ら
い
お
ん
狩り。
お城も魔法の森の中にあるので、水も食べ物も新鮮ですが、国境は高地にある分空気もひんやりとしていて、水もいつも以上に冷たくて美味しい飲みものです。
それだけでもごちそうに思えるのですが、今日もノーマンが張り切って朝ご飯を作ってくれましたので、真新しい環境にいる分いつも以上に美味しく感じられました。なるほど、サマーヴァーケーションは取るものです。
そういえば、こんな風にまとめてお休みを取るのは初頭学級に上がってから初めてのことかもしれません。
ノーマンが行方不明になってからというもの、休みという休みを魔法の研究に打ち込み、魔法学校に入るための試験に備えてきたからです。入ってしまえば習うことも多く、また叔父の店の手伝いもしていたので休みらしい休みはそういえばとってこなかったのです。
墜とさせた敵国の飛行艇の残骸は王の兵士が確認し必要なものを回収していった後、通常の工程通りエンハンスの魔法をかけて帰ったようで、すっかり土地の精霊に解体されて跡形もなくなっております。
危険な存在が侵入してきた形跡もなさそうですし、辺りはすっかり長閑な高原の姿を取り戻しています。
そんな風景には異質ですが、ノーマンが頑張って詰めた巨大タンポポの綿毛でふっかんふっかんなクッションを大きな生地の上に乗せて、その上で寛いでいるのはとても気分がいいものです。
持ってきたレコードプレーヤから流れ出るオーケストラの調べはこの地域一帯に広まっていって、土地に滲みわたっていっているようです。
周囲を飛ぶ風や土の精霊たちが、何度も浮かび出てはショーンに挨拶をしていきます。その度に空気がきらきらと光を弾きますが、ライオン狩りに気を取られているノーマンはその事には気付いていないようです。
朝ご飯の片付けも終わって一息をついたら、ノーマンが待ちに待ったライオン狩りの時間です。
目を煌めかせて、ショーンの所に革製の大きな書類挟みを持ってきて手渡します。
片眉を跳ね上げてそれを受け取り、ノーマンの首からぶら下がっていた師匠の石を軽く弾きます。すると、ぽふん、と音を立ててクッションの山の上にユミル師匠が落ちてきました。三つ首が嬉しそうにその周りを走り回ります。
ちら、とその様子を見てから、ノーマンがショーンに向き直りました。
「これ。頑張ってぼく用意したんですよ」
にこにこの笑顔に頷き、書類挟みを開きます。
そこには目をくっきりと縁取りされたエレガントなライオンの絵が3枚、金色の豪奢な彫り物の入ったチャリオットの絵が一枚、それを引く羽の生えた天馬3頭の絵がありました。ひょい、と片眉を跳ね上げます。
「どのライオンがいいの?」
チャリオットを仕度していたとは聞いていませんが、どこからかインスピレーションを得たノーマンがわくわくして書き上げたのが解る力作ですので、野暮は言わずにアニメイトしてあげることにします。
「しぉはどれがいちばんきれいだとおもいますか」
「んー…どれかな」
どれも似て、素晴らしく美しいデザインのライオンですが、そのうちの1匹が非常に立派で太い手足をしていました。その足首には黄金の輪っかが嵌められています。
「天馬が3匹もいるなら、直ぐ捕まっちゃうんじゃないの、これ」
笑いながらパチンと指を鳴らすと、二人のすぐそばでどろん、と大きなライオンが現れました。本物のライオンより鬣が立派で、目の周りの黒い縁取りもくっきりとしています。
「このらいおんさんは、足がとっても早いんですのよ」
ぐるあぁん、と低い声で鳴いたライオンの頭に手を伸ばし、その額にショーンが唇を押し当てました。手触りもベルベットのようで、これが本物であれば王が剥製にしそうなほど美しい個体です。
ぐぐ、と身体を伸ばしたライオンが、一足先に草原を駈け出していきます。
その様子を見ていたユミル師匠が、髭を揺らしながら言いました。
「ふむ、美しく仕上がったな」
「参加するのかな?」
笑いながらショーンが師匠に訊きます。
「狩りはし尽くしておるわ」
そう師匠が唸って返し、ますますショーンが笑いました。そして次は天馬とチャリオットをアニメイトします。
ぱちん、と指を鳴らせば、ノーマンが乗るのに丁度のサイズの一人乗り用チャリオットが姿を現しました。中型の羽の生えた天馬が3頭、既に繋がれた状態で現れます。
「しぉ…!」
ノーマンが、絵の完璧な再現具合に目を煌めかせます。
「うん、弓矢もちゃんと中にあるね。デザインは強弓だけど、ちゃんと引けるようにしておこう」
ぱちん、と指を鳴らして、弦を軽くします。そして弓にも軽い魔法をかけました。これは弓が空を過る時にキラキラと素敵な音が出るようにです。
「ライオンに無事に当てられたら、それは紙に戻るからね」
にっこりと笑ってショーンが視線をノーマンに戻しました。
「それじゃあそろそろ始めていいのかな、ノーマン?」
「もちろんです!」
大張りきりでそう言ったノーマンが、勇んでチャリオットに乗り込みます。天馬たちが大人しいお陰で乗り込むのに苦労はしませんでしたが、走らせる号令をかけた途端、右へ左へと走行が覚束ないノーマンです。
けれどしばらく走らせるうちに安定していきます。その辺りの難易度は、やはりチャリオットも天馬も魔法で喚起されたものだからでしょう。
満面の笑顔で片手を振ってくるノーマンに手を振り返し、ショーンが横で待っていた三つ首を見下ろします。
「オマエもそろそろ行っておいで」
あのー…本気でなくてもいいですよね、と三つ首が視線で訴えてくるのにショーンがくすりと笑いました。
「ノーマンが楽しむことがメインだからな。オマエもほどほどに楽しんで走りまわればいいさ」
「うぁう」
なるほど、わかりました、と言わんばかりに三つ首が吠え、走り出します。
ライオンは鮮やかな緑の中で黄金の毛並みを風にそよがせ日に煌めかせていて、それは直ぐに見付かります。それを目掛けて、真っ黒いケルベロスの“子犬”は加減したスピードで草原を駈け出していきます。
「みんなもがんばって狩りですからねー」
そんなことを言いながら、三つ首とライオンの後を追うようにノーマンがチャリオットで走り出していきます。
大きくフルサイズで優雅にショーンの隣に座っているお師匠が、笑うように言いました。
「いかほど掛かるかの」
「さあな。午前中いっぱいは少なくとも堪能するだろう。ああいう乗り物に乗ることもあまりないし、弓矢もノーマンが撃って楽しいように細工したしな」
ライオンを倒したいわけじゃなくて狩りってものを味わいたいのがメインなんだし、とショーンが笑います。
「まったく、どこから拾いだしてくるのやら」
「王族の遊びを訊かれたことはある」
ユミルの返答にショーンがちらりと見下ろし、片眉を跳ね上げます。
「大きな獣を狩ることだと教えてやった」
威張って師匠が返します。
「けものってらいおんとかですか!と言いおるから放っておいた」
「なるほど。しかしなんだって王族の遊びをしたがるんだ?何を読んでいた」
それとも現在の王に対し、なんらかのライバル心でも芽生えたのだろうか、とショーンが首を傾げます。
「絵巻物だ、古い写本があったであろう」
砂漠の民のアレか、とショーンが書架の中の一冊を思い出し、くすくすと笑いました。
「なるほど、それであのクッションの山か」
合点がいった、とショーンが呟き、視線をノーマンに戻します。
ショーンの予想通り、ノーマンは弓矢をただ撃つだけのことを楽しみ、チャリオットで草原を駆けることを楽しみ、三つ首に指示をかけることを楽しんでいます。
「辞書も引いて学んでおった」
そう面白そうにユミルが呟くのに、ショーンが肩を竦めました。
「眺めるだけで面白いだろう、あの辞書」
年齢的に比例して勉強がかなり遅れてしまったノーマンの好奇心を刺激するための、特別の魔法がかかった総合辞典です。眺めているだけで面白いのであれば、どんどん引いてどんどん興味を持つ分野を広げていくだろう、とショーンがノーマンをお城に連れてきて考え付いた学習グッズの一つです。
その狙い通り、ノーマンが知識にどん欲になっていくことは喜ばしいばかりです。
「ユミル師匠にも随分と助けて貰っているな。オレの師匠があれの手を褒めていた。祐筆になれるとさ」
低く唸るようにユミルが笑い、言いました。
「お主より上達したであろう」
「まあな。オレの字は読みづらくていいくらいだからな」
視線をノーマンに戻せば、ひとまず走り回る三つ首とライオンは余所に、空や花や草原に向けて矢を次々と打ち出していきます。
きらきらきらきら、とドップラー効果を発揮して鏑音とは別の類の澄んで綺麗な音がすることに、ノーマンが声を上げて笑います。
三つ首に追われてライオンがチャリオットの近くまでやってくれば、声を上げてノーマンが矢を番えて撃ちますが、もちろんそんな簡単に捕まるライオンではありません。
右へ左へと器用に避けて走り、ますますノーマンのテンションがヒートアップしていきます。
満面の笑顔もそのままに、ノーマンがチャリオットの上でショーンを振り返ります。
「しぉー、ねえ、みてくださってますかー」
遠くから届くその声に、ショーンがにこやかに手を振り返します。その反応に満足したノーマンが再度ライオンに向き直り、チャリオットで攻めていきます。
もちろん、三つ首たちも負けじと走って、草原の中に生えている一本の木のところに追い詰めます。
いまがチャンスです!と言わんばかりに吠えて三つ首がお知らせしたところで、ノーマンが矢を打ちこみますが、一度は大きく的を外し、二度目はライオンに叩き落とされてしまいました。
3回目は地面に突き刺さってそれをライオンの手に跳ね飛ばされ、逃げ出されてしまいました。
四度目に追い詰めた所では、矢は綺麗に飛んだのですが、避けようとしたライオンの頸椎を掠って地面に突き刺さりました。首を振って大きく吠え、後ろ足で立って大きく両手で三つ首を威嚇したところで、とうとう5本目の矢がライオンの身体に突き刺さり、どろん、と元の紙に戻ってしまいました。
それを、チャリオットから降りたノーマンが両手で掬いあげ、ショーンに見せるように高々と空に掲げました。
「らいおん!!ぼく、らいおんを獲りましたよう!!」
そう叫んで、ノーマンがその場でぴょんぴょんと飛び上がります。
「しぉおおおん!!」
ついでに両手も振られます。
「おししょううー!らいおん狩りができましたよぅ!」
座ったままじっと成り行きを見守っていた師匠の方へも満面の笑みで振り返ってから、喜び勇んでチャリオットに三つ首と共に乗り込んだノーマンが帰ってきました。
「ほんとうに狩りってたのしいですねえ、ぼく、こっきょうで狩りをするのが大好きになりました、ねえしぉ、また狩りをぼくはしたいです、いいですか?狩り!!」
戻って来るなりそんなことを言い出したノーマンに、ショーンがくすっと笑いました。
「ファンシーライオン相手ならいいよ。本物は許可できないけど」
大事に抱えられた紙のライオンには、きちんと矢が刺さっています。それを誇らしげにノーマンがショーンとユミル師匠に見せました。
「ほんとうのどうぶつは遊びでころしたりなんかしませんよ!」
ぶんぶんと首を振ってノーマンが顔を顰めます。
「ごはんになっていただくときだけ、ほんとうの狩りをするんです」
そう真面目に言い放ったノーマンが、そうっと紙ライオンに刺さった矢を撫でて呟きます。
「このらいおんさんも、お城にかえって矢を消してあげるんですよ、ぼく」
「そのまま枠に入れて飾りはしないんだ?」
ノーマンの提案にショーンが首を傾げましたら、にっこりと笑ってノーマンが言いました。
「矢が刺さったままですと、痛いですし可哀そうですから。消してあげたあとにきれいな額にいれて飾ります」
ぽすぽす、とノーマンの頭を撫でてショーンがその意思を尊重することに同意を示し、ぱちん、と指を鳴らして残りの矢と弓を紙に戻しました。それから、ノーマンを抱きかかえてチャリオットに戻り、テントの方へと天馬の首を向けます。
三つ首とユミルはその横をゆっくりと歩いて続き、それこそまるで王族の凱旋のような様相です。
「それじゃあそろそろ一休みして、お昼を食べよう。そしたら午後はノーマンはのんびりとしている間に、オレはちょっとだけお仕事な」
にこにこと笑うノーマンが、ぎゅうっとショーンに両腕を回して抱きつき、言いました。
「こっきょうでなんのおしごとをするんですか?ぼくもみてていいですか、あのね、ぼくしぉのおしごとをなさるのそばでみてるの、きっと初めてですよ…!!」
興奮気味に齎された言葉に、ひょ、と片眉を跳ね上げて、ショーンが苦笑するように言いました。
「魔法の壁のメンテナンスと強化だよ。見ていて面白いかどうかはわからないけど、のんびりとしているといい。暫くかかるかもしれないからね、高原でお昼寝っていうのもアリだね」
そんなショーンの言葉に構わず、ノーマンが言いました。
「しぉおんのおしごとを見られるなんて、どきどきしますよ」
「そう」
嬉しそうなノーマンの頭にキスを落とし、クッションの側にチャリオットを停めたショーンが、ノーマンと一緒にチャリオットを降りました。それから、ぱちん、と指を鳴らして天馬とチャリオットも紙に戻し、はい、とノーマンの手の中にそれらを返しました。
「一緒に額に入れて飾るなりすればいいね。いっそ絵本でも描いてみたら、面白いかもね」
「ありがとうございます!」
と大事そうに受け取ったノーマンににっこりと笑いかけて、ショーンが山のようなクッションを指差しました。
「それじゃあ、ノーマンはのんびりとしておいで。お昼を仕度するから。ああ、でもまずは顔を洗って水を飲んだほうがいいかもしれないね」
くすくすと笑って、ノーマンのつるりとした頭を撫でて言います。
「あちあちノーマンの味見は、また後でね」