すてき



美。




 いよいよ待ちに待った「キングスタウンへのお出かけの日」になったので、ノーマンはうれしくてしかたがありませんでした。
 タウンへいーすたーのお祭りの間に行くために、毎日それはそれは「もうべんきょう」をしたのです。
 てんじょう語(丁寧語)とけんじゅう語(謙譲語)は、呼び方以外はおししょうも『辛うじて人前には出られるかもしれぬな』と曖昧に認めてはくれています。
 おしゃべりなノーマンですから、お話したいことがいっぱいになるとけんじゅう語はやはりまだ支離滅裂になって『ござろう』とか『であるな』などオカシナことになります。
 それでも、てんじょう語はもともとそれに近い物言いをするこぐまでしたので、あまりむずかしくはなかったのです。
 哲学とかいうものは、もう4ページほど大きな古いご本をめくっているだけで埃で咽喉が痛くていがいがしますし、黒い妖精さんたちが図書室にやってきては側を飛び回って首を横に振るのです。
『やっぱりつまらないですよ』
 そうノーマンがぷすりと呟けば、妖精さんたちも、そうだそうだ、という風に一番高い棚に向かいますからノーマンは頑張って梯子を上ろうとします。
 これはどう、という風にトントンと爪先で叩く先には、大きな真っ黒の革の表紙にぐるっと鋲でページが開かないように誂えらえている今まで見たことのない本がありました。
 それをトントンとさらに妖精さんたちは突付くのです。
 けれど、大きな図書机に置いたとりかごからおししょうが、『たわけ!それに触れるでない!!』とノーマンがびっくりして梯子から転げ落ちるほどの大きな声で怒ります。
 妖精さんたちは顔を見合わせて、困った風にひらひらと飛んでいるので、ノーマンもぶらんと梯子に両手で掴まってなんとか落ちないようにがんばりながら、『なんでですのー』と大きな声で聞き返します。
『ソレから放たれておる邪気が分からぬか、腑抜け者』
 そうおししょうに怒られてしまいます。
 確かに、そのご本は少しこわいような気もしますが、とても面白そうです。
『怖い本ですの!!』
 それは読みたいですよう!と張り切れば、おししょうが図書室の窓がびりびりと震えるほどの声で吠えましたので、今度こそびっくりしたノーマンが床に転げ落ちてしまいました。
『悪魔崇拝の教典など、ワッパに何の用がある』
 転げ落ちたノーマンに向かっておししょうがきっぱりと言い捨てます。
『あれにするが良い』
 そう言うと、もっと下の段にあった、同じほど古くて、でも金箔で文字の浮いた革表紙の大きなご本がするすると棚から半分ほど出てきました。
 ノーマンはもともととても素直な性質ですので、はあいと良いお返事をすると、ごそごそとそのご本を取りにいって、ページを開いただけでもうすっかり夢中になったのです。
 それは、王様と12人の騎士のお話でした。古代文字で書かれていたので、読むのに少し大変でしたがそれこそノーマンは毎日毎日、ずっとそのご本を抱えて読んでいました。
 なにしろ面白いのです。
 真白の馬や、竜や、湖の女王さまや、竪琴の上手な騎士や、美しい王妃さまなどがでてきて、なにより気に入ったのは、その王国に魔法使いがいたことでした。
 けれど、哀しいお話も入っていましたので、そのときばかりはショオンに泣きながらこのお話を変えてくださいとオネガイをするほどでした。
『死んじゃうのはいやですよう』としくしくと泣いているノーマンに『そんなにノーマンに愛されて、この人たちは幸せだね』そうショオンは優しく言って、頭を撫でて、ほとほととなみだを零している目尻に唇を押し当ててくれましたので、少しは哀しいのは収まりましたが、それでも次の日も哀しくて泣いていたほど、このお話が気に入っていたのです。
 あくまを呼んでお友達になるお勉強をするよりよほど有意義だったのです。
 ですが、この本の影響をノーマンは大いに受けてしまいましたので、ますます、けんじゅう語が複雑怪奇に古語交じりになって、ショオンが少し頭を抱えることになりました。
『ワッパ、いっそ古語で謙譲語を言うても良いぞ』
 そう、おししょうが提案してくれるほどに見事な混線ぶりだったのです。

 ですので、それを昨日試してみて、ショオンにノーマンは大いに喜んでもらえてにこにことしていたのです。
 お茶を時間に持っていったときに、書斎の扉をコンコンとして、『魔法使い殿はご在宅かな』と古語混じりにやったのです。
『在宅しておる。訪ねてきたそちはどなた様かの』
『ノーマン・ベアードと申す。ちとお話がござる』
 ひゃあ、と笑いを押し殺してお澄ましの声で返します。
『通してもらえまいか』
『では扉を開けて入って来るがよい。話を聞こうではないか』
『かたじけない』
 そう応えれば、がちゃりと扉が開いて、ノーマンがきらきらの目で『しょぉおおんどの!!』と叫んでお茶をテーブルに置くと飛びついたのです。
『話を早速言うが良い』
 ショオンの目も笑っていますが、口調はお澄ましのままです。
『お茶をいかがかな』
 ふにゃふにゃと蕩けそうな笑顔でノーマンが言います。
『頂こう』
 うむ、と頷いた大魔法使いに、ノーマンがあまったれた声で言いました。
『しぉ?』
『なんじゃね』
『上手にできましたか、ぼく?』
『そうじゃな―――100点満点の出来でワシは吃驚じゃ!』
『ひゃあああ』
 両手でほっぺたをくすぐられて、ノーマンがうれしいのとくすぐったいのでひゃあひゃと笑います。
『だからご褒美にキングスタウンに連れていってあげようね』
『ほんとうですか!!しょおお!!』
 ひゃああ、とまたうれしくてぶるっと震えてしまいます。
『ただし、その日は一日口を閉じて静かにしておくこと』
『なんでですか?ぼく、お話もう上手ですよ?』
『オマエ、喋ると注意力が散漫になるからね。今回は、見て、嗅いで、聞くだけに絞りなさい』
『そうですの?』
 自分のことはあまりよくわかっていないノーマンです。
 けれど、ショオンのいうことはすぐに信じますので、そうなのかな、と思って、また『はぁい』と素直にお返事をしていたのです。

 そして、昨日は今日のくることが楽しみで良く眠れませんでした。
 何度も何度もベッドで寝返りを打ったので、途中でショオンにぎゅうっと抱っこをされて身動きができなくなったほどです。
 ラジオで聞くだけのキングスタウンがどういう場所か、辞書やご本で見ているだけで実際には見たことがありませんので、それだけでもドキドキとしてきます。
 それに、お衣装も今まで見たことのないもので、とてもきれいでちょっとお首が苦しいですがキラキラとしていてすてきです。
 ブーツもオネガイの通りにまっしろでぴったりとしていて、歩くとカツカツととても良い音がします。
 お袖や襟から覗くレエスだって、朝の森に掛かっているくもの巣よりも細かくてキレイでした。
 そして、見せてもらったとたん、ノーマンが飛び上がって気にいったのが、ショオンのと似ていますが、もっと柔らかくて白くて、たるん、と長い兎のお耳の下がったお帽子でした。髪をブラシしてもらって、きゅっと後でまとめて薄紫のおリボンで留めてもらってからぽすんとお帽子を被せてもらったときは、ほんとうにおどろきました。
『わあ…!おぼうし!!』
『バニー・イヤーかな。正確にはね』
『すてきなおぼうしです!ありがとうございます!おいしょうも!!』
 ほんとうにすてきです、とうっとりと言って、それからショオンのすてきなことにもうれしくなっていたのです。
『どういたしまして』
『ふふ』
 きゅーっと手をつないで、それからキングスタウンまで出かけることになったのです。
 そして、ノーマンが普段は使ってはいけません、といわれている「ふしぎドア」のところへいって、ショオンがドアの針を合わせてからがちゃりと扉を開いていました。
 その先には、板張りの床の、なんだかハーブの良い匂いのするお部屋があります。
 すい、と手を引かれて周りをきょろきょろとしながら着いていけば、後のほうでドアが閉じていました。
 一面に棚があって、天井からはいくつもハーブの束がぶらさがっていて、ランプは壁に取り付けられていて、大きなシャンデリアもあって、そしてとても大きくて長い木の古いカウンターのある場所でした。
 ふしぎ辞書でみるお店屋さんのようです。
 きょろきょろとノーマンが夢中で辺りを見回していると、おいで、とショオンが優しく言ってそのまま手を引いてどんどんと中を進んでいきます。
 窓からは賑やかな通りが見えて、ノーマンの心臓が跳ね上がります。
 そして、かちゃりと静かにドアが開かれたとき、ひゃああ!とお口の中で一生けんめい、悲鳴を抑えました。

 がらがらがら、と大きな石畳の通りを立派な馬車が何台も行き交っていて、広い歩道にはたくさんの人が歩いています。
 そのひとたちがみんな、口々に何かを話しているのでノーマンの耳は音にびっくりしてしまいました。
「し…っ、しぉ、」
 ぎゅうう、と繋いでいた手を握り締めます。
「うん?どうした、ノーマン?」
 背の高い建物がずらっと道の両側に並んでいます。
「ひとがたくさんです…!」
 興奮を押し殺した声で、ノーマンがそれでも目だけで辺りを一生懸命見回します。
 ショオンの左手にはステッキがありました。それがこつりと良い音をたてて石畳をノックします。
「うまも、馬車も、ぎょしゃもたくさん…!!」
「ラジオでもたくさんの人のメッセージが流されるだろう?キングスタウンは王都だからね。この国で一番多くの人が住んでいるよ」
「えらいひともわるいひともこわいひとも、ミスきんぐすたうんも?!」
 もちろん、ラジオ知識です。
「ねえ、しぉ…!こんなおおきいんですの、たうんって!!」
 お約束のことを忘れて、どんどんとおしゃべりをはじめそうなノーマンに向かって、ショオンがしい、と唇に手袋の嵌った手で合図します。
「あら」
 お約束をようやく思い出して、それでもノーマンが口を開きかけます。
「さあいいこで口を噤んで。お散歩に行くよ」
「むむ」
 慌ててお口を真っ直ぐにして、ショオンに促されるままに歩き始めます。
 あんまりノーマンがあっちをみたりコッチを見たりするので、足元がおぼつかなくなるので、危ないですから手は繋いだままです。
 きゅ、と振り向いたら、出てきたドアはやはりお店やさんのようでした。
そして、ちいさな看板には『ペンドラゴンの店』とありました。ペンドラゴンとは、ショオンの下の名前です。
「あれ、あのお店、しょおのですか!」
 うっかり声を出してしまいます。
「ノーマン、め」
 あわててお口を押さえますが、もう遅いです。
 こくこく、と頷いてそれでもまだ背後のお店を見ていたなら、お口にぽこんとキャンディーが放り込まれます。
 しゅわっとイチゴのそーだが弾けるようです。
「あの店は叔父のものだったけれど、今はオレのものだよ」
 うなずいて、そして次ぎはまたびっくりしたノーマンが飛び上がりました。
 イーニィミーニィマイニーモーも、いっしょにきていたのです。あしもとに、黒い子犬はでも頭は一つで、まっかなおリボンをしてお行儀良く、モーはぴんと立ってちゃちゃっと隣を歩いています。
 ノーマンの目がまん丸になったのにくすりとショオンが笑います。
 ですから、あ、と思ってノーマンはネックレスを引き出してみると、チャームの中にはユミルがうんと小さなおおかみの形でこれまた収まっておりました。
「しぉ!みんなでおさんぽなんですね!!」
 うんと小さな声で言うと、
「そうだよ。お祭りだからみんなで来ないとね」
「すてき…!!」
 きゅうっとどうしても抱き着いてしまいます。
 通りの向こう側が、なんだか賑やかな気がしますが、ノーマンは気にしません。
 さらりとお帽子の上から頭を撫でてくれたショオンが、「さあ行かないと日が暮れるよ」そう言ってくれたのに、こくんと頷きました。
 お約束の通りに、「しー」をしないといけないのです。
 それでもどうしてもぴょんぴょんと弾むような足取りになってしまって、見たいものもいっぱいあって、どきどきするし楽しいし、少し怖いようなわくわくするような気分です。
 どんなにめずらしい、たのしいものがいっしょにお散歩をして見られるのかしら、とノーマンはもう楽しみで楽しみで頭がくらくらするほどでした。