戦争。



『バテてるんじゃないか、魔法使い?』
クスクスと笑う魔の力が一層増していくのに、ショーンがウルセェよ、と呟きました。
次から次へと新たな飛空艇に乗って魔法使いたちがやってきて、ショーンは休む間もありません。
夜の間はルーの力が発揮しやすく、また時折落ちてくるお星様を確保して魔力を回復させながら戦うことが可能でした。
遠くからやってくる飛空艇を遠距離から撃ち落とし、飛び出してきた魔を駆逐して魔法使いを倒したりすることは、比較的楽なことでした。
けれど、朝がやってきてもそれが昼になっても、魔法使いを乗せた飛空艇は引っ切り無しにやってくるのです。
どんなに最強の魔法使いとして名を馳せているショーンであっても、これは流石に参ってしまいます。
サリンベック師匠に頂いたポーションは昼を過ぎた頃に飲み干し、もはや気力で戦っている状態です。
草臥れてきたショーンの支配が弱まりつつあるのを感じ取り、ルーの意識はますます拡大してショーンの内側で大きく膨らんでいきます。
魔力はそのまま契約の強さを意味します。
ですので、魔力を使い過ぎてしまえば、契約が弱まり、よりルーの意識が強まってしまうのです。使い過ぎて弱まった自分が元より持っている魔力を補うために魔であるルーから魔力を融通させて使えば使うほど、ルーの力が強まり、ショーンの意識下から逃げようとするのです。魔は自由な存在であり、本来ならば縛られることを嫌う存在ですから、ショーンの力が弱まってしまえば自由に飛び出していきます。そして魔法を失ったショーンはその場に取り残されてしまうしかないのです。
飛んでいるのも辛くなり、草原に降り立って空を見上げます。
太陽はきつく肌を焼き、見上げる目を痛めつけます。
荒い息を吐いて草原を見下ろし、周囲を取り囲む妖精たちから少しずつ力を分けてもらいます。
「あー…ノーマンが作ったスカッシュが飲みたい…」
キラキラとした眼差しで見上げてくる最愛の存在を思い浮かべます。
ノーマンを最後に抱きしめてから丸1日が経ち、もうすぐ夕方がやってきます。
こんなにも次から次へと魔法使いがやってくるとは思っていませんでした。とっくに戦争を終えて、大好きなノーマンの元に戻っている筈だったのです。
今頃、何をしているでしょうか。 ちゃんとご飯を食べて、眠って、一日を楽しく過ごせているでしょうか。
ルーの力を引出しすぎて、蝙蝠の爪のように真っ黒く伸びた両手の鉤爪を見下ろし、ハハ、と乾いた笑いをこぼしました。
『魔法使い。次が来たぞ。なんの魔法を披露してやろう?』
ルーがわくわくと弾むような声で内から声をかけてきます。ルーはそもそも、創造より破壊を好む魔王です。ですので、ルーの力が出やすくなればなるほど、ショーンが使う魔法も破壊を主に齎すものとなります。徹底抗戦にはもってこいですが、ノーマンを取り戻すために最強の魔法使いを目指したショーンにとっては、少しばかり心理的な負担が重すぎます。
しかし、事態はそんな甘っちょろい考えを許すような場面ではありませんので、ショーンは静かに目を瞑り、意識を伸ばして五機の飛空艇に別れて乗ってやってきた魔法使いたちを捉えます。
「あー…なんだよ、魔法使いって孤高の存在じゃなかったのかよ」
5人の魔法使いたちが、力を合わせて一つの強力な魔法を練り上げているのを感知して、ショーンが一つ息を吐き出しました。互いを補うのではなく、5人で一つの魔法を練っているということは、意識も知識も感覚も全て共有している必要のある、大変難儀な魔法を編める能力がある魔法使いが5人揃っているということです。これは個人主義で排他的な魔法使いが多い中、大変珍しい事例です。『全魔法体系』という魔法使いの百科事典に基本的な構成と演算の理論、そして実際に発動された魔法の過去例が載っていましたが、その数は圧倒的に少なかったことを思い出します。それだけ、魔法使い同士が共に魔法を作り上げることは難しいことなのです。
ルーが大声で笑います。
『光栄だなぁ、ペンドラゴン。まとめて掛かってこないと仕留められないとよ』
恐れられてよかったなあ、わざわざ勉強して用意してやってきてるんだぜ連中、と朗らかに笑うルーにショーンが目を開けて飛空艇がやってくる方向を睨みつけました。

「いくぞ、ルー」
『気張れよ、魔法使い。あれは始めて見る魔法だ。オレが喰う』
「ああ、飲み干せ。オレが最強の魔法使いだってことを、今度こそ連中に知らしめないとな」
ぶわ、と両腕を広げるようにルーが意識を広げ。疲れたショーンの身体の隅々まで暗い重い力が行き渡っていきます。そして自らの四肢を伸ばし、翼を背中から生やしてショーンが空へと飛び上がりました。
ハッハー、と上機嫌に笑う魔と意識を同調させ、意識するのは放たれる準備が整いつつある魔法を飲み込むことと、飛行艇を撃ち落とすことです。
ショーンの身体を支えるように風の妖精たちが契約によって集い、より早く、自由に飛べるようにアシストしてくれています。
魔法を口ずさみ、まずは紡がれつつある巨大な魔法を魔法使いたちから引き剥がす準備に取り掛かります。
ショーンの接近に気づいた魔法使いたちが、防衛用の魔法を解き放ち、それが黒い人影となって5機の飛空艇のそれぞれから飛び出してきます。
「ルー、まずあいつらを喰え」
『いいだろう』
詠唱していた魔法とは別の次元でルーが魔法を使い、ショーンの背中から伸びた羽の先から真っ黒い精霊を分離させます。それが小さな椋鳥となってさえずりながら5機の飛空艇に近づいていき、飛び出した黒い人影に取り付いてついばんでいきます。
そして、椋鳥の集団はさえずりながらあっという間に防御魔法を食い散らかしていきました。飛空艇はそれでも進路を変えずに、等間隔を守ったまま飛行を続行します。
防御魔法が隠していた大きな魔方陣が、椋鳥たちが啄んだことによって顕になっていくのを見て、ルーが大声で笑いました。
『ペンドラゴン!あの魔法を見たか!まったくの新しい理論から構築されている』
「ああ。だがあの飛行艇のカタチは…」
防御魔法を食べ終わった椋鳥たちが一羽の大きな鳥に姿を変えてまっすぐにショーンの身体に向かって飛び込んで来て、ショーンは言葉を失います。
奪ってきた魔法をルーが取り込み、一層強くその存在感を増していきます。
『…ああ、北隣とそのまた北が組んだか。最強の魔法使いはモテモテだな、ペンドラゴン!』
身体の芯が燃え上がるように熱く感じるのは、それがルーの核だからです。力を増せば増すほど、内側から焼かれそうになるのが契約の代償です。
身体を震わせ、視線をまっすぐに見据えて紡がれる魔法を見据え、ショーンがルーに命じます。
「ルー、あの魔法を解体してすべてを飲み込め。魔力を核から引きずりだして平らげろ」
『お安い御用だ、魔法使い。だがオマエは保つかな?』
くっくっく、と笑う魔にショーンが低く笑って返します。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。当たり前だ。オレは最強の魔法使いだからな」
この戦争を切り抜けて、待っているノーマンのところに帰らなくてはならないのです。
「行くぞ」
魔法を詠唱し、化身である使い魔のドラゴンを新たに産み出します。濃い紫と藍のメタリックなドラゴンが空に現れ。まっすぐに魔法に向かって飛び込んでいきます。
魔法使いたちも、紡いでいる魔法を途中で破られては適わないので、新たに防御魔法を繰り出してきます。それをドラゴンの尾から分離した椋鳥たちが啄みにかかり。飛空艇の壁に取り付いて無数の小さなトカゲに姿を変えて飛空艇の中に飛び込んでいきます。
ショーンは大きな一羽の鳥の姿になって飛空艇の合間を縫うように飛び、小さな魔術の欠片たちが仕事を成していくのを監督します。
ドラゴンが大きく咆哮し、真っ赤な炎を吹き出しました。真っ赤な塊が取り付いた魔方陣を伝い、魔法を焼き尽くしながら、飛空艇のほうに伝っていきます。
焼き切れずに分離した魔方陣をショーンが嘴で拾い上げ、ぱくりと飲み込みました。これで理論の一部を入手しましたので、あとで解析にかけられます。

それと同時に、敵の魔法使いの魔法に討たれたドラゴンが空中で弾けて、キラキラと光を放ちながら地面に落ちていきます。
それを合図に、ざわっと飛空艇の中からトカゲが一気に飛び出してきて、空中で椋鳥に変わってからまた一羽の大きな鳥に変化してショーンの元に戻ってきます。
ショーンが唸り、鳥が体内に飛び込んでくる前に、炎の珠を産み出して飛空艇に向けて放ちました。大きな爆発音がして飛空艇が炎に包まれ。地面に向けて落ちていきます。
それと同時に魔法がショーンの身体に戻り。焼き付く感覚にショーンがドラゴンのように吠えました。
意識の奥深くで魔が歓喜に沸き立ち、その力が表面にまで登ってきているのがわかります。爪先まで燃える焔に焼かれるかのように熱が広まり、くら、と頭の中が一瞬発光しました。
ぶる、とショーンが身体を震わせれば、変化していた鳥の擬態が解け。次の瞬間、シルフたちが恐れるようにショーンの側を慌てて離れていきました。ひゅるりと小さな竜巻が起きたかのようです。
けれど、空中でバランスを崩すことなく、くぅ、とショーンが口端を吊り上げました。しかし、それはノーマンが見たならば「ショーンではないです」と言い切るほど別人の表情になっていました。
ぺろ、と唇を舌でなぞって、呟きました。
「『おやおや。これからメインディッシュがやってくるか』」
ショーンの意識がルーと同調しきっています。しかも、主導権を握っているのは最早ショーンではなく、内に契約によって閉じ込められている『魔王』のルーシーです。身体から影が溢れるように、じわりとその身体の周りだけ濃くなっています。
夜の帳が降り始めた空をにんまりとしながら眺め、くくっと笑いました。
闇に紛れるように蛇のようなカタチをした魔法に乗って、魔女がやってくるのが分かったからです。
「『ジャーディーシャ。レディ・ライオネス。黄金の魔女』」
「名前で呼ぶでないよ、ペンドラゴン」
雷が響くように凛と冷たい声が届き、金色の炎の塊がショーンに向かって放たれました。チチ、と舌を鳴らして防御魔法を構築し、難なく攻撃を跳ね返します。
「『貴女が直接いらっしゃるとは』」
「ウチのひよっこどもじゃ丸きり歯が立たなかっただろう?仕方ないね、私が出なきゃ。定期的な頂上決戦みたいなものだ」
蛇のような魔法の乗り物を捨て、魔女がそれを腕に纏いました。空中で対峙し、視線を交えます。
「飛空艇をあんなに出したのに、すべて壊してしまっておいでかい?まったく、ウチの王も無駄遣いするものよ」
呆れたように呟いた黄金の魔女に、やさしく懇願するかのようにショーンが言いました。
「『ジャーディーシャ、引く気はないか?』」
「無理をおいいでないよ、若造。オマエのその魔をいただくためにこれだけの大仕掛をさせてもらったんだからね。オマエも狙い通り弱っているのに、引くわけがないじゃないか」
あっけらかんと笑った黄金の長い髪をした魔女が、手を伸ばしました。つるりとショーンの頬を撫でて、内を覗き込みます。
「ぞくぞくするほどいい男だね、オマエの中の魔は」
「『よく言われる』」
「美味しそうだ」
「『残念ながら、カワイコチャンのほうが好きなタチでな』」
「それじゃあ腕比べといくかね」

魔女の腕から離れた蛇がショーンの身体にまとわりつき。内側に忍び込もうと牙を擡げてきます。それを手でひっぺがして、魔法を唱えます。
爛々と輝く蛇の目を遮り、それが放つ力を無力化してから魔法を分解し始めます。
それを許すような魔女ではなく、雷を基に構築した魔法を蛇を通してショーンに向かって放ちます。
ぎゅ、と蛇を握りつぶして攻撃を反らし、育った雷を大きな珠にまとめて魔女に向かって放ちます。それと同時に椋鳥を放って魔女の魔法を周囲から崩しに掛かります。
防御壁を張って椋鳥を遠ざけた魔女が黄金のライオンを生み出すのを見て、ショーンも新たなドラゴンを構築しました。
対峙する二匹の魔法生物とは別に、周囲ではあらゆるエレメントを使った魔法の打ち合いが続きます。
遠くから見ていたら、派手な花火のパフォーマンスに見えたかもしれません。
それだけ盛大に、大掛かりな魔法を使って二人の魔法使いが技を繰り出し合います。
すっかり夜が訪れ、闇が周囲を多い、その中を沢山の魔法が散って行きました。
星がいくつも流れ、それを捉えて魔力を回復しつつ、ルーが意識の殆どを乗っ取って魔法を繰り出す中、ショーンがジャーディーシャを追い落としながら、ルーを抑えこむ魔法を模索します。
そして、夜が明ける直前にその機会が訪れました。
ルーがジャーディーンの胸に腕を突き入れて、核となる魔法の精霊を取り出し。ライオンのカタチをしたソレを手の中で握り潰し、仰け反って笑いました。
溶岩が噴火口から飛び出すように解体されて散っていく精霊に呼応して、身体から魔法が抜けていくのを感じ取った魔女が絶叫しました。その首筋に噛み付こうとルーが口を大きく開いた瞬間、特大の星のカケラを呼び寄せて、口中に落し込んだのです。
大きな魔力の流れにルーが身構えた瞬間、ショーンがルーを縛り付ける魔法を唱えました。
腕の中から魔女の身体が滑り落ち、力を無くした肉体が落下していきます。ルーが舌打ちをしながら広げていた力を自らの身体の核に集約していきます。
意識が自分だけのものになっていく感覚は、まるで眠りから覚めていくようです。
一つ違うことといえば、いままでルーの魔力に頼っていた分だけ軽かった身体が、体力を使い果たしてすっかり重くなってしまっていることです。ルーの存在が身体の奥に引き戻されていけば、宙に身体を浮かべておくことができずに、ショーンの身体も地面に向かって真っ逆さまに落ちていきます。

ドォン、と星が落ちるのと同じだけの衝撃をもって、ショーンの身体が地面に落ちました。
もちろん、肉体が粉々になるほど気を抜いてはいません。けれども、しばらくは地面に平伏したまま、ショーンは動くことすらできません。
「…かえ、らな、きゃ」
地面に落ちた鳥のように、あちこち破れてズタボロになった羽を伸ばし、ショーンが地面を長い爪で掻きます。
大慌てで大地のエレメントが姿を現し、ショーンの口の中に魔力の種を運んでいってくれます。
2日に及ぶ戦闘でショーンが生んでは散らした使い魔ドラゴンの魔法を掻き集めたものです。
含まされた魔法の種を飲み込んで、ショーンが小さな魔法を唱えました。それは、地面に落ちていった飛空艇を、大地が飲み込めるような素材に分解する魔法です。
37機の飛空艇の残骸が分解され、地に飲み込まれていきました。それを喜んだ大地のエレメントが、ドラゴンの魔力を固めた種を、さらにショーンの口の中に落とし入れました。
それを飲み込み、舌を鳴らせば、少しだけ魔力が回復します。
核に押し込められ、不機嫌になったルーに頼らないで帰れるだけの魔力をそうやってなんとか取り戻していきます。
魔力を失って老婆の姿になったジャーディーシャが、よろよろと立ち上がって国境を戻っていこうとしているのを一瞬だけ見詰め。それから、ゆっくりと身体を起こしに掛かります。
白んできた空を睨みつけながら、なんとか魔力を総動員して腕を羽に変え、ショーンの意識がルーのそれに変わってしまったことで怖がって逃げていた風の精霊をなんとか説き伏せて力を貸してくれるよう頼み、なんども羽ばたいて漸く空に浮かびました。
そしてなけなしの魔力で全身を鳥のカタチに姿を変え、明ける空に追いかけられるように飛んでうちに向かいます。

何度も落ちかけながらショートカットの魔法を紡ぐことを諦め、延々と長い距離を飛び、森の中にそびえ立つ城が見えてきたところで、漸くショーンが意識を緩めました。
ぶわ、と真っ黒い羽が青紫に緑の混じった鳥型ショーンの身体を取り巻き、チッ、とルーが舌打ちするのが聞こえました。
『あー…わかったって。今日はもうやんねーから、ランディングだけ任せろ。オマエのままなら墜落して一巻の終わりだ』
蝶が飛んでいるような不規則で不安定な軌道が一瞬で安定し、顔を出した朝日に照らされ始めたバルコニーに向かってルーが舵を切ります。
ほぼ減速が出来ないまま、まっすぐに石畳のバルコニーに叩き付けられるように降り立ち。 その場で立ち上がったノーマンが、「しおおおおおおおおおおん!!!!!」と叫ぶのに、飛びかけた意識を取り戻します。
漆黒の大きな鳥だった姿は、目から少しずつショーン・ペンドラゴンの姿を取り戻し始めます。
泣き顔を浮かべたノーマンが駆け寄ろうとしてくるのに、そちらへと向かっていきながらショーンが呟きました。
「来るんじゃない、ノーマン」
纏っているのは、今や殆どルーが生み出した魔力です。漆黒色なのは、そのせいです。これはショーンを飲み込もうとする力でもあるので、出来ればノーマンには触れてほしくないものなのです。
「少し、休んだら…平気に、なるから」
小さな声で殆ど囁くように呟き、一歩一歩、重たい身体を引きずるように城の中へと入っていきます。
背後からしゃくりあげるノーマンの声が聞こえてきて、ショーンが小さく笑いました。
「だいじょ、ぶ…だから。泣くな、の、まん…」
そして、その場にあった椅子に縋るように蹲り、漸く目を閉じました。
何はともあれ、無事にウチまで帰ってこられたのです。あとは本の少しだけ休めば、いつもの自分に戻れます。
なにしろ、ここはもう自分のウチなのですから、安心して意識を手放せてしまえるのです。
ひとつ気がかりなのは、ノーマンが泣いていることです。けれども、いまはもうどうすることもできません。精も根も尽き果て、意識が今にも泥沼のような眠りに引きずり込まれそうです。
それでも。
最愛のノーマンのために、気力を振り絞ります。
「…あと、ちょ、とだけ、まて…」
そう最後になんとか呟いて、ショーンはとうとう意識を手放しました。魔力の急速充填に入ったのです。