お
留
守
番。
お城中の開けられる全部の部屋でショオンを探して、それでもなにも見つけられなかったことに眩暈がして、ノーマンはお腹が痛くなってきました。
気が遠くなるほどたくさんの廊下を曲がって、こんなにお城にはお部屋があったかしらと驚いてしまいながら、階段を上ったり下りたりして全部のお部屋を調べたのです。
けれど、どうしても開けられないお部屋はショオンの書斎と、絶対入ってはいけないと教えられているお部屋と、他にも10個はありました。
固く閉じたドアの前では、黒い方の妖精さんたちが手伝ってあげようかとノーマンの周りをひらひらと飛んでくれたりもしましたが、お部屋のなかにはたぶんショオンはいないことは薄々わかっていましたから、お城に帰ってきたショオンをがっかりさせてしまうことの方が悲しいですし、ノーマンは丁寧に御断りをしていたのです。
ずる、と肩から真っ白の毛皮の敷物がおちるのを手で捕まえながらノーマンはとぼとぼと階段をおりていました。
もしかしたら夜遅くなってもショオンは王様のお城から戻ってくるかもしれないと思って、一晩中、眠らずにショオンの書斎の前で座り込んで待っていたのです。 途中でとても寒くなってしまって、ベッドに掛けてある毛皮の敷物を引っ張ってきて包まっていたのです。
じーっと一晩中ショオンの書斎の扉の、隙間のないぴったりと閉じた継ぎ目ばかり一心に見ていたものですから、目の奥がずきずきとします。
お城の中のどんな小さな音も聞き逃したくありませんでしたから耳だってとても気を付けて澄ませていたのです。心配そうにハナを鳴らす子犬たちや水晶のペンダントの中でばっさりばさりと不機嫌そうに立派なお尻尾を揺らすおししょうの立てるうんと小さな音が聞こえたくらいです。
けれど、ショオンは戻ってきてくれませんでした。
悲しくて悲しくて、ノーマンは嗚咽を洩らしました。
こんなに悲しい思いはいままでしたことがありません。森の中にいたときだって、これほど辛い目にあったことなどありません。
「しぉ、」
ひぃいいっく、と嗚咽を我慢できなくなってノーマンがぎゅうっと毛皮を握りしめました。
指先が冷えきってしまっていることに、ノーマンは気づいてもいません。子犬たちの方が心配して、階段を毛皮を引きずって降りる足元から離れようとしないのです。身体が震えてしまうのに、ノーマンがきゅうっと眉を真ん中へ寄せるようにしかめっつらをします。
足元から冷たい湖に落っこちた時のようにひんやりとしたものがいっぱいになってきそうです。心細くて悲しくて、ぽろぽろと涙が零れます。
「しぉおん」
またつぶやいて、まっしろの毛皮をひっぱってマフラーのように顔の半分をぐるっと囲みました。
すてきなくまの毛皮を着る気にもなれませんが、やっぱりやわらかな毛皮に触っていると少し心強いのです。
のろのろと階段をおりきって、はあああ、と長い長い溜息を吐きました。
自分はちっともおなかもすかないし、お咽喉も渇かないのでなにも欲しくなくて、昨日お昼を食べてからなにも口にしていませんが、こいぬにはごはんをあげなくてはいけません。大事なぺっとなのですから、きちんとごしゅじんさまが面倒を見るのです。
だから、ノーマンはまた目元をごしりと拳で擦って、お台所へ向かいました。
こいぬたちのための三つの水晶のお皿に、棚からお星さまの欠片のたくさんはいった大きなガラス瓶を取りだして、透明な水晶のボウルにからからと黄色やオレンジや透明の欠片をおとしていきます。欠片同士がぶつかると、きれいな音と小さな火花が散って、とてもきれいなのでノーマンは毎朝楽しくなってしまうのですが、今日は違いました。
『また星狩りに行こうな』とショオンがにっこりわらって言ってくれたことがぐるんと頭の中で回ります。
「しぉお…」
ぽとん、と零れ落ちたノーマンの涙がボウルの中でお星さまの欠片とまざって、きらきらきら、とうんと小さな光の粒が舞い上がります。
「なんでまだもどってくれないんでしょう」
ことん、とこいぬ用の台にボウルをおいてノーマンが床に直に座り込んでしまいます。
イー二ィミーニィマイニーがくんくんとハナを鳴らして、お尻尾のモーはかわいそうなくらいしょんぼりと垂れさがっています。大事なご主人がなにも口にしないのをほんとうに心配しているのです。
「いいから、召し上がれ。ぼくはなんにもいりませんけど、イー二ィたちはりっぱなおおきなまっくろのいぬになるんですよ」
そう地獄の番犬にむかってとんちんかんなことを言って諭します。
地獄の王が聞いたらひっくり返って笑うことでしょう。こいぬは大魔法使いの力でただ首がみっつある子犬に姿を変えられているだけで、本来ならば亡者たちなど一口で霧散させるほどの強大な魔犬なのですから。
さらさらとノーマンがこいぬたちのベルベットのような手触りの頭をそれぞれ撫でてあげて、やっとこいぬはごはんを食べ始めます。
その間も、お背中をそうっと撫でてあげながら、ノーマンはお台所の窓から外を眺めます。お空は青くて、雲がすうっと筆でひかれたように流れていきます。
窓も開けられないし、お外へでる扉はどんなにがんばっても開けられないことは、昨日と今朝で実験済みでした。
カリっととてもすてきに欠片の砕ける音がして、ほんの少しだけノーマンがにっこりします。
「みんな、おなか空いていたんですね」
なのにぼくといっしょにしょおんを探してくれるなんて、やっぱりほんとうにおてがらぺっとですよ、とつぶやきます。
「ぼくが危ないことをしないようにしょぉんに言われて、とっても…」
言葉の途中で、すばらしい考えが天啓のようにひらめきました。
このあいだ、本棚から取り出して読んだご本にあった言葉をうっかりつぶやくほどでした。
「やりぃか!!」
おい、それはユリイカだ、とおししょうが怒りますが突然立ち上がったもとこぐまには聞こえません。
これはまたなにか、とんでもないことを思いついたのだ、とおししょうはげんなりします。教え子という名目でおしつけられたこの子どもは、なにかひらめくともうまっしぐらに突進していくのです。
「なんで、おもいつかなかったんでしょう、おししょう!!!」
ぎゅーっと毛皮をそれでも握ってくるまったまま、ノーマンがお台所を飛び出て階段を無我夢中で駆け上っていきます。
魔法のお城ですから、4階分しか高さのないときも、いまのようにきりがないほど高く高く登っていけることもあります。
『なにをだ!走りやまぬか!!』
おししょうが牙を剥きます。
「しぉは、ぼくがお怪我したり危ないことになると、いつだって助けてくれるんですよ…!」
だからそれがどうした、とおししょうが唸って、おいこらわっぱ!とノーマンの次の行動をあっさり見越して唸ります。
「だからね、ぼくは階段のてっぺんから転がってみます!落ちてみるんですよ!」
おいこのばかものめが、とおししょうが言ったのと、勢いをつけてノーマンがてっぺんの踊り場ら勢いよく飛びだしたのは同じタイミングでした。
さああああ、とほっぺたを風が撫でていって、しばらくの間ノーマンは空を落ちていきます。
森でこぐまだったときも、何度も崖から転がり落ちたことのあるノーマンですから、慣れっこです。階段にぶつかる衝撃に備えてぎゅうっと目を瞑る余裕まであるのです。
硬いものに脇腹からあたって、痛くて目から火花が出そうになります。そのあとは、ぐるんぐるんと上下左右に揺さぶられて転がりおちて、途中で何度か踊り場で空中に跳ね上がってまた落っこちて、どんどんどんどん転げ落ちます。
「ひゃあああああああ」
もう身体のどこが痛いのかもわからなくなります。あちこちで花火が散ってくらくらします。子犬たちがパニックを起こしてどこかで鳴いているのも聞こえますが、どかんぼかんとあちこちにぶつかって最後に跳ね上がって、ノーマンがお城の踊り場に転げ落ちました。地面がぐるぐると回らなくなって、ノーマンが唸りました。
こぐまのころに崖を転がって落ちた時ほど、身体が痛くないような気がします。
イー二ィたちが倒れたままのノーマンのほっぺたを熱い真っ赤な舌で舐めて慰めてくれているようです。
「むーぅ」
お口の中にも血の味がしません。そろそろと手足を動かしてみます。ちゃんと動くようです。
お背中やお腹や足もずきずきとしたりずんずんとしたりしますが、森のころとはくらべものにならないほど「軽い」のです。
これは、大失敗ではありませんか。
「おけが、」
ぼとぼとと涙が零れます。
「おけが、すれば…っかえ、ってくれる、のにーっ…」
おおおおおん、と大きな声で泣きはじめます。
お城から出られないなら、崖にいったり、窓も開けられませんからお城の屋根のてっぺんから落ちたりもできないのです。
「しぉおおおおおおお」
おいおいとまた泣きじゃくります。いまできなかったのだから、今日あと何度ためしたってお怪我をすることはできそうもありません。そういえば、このお城にいればノーマンはいつだって『なにも心配いらないんだよ』とショオンが言っていたではありませんか。
「う、そつきー」
ひぃいん、とノーマンが床に転がったままで足をじたばたとします。なにしろ、心配してばかりなのです。それに、すぐかえってくるから、と言ってくれたのに。
おんおんと泣いて床を転がりながら、は、とノーマンが目を見開きました。
ショオンはノーマンにウソなど一度もついたことなどないのです。
そのショオンが約束をやぶって、すぐにかえってこない、ということは、きっとかえってこられないなにか大変なことが起こったにちがいないのだ、と思い当ってしまったのです。そもそも、大魔法使いは『できるだけ早く』と言っていたのですが、そんなことはすっかりノーマンは忘れ果てています。
なんの大変なことが起こってしまったんだろう、と思うとノーマンはいてもたってもいらなれなくなってしまって、またお城の正面玄関に本気の体当たりをして、勢いよく跳ね返されたときに床に思い切り頭をぶつけてしまって、両方の耳の内側から大きな鐘の音が頭にいっぱい拡がっていってお日様を長い間見続けたときのように目もみえなくなってしまいました。
脳震盪を起こしたのですが、そんなことはノーマンにはわかりません。
急に世界中がまっくらになってしまって、こいぬたちが鳴きながら駆け寄ってきたのと、おししょうがなにか言っているのがわかりはしましたが、ふ、とノーマンは気絶してしまったのです。
誰かに呼ばれた気がして、ノーマンが目を開けました。
お城の中は薄暗くなっています。どれほど長い間気絶したままでいたのかしら、とノーマンがぼんやりと考えます。ほんとうは、気絶したまま眠りこんでしまっていたのですが、そんなことはわからないし気にしないのがノーマンです。
それよりも、硬い床で転がっていたはずなのに、ほんわりと柔らかくて温かかいような気がします。すてきなくまの毛皮も着ていないのに、なんだかふっかりと柔らかくて上等な毛皮の感触もします。
とっても気持ちよくて、ショオンがいなくて不安でどきどきとしてたのもすこしだけ薄まる気がします。
ゆっくりとノーマンが瞬きをしたなら、ばしっとなにか大きくて長いもので顔を叩かれて「ひゃっ」とノーマンがびっくりして声をあげました。まっしろの何かで顔を叩かれたのです。
「わっぱ」
深くて低い声がすぐ近くでしました。
「あら」
ノーマンが目を真ん丸に見開きます。ノーマンがぴったりくっついて倒れていたのは、まっしろでとても大きくて立派できれいな生き物でした。
「あ、おししょう!おっきくなったんですねえ!」
前に一度、おししょうの本当の姿をショオンに見せてもらったときと同じ様子におししょうが戻っていることに素直にノーマンが感嘆の声をあげます。
小さな姿のときと形はかわらなくても、やっぱり本当の大きさのほうがすてきです。
ばしっとまたお尻尾で顔を叩かれて、む、とノーマンが顔を手で庇います。
「おのれが無体をする故、我が出てくることに相成ったではないか」
が、と大きなお口を開けておししょうが牙を剥きますが、ノーマンはへっちゃらです。
「おししょうはドアはあけられますか!だったらぼくはお外にでて、お屋根からおっこちてみます、だってそうしたらしょおが戻ってくるでしょう!!」
ほら早く行きますよ!といきなり立ち上がったノーマンは今度はおししょうの長い脚に引っ掛けられてまた床にもんどり打って転がります。
「いたたたた!」
「たわけもほどほどにせい!!」
「たわけってなんですのー」
いたたた、とまたノーマンが唸ります。
「おっきくなってもおししょうはおこりんぼですよ…」
くすん、とハナを鳴らしてノーマンが床からよいせと立ち上がります。
「おまえが骨を折ろうが足を落とそうが、アレは戻っては来ぬ」
「え」
「ああ、戻らぬ。ゆえに…、こら!!!」
おおおおおおおん、と途端に言葉を最後まで聞かずに号泣を始めた「おしえご」の首根っこを咥えてぶん、と廊下の反対側めがけて投げつけます。
柔らかく材質を瞬時に変えた壁に頭からノーマンがぶつかって、派手な音を立ててまた転がりました。
「しぉおおおおお」
わんわんと泣くノーマンに白狼が吠えます。
「やかましい……ッろくに留守番もできぬのかお前は!」
「だ、ってぼく、はーー…もう、二日もしょおおにあえてないんですものー、しょぉがわるいこわいわるものにいじめられてるかもしれないんですものー…っ、そ、そんなことになったらー…」
ひーひーと本気でひきつけを起こしそうな勢いで泣きわめくもとこぐまをおししょうが見下ろしました。
あの性悪の大魔法使いを捕まえて、あまつさえ「いじめる」ことができる生き物など人外も含めているものかと吐き捨てるような思いで内心で唸ります。
けれどいくら言ってもこのばかものには通じないことももうすっかり諦念しているおししょうなのです。
「わっぱ」
「しぉおおおおおおおおおおん」
「あー、こら、泣くな、やかましい」
「しぉおおおおおおお」
「やかましいわッ」
ぱしーっとまた頬を尻尾で張られてノーマンが嗚咽を呑みこみます。それでも大きな目からはぼろぼろと涙が零れ落ちてとまりません。
「わっぱ、よくきけ」
ひくう、としゃくりあげながらノーマンが頷きます。
「ならば待っておれば良い、アレは強い、誰もアレをいじめるなどできぬよ」
「ほ…と、ですか」
ぽろぽろと涙が零れ落ちます。
ばさりとおししょうが尾を揺らしました。
「でも、お部屋のまえにいても、もどってくれなぃですよ」
「アレは露台から戻るだろう、たまに」
「あ」
そうでした。
お空の散歩に連れ出してくれて、ショオンがとてもきれいな羽根を見せてくれるときは、もどってくるときはお城のてっぺんのバルコニーからです。
「ばるこにー…」
「さよう、そこで待てばよかろう」
「おししょう…!」
ぎゅううううう、と首根っこにかじりつかれて迷惑千万なおししょうが唸りました。
「ゆくぞ」
「あの、おししょう、おししょう!」
よからぬことを思いついたノーマンの口調におししょうは応えませんが、けれどそれしきのことでひるむノーマンではありません。
「お背中に乗っていいですか」
「食い殺すぞわっぱ」
よしてください、と子犬がノーマンのアシを引っ張ります。
「あら」
ざんねんですねえ、と少しだけいつもの元気がノーマンに戻ってきました。
けれど歩調はいつものスキップめいた元気なものではありません。しょんぼりとしながらおししょうとこいぬといっしょにお城のてっぺんに近いバルコニーに通じる部屋まで階段を上っていきます。
「きっと、お外にはでれないんでしょうねえ」
「窓でさんざんためしておろうが」
「――――はい」
うなだれてしまったノーマンの手に、子犬が鼻づらをみっつ、代わる代わる押し当ててきます。
「ねえおししょう」
「なんだ」
「ぼくは、 」
きゅ、とノーマンが口元をまっすぐに引き結びます。
そして厳しい目つきでバルコニーのあるお部屋のドアを開けるときっぱりと言い切りました。
「おうさまなんか、首がもげて死んじゃえばいいんです……!!!!」
おししょうが大きく口を開けて、次の瞬間、風が吹き渡ったような音がバルコニーのあるお部屋を渦巻きました。ノーマンの甘い金色交じりの茶色の髪が吹き上げられるほどでした。
「それは傑作だの…!」
愉快そうな口調に、おししょうが笑ったのだとわかります。
「わらいごとじゃないですよ」
ノーマンは真剣です。
「おうさまなんか、だいきらいですよ」
我慢していたのに、ぽろっとまた涙が零れ落ちます。かたかたと手足が震えてくるのです。
バルコニーが開かれた先は、いくつものお星さまがまばゆい光を散らしていました。
へたへたとバルコニーの中でノーマンがへたりこんでしまいます。
まるまる二日も、ショオンが戻ってきていないことが突然、付きつけられてしまった気がして心の真ん中が冷たくなります。
「しぉ、」
しくしくと泣き始めたノーマンの横に並はずれて大きな白狼が座ります。ぱしんとその立派な尾っぽでノーマンの背中を叩くのです。
ノーマンの膝の上にはこいぬがよじ登ってきて、濡れた頬を舐めています。
お城の外、噴水のあるお庭にはランタンを持ったカブがいて、空に飛んでは光の輪をノーマンのために作ってくれているのが見えます。
「しぉおおおお」
みんなに優しくしてもらっているのが伝わってきて、よけいにノーマンは悲しく切なくなってしまいました。
ひー、とまた泣きじゃくり始めた子どもの様子に、お師匠はやれやれ、と首を振りました。
ヒトの王に呪いが届いたのは愉快だとしても、この子どもが哀れに泣くのはなんとも居心地が悪いものだ、と。
そしてきっとこのばかな子どもは魔法使いの帰りを待ちわびてまた一睡もせずに空を見つめ続けるのだろうと、諦めにも似て思っていたのです。