症にかかっている自分。
偶然、自分が追い求めている音が世間で受け入れられている音だから、レコーディング・エンジニアとして認められているだけの人間だ。
年上の従兄としてすら、何も誇るものなどないじゃないか、と今更気付く。

溜め息を吐き。無意識に切っていたタバコがしっかりと消えているのを目で確認してから、立ち上がる。
動いた瞬間に、濡れたTシャツの生地が肌を引くようだった。
ヴァン――――泣いていないといいけれど。
泣かせたくない、とは何故か思わない。ただ、泣いていないといい、とは思う。こんな人間としてはデキソコナイの自分なんかのために、傷付いていないといいな、と。
「……それぐらいは、愛してるんだけどな」
愛することが大切にすることにイコールするならば、自分がヴァンに持っている従兄としての愛情はそんなものだろう。

                               * * *

バスルームに向かうつもりだった足が、ヴァンのことを考えていたせいか、ヴァンのベッドルームに向かっていた。
閉じきられていなかったドアをそうっと開ければ、いつもショーンがドア側で寝ていたせいか、その方向にカオを向けて、ブランケットを握り締めて寝ているヴァンの姿が見えた。
点けっぱなしのベッドサイドランプが、柔らかな光りを頬で弾いていた―――――泣き濡れた跡。
怖いハナシを聴かされて、ショーンに齧りついて眠りに着いていた時と同じ格好――――ただ昨日までの寝顔と違って、酷く哀しそうだった。

足音を潜めて近寄り、寝顔を覗き込む。指先で、濡れた頬をそうっと拭った。
「ヘイ、ヴァン」
静かな声で語りかける。
「オレみたいな人間に、泣かされるな」
きゅ、とむずがるように眉根が寄せられていった。
ふ、と。その泣き顔が、チビの頃とは同じではないことに気付く―――――アタリマエだ、ヴァンはもう18なのだ。

「もう一人で眠れるよな、おチビちゃん」
くす、と笑って小さく呟く。
「もう18だもんな、ヴァーニー」
する、とブランケットを握っていた手が解れていった。それがそのまま、這うように伸ばされ。すい、とショーンの腕を掴む。
「ヴァン?起きてるのか?」
カオを覗き込めば、無言でヴァンは腕をショーンの背中に回していった。離れようとする度に眠ったままのヴァンが披露していた得意技。
「ヘイ、ベイビィチャン。一人は嫌なのか?」
その度に告げていた言葉が自然に自分の口から飛び出るのに、ショーンは薄く笑った。レスポンスとしてはいいのか悪いのか、酷い甘やかし具合ではある。今更自覚するにしては。
しぉ、と酷く小さな声が縋るように呟いたのに、勝手に口角が釣り上がる。
あんなに自分なんかを求めるな、と思う割には、こうして甘えられることはキライではなかった。

「……今日が最後だぞ?」
囁いて、頬に唇で触れる――――柔らかな感触、泣き寝入りしたせいか、高い体温が気持ちよかった。
「奥にずれる…のは無理だよな」
笑って、そのままヴァンの身体を跨いで、壁際に身体を落とす。
それに釣られるように、体の向きを変えたヴァンが。ショーンが身体を下ろすなり、するりと身体を添わせてきた。
指先で、まだどこか濡れたままの冷たく鈍い亜麻色の髪を梳く。
「そろそろ風邪引いちまうぞ、オマエ」
ぐう、と首元にカオを埋めてきたヴァンの後頭部を抱き寄せ。空いている手を伸ばして、甘い色を部屋に満たしていたランプのスウィッチを切る。
部屋を暗闇が満たし。それでもカーテンが開けられたままの窓からは、明るい月の光りが差し込んでいた。
淡いゴールドの光りに柔らかに照らされたヴァンの額に口付けてから、目を瞑る。
予定を切り上げて早めにこの場所を去るべきかどうかを考えている間に、ショーンは眠りに落ちていった。
ヴァンの寝息に誘われるせいか、常より深い眠りは酷く心地がよく。なにかが意識を揺らしていく感触も最初は無視をして、眠りに浸っていた。

けれど、さら、としたなにかが柔らかく、目元や額や眉などに触れていく感触に、意識が浮いていった。
する、と指先が唇に触れていく感触を頭が認識したところで、そうっと低められた声に、ショーン、と名前を呼ばれた。それがヴァンの声だということに気付いて、うっすらと目を開ける。
酷く間近に青い双眸があって、ショーンはゆっくりと瞬きを繰り返す。
「ん、」
意識はすっかり事態を認識していたけれども、ヴァンの様子をみるために、わざと寝ぼけた声を出す。

「―――――おはよう、」
少し潜められた、それでも優しい声にショーンは一度目を瞑った。それから、ゆっくりと目を開き直す。
「おはよう、ヴァン」
返事を返して、なにかを決めたらしいヴァンの頬をそろりと指先でなぞる。
「また、ヒトの寝顔、観察してたのか…?」
ふにゃ、と微笑んだヴァンに、方頬を吊り上げて。それからゆっくりと欠伸を洩らす。

「“あくにん”面ってどんなかなぁと思ってさ……?」
そう返事を寄越したヴァンに、くくっと喉奥で笑う。
「You're looking at the right thing」
オマエは正しいモノを見ているぞ、と返事を返す。
「ケド、」
トン、と額に唇が押し当てられた。
「やっぱりショーンだったよ、」
じいっと覗き込んでくるブルーアイズに、ショーンはまた低く笑った。
「オレがオレ以外でなくなったら、大変なことだ」
「悪人面なんてしてねぇよ、ヒトにキスされて、ふにゃふにゃにわらってんもん」
ふにゃふにゃと笑いながら告げるヴァンの頬を掌で包み込んで、くぅ、とショーンは笑った。
「バカだね、オマエ。だから“悪い”んじゃねえの」
「へェ?」
する、と掌に頬で懐いたヴァンの額に口付けを落とす。
「信用ならねぇじゃねえの。夢で誰と会ってたか…な?」




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