誰。



ぱたん、とドアを閉じて振り返れば、ショーンの目の前に現れたのは輝く太陽のフレアのような見事な赤い毛皮をした大きな“猫”ではなく、同じ色の髪をした、背の高い男性でした。
「ペンドラゴン、ルーシー」
ひら、と手を閃かせてにこりと笑った男性の肩からは、眩い銅色の細身の蛇が相変わらずぶら下がっています。
「やあ、シャン。アムは相変わらずだね」
「この姿もカワイイからな、コイツは」
にひゃ、と猫のように笑った使い魔のシャンが、蛇の顎に指を添えて、ちゅ、と口付けをしました。すると、ぽん、と音を立てて蛇が銅色の髪をした細い青年の姿に変わります。
しかし人型になってからも蛇の時と同様、アムはつん、と興味なさ気に横を向き、シャンの高い背の影に隠れるように一歩下がりました。
それでも暫くすると、シャンの影からじっと澄んだ金の縦長目で覗いてきているのは、アムもシャンもショーンが飲み込んだ魔のルーシーが好きだからです。特にアムはショーンのことはよく分からなくても、ルーシーには以前、相当可愛がられていたようです。
『あの蛇は黒い狼の使い魔じゃねえよ。あの可愛いのは赤いのの眷属だ。アイツが黒いのに召喚される前からアムはシャンの可愛い子だ』
サリンベック師匠がまだ学校で先生をした頃、就学したショーンを迎えたサリンベックを見て呟いたルーシーのヒトコトです。
『オマエはオレのカケラを飲み込んだけどナ、あの黒いのとシャンは通常の魔法契約だ。あの赤いのが素直に契約を結んだってことは、相当強いぜ、あの黒いの』
ニヤニヤと笑っていたルーシーも、シャンとアムのことは好きなようです。
魔物の世界のことはあまり公にしないルーシーですが、旧知の仲であることはその発言の節々から理解できます。

ですので、今もルーシーは『魔法使い、ちょい身体貸せ』と訴えてきています。
こんな許可をルーシーが必要としているのは、ショーンがルーシーの欠片を飲み込んだせいで、ルーシーが自由に出現できないという制約を課されたからです。
その上、表層にルーを出すことは、通常なら危険な行為ですので滅多にショーンはやりません。が、今日は自宅の、しかも書斎にいるのでコントロールは万全です。
ですので、気のいい大魔法使いであるショーンは目を閉じて、身体のコントロールを期限付きでルーシーに渡します。
『よぅ、シャン、アム』
「ルーシー。変わらないな、オマエ」
くすくすと笑ったシャンが、ぎゅう、とルーシーをハグします。アムもシャンの影から出てきて、するりとしなやかな仕草でルーシーの身体をぎゅっとハグします。笑顔のシャンと比べると無表情なアムですが、心なしか口元が上向いていて嬉しそうです。
『シャンもアムも変りない』
「相変わらずペンドラゴンとは仲がいいね」
『おぉ。ちびっ子が増えたからナー。面白いぜ、あれ』
くすくすと笑ったルーシーが、きゅ、と目を瞑り、次の瞬間にはショーンに意識が入れ替わります。
「ノーマンで遊ぶなというのに」
そう不服そうにショーンがぼやきます。
城に現れる黒い妖精たちはルーシーの魔のカケラです。そもそもがいたずら好きなルーシーは、唆すのも大好きですから、ことあるゴトにノーマンに何か大変なことをさせようと小さなどうでもいいイタズラをいつも画策しているのです。しかも、ルーシーの魔力のカケラでしかないので、本質は受け継いでいても滅多なことではコントロールされないのです。
少しだけ迷惑そうな顔で呟いたショーンを笑いながらシャンが見やり、肩を竦めました。

「ルーシーをいつまでも呑んでいて辛くはないかな、魔法使い?」
「あまり変わらない」
「同調率は上がっているけどナー」
エメラルドグリーンに金色の粉が散った目でスキャンするように内を覗き込んできたシャンが、にっこりと笑いました。
「ルーシーちゃんが出ていきそうな時は呼んでー。オマエのカケラを食いに来るからサ。アムも食いたいよナ?」
くるっとアムを振り返り、にこ、とシャンが笑います。アムもニィっと口端を吊り上げてご機嫌に笑い、しなやかにまたシャンに腕を回してぺたりとくっついています。
け、とショーンが毒づきます。
「嫌なこった」
悠久の時を存在する魔に比べ、たかだか魔法使いでしかないショーンの寿命は当然短いものです。しかし、だからといって魔のオヤツになるのはちょっと嫌な想像です。
「いいじゃんか。可愛いノーマンちゃんも一緒に食ってあげるよー?」
にこにことご機嫌にこういうことを言うので、人型を取ることができる魔をノーマンに会わせることができないのです。何れやってくる運命がそうだとしても、です。
「それより。サリンベック師匠は何を?」
「ベックちゃん?頑張ったご褒美だって。よかったナ、ちゃんと見てるヨー?」
信用はあるけどさ、やっぱり愛弟子だしー?と笑ったシャンにショーンが肩を竦めました。
「見られててもなぁ…」
「オレがアムと行けるように、一応支度はしてたけどなー。あと1日長引いてたらねー」
くっくと笑うシャンに、ショーンは首を横に降ります。
「ま、ま。そんなことより。ご褒美ナ。ペンドラゴンにはこっちの魔道書、前にリクエストだしてた奴。王のプライベート・コレクションからギった」
す、と大きいサイズの箱を指し示して、にやにやとシャンが笑います。
「それから、こっちがフツウに今流行の南方の果物の砂糖漬け。オレが南に飛んだ時に見繕ってきた」
「それはどうもありがとう」
「どういたしましてー」
にっこりと笑顔でシャンが会釈します。

「で、こっちの箱が、オチビちゃんに」
「…で?」
「で、とは?」
「説明があるだろう?」
「マジ?聞きたい?聞いちゃう?まあいいか。言っとくけど、オレは止めたよ?」
「だから何だ?」
「虹色綿菓子インフィニットあんどアットマックス」
「はぁ?」
「商品名だからオレに文句つけないでな」
…どこまでが本気でどこまでを遊んでいるのか判らない魔のトーンです。シャンにくっついたままのアムまで小さな声で笑います。
「…師匠は何を考えてるんだ?」
「ンー、根は難しいんだけどナ。あ、だから謎なのかアイツ」
そうかそうか、と笑うシャンにやれやれ、とショーンが首を横に降りました。
「ま、ともあれ。返品不可だってさ」
「あとでノーマンに渡してやってくれ。喜ぶだろうなァ…全力で…」
はぁ、と息を吐き出してから、すっと視線をデスクのほうに向けました。解読途中の魔法が、ひとりでにするすると解けていきます。これもシャンの力の発露です。
「はい、このページはここまでナ。これで区切りがいいだろ?」
ボーナスだね、ペンドラゴン、と笑ったシャンに一つ頷き、ノートに書き留めて魔法を仕舞います。
「純粋に面倒くさいところだったんで、助かった」
「なんの。頭の良いベックのお弟子のタメだからナー。あと、ワイン?シャンパン呑ませてくれんの?」
にこにことご機嫌に笑ったシャンに、ショーンが言います。
「猫と蛇でもそれでいいのか?」
「んっふっふ。人型で出たらキミのカワイコちゃんが大騒ぎしそうだから止めとくさ。いまはまだね」
ぶる、と首を横に振ったシャンとアムの姿が、すとん、と大きな赤い猫と蛇の姿に戻っていきました。シャンに絡みついたままだったアムは、蛇に戻ってもシャンの毛皮に潜り込むようにしてくっ付いたままです。
変化が終わったことを確かめてからドアに向かったショーンの横に付いて、ほてほてと歩いてきながらシャンが思念で語りかけてきます。
『オマエのオチビさんは魔法使いには向かないな』
唐突に告げられますが、ショーンはただ肩を竦めます。
「分かってるさ」
『ま、ガンバレ』

ドアの外に出て階段を降りていけば、居間の前に立っていたノーマンが待ってました、とばかりにぴょんと跳ね上がりました。
「しぉ!あのね、ちょうどお支度をしたところなんですよ、猫さんには水晶のボウルにワインをね、たっぷりいれてありますよ!」
『おー、可愛いなァ。気がきくオチビさんだ』
するん、とシャンの真っ赤な尻尾がノーマンのほっぺたを撫でていきますが、当然、シャンの声はノーマンには聞こえません。
それでも褒められたことを感じ取ったのか、ノーマンがご機嫌でふにゃりと笑います。大きな猫と蛇でも、サリンベック師匠のお使いなので大好きな部類に入るようです。
大きな窓が嵌めこまれている側に置かれたラウンドテーブルの上には、ノーマンが言った通りにクリスタルのボウルに赤ワインがなみなみと入れられています。
ショーンがいつも好んで座る場所には、グラスに入れられています。自分用にはシャンパンカクテルを作ったのか、フルートグラスが置かれています。
椅子に器用に座り、両前足をテーブルに乗せた赤猫の前に、サクレやクッキーや切った果物や生ハムなどが乗せられたプレートが置かれます。もちろん、よそったのはノーマンです。
「はい、たくさんめしあがってくださいね」
そう告げたノーマンの頬に、大猫がとすっと鼻先をくっつけました。
『ありがとうな、ちびっ子』
にこおぉ、と笑ったノーマンが、大猫の背中をさらさらと撫でて言います。
「かわいい猫さんですねえ…!」
ぐるぁ、と猫が訴えます。
『いやいや、カッコイイんだよ?』
それに同意するように蛇がぐるりと猫の首にしがみつきます。
「すてきな毛皮ですし、おれのししょうはすてきな猫さんをおもちです」
そうノーマンがショーンに告げてから、ふと気づいたように猫に向き直りました。

「あら?猫さんはおれのししょうのところで働いているんですの?」
ノーマンの質問にショーンがくすっと笑いました。
「これはサリンベック師匠の契約魔だ。使い魔になっているのは、コレの気まぐれだよ」
『好意と言えよ、魔法使い』
ぐなぅ、と唸った猫が、まずは器用にボウルから赤ワインを飲み始めます。首から位置をずらして、蛇も一緒にボウルに頭を突っ込んでワインのお相伴に預かっています。
「そうなんですか、じゃあ猫さんはきっと猫の国の王様なんですね、ぼくはこの王様はすきですよ」
そう言ったノーマンのほうを振り向き、ぺろりと舌なめずりをして口の周りのワインを拭った猫が、ノーマンのほっぺたを舐めあげました。
『オレはどこにいても王様だけどナ、ちびっ子』
笑うようにヒゲを揺らして目を細めた魔に、ひゃあ、とノーマンが笑いました。
「しぉ…!ぼくたちも王様にお願いして猫の国のひとをもらいましょうよ…!」
「契約魔だって言っただろうが、たった今」
とすっとノーマンの額を突いたショーンに、猫が笑うようにぺろりと口端を舐めました。
『オレは大鴉も龍もお断りだね。遊びにくるならともかく常駐?冗談だよなァ』
「それに、他にこういう猫は知らないと言ってるぞ」
ショーンがシャンの言葉を意訳してノーマンに伝えます。猫は猫でも大柄猫型の魔なだけです。
しかも、この型は通常での擬態ですので、本性がフルに現れた時の姿はまた別のものなのです。ルーシーの大鴉モードが制約がかった擬態であるのと同じことです。
「――――――あら、そうなんですか」
心底残念そうに呟いたノーマンが、ショーンに訊きます。
「でも、お茶にはいらしてもらえそうですか」
ガツガツと猫らしい食べ方でツマミを平らげている猫にちらっと視線を投げやってから、ショーンが肩を竦めました。
「ま、師匠と一緒なら問題ないだろ。こういうお使いは滅多なことじゃないけどな」
そもそも、こんな風に長期の休みがもぎ取れることのほうがショーンにとってはめずらしいのです。ですので、通常なら師匠はシャンをこの城までお使いに出す必要がないのです。
「おれのししょうがいらっしゃれないときはこの王様だけでもだいじょうぶですよ、お茶をしましょうね」
『そうだナー。ここのメシは美味いワ。たまにアムと来っか』
にひゃ、と笑ったシャンはどこまで本気なのでしょうか。けれど、アムも美味しそうにビスケットのカケラを呑みこんでいきますから、美味しいというのは少なくとも本気のコメントのようです。
「タイミングが合えばな。本来コイツも忙しい筈だし、無理は言えないってことは覚えておきなさい」
ショーンがそう告げるのに小さく頷き。こくこくとシャンパンカクテルを飲んで、ふといつの間にか今の真ん中まで歩いてきていた箱に気付きました。

「あ。カードが…しぉ!カードに、ノーマン・ベアード様へ、って書いてありますよ…!」
ぴょん、と椅子の上でノーマンが飛び上がります。
「あのお箱、一個はぼくにですか…!」
目をきらめかせたノーマンに、ワインを傾けていたショーンがにこりと笑います。
「そう。宛名はノーマンになっているでしょう?」
開ければ?とでもいうように猫がノーマンの身体をぺしんと尻尾で叩きます。
「すてき…!あの、あけてもいいですか、なにをいただけたんでしょう…!」
興奮して猫とショーンを交互に見遣るノーマンに、ショーンが笑いました。
「お留守番頑張ったご褒美だってメッセージを貰っているよ。開けてごらん?」
「はい…!」
ぴょん、と椅子から飛び降りて、まずはショーンのところに行ってぎゅうっと魔法使いを抱きしめます。それから大急ぎで箱に飛びついて行ったノーマンの様子に、魔がカラカラと笑いました。
『いやー、かわいいちびっ子だよなァ、ホント。これでチャラになるようなモンじゃねえだろうけどね』
ビスケットのカケラを口端に付けていた蛇の口元を大きな舌でべろりと舐め上げ、猫がとろりと目を細めました。
『さすがに“荒野の魔女”の力作だな、ペンドラゴン』
まあね、と肩を竦めたショーンにシャンはぺたんと尻尾で椅子を叩いて視線をノーマンに戻しました。
丁寧にカードを取った後は盛大に包装紙を破いて木箱を開けています。
『手伝わないのか?』
「あれでも器用なほうなんだよ」
そうシャンに告げたショーンが、ワインを傾けつつ魔に言いました。
「まあ見てなって」
ここを押す、と書いてあった通りの場所をノーマンが押して、ぱかっと木箱を開けていました。それから、大興奮でショーンを振り向きます。
「しぉ…!これは大層なことが起こっていますよ…!」
『…たしかにご大層な事だよなァ』
そう呟いたシャンの声は、やはりノーマンには届きません。まあ聞こえていたからといってその意味をノーマンが汲んだかといえば、そのあたりも疑問が残るところではありますが。
ショーンが笑って立ち上がり、ノーマンの側に歩いて行きました。
「ノーマン・ベアード様は何を頂戴できたのかな?」
そう笑いながらショーンが言いました。そして、愛しい元こぐまの頭に、ちゅ、とキスをしたのです。