事。



魔法で起動させている壁の補強を済ませる間、ノーマンがじっと一歩下がった場所から見詰めてくるのをショーンは感じ取り、くすくすと笑っていました。
そういえば、こういう風に“仕事”の場にノーマンが立ちあうのは初めてのことです。
それだけに、興味津々に見詰めてくるのが解って、なんだかくすぐったい気分です。
もちろん、ノーマンに見せられないような仕事をする日もあります。
が、こういった仕事の付き合いならば、また別の機会にでも連れてきてもいいのかもしれません。
とことん敵をブっ潰しておいてよかった、と心底思いながら、ショーンは気分がいいまま、周囲の土地の精霊たちにも大盤振る舞いでギフトを送りました。
色とりどりの宝石類は、綺麗できらきらとしたものが好きな妖精たちの大好物です。
それらを大地に向かって放り投げれば、いくつかは空中で、また残りの物は地面に触れるや否や、ちかん、と光を放って消えて行きました。妖精たちが妖精の国へとそれらを持って消えたからです。
そういったキラキラな風景はノーマンの好みにも非常に合っていたようで、負けないくらいにきらっきらの笑顔でノーマンが背後で見守っていました。

最後の個所で壁の魔法の起動を助けてくれている精霊たちにお礼をしたあと、ショーンがくるりと振りかえってノーマンに言いました。
「お疲れ様、ノーマン。これでここでのお仕事は今回は終わりです」
「あの、」
久方ぶりに口を開いたノーマンがきらっきらの目で見上げて言いました。
「こっきょうは、おそらのどのあたりまで背がたかいんですか!」
上を見上げて言ってくるのに、ショーンが天馬に跨ったままのノーマンを後ろから抱えるように下ろし、そのまま片手でノーマンの目元を塞ぎました。
「秘密だけど、見せてあげる」
小さく魔法を詠唱し、一瞬だけ見えるようにノーマンの目に魔法をかけます。
これで、空の半分までの高さがあり、太さは森で一番背の高い木を倒したくらいの魔法の壁が、中を伝う魔法文字とそこに棲む精霊たち、それに作動している魔法のエネルギーが見えるようになった筈です。
「こんなカンジ。いまが最強だから力も強い。ここをアタックされると、薄くなって穴が空いていくんだ。一か所とかなら直ぐに周りが連携を取り戻して自動的に戻すことができるけど、連続してアタックされたら穴があいちゃう」
見える?といいながら、手を退かします。
「――――――なんと」
クラシックな口調で目をまん丸くしたノーマンが、「そうだいなことですねえ…!」と感嘆を言葉にします。
「オレがこの区域を受け持ってから、壁の厚さを3倍に、高さを20倍にした。ノーマンがいるのに、オレのところにいらない連中が来るなんて考えるだけで嫌だし」
ぎゅう、とノーマンの身体を背後から強く抱きしめて、くすくすとショーンが笑いました。
「今回のことでオレに挑むのは10年早いって思ってくれたかなー」
意外と腹の黒い魔法使いではあります。
「だってしぉがたっちめたんですものね」
「そうそう。千切っては投げ、投げては千切り…」
ぐりぐりと後ろ頭を肩に押し付けてくるノーマンの耳朶をかぷんと噛んで、魔法使いはにっこりと笑いました。
「でも、ノーマンを守りたいからね。一つのミスも自分に許さない」
実は、意外と戦闘的でもある魔法使いです。
が、腕の中に居るのはノーマンなので、直ぐに不穏に光った目を和らげ、とろんと甘い笑みに切り替えました。

「ってことで、お茶にしよう。少しお腹が空いたね。ランタンも夕暮れに見たいし、そろそろ降りて仕度しようか」
「おうま、ぼくがかけっこさせていいですか」
「そうだね…じゃあオレ、後ろ乗るー」
ふふっと笑ってとんっとショーンがノーマンごと天馬の背中に跨りました。一瞬で、二人を乗せて大丈夫なほど立派な体格の天馬に変わったのは、もちろん偶然ではありません。
きらっきらの笑顔でノーマンが振り向いて言いました。
「おちないようにしっかりつかまっててくださいね!」
「ふふン、もちろん」
天馬の腹を軽く蹴り、前足を高く上げさせて嘶かせてから、ギャロップで空中を走りだします。
「すこぉし離れたほうがよく見えると思うよ」
ショーンがくすくすと笑いながらノーマンに言います。
「こっきょうですか?」
「そう。ランタンを飛ばすでしょ?近くからだと全体が見えなくて一部だけだから。少し離れたら視野が広くなるでしょ?」
首を傾げたノーマンに、ショーンが教えます。
「だから、ああ、そうだね、あの低木がある辺りがいいんじゃないかな」
一点だけ生えた小さな木を指差し、ショーンがにっこりと笑います。
「天幕まで戻ったらとおすぎますかしら」
「うん。それだと少しつまらないかもしれないよ」
「あの、だったら、でも、」
そう言って、ノーマンが天馬のスピードを落とします。
「レコードとか扇とかクッションとかお道具とかわたがしは天幕のところです」
「あーうん、まあそうだけど、」
口で呪文を唱えて、ぱちん、と指を鳴らして、ショーンがにっこりと笑いました。
「魔法使いなんだから、ちょっとくらいはズルしますよ?」
するとどうでしょう、天幕ごとショーンが示した場所に荷物が移ってきているではありませんか。
ふふ、とノーマンが笑いました。
ショーンも目を細めて笑って言います。
「どう?お得な恋人でしょう?」
「しぉは、」
ひゃあっとノーマンが笑って言います。
「ぼくのだいじなだいじなひとです。お得じゃなくてでも大好きですもの」
「うん」
にこにこと笑うノーマンに、ふわりとショーンも笑ってぎゅうっと恋人の身体を抱きしめます。
「オレもノーマンがだーいすき」
ふにゃりと甘い笑顔を蕩けさせたノーマンが言いました。
「ありがとうございます」

そうして空中デートを終えて、二人は新たに設置された天幕のほうに降りていきました。下では三つ首の子犬と大きいナリのユミル師匠が待っています。
地面に降り立ち、天馬をペーパーに戻し、ショーンがにっこりと笑いました。
「それじゃあランタンの設置をするから、ノーマンはここを快適にして、お茶の仕度をよろしくね」
「はい!」
張り切って応えたノーマンが天幕に潜っていくのを見てから、ショーンは国境を振り返りました。
辛いなぁ、と思いながら戦っていたのはついこの間のことなのに、今、自分が同じ場所に立っているとはちょっと信じられません。
ランタンの箱をぱちんと指鳴らしで運びだし、前と同じように点火基地とセットにしてフォーメーションを組んで配置させます。日も随分と傾いてきて、これならば夕暮れを楽しみながらランタンを眺められそうです。
お茶の仕度の前に、クッションを配置し終えたノーマンが、レコードをかけていってくれました。
伸びやかな管弦楽団の音色が草原を渡っていくのを視覚的に魔法で追いながら、精霊たちが喜んで踊る姿を確認し、くすくすと笑いました。
これは、二人だけのトリートではなく、ショーンが戦っている間助けてくれた精霊たちと、ノーマンが寂しい間、側に居てくれた三つ首とユミル師匠へのトリートでもあります。
長閑な一日をこれから締めくくれそうで、ショーンはにっこりと笑いました。そして天幕を覗き込んで、ノーマンがお茶の仕度をする手伝いをするのでした。

たくさんのクッションがわさっと置かれたシーツの上に、色々な形をしたノーマン特製のクッキーとボウルに山盛りになったカラフルなマシュマロ、スライスされたパウンドケーキと甘さ控えめのマドレーヌ、桃のタルトとドライフルーツの砂糖漬け、甘いものの口直しにオリーブと生ハムのケークサレ、そして忘れてはならない特大の虹色わたがしと、一口大の虹色わたがしが並びました。それらを暖かなお紅茶と一緒に頂きます。
もちろん、三つ首とお師匠にもそれぞれ山盛りのお星様の欠片が新鮮な汲みたての水と一緒に出されました。厳密に言えばどちらも”生き物”ではありませんが、そういったトリートは大好きです。
そしておやつが一巡してひとまず満足したところで、ショーンがぱちんと指を鳴らしました。ノーマンが、ぴくんと肩を跳ね上げ視線を引き上げます。
その視線の先で、ゆっくりとカラフルなランタンが青からオレンジ、赤へと色を変え始めた空へとゆっくりと登って行きます。
「しぉ……!!」
綿菓子を手に、ノーマンが視線を空に固定して息を飲みます。
「うん」
ショーンが笑いながらレコードの音を増幅の魔法でより深い音に変えます。
暮れ始めた夏空を、いくつものカラフルなランタンがゆっくりとゆっくりと空へと登り、まるでレコードの音に押されるように壁の方へと漂っていきます。
そして国境に達した瞬間、魔法の透明な壁に当たってぽわん、とランタンと同じ色の光が円形に広がり、ランタンごと壁の中に吸い込まれて消えていきます。まるでゆっくりとした無音の花火が国境一帯で打ち上げられているかのようです。
きらきらとした目でショーンを見遣ったノーマンが、また壁に視線を戻してぽかんとした顔で夢中で見詰めます。
「――――――――――すてきですねえ…」
とても小さな声でノーマンが呟きます。
「まほうだから、まほうに溶けちゃうんですか」
「そういうこと」
ショーンがにっこりと笑って首を傾げました。
「どうせならもうちょっと楽しもうか」
そう言って、ぱちん、と指を鳴らします。
すると、深い音を響かせていたレコードの音がフェードアウトし、代わりにガラスが爪弾かれたような音が聞こえるようになりました。ランタンと広がる音によって音階を分け、壁に当たって発光した瞬間にその音が鳴るようにしたので、ミュージックピースのような統制の取れた音ではなく、いくつもの涼やかな音が重なるように響きます。
「ぽわああってとってもきれいなんですねえ…」
そう感嘆のため息を漏らしていたノーマンが、綿菓子を片手に持ったままショーンを振り向き、ぎゅうっと抱きつきました。

「とってもとってもとってもすてきできれいでうるわしゅうてぼくは驚嘆しておりますよ」
くっとショーンが笑って、ノーマンの髪をさらりと撫で下ろし、甘い唇をあむっと啄みました。
「ノーマンがいつもオレにインスピレーションをくれる。この気色が美しいのは、ノーマンが頑張ったからだよ」
目を瞬いたノーマンの双眸を覗き込んで、ショーンが言いました。
「いいこでお留守番頑張ってくれたご褒美。いつもありがとうね」
「すてきなごほうびでうれしいですけど、」
じっとノーマンがショーンを見上げながら言います。
「またしぉがたくさんながいあいだ、ほかのところで戦をしてるあいだのお留守番でいただけるなら、もうだいじょうぶです」
ぽつりぽつりと考え考えノーマンが告げ、一瞬国境を見上げてからまたショーンに視線を戻しました。
「これがさいごでもぼくは平気です」
ぐりぐり、と額でショーンの肩口に懐き、それからまた国境に視線を戻していきます。
こつん、とノーマンの頭に頭を預け、膝の上に抱き寄せてショーンが言います。
「あんな風に時間かけるなんて、もう二度としないよ。これでかなり強化したからね、ここまで戦いにこないとは言わないけど、あんな風に魔法を使い果たされるまで遊んでなんかやらない」
見ていて、とショーンが片手を翳して魔法を唱えました。すると、壁を挟んで国境の内側と外側を自由に行き来する、光で出来た巨大なシノワドラゴンが姿を現します。
頭がエンシェント・ドラゴンの身体ほどある、まるで蛇のように胴の長い光のシノワドラゴンです。
「あれを常駐させてオートでケアをさせるからね。そんなに大慌てでここまで来てディフェンスに打って出なきゃいけなくなることはないよ、もう」
初めてシノワドラゴンを見るノーマンが、目をまん丸くして訊きます。
「あれはなんですか」
「シノワドラゴン。ルーは“ナーガ”って呼んでる。もっと力があれば、ヨルムンガンドになるかもしれないけど、まあ神格性はないからね、ただのシノワドラゴン」
防衛魔法が擬態化したドラゴンが、うねうねと壁の中を泳ぎまわりながら色とりどりのランタンの光を大きな口を開けて食べていきます。
「ぬーしーみたいなお年寄りなんですか」
「この辺りのエンシェント・ドラゴンの形ではないよ。湖の主は巨大魚で、火山に棲んでいる主がエンシェントだけど、こいつは防御魔法が形を為したもの。オレの新しい魔法。ルーの実験」
ふわりと笑ってショーンがノーマンの横顔にキスをします。
「勝手にオレ以外が放った魔法と魔法使いを食べてくれるからね、オレの仕事が半分以下で済む」
ぱ、とノーマンが振り返り、目をきらっきらにしてショーンに言いました。
「ねえ、しぉ、あのなーがーの、ちいさいのをください…!お台所で飼うんです…!ぼくがつくったガラスと水晶のとりかご!あれにいれましょう!!!」
「あれは生き物じゃなくて、魔法だけど?」
くすっと笑ってショーンが首を傾けます。
「あのね、あのね、お色はオパールグリーンがいいとおもいます、だってとりかごにぴったりですもの…!」
「鳥とかじゃなくていいんだ」
「ぼくはあれがいいです」
そう言って、ノーマンがシノワドラゴンを指差しました。

「じゃあ、お城に戻ったらね。大きな水晶を真ん中に据えて、そこに絡むようにすればダイジョウブかな。餌の代わりにジュエルをあげるといい」
そんなことを言い出すショーンは、師匠がさじを投げるほどノーマンに対して激甘です。
「はい!」
にこにこと笑いながら元気いっぱいにノーマンが頷き、またぺたりとショーンにくっ付きました。
「ここはとてもきれいで不思議なところですから、かんこうめいしょになったら大変ですねえ」
「大群で人がやって来られるほど、楽な場所じゃないからな。来るなら魔法使いがツアーを組んでくるくらいだよ」
「ぼくたちの国にたくさんいる魔法使いはやってきませんか?」
心配な顔で訊いきたノーマンに、ショーンがくすくすと笑います。
「オレはこの国で師匠と張るくらいの偉大な魔法使いだからナ。この国に居る魔法使いはよっぽど用がない限りはオレのテリトリィには近寄って来ないよ。反発して弾き飛ばされるからね、生半可なヤツなら」
「なるほど」
そう頷いて、思い出したようにノーマンがわたがしを一口齧りました。
「おれのししょうとショオンがいちばん偉いんですね」
「純粋に魔法が強いのはオレだけど、師匠は見識が広くて応用力に溢れてるからなー…なかなか追い越せない。政治力もあるしな」
まあ、師匠がトップを張ってくれているからオレは比較的いつでも自由にできているんだけどね、とショーンが呟きます。

そんなことを言っている間に、ふわん、とシノワドラゴンの姿が消え、ランタンの数も減り始めました。
空は赤から紫へと変わり、天井にはいくつもの星が現れ始めました。
ランタンがひとつ、またひとつと消えてなくなり。見えていた国境の透明な輪郭も真っ暗な闇に溶けてなくなりました。
「もっときれいになってきましたねえ…!」
落ちてこない星空をゆっくりと眺め、ショーンがくすくすと笑いました。
「雨も降らないし、このまま外で寝るのも悪くない考えだよね」
ショーンがぱちん、と指を鳴らしてたくさん出ていたお茶菓子と茶器のセットをしまいます。ついでにレコードの音を戻して静かに響くようにさせ、ちょん、とノーマンの額に口付けました。
「今日は星空を眺めながらお休みしようね。どう?」
「てんまくのおやねをとっちゃうんですか!」
「そう。星は今夜は落ちないけど、じっと星空の変化を追いかけながら眠るってのもたまには面白いし」
というか、このままクッションの山の中で寝てもいいよね、とショーンが笑います。
「それもたのしいですねえ」
そうにこにこと笑顔になってノーマンが言いました。
「ぼく、こぐまでしたころはよくお外でねてましたよ」
「うん。でももうこぐまじゃなくて、オレのかわいいノーマンだから」
ふふっと笑ってショーンがノーマンの身体をぎゅうっと抱きしめました。
「世界で一番大事なオレのかわいいノーマン」
そう呟いてからノーマンの目を覗き込み、ちゅ、と唇を啄んでからにっこりと笑みを深くしました。
「数多の星と引き換えにしても足りない程、愛しているよ」