おはよう

挨拶



ぱちりとノーマンの目が開きました。小さな窓のクリーム色のカーテンが全部開いているので、お日様が直に顔にあたります。
きゅう、と目を細めて掌で目元を抑えて、ぴくりと身体を強張らせました。
小さくて、つるりとして。真っ黒ですてきだったお爪も、柔らかなお肉もふかふかの毛皮もありません。
夢はみなかったと思います。もやもやと影が動いているような気もしましたが、とても温かくてぐっすりと眠っていました。
抱っこをされたのも、おしゃべりをしたのも。抱っこで眠ったのも、ノーマンにとっては11年振りのことでした。
きゅ、ともう少しだけ拳を握って押さえてから、むぅ、とノーマンが唸りました。
どこも痛くはありませんが、身体のあちこちが少しだけお日様に当たりすぎたときのようにひりひりとして、頼りなく思えてしまうほどひょろんとした手足は指の先までなんだか熱くていつもより重たい気がします。
「うぅうん、」
ころ、とノーマンはベッドで寝返りを打ちました。
ショーンがノーマンを抱えたままで寝ていた場所は、ぽかりと空いていました。
でも、なくなってしまったわけではないことはわかりましたので、泣いたりはしません。
お外にいるのです。歌っている声が、さっきから聞こえています。
お外でお歌を歌って、なにをしているのかなと思いながら、ノーマンがまたころりと向きを変えました。
キルトの上掛けが少しだけ捲れます。シーツが新しくなっています。
はむ、と欠伸を噛み殺して、ノーマンがベッドルームを見回しました。ベッドのまわりには、あのぶかぶかに大きかったナイトシャツが見当たりません。
ナイトキャップもありません。
ほかにも、青いのやしましまのや、薄いピンクをしたお寝巻きもありますが、せっかく目が覚めてお外が明るいのにお寝巻きをまた着るもの少し嫌でした。
「いらないかな」
ノーマンは長い間、ずっとくまでしたので、毛皮が剥かれてなくなってしまっても、裸でいることはヘっちゃらなのでした。

もそりと上掛けの下から這い出して、ノーマンが小さな居間へと向かいます。
そして、少し大きな窓の傍のソファに、毛皮が置かれているのを見つけました。
「あ!」
柔らかな金茶色の毛並みが、お日様にきらきらとしています。
でも、頭はやっぱりくっついておりませんでした。ぱかりと取れてしまって、もうくっつかないのかしら、とノーマンが思いました。
とことことソファで日干しされている毛皮に向かって歩いていきます。
「――――――おっきいなあ」
こぐまのものとはいっても、ぺったんこになって長く伸びている毛皮はとても大きく見えました。
さ、と手を伸ばして毛皮を引き寄せてみます。思いのほか、ずっしりとした重みがありました。
背中側に、魔法の止め具がついています。
ショーンが魔法を解いてくれたので、いまはただのボタンのように見えました。
裸のノーマンは腕に毛皮を掛けて、うううん、としばらく考えました。
懐かしいし、温かい毛皮です。ふかふかととても気持ちよいのです。
お寝巻きを着るのもいやだし、でもきっとショーンはあのすてきな「ひとのけがわ」を着ているのだろうと思います。
お日様の匂いのする毛皮を、ひょいとノーマンは見下ろしました。
ショーンとお揃いで、お腹から下だけ毛皮があってもいいかもしれない、と思いついてボタンを外して足を入れてみます。ふかりと温かくてとても柔らかいので、ノーマンは、ひゃあ、と笑いました。
もそもそともう片方の足もいれてみます。魔法がかかっていたせいでしょうか、前はこのぶかぶかにおおきい毛皮が身体にぴったりだったのになあ、とノーマンはふしぎに思いました。
ほんのコドモだったころに被せられたくまの毛皮は、荒野の魔女の強い魔力で作られたものでしたので、中に入っている子どもをすっぽりと大きく包み込んで、ノーマンが段々大きくなっていくのにあわせてくまの形と本来の大きさを守ったままで身体を包んでいたのです。

ぐいーとノーマンが毛皮をお腹まで引き上げました。
柔らかな毛皮がお腹を擽って、なんだか嬉しくなります。
でも、このままではすぐに脱げてしまうので、大きくてぶかぶかな前足をベルトのようにつかって、お腹の前で交差させて結んでみました。
「ひゃあ」
これでぴったりです。もっと嬉しくなって、ぴょん、とノーマンがスキップしました。
そして窓辺に近付きます。 歌を歌いながらショーンが何をしてるのだろうと思ったのです。
森の切れ目の草原が、ノーマンの家のお庭でした。そのお庭でショーンは洗濯物を干していました。
ぴん、とまっすぐに張られたロープに、シーツやノーマンのナイトシャツやキャップがはたはたと風に翻っていました。
ショーンの金色の髪の毛がお日様に弾けてとてもきれいでした。小鳥たちも遊びにきているようでした。
「おせんたく」
してもらっちゃった、とノーマンが呟きました。
このお家のお客様なのに、とノーマンがどきどきとしました。
急いで朝の仕度をしないといけません。
お台所に向かってノーマンが早足で向かいます。かりかりと爪がフロアを引っ掻いて行く音がなんだか懐かしいです。
そういえば、ごはんのうさぎを取る前に崖から落ちてしまってショーンに会ったので、お肉はもうないはずです。
ミルクをたっぷりといれたお紅茶と、クッキーで簡単なお茶をしてもらって、そのあとにお昼を作ろうかな、とノーマンが思いました。
ベリィを取りにいってもいいかもしれません。
こんろにおやかんがかかっているのを確かめて、お紅茶の仕度を始めます。
そうしたならドアの開く音が聞こえました。ショーンがお洗濯を終えて戻ってきたようです。
ポットをちゃんと温めて、紅茶の葉っぱも缶から取り出します。全部の道具がやっぱり大きくて、くすくすとノーマンは笑いました。
腕をいっぱいに伸ばして、上の棚からクッキージャーを取り出します。
少し軽い気がして、ノーマンが首を傾げました。そしてジャーの蓋を開けて、ノーマンの青い目がまんまるに見開かれました。
琺瑯のジャーの底が見えていたのです。ジャーの中身は空っぽでした。そんなことは、いままで起こったことがありませんでした。
「――――――どうしよ、」
ノーマンは困りました。
この家に来てから、こんなことは初めてです。 きゅう、とノーマンの眉が哀しそうに寄せられていきます。

足音がして、ノーマンが顔を上げると、ショーンが台所に入ってきたところでした。
「起きれたのか、」
そうくすくすと機嫌よく笑っています。半分裸のノーマンの様子がかわいらしかったからでしょう。
「しぉ、」
クッキージャーの蓋を持ったまま、傍までやってきてくれたショーンを見上げます。
額にとん、とキスをされて瞬きします。 ショーンのきらきらとした目がすぐそばにありました。
「気分は?」
「あの…」
きゅう、とノーマンが見上げます。
「どうした?」
「ひりひりして重たいけど、平気なの。でも、」
とても困ってしまって、とノーマンが小さく呟きました。
「うん?」
さらりと頬を撫でてくれるショーンの掌がとても気持ちよくて安心でしたので、泣くことはしませんでした。
「おなか空いたでしょう?でもごはんがないの」
ごめんなさい、すぐにべりぃをとってきます、とノーマンが言いました。生っている場所、すぐ近くですし、とショーンを見上げました。
「んん、それには及ばないよ。そこに座って待ってな。作ってやるよ」
「へ?」
ぽすん、とショーンがノーマンの柔らかな金茶色の頭を撫でてくれました。
「パンケーキ、好きだったろ?」
「ぱんけーき…?」
それ、なんですか、とノーマンが聞きます。 その間に、ショーンは魔法のバスケットから色々なものを出して並べていきます。
「甘くてふかふかのパンみたいなケーキだな」
小麦粉や卵やミルクやお砂糖、ハチミツまであります。
「あまくてふかふかー!」
きゃあ、とノーマンが喜びました。

ショーンはノーマンが使ったことのない道具のたくさん入っている棚もあけて、いろいろなお台所道具を出していきます。
自分の家のお台所にあるものですから、見たことはあってもそれが何だかわからないノーマンはショーンの傍にくっついて、一々、それはなに、あの丸いのは何のいれもの、と絶え間なく訊いてきます。
それに丁寧に答えながらショーンはあっという間にいいにおいのする「パンケーキのタネ」を「ボウル」のなかで混ぜあわせていました。
こんろの上に、ノーマンの使ったことのないフライパンがかけられていきます。
じゅ、と「ばたー」が落とされてとてもいい匂いがイッパイにひろがってノーマンはハナをぴくりとさせました。
ショーンにくっついたまま夢中で覗き込みます。
金色の「たね」がフライパンに落とされていくのに、「おおー」とノーマンが歓声をあげました。
ふっくらと「たね」が膨らんでいって、小さなあなもぽつぽつとあいていくのに、どきどきとします。
黄色が濃くなっていくと、どんどん甘いいい匂いが立ち上ってきてガマンができなくなります。
だから、ショーンの横から手を伸ばして、「たね」に触ってみました。
「ああつーう!」
きゃー、とびっくりしてノーマンが飛び上がります。
「ああこら、熱いに決まってるだろう?」
あっつい、と吃驚して目に涙を浮かべていましたら、「フライパン」を軽く揺すってショーンが「ぱんけーき」をくるりと裏返しました。
「しょぉ、すごい…っそれ、まほうですか」
指先を火傷して痛いのも忘れてノーマンが目をきらめかせます。 これは違うよ、とわらって言ったショーンが、ノーマンの指先を捕まえるとぺろりと舐めて魔法で治してくれます。
「いまのは、まほう?」
すう、と痛さが引いていったのに、ノーマンがふにゃりと笑いました。そうしたなら、ショーンはにこりとわらって。
「お皿、取っておいで」
そう言いました。 はぁい、と返事をしたノーマンは大きなお皿とフォークをテーブルに並べていきます。
その間に、ショーンは焼きあがったあつあつのパンケーキをお皿に乗せるとたっぷりのバターを乗っけて、その上からハチミツもたっぷりとかけていきます。
あまいいい匂いに、ノーマンがテーブルから夢中になって振り向きました。 フライパンでは次のパンケーキがもう焼かれ始めています。
「いいにおい…っ」
きゃー、とノーマンが喜びました。
「おなかが空いたなら先に食べててもいいよ」
「いっしょがいいです」
「じゃあいまのうちに飲み物の用意をお願いするよ」
うん、とノーマンが頷く間にも、別のフライパンではじゅうじゅうとハムと卵が焼かれています。
「お紅茶できてます」
「いい子だ」
ふふ、とノーマンが笑いました。 朝の紅茶の仕度がこんなに楽しいのはこの家に来てから初めてでした。
でも、同時にとても懐かしくて、よく知っているような気もしました。 ぽん、とフライパンから空中に飛び上がるパンケーキにまたノーマンが歓声をあげました。
「しぉ、それもっとやって……!」