見
た
こ
と
の
無い
場
所
湖畔に建つ小屋で一夜を明かし、のんびりと起き出してから二人は国境へと出発です。
しろくまの着ぐるみは着替えて、魔法使いとその小姓らしい恰好をしたノーマンは羽をはためかせて飛ぶショーンに抱っこされてのんびり空のお散歩中といった具合です。
もちろん宣言通り、ノーマンに抱っこされた三つ首の背中にも真っ黒いおそろいの羽が生えていますが、そちらは今のところ使われる予定はありません。
お師匠は元のちびサイズに戻って小瓶の中でのんびりです。お星様もたっぷりとお召し上がりになったので、ゆっくりとヴァケーション気分で居るようです。
主の住む湖畔から先は、ノーマンは足を踏み入れたことのない土地です。山や谷や森や草原を幾つも超えていくので、実際に地面を歩いていくとなると何日もかかる距離をショーンがノーマンを抱えて飛び越えて行きます。
三つ首の頭の上にキスを落としたノーマンが言いました。
「こっきょうって、とおおおくにあるんですねえ」
目をきらきらと煌めかせてノーマンがショーンを見上げて言います。
「こんなに、ぼくたちのくにっておおおきいいんですねえ」
感嘆した風に呟きます。
「地図よりずっとおおきいんですねえ。そんなおおきいくにを、しぉは守ってるなんて、すごいですよ」
ほにゃほにゃと笑うノーマンを見下ろしながら、ショーンが片眉を跳ね上げました。
「言っておくが、全部がオレの持ってる土地じゃないぞ?」
こっくり、とノーマンが頷き、ショーンが肩を竦めました。
現世の王でなければ、この広さの領土を保つことは恐らく難しいでしょう。そうなれば新たな戦争になることも在り得ます。肥沃で美しく住みやすい土地が多くあるので、この国はいつだって他国から羨望の眼差しで見詰められているのです。
「しぉのもってらっしゃるのは森と湖ですものね」
実はエンシェント・ドラゴンの住む洞窟のある火山も、ノーマンが幼少の頃に入り込んで迷子になってしまった通路の森も、人も動物も棲むには難しい上等の泥炭の取れる湿地帯もショーンのテリトリィの中にあります。
公表したことはありませんが、王都にあるショップの土地も、町中の家がある土地も、あちこちに飛び地となっている土地もショーン個人の持ち物ですし、この王国以外にも実は土地を持っている魔法使いです。ショーン自身も実際に行ったことのない場所も含め全てを魔法で管理していますが、全てをノーマンが知っておく必要はないので、敢えて訂正を入れない魔法使いです。
「まあ、世界は広いからな」
ノーマンを伴わずに、ルーの力を最大限に引き出させれば、空気が薄くなって人間ならば息が出来なくなる距離まで飛び上がることが出来る魔法使いなので、この世界が丸い事、そしてそれがかなり広い事を実感として知っている魔法使いです。(これをやると半ば死にそうになるくらい草臥れてしまうので、若かりし頃に一度試みた後、一度もやったことがありません。)
「師匠が持っている土地の中にも面白い場所があるらしいからな…オレも行ったことはないが、いつも温かくて海に囲まれた島とかがあるらしいぞ」
ここやこれから行く場所とか恐らく見た目も含めて随分と違う場所の筈だ、とショーンが笑います。
「ぼくはきっと湖がすきです」
「そうだね。主と釣りするのも好きだもんな」
もちろん釣られてくれる主ではありませんが。
そんな風にいろんな土地の話をしながら、時々降りて休憩をとりつつ国境に向かいます。
一休みする場所は必ず人の立ち入りが難しい場所であり、精霊や魔法生物たちがのびのびと存在している場所ばかりを選びます。
できるだけ、“人”と関わりたくない厭世気味の大魔法使いです。
そして、休憩に訪れた場所の先々で、ノーマンは草と摘んだり花を摘んだりと大忙しです。
「しぉ、ぼく、たくさん草冠のざいりょうを集めますから、いれものをいただけますか」
そう言って小枝や草花を両手で抱えたノーマンが言い、ショーンがくすりと笑いました。
「ノーマンは植物学者になってもいいかもしれないね」
そして魔法の籐のバスケットをぱちんと指を鳴らして出してあげます。
「この中に入れれば枯れないで済むからね。でも重くなるからあまり摘み過ぎないように」
はい、と差し出したショーンに、ぱあっと顔を輝かせたノーマンが、ありがとうございます…!と言いながらといんと身体でぶつかってきました。それから、いそいそと籠の中に“戦利品”を仕舞っていきます。
「この薄い水色のお花には、アメジストをからめてみたいとおもうんです」
等と計画を語りながらノーマンがバスケットに丁寧に草木を仕舞いました。
「飛んでいる間にイメージだけ膨らませばいいよ。さすがに描くのは勘弁してほしいけど」
くすくすと笑いながらショーンが言って、また空へとノーマンを抱えて飛び立ちます。
三つ首も直ぐにノーマンの腕の中で落ち着いて、すやすやと眠ります。
そうして暗くなるまで飛び続け、山の中腹の草原になった所で降り立ちました。ノーマンがいなくても半日はかかる場所ですので、到着をした頃にはすっかり夜も更けてしまっています。というか、実はもうすぐ夜が明ける間近です。
「着いたよ、ノーマン」
「ここが、こっきょうですか…?」
途中で眠ってしまって重たい目をこしこしと擦りつつ、ノーマンが訊きます。
「しぉ、こっきょうって、やまにあるんですの?」
「この国境は山にあるんだよ、ノーマン」
他にもいろんな国境があるよ、と告げて、ノーマンを地面に卸します。そしてぐうっと伸びをしてから草臥れた羽を身体に収納し、ノーマンに向き直りました。
「テントを出したらその中で眠って、気分をリフレッシュしよう。ここには湖は無いけど井戸なら出せるから、もし身体を拭きたいなら今朝みたいに朝に水浴びをしようね」
ぐるりと周囲を見渡し、闇に満ちた中を目を凝らして見詰めてから、ノーマンがショーンに訊きました。
「お星さまはおちてきますか」
「時々ね。主がいる湖程スペクタクルにはないけど」
お星様は静かで人がいなければ、どこでも具現する現象の一つです。
「いまからと明日の朝は落ちてきますか」
「いまから?」
「こっきょうにぶつかって、ぱしーんとはじけてきえますか」
「ああ、」
目をきらきらと煌めかせているノーマンにショーンが笑って言いました。
「魔力の塊ではあっても、魔法の塊でも、隣国に作られたものでもないから、国境をスルーしてしまうよ」
だから跳ねかえったりとかはしないね、とショーンが言えば、あら、と実に残念そうな表情を作ってノーマンが地面を見つめました。
「それじゃあテント出すから気をつけて」
「てんまく!」
直ぐに気分が向上したノーマンに笑ってゲルのようなテントを出して、隣には井戸を引いて、それで仕度はおしまいです。
中にはたくさんの毛皮やクッションや魔法の火を熾しておくスペースがきちんと設けられています。
「みんな!しぉをお手伝いしてください!」
と三つ首にノーマンが号令をかけますが、直ぐに仕度は終わってしまい、あとはお休みするだけです。
「さて、大急ぎで眠らないと直ぐに朝になってしまうね、ノーマン」
テントの入口を開け、ぱちん、と指を鳴らせば、直ぐにテントの中に火が熾り、天井からぶら下げられたランプに明かりが灯ります。
「ぼくのぺんだんとやらんたんとおそろいですね」
感心しているノーマンを促してテントの中に入らせ、三つ首も中に入ったのを確かめてから扉代わりの幕を引いて空間を閉めます。
「寒くないか、ノーマン?」
床にバスケットを置いたノーマンが、くるりと振りかえってショーンに抱きつきました。
「しぉ、おつかれじゃないですか」
「うん、さすがに飛びっぱなしだからね、疲れたよ。だから早く休もう」
毛皮の上には毛布等もきちんと畳まれて仕度されています。テント生活を始めるとはいえ、ずいぶんとゴージャスでデラックスな感じです。
「つかれたときには、あまいものですよ。だからはいどうそ」
テントの中に既に置いてあった箱の中から虹色綿菓子を取り出し、はい、と差し出してくるのにショーンが苦笑しました。
「さすがにそういうものはいらないな。お水を飲んだらそれでいいよ」
毛皮に上に座ってぱちん、と指を鳴らせば、ジャグの中に水がたっぷりと入って現れます。いそいそとコップに水を移してノーマンが差し出してくれたのを飲み、ショーンがゆっくりと伸びをしました。
「あの、キャンディーを砕いていれましょうか」
「それはノーマンが飲む分だけでいい…あ、綿菓子を食べているのなら、それは止めたほうがいいね」
苦笑をして、もう一度ぱちんと指を鳴らします。
手の中に現れたのは魔力を固めて作った宝石のようなタブレットです。それを片手にいくつか取り出し、ぱくんと口に入れて噛み砕きます。
「一休みしたら三つ首にご飯をあげて。そしたらもうお休みしような」
こっくりと頷いたノーマンが、目を煌めかせて言いました。
「ねぇ、しぉ…!あしたはいよいよ、らいおん狩りですよ…!」
昂奮を滲ませたノーマンに苦笑をして、ショーンがぱったりと毛皮の上に倒れ込みました。
「その為には体力を回復しないとね」
「はぁい」
にこにこと笑ったノーマンがさらさらとショーンの頭を撫で。それから、三つ首のご飯の支度をはじめました。
そしてなんとか夜が明ける前に、テントの中でお休みしたのです。