これ

あん
しん




 ぴょんぴょんとノーマンはお台所で飛び跳ねるようにしてお茶の仕度をしていました。
 お城のぴかぴかに磨き上げられたおなべやフライパンや銀器に、ちらちらと映り込む自分の姿にノーマンはたいそう機嫌がよかったのです。
 ゆうべの「だいじけん」の後、おやすみなさいをした後に、ノーマンが起きたならショォンはもうとっくに目が覚めていて、おでこにちゅっとキスをしてくれました。
 そのときに、ノーマンは大自慢でショォンに言ったのです。
『しょお、ぼく、めいよのふしょうができましたよ』
 新しくラジオで聞いて覚えた言葉です。
「せんそう」は王様が起こしてショォンを忙しくさせるので大嫌いですが、どうやら「せんし」にとっては怪我をしたならそれは「めいよのふしょう」というらしいのです。
 ゆうべは、ノーマンはとても一生懸命穴から出ようとがんばりましたから、りっぱな「せんし」だと思うのです。
『はい?』
 なんだって?とショォンがすこしびっくりしたように目をぱちりとしましたので、ノーマンは説明をしました。
『だから、きのう穴とたたかってぼくはりっぱなせんしでしたし、おけがはめいよのふしょうなんですよ』
ふふ、とうれしくなってノーマンはぴょこりと起き上がって、とっとっと、と鏡の前に向かいました。
 うしろでは、ショォンは起きて指をぱちりと鳴らしていました。そうしたなら、ベッドはすぐにきれいになります。
『あら!!』
 ノーマンは鏡をわくわくと覗き込んで、それからびっくりして声をあげました。
『たいへんですよう!!しょおお!!』
『何が?』
 お顔から落ちたりもして穴の底になんかいも転がりましたので、ほっぺたのところがずきずきとしていましたし、目の周りもちかちかとしましたから、きっと「めいよのふしょう」ができているはずだったのです。
 それが、つるん、としたいつもの自分のほっぺたとおでこやぱっちりとした目のままではありませんか。
『あら?!』
 もう一度、確かめるためにほっぺたをノーマンが触ります。でも、やっぱりちっとも痛くありませんでした。
 くるりと後ろを振り返ると、素敵なお洋服に着替えたショォンがノーマンのお洋服も腕に掛けて、にっこりとしていました。
『しょお!たいへんなんですよ……!』
『だから何が』
 ばたばたと転がる勢いでノーマンはショォンのそばにもどります。
『ぼくの、めいよのふしょうがなくなっちゃいましたよ!!どこへいっちゃったんでしょう…!』
 だいじけんですよ、とノーマンが言い募ります。たいへんですたいへん、と足がばたばたするほどです。
『どうしましょう!』
『そりゃ全部綺麗にしたよ。どこも痛くないだろ?』
『え!』
 ぴょん、とノーマンが飛び上がります。
『当たり前でしょう?』
『だめですよ!』
『は?何が?』
 だめですってば、とノーマンが首を盛大に横に振ります。
『ぼくがりっぱなせんしだったんですから、めいよのふしょうはいいことです!』
『せんし?』
 いつものノーマンの奇天烈な、けれども本人にしてみればいっしょうけんめいな、ほんとうに真面目に考えての発言です。
『はい!だってぼくはゆうべとてもがんばって”たたかった”んですもの』
 これもラジオで覚えた言葉です。
『あれはまぎれもないめいよのせんしですよ』
 もう、ごちゃまぜです。
 ショォンは、長い指先で額をかり、としました。
 きっと、それは迷子というものじゃないか、と思っているに違いありませんが、そんなことはノーマンには話さないショォンです。
『なくしちゃったらいけませんよう、しょぉお』
 ノーマンのまっさおな目に涙の膜がうっすらとのぞきかけてしまいます。
『はぁ?』
『…だめですよう』
 めいよですもの、としょんぼりと肩をノーマンが落としてしまうのに、きゅっと大魔法使いは眉根を寄せました。
『だって、ぼくのあかしですよう』
 いろいろな言葉を毎日ラジオで覚えてはいるのです。使い方は大いに誤ってはおりますが、とにかく覚えてはいるのです。
 そして、きっ、と決意を固めてショォンを見上げます。
 ショォンの眉が片方引き上げられました。これは、ノーマンがまたなにを言い出しても驚かないように心の準備をしているのです。
『もどしてくださいっ』
『戻してって…』
『はい、もどしてください』
 まじめにノーマンが頷きました。
『―――また阿呆なことを……』
『それ、よくわかりませんけど、ぼくはちがいますよ』
 ぼそりと呟かれたショォンの言葉にも律儀に返事をします。
『ですから、はやくもどしてください』
 こっちがかんじんです、とでもいいたげな表情でノーマンはまっすぐにショォンを見詰めたのです。
『……阿呆だな…』
『それ、じゅもんですの?』
 こくりとノーマンが首を傾げます。きらきらとお日様に髪の毛が光りを弾いて、ほんとうにとてもかわいらしい絵ではあります。
 そしてショォンの沈黙が答えだと思ったのか、わくわくと目を光らせてもう飛び跳ねたいのをがまんしてノーマンはじっと自分のほっぺたを抑えます。
 いつめいよの負傷がもどってきても、びっくりしないようにです。
 そして、ショォンがひとつ溜息を吐くと、ノーマンのおでこに親指をあてて。さっきのことばとは別の、もっと長くて歌うような言葉で魔法を詠唱していくのを『じゅもんですのね…!』とどきどきとしたながら言い終えるまえに、ズキン、とほっぺたと目の周りが痛くなりました。
『ぉおお、』
 ノーマンの目がまんまるに見開かれます。
『もどってきましたね…!!』
『馬鹿』
 わくわくとしてノーマンが見上げれば、そうショォンが呟きます。
『ちがいます、せんしですよ』
 そうっとショォンの「まちがい」を直してあげると、またノーマンは鏡に一直線です。
 そして、想像していた通りの場所になんだかとっても痛そうな「あざ」や擦り傷を見つけて一声叫びました。
『すてき!これがめいよのふしょうです!!』

 ですから。
あさ、そんな風に戻してもらった「めいよのふしょう」が付いた自分の姿がとても自慢で、フォークやナイフやティーポットたちにもノーマンは、これがふしょうなんですよ、と説明したりもしました。
「ふふふ」
 ぴょん、と跳ねるように歩いて、スリッパがぱたんと音をたてます。
 ショォンも不思議な顔をあのときはしていましたが、きっと、「ぼくがじまんだったんですねえ」そうノーマンは思い込んでいます。
 そして、丁寧に濃い目にいれた紅茶をカップに注ぎます。
 お皿にはたっぷりのバターで焼いたひばりの形をしたサブレと、真ん中にアプリコットジャムの乗った柔らかいクッキーとを並べていきます。
 ショォンはミルクをいれるときといれないときがあるので、ちいさなピッチャーにミルクも注ぎます。
 くんくん、とイーニィミーニィマイニィが鼻を鳴らすのに、「みんなには後でですよ」そう言うと、トレイを用心して持ち上げます。トレイには今用意したものを全部載せてあるのです。
「きょうは、しょぉはお勉強部屋から出てこないって言ってましたから、お茶のお届けなんですから」
 さあ気をつけていきましょう!とノーマンは張り切ります。
 そろり、そろりと転ばないようにノーマンは慎重に歩いていきます。
 お城のドアは自分から開いてくれますし、ノーマンがぶつかりそうなところにあるイスは自分から避けてくれますし、ラグはしっかりとふんばって滑らないようにしてくれています。
 それでもたまにスリッパを踏みかけて、「おぉおっとお」とノーマンが慌てます。
 きゅうんとイーニィが心配して鳴いたのに、「だいじょうぶですよ」としっかりと言い返して、やっとショオンのお勉強部屋の前に到着します。
 小さな台がもうお廊下で待っていてくれて、そこにそうっとトレイを置きます。
「とうちゃーく、」
 ふぅ、とノーマンが息を吐きました。
「これは、せんしにもなかなかたいへんなおしごとです」
 そうっと言うと、重いドアをノーマンがみやります。この中で、ショォンはなにか大事なお勉強をしているのです。
 だから、「おちゃですよう」そううんと小声で言って、手を降ろしたままで、ひらひらと手首から先だけで小さく手を振ると、三対の目が見上げてきているのに、ふにゃりと笑みを戻します。
「さあ、ぼくたちもお茶をしてからお散歩にいきますよ!」
 大きな声を出してしまって、は、とノーマンが両手で口許をおさえます。
「しー、しーっですよう」
 そう声を落として、抜き足差し足でノーマンはお台所に戻っていったのです。

 そして、お茶をしてからお散歩にいくよりも、お菓子とお茶をもってピクニックにいった方が楽しい、と思いついて、道具やおやつ一式をバスケットに詰めると。イーニィたちのお首にすてきな赤いリーシュをかちりと着けてお城を出たのです。
 抜けるような青空にシュークリームのような雲が三つだけでていて、お日様は眩しいほどでした。
 シャン、ときれいな音がして振り向いたなら、ランタンもちゃんと着いてきているのに、ノーマンが首を傾げました。
「こんなに明るいですよ」
 それでも、ランタンがくるくるんと回るので、「いきたいんですか」しょうがない子ですねえ、と言うと「れっつごー!」と号令を掛けます。
 そしてお城の門まで行く間に、どこに今日はお出かけするか決めました。
「みんな」
 くるん、とノーマンがしゃがみこんで、大事なお手柄ぺっとの子犬たちの目を覗きこみます。
 イーニィ、ミーニィ、マイニーが目をきらきらとさせて、モーも元気に左右に揺れています。
「きょうは、湖で石投げっこですよ!」