さま





 ぱたぱた、と今にも駈け出して行きたそうな足取りのノーマンが、繋いだ手を解く気配がないことに、くっとショーンが笑いました。
 さすがにイースターのお祭りだけあって、たくさんの屋台が王都の中心にある広場に並んでいます。
 そのあちこちから掛け声が上がる度に、ノーマンの目はきょろきょろ、ショーンが作ったウサギの耳はひょこひょこふわふわと動きます。
 ふわりと香るソーセージやパンの匂いや焼き菓子の匂い、ポプリのサッシュの匂いやイースターエッグ型のデコレーションソープの匂いなどが香って来る度、ノーマンのお鼻もぴくぴくとしております。
 そして何かを言いかけて口を開いては、きゅ、と慌てて閉じてショーンを見上げてきます。
 くぅ、とショーンは口端を吊り上げました。
 きらきらのノーマンのブルゥアイズが更に煌めきを帯び、同じように口端が吊りあがっていきます。
 そして、何か面白いものを見付ける度に、ショーンの手を握りしめてくるのです。
 そんな風にしながら、ゆっくりと時間をかけて二人はイースター・マーケットを覗いていきました。
 特にノーマンが気に入っていたのは、ねこやなぎの枝と花の房とリボンのオーナメントのお店です。
 何度もうっとりと眺めては、ディスプレイされているものを指先で恐る恐る触れて、ほうっと溜息を吐いていました。
 そんなノーマンの様子に、普段からお土産を買って帰ることの多いショーンがそれらのものを購入してあげないわけがありません。
 というわけで、ねこやなぎとお花が一束、そしてそれらにぶら下がるようにリボンのオーナメントとイースターエッグが午前中のうちにノーマンの腕の中に舞い込んできました。
 大満足、と字で書いていそうに素晴らしい笑顔を向けてくるノーマンの反応に、ショーンも大満足です。
 そして、お店のご主人たちもうっかり幸せな気分になっておりました。
 そんな二人はうっかり町の人たちの注目の的ですが、当人たちはそんなことを気にも留めておりません。
 ただ、小しお腹がすいたので焼き立てのパンにソーセージと酢漬けのキャベツを挟んだものをオーダーしようとした時、ノーマンの両手が塞がっていることにショーンが気付きました。
 もちろん、手を離してしまえば済むことなのですが、ノーマンにその気はありません。
 どうしよう!とでかでかと顔に書いた表情でショーンを見上げてきます。
「しぉ、」
 不安いっぱいの声でうっかり読んできたノーマンの頭を軽く撫でて、もう少しお店を覗くことにしました。
 そして、籐で編んだバスケットに布を敷いたものを購入することに決めたのです。
 濃い茶色の籐に、淡い金色のビロードの布が敷かれたバスケットに腕の中に入っていたものを収め。取っ手の所にイーニィミーニィマイニーモーの手綱を括りつけます。
 そして、改めてショーンと手を繋いでご機嫌な様子でショーンにくっ付いてきたノーマンと一緒におやつを買いに行きました。ショーンはついでにビールを、ノーマンはルートビアを飲んでご機嫌です。
 そして、ちょっとお休みを挟んでからまたマーケットの散策に出かけます。すると、少し遠くから、軽快な音楽が風に乗って聞こえてくるではありませんか。
 直ぐに音のほうに耳を傾けたノーマンが、何なんですの、と言いたげにショーンを見上げてきます。
「対岸のほうでファンフェアをやっているんだね」
 そうショーンが応えれば、首を傾げたノーマンが、ぱくぱくと口を動かしました。『ふぁ?』と言い返しているのが解ります。
「ファンフェアだよ。子供が楽しい時間を過ごせるように、と王が年に何度か王都に呼んで営業を許可しているんだ」
 そして、ふ、と目にはいった雑貨の屋台にノーマンと連れだって歩いていきます。
「あれを御覧。馬が傘のついた円形の中を走っているヤツ。あれが回転木馬。で、長い紐のブランコがたくさんぶら下がっている乗り物。あとは、車輪のついたカートが定められたレールを走る乗り物、そんなものが興行を行っているのがファンフェアだね」
 音楽のほうに耳を澄ませていたノーマンが、きらきらの双眸でショーンを見上げてきました。
「いきたいですよ…!」
 うっかり声に出して言ってしまったノーマンに、ショーンがひっそりと唇に人差し指を押し当ててジェスチャーをします。
 すると、あ!といった具合に口を慌てて噤んだノーマンが、それでもきらきらと双眸でショーンとディスプレイの置物を交互に見始めました。
 ぎゅうぎゅう、とショーンの手を握っている指にさらに力が入ります。
 そして、は、と目を瞬いて、ショーンの手をぎゅうぎゅうと引っ張って台に近づき、じっと間近で巧妙な細工の施された回転木馬を見詰め始めました。
 そんなノーマンの様子に、屋台の主人も吃驚です。
 何しろ、どこの貴族の若様がお忍びでいらしているのだろう、と受け取れかねない服装の二人です。
 大魔法使いであるショーンのことは新聞に載った図版や、時折街で見かける顔でもありますので、全然知らない相手、というわけではありません。
 ですが、年端が15、6歳くらいに見えるノーマンについては、まるきり何も知らないからです。
 しかも、いいところのおぼっちゃまであれば、当然持っていて飽きてもいるに違いない回転木馬のオルゴールをかぶりつきで見ているのですから。
 ペンドラゴンの旦那、と口を開きかけた主人に、ショーンがそうっと自分の唇に人差し指を押し当てて、黙っているように指図しました。
 慌てて主人が口を噤んで、一歩引きさがりました。
 偉大なる魔法使いを、年頃のオンナノコたち(から妙齢のマダムたち)はきらきらと光る目でショーンのことを眺めることが多いですが、街の旦那衆は、どちらかというと警戒することのほうが多いのです。
 何しろ魔法使いですから、うっかり機嫌を損ねてしまったら…!という心配をしてしまうのです。
 ショーンが主人に小さく頷いてから、ぽん、とノーマンの肩を叩きました。
「どうかしたか?」
 は、と肩を震わせたノーマンが、困った顔でショーンを振り返りました。物悲しいメロディを奏でていたオルゴールの回転が今にも止まってしまいそうだからです。
 きゅ、と一度口を閉じたノーマンが、意を決した風に小さな声で言いました。
「あの、」
「うん?」
 ノーマンの“一大決心”を聞くのが大好きなショーンが、にっこりと笑ってノーマンに先を促しました。
 ノーマンの目が僅かに見開かれ、喋っていいんですか、と確認をしてきます。
「どうぞ、言ってごらん」
「これ、お城に……」
 とてもとても小さな声で、ノーマンが言いました。
「家に持って帰りたい?」
「はい!」
 ショーンがずばり、少し大きめの声で聞き返せば、しっかりと元気な返答がノーマンから返されます。ぱぁ、と特大のスマイルが当然のように着いてきました。
 くす、とショーンが笑って頷きました。
「それじゃあ、今日の記念に一つだけ買ってあげよう」
 好きなのを選んでいいよ、とノーマンを促します。
 ぐる、と一周辺りを見回したノーマンは、けれど直ぐに最初に目を止めた回転木馬のオルゴールに目を据えます。そして、く、と人差し指でそれを指示しました。
「寝る前にききましょう」
 とろん、と蕩けた笑顔を浮かべたノーマンに、ショーンが笑ってまた口を閉じるように合図を送ります。
 それから、ノーマンの発言に目を大きくしていた主人にちらりと視線を投げ遣り、御代は?と尋ねました。
「あ、あの、」
 主人がこくりと息を飲んで値段をショーンに告げ。問題なくちゃんとしたお値段だったので、ショーンはポケットの中に無造作に放りこんであった巾着の中から金貨をいくつか取り出し、それを主人に手渡しました。
「あの、これ少し多いですが」
「その銀で出来たウサギの置き物も貰って行こう」
「ありがとうございます」
 緊張した面持ちで、主人がまず棚に並んでいた中からノーマンが選んだオルゴールを取り出します。
 そして濃い緑のリボンをオルゴールにかけ、それをノーマンに差し出しました。
 ノーマンが大事そうにそれを両手で受け取り、バスケットの中にそっとしまいました。
 ついで、主人が銀のウサギを薄い白い紙に包んで、それにもやはり同じように、今度はブラウンのリボンをかけました。
 やはり同じようにそれがノーマンに差し出されます。
 すてきすてき!と目で言っているノーマンが嬉しそうにそれも受け取り、大事そうに籠の中へしまいました。
 それから、どうもありがとう、と言葉にする代わりに、ぴょこん、とご主人に向かって頭を下げました。
「いやあ、こちらこそどうもありがとう。まいどあり」
 そう主人も慌てて二人に頭を下げて返します。
 その様子を満足げに眺めていたショーンに向かって、今度はノーマンがふにゃりと笑顔を浮かべて見上げ。ショーンがひょい、と差し出した手にノーマンが手を重ねて、きゅ、と指を組み合わせます。
 コン、とショーンがステッキで地面を叩けば、地面に座り込んで大人しくしていた子犬も立ち上がり、尻尾をぶんぶんと振りながら歩き出します。
 すっかりご機嫌なノーマンの頭は、もう既にオルゴールとウサギでいっぱいなようです。
 ショーンと子犬にリードされながら、イースター・マーケットの中を進んでいきます。
 食器屋、古本屋、花屋、レース屋、と過ぎていき。もう粗方見てしまっただろう、と判断したショーンがそろそろ戻るか、と決めて次の角を曲がった瞬間です。
 ふと甘い匂いが空気いっぱいに広がり、それに気付いたノーマンが、すう、と視線を跳ね上げました。
 新聞スタンドよりほんの少し大きな面積のお店が目の前にあり。その小さな窓からは店の棚いっぱいに瓶に詰まった宝石のようなものがキラキラと光り輝いているのが見て取れました。
 その一角には、飴細工で作ったイースターの庭が置いてあります。
「――――――あ!」
 そう零れるように声を出したノーマンが、バスケットを大事に抱えたまま足早やに店へ向かいます。
 ショーンは、一瞬しまった、と思って眉根を寄せますが、飴屋を見付けてしまったノーマンがあまりに嬉しそうなので、まぁいいか、と小さく肩を竦めました。
 そして、先に歩きだしていたノーマンの後を追うようにして、飴屋の中に入っていったのです。

 狭い店内の棚のガラス瓶の中には、宝石のような色とりどりのキャンディが詰まっております。
 鮮やかな色のものからくすんだ色のもの、砂糖がまぶされたシリーズや、しましまストライプのものや棒付きの物など、サイズも形状も様々です。
 もちろん、柄ものの一口サイズに切ったキャンディもたくさんあります。
 お星様、ハート、王冠、蝶々、果物や木、動物や顔など、それはそれは見事にパターンになってそれぞれが小瓶に詰まって入っております。
 それをたっぷりと熱のこもった視線でノーマンがじっくりと見つめていきます。
 堰を切ったように喋るのを抑えるためなのか、それともよだれが零れそうになるのを避けるためなのか。ノーマンが両手で口許を押えて、目を大きく見開いてつぶさにキャンディを見詰めています。
 特にお星様と王冠の柄は出来がいいのか、飴も溶けてしまいそうな熱心さで視線を当てております。
 その異様な雰囲気に、店員の若いおにいさんも飲まれたように微動だにしておりません。
 こりこり、とショーンが額を指先で掻きました。
 なんとなくノーマンが言いだしそうなことは解りますし、今日一日良い子にしていた分、なにか御褒美があってもよいかな、と思っております。
 それに、今後ともお勉強を頑張って貰いたいと思っておりますので、先にノーマンの遣る気を引き出すエサを入手しておくのも悪い選択ではありません。
 じぃいいい、とキャンディを見ていたノーマンが、ふと胸元のチャームをレースで飾られたシャツの胸元から取り出しました。どうやらユミルにも店内を見せている様子です。
 くす、とショーンが笑いました。そんなことをしなくても、神の系譜のユミルには見えているのです――――まあ見たくないと思って意識を遮断している可能性がないともいえませんが。
 ずい、とチャームを最も身近な小瓶に近付けて見ている様子のノーマンに、店員がこほんと咳払いを一つしました。
「あの―――何かお求めですか?」
 びくん、と肩を一つ跳ね上げたノーマンが、ぱあっと笑顔で店員を振り向きました。どうやら店員を飴職人と間違えている模様です。
 ショーンがくすりと笑って、ノーマンのウサギ耳の間に手をぽすんと置きました。
 今にも走っていきそうだったノーマンが、ぱ、とショーンを振り向きました。
 何やら目に炎が灯っていそうなくらい、熱心な眼差しに、ショーンが内心苦笑を零しました。
 そして、「しぉ…!」そうやたら熱のこもった声で呼ばれ、ショーンは小さく微笑んで首を傾げました。
「なんですか」
「ほしいです…!」
 がつん、と熱烈な思いを込められたその一言に、ショーンはますます笑みを苦笑に混ぜ込みます。そして、極めて穏やかな声で返しました。
「まぁそうだろうね」
 再度、狭いけれどたくさんのキャンディの詰まった店内を見回したノーマンが、こっくり、と力を込めて頷きながら言いました。
「はい…!」
 くる、と振り向いたノーマンの両手が、頭から滑り落ちたショーンの手を捕まえ、ぎゅうっと握りしめました。
 二人の様子を目をまん丸にして見詰めてきていた店員に、ふい、とショーンが視線を投げました。ぱち、と店員の目が一度瞬きます。
 にこ、とショーンが笑いかけながら言いました。
「じゃあ、全部?」
「はい、お店ぜんぶいいんですか!!!」
「オマエはお黙り」
 ぴょん、と跳ね上がったノーマンの口許に、ぴと、と人差し指の先をくっつけて言います。
 はっとしたノーマンが口をまた両手で抑え込み。けれど、目が「ぜんぶ?ぜんぶ??」と訴えているのに片眉を跳ね上げて口端を吊り上げます。
 は?と口を大きく開いていた店員が、はた、と我に返ってショーンを見詰めます。
「全部、ですか?」
「そう。構わない?」
「えっと、あの、お持ち帰りはどのように…?」
 ぷるぷる、と歓喜に身悶えているノーマンはさておき、ショーンがにっこりと笑みを深めました。
「通常なら紙包みだったっけ?でも今日は瓶ごと頂いていっても構わないかな」
「あ、えっと、瓶ごと…?」
「難しいか。そうだよねえ」
 感極まって、すてき…!と呟いていたノーマンの頭をさらりと撫でてから、とんとん、とステッキで地面を叩き、ぱちんと革手袋に包まれたままの指を鳴らしました。
 するとどうでしょう、ぽわん、とショーンの手の中に店のものと似たような蓋つきのガラス瓶が現れたではありませんか。
 ひとつ違う所を述べるとすれば、お店のものは透明なガラスで出来た瓶であるのに対し、ショーンが出したものにはドラゴンの模様が金でプリントされているところです。
「一種類放りこんだら、蓋を一度閉めて。そうしたら中身がウチに送られるから。で、店中のキャンディをその中に入れたら、最後に蓋を閉めて、その上から二度蓋を叩いてくれる?」
「あの、」
「ウン?」
「偉大なるペンドラゴン……?」
「そう。以後お見知りおきを」
 ひょい、と帽子を浮かせて挨拶をした魔法使いに、店員がぽうっと頬を真っ赤に染めました。それから、ぐっと握りしめた拳を引いてガッツポーズを決めます。
「わっかりました!ただいますぐに!」
「ウン。よろしく」
 あくまでクールな魔法使いに、逆に店員は遣る気を起こしたようです。
 まずは間近にあった瓶をむんずと掴み、中のスコップを手にとってから、ざらざらざら、とジャーの中身を空のガラス瓶に移し替えていきます。
 その様子を満足して見守っているショーンに、むぎゅう、とノーマンが抱きつきました。
「ありがとうございます…!」
 ぽんぽん、とノーマンの背中を叩いたショーンが、ふと気付いて、あ、と声を漏らしました。
「二つ、貰っていいかな」
「どうぞどうぞ。お好きなものを!全部貴方の物ですからね、大魔法使い!」
 にか、と満面の笑顔を浮かべた店員に促され、ショーンが小皿に乗っけられていた王冠柄のキャンディを手に取り、自分に抱きついてきていたノーマンの顎を指で引っかけて仰向かせ。その薄く開いた唇の間にぽとりと落としこみました。
 自分もかつりとコーヒー色の丸いキャンディを口にします。
 かりっこり、と直ぐに噛み砕いたノーマンが、「ぁまい…!」と蕩けた声で呟いてショーンを見上げました。
「まいにちたくさんたべていいですか!」
「良いわけないでしょう」
 くう、とノーマンの目が大きくなりました。
「当たり前でしょう?一日に食べていいのは5個までです」
「いつつ…?」
 首を傾げたノーマンに、小さくショーンが頷きました。
「おっきいのをいつつ」
「大きくても小さくても、5個は5個です。好きに選んで召し上がりなさい」
 とろりと笑顔を浮かべたノーマンにショーンが言いました。
「それとも、毎日サプライズで5個出てくるほうが良い?」
 ふる、と首を振ったノーマンに、ショーンがくすりと笑いました。
「じゃあキャンディの小部屋を用意して、毎日5個、取れるようにしよう」
「あの…!」
 ぎゅう、とシャツを片手で掴んで引き絞ったノーマンが、必死にショーンを見上げて言います。
「お台所にこういう棚でおいてください、毎日見られてたのしいですもの」
「溶けるよ?」
 く、とショーンが笑えば、
「だってまほうのお城ですもの、だいじょうぶです…!」
 どこからくるのか、妙に自信満々でそうきっぱりとノーマンが言い切ります。
 ぶ、と思わず噴き出したショーンが、口許を押えてくっくと笑います。
 その様子を、作業する手を止めないまま、店員が物珍しげに見詰めています。
「まあ、これを全部このまま置く必要もないし、キッチンには小瓶でおいておけばいいか」
「こことおなじすてきなのがいいですよう」
「同じとはいかないけどね。まあ帰って考えよう」
「はい…!」
 にっこりと笑って飛びついてきたノーマンがキスをしかけ、あ、と言って頬に軌道を修正しました。
 ショーンも笑ってとすとすとノーマンの頭を撫で、それから、耳元で小さく囁きました。
「さぁもう黙って」
「はい!」
 大きな声で元気よく返事をしたノーマンが、あら、という顔をして両手で口を抑え込みつつ、くすくすと笑います。
 その様子を、やはり手を止めることなく、それでもしげしげと眺めていた店員ですが、ショーンの真っ青な双眸が自分を捉えたことに、ぱ、と頬を赤く染めました。小さく咳払いをして、何事もなかったフリをします。
「まだそれは暫くかかりそうだね」
「ええ、はい。何しろ店内全部ですから」
「じゃあお店が空になるまで作業をしてくれ。ここにいても仕方がないから、先に帰るが」
「はい、お任せください」
「よろしく頼むよ。お代は?」
「あ!」
 ショーンの言葉に、店員がびくっと跳ね上がりました。
「量り売りです…」
「そうか。じゃあ、」
 コン、とショーンがステッキで地面を一つ叩けば、店中の瓶がふわりと浮きあがりました。
 それから、コン、とショーンがもうひとつステッキで床を鳴らして元に戻します。
「総重量が―――これくらいだったから、単価の平均とかけて、金貨をこれくらいでいいかな」
 ポケットからコイン入れを取り出し、ショーンが金色のトレイに金貨を数枚置きました。
「え、あの、ちょっと多いかと…」
「そう?じゃあボーナスだ。よかったね、キミ」
 にこ、と笑ったショーンに、店員がぴょん、と背筋を伸ばしました。
「あの、ペンドラゴンさん」
「うん?」
「一つお願いがあるんですが」
「言ってごらん」
 こく、と一つ息を飲んだ店員が、ぱしん、と両手を押し合わせてショーンに言いました。
「食べきるまでしばらく掛かるとは思うんですが、また来てください!」
「―――おや、そんなこと」
「はい!お願いします!」
「そうだね。じゃあまた近くに寄ったら」
「ありがとうございます!」
 ぺこり、と頭を下げた店員に、ショーンが頷きました。
それから、コン、とフロアを叩いて窓辺に飾ってあったクリスタルのモービルが風がなくてもゆらゆらと動くように魔法をかけました。
「御用達だね」
 くすくす、と笑った魔法使いが、大層機嫌よく言いました。
「だけど、他言無用だよ」
「はい、解っています、それはもちろん…!」
「うん、よろしく」
 ひらりと手を振ったショーンが、それじゃあ帰るよ、とノーマンの背中を軽く押します。
 たっと今度こそカウンターに近寄ったノーマンが、作業する手をさすがに止めて見送りに出てこようとしていた店員の手をきゅ、と握って上下に振りました。どうやら握手のようです。
「あ、はい、毎度ありがとうございます」
 一瞬戸惑ったようだった店員が、にっこりと笑ってノーマンの手を握り返し、それからエントランスのほうに向かってきます。
 小さな店なので、魔法使いはそのままでいい、と店員を手で制して、代わりに傍まで戻ってきていたノーマンの肩を軽く叩いて押しました。
「さあ、帰ろうか」
 大事に籠を抱えたノーマンを先にドアから出し、ショーンが小さくトップハットを浮かせました。
 そして、今度こそ寄り途はしないで、ペンドラゴンのタウンハウスに戻っていったのでした。