Adagio

 酷く素直なトーンで貰った答えに、トッドはくしゃっと笑った。
「ついでにもう一回ハグしとけ」
 僅かに首を傾げて振り返ったオトコが、ワケがわからない、といった面持ちのまま、きゅ、と腕を回してきた。
 ほわ、と。柔らかく体温が移されて。そのことだけで単純に内側にエネルギィが溜まるのが解る―――――ついさっき気付いたばかりのこと。
「うん、落ち着く」
 温かな身体に、何故かほわりとリラックスしている自分を見つけて、トッドは薄く笑った―――――――ファックが終わってからも、ただ身体を添えていたい相手なんてハジメテだ、と自覚する。
「オマエは?」
 とろん、と目を瞑りながら訊けば。
「――――――あんた、名前は」
 そう静かなトーンで聞き返されたことにトッドは目を開いてウォレンを見上げた。
「名前?オレ、の?」
「なまえ、おしえて」
「―――――トッド」
 ふにゃ、と笑った甘えた表情に、トッドは小さく瞬いた。
「ウォレン?」
「トッド……?」
 とろ、と。和らいだ笑みを浮かべたウォレンに。くう、とトッドはゆっくりと口端を引き上げた。
「ウン、ソレ、オレ」
 The Color Greenの、でも。カーラ・スパロゥのオトウトの、でもなく。
「それ、オレの名前」
 酷く甘いトーンで舌先で転がすように呼ばれる自分の名前に、耳が勝手に喜ぶ。
「ふぅん、」

 にこ、とまた笑ったウォレンの髪を、すい、と片手で上げてみた。
 さっきまで自分にあれだけの快楽を与え、トッドの内側に燻っていた“ウタ”を引き出していったとは思えないほどに、甘い笑顔だと思った。そしてこの笑顔を見詰めているのが、なんだかスキになっている自分に気付く。齧れば甘いキャンディみたいで――――――ああ、でも。中身はハッカだよね、と不意に思う。でも、ハッカもスキだし、と。
 きゅ、と僅かに目が細まったのを見詰めて、ふにゃりとトッドも相好を崩しながら、さらさらとウォレンの髪を撫でる。
「ウォレン、」
 名前をオトにしてみて。それが自分の舌の上で柔らかな音を作り出すのを確かめて、こくん、と首を傾げた。不意にこのまま離れたくはないな、と思う。もう暫くの間だけでもいい、もう少しだけ、一緒に居たい、と。
「一緒に、来る?」
「んん?バス(風呂)?」
 こくん、と首を同じ方向に傾けたウォレンの様子に笑った。
「バス、の後にバスに乗って、ツアー」
 ひょい、とウォレンが肩を竦めた。それから、酷くあっさりと返事が返される。
「うん」
「あ、そう―――――そっか」
「うん」
 もう一度、自分の内側と相談してから返事したかのように、こくん、とウォレンが頷いていた。
「そっか……」
 自分で言い出したことながら、そう簡単に答えが返されるとは思っていなかったトッドも、やっぱり内側で自分に相談するように声にし。それから、ふにゃりと笑っていた。
 そのまま、なんだか嬉しくなって。両腕を伸ばしてぎゅうっとウォレンを抱き締めてみる。
「ウォレン、オマエってばやっぱり不思議なヤツ」
 すい、と体重を預けられて、ふわりと微笑んだまま、トッドは呟いた。
「わお」

けれど。
「そうかな」
 トッドの驚愕に納得していないトーンで返された返事に。トッドは僅かに何故だか焦って、少し身体を離してウォレンのカオを覗き込んだ。
「そんな驚くことか?」
 む、と。愛らしい、とも言える懐っこい顔が、不服そうに眉根を寄せているのを見遣って、だってさ、とトッドは手を広げた。
「言われなれてる返事といえば。仕事がある、親に怒られる、バイトがある、学校がある、コドモがいる、伴侶がいる、犬が、猫が、ハムスターが、だぜ?」
 そんな風に返事をもらえたことなんかないし、と。トッドも少しだけ頬を膨らませる。
 ふ、とウォレンが小さく笑った。
「ヘィ、トッド。あんた、ネズミ以下?」
 ハムスターって鼠なのか?とトッドは一瞬考え。
「あ、考えたら酷いな」
 同じげっ歯類だったっけ、と思い至って思い切り眉根を寄せた。
「コドモ、ツレ、犬、猫、仕事、まではまぁわかるけどさ」
 真面目な口調でも、思い切り笑っているウォレンのヘヴンリィブルゥアイズを見上げて、むう、と更にトッドは口を膨らませた。
「ま、でも。家族は置いていけないの、オレも一緒だし。ネズミだって家族だって言われたらさ」
 しょうがねえじゃん?と立てた膝に肘をついて。む、と唸って返す。
「バッカだね、アンタ。ネズミが一番連れて行きやすいのに」
 くく、とウォレンが笑い出し。その声は収まるどころか、ますます大きくなっていった。
「わかんねぇよ。デリケートかもしんねーし」
 鼠飼ったことねえもん、と少しだけウォレンを睨んでみる。
「ネズミ以下、はははは」
 ますます笑ってリネンにひっくり返ったウォレンから視線を外し。不機嫌丸出しの声でトッドが応える。
「どうでもいいよ。理由があるなら」
 どんな理由であっても。ダメだってことに変わりはないわけだし、とぶつぶつと口の中で文句を言えば。ひょい、とウォレンがリネンからカオを上げた。
「だろうな、あんたの一番でもなかったんだろうしね」
 ウォレンの言葉に、ぶちぶちと文句を垂れていたトッドはそれらの言葉を飲み込み。ひとつ瞬いてから、ぼそ、と返事を返した。
「誰かの一番って、わかんねえ」
「うん、」
 優しい声で肯定する返事が返されて。トッドは目をまた瞬いてから、ウォレンのほうに身体を乗り出してその目を覗きこんだ。
「……怒んねえの?」
 トッドのヒトコトに、ふにゃ、とウォレンが笑った。甘やかすような柔らかい笑顔だった。

「なぁ、」
 コイツが猫だったら、尻尾が揺れるみたいなカンジなんだろうか、とトッドはその笑顔を見詰めながら思った。猫、飼ったことないけど、と付け足しつつ。
「おれも理由つけたほうがいい?」
 すい、と身体を起こしながら訊いてきたウォレンを見詰めながら、ふる、とトッドは首を軽く横に振った。
「ついてくるのに?―――――別に?」
「ふぅん、」
 どこまでも穏やかなウォレンがふにゃりとまた笑うのを見詰めて。さっきまでの不機嫌がするりと消えていくのをトッドは自覚した。そのことを不思議に思いながらも、うん、と頷いて返す。
「来るなら来るで、いいじゃん」
 余計な理由もいいわけもいらない。一緒にいたいから一緒にいる、ただそれだけがイイと思う。
 すい、と首を傾けて、ウォレンと向き合う。
 ああ、コイツ。なんかカワイイな。手を伸ばして触れたいなあ、とのんびりと思いながら、けれどその衝動を堪えてみる。
 すい、とウォレンが静かに微笑んだ。
「トッド、あんたはきっとさ、くっついていった先で例えばおれが黙ってバックレたとしても、そのままスルーすンだろうね」
「んー?」
 告げられた言葉の意味を一瞬考えてから、トッドは真っ直ぐに視線をウォレンに返した。
「きっと、寂しいけどさ。でも一緒に居たくないなら、居て欲しくない。なんだかんだ理由つけてそれに縛られてたりしてほしくないし―――――たった一つ理由があるとすれば、一緒に居たいから、だけでいいと思う」
 ちら、と。いつも顔を見合わせるたびにケンカをしていた両親の顔が頭を過ぎった。口汚く罵りあう二人の側に居るのが辛くて、カーラといつも家を飛び出して公園などで時間を潰していたことも。

「ふぅん?」
 トッドの返答に鼻を鳴らしたウォレンは。次にはやけに決意に満ちたトーンでトッドに宣言した。
「決めた。“そんなことさせない”ってあんたにそのうち言わせてやる」
 くう、と唇を吊り上げたウォレンが、どさりと隣にダイヴするように横になってきたのに、うわ、とトッドが小さく笑う。
「なんだよ、それ」
 意味がわかんねえよ、と呟きながらも。すい、とウォレンの隣に腰を移動させ、こてん、と身体を横に倒した。
 直ぐ真横にウォレンのカオがあって。酷くイノセントな目で見詰められた。ふわりと心の内側が甘くなるのは何故だろう、とトッドがじっと見詰めながら思う。
 官能的なラインを描くウォレンの唇が、ふわりと開いた。
「だってまだあんたのこと泣かせてねぇし、ぜんぜんたりねぇし」
 告げられた言葉を咀嚼して、トッドがくぅ、と破顔した。トン、と首を伸ばして唇にキスし。それからまたリネンに頭を預けて告げる。
「ファックも――――あー、ヨかったけど、」
 シてもされても、と呟いてから、ふにゃりと笑顔を刻む。
「でも、ウォレン。なんかさ、こうして話しているのも楽しい」
 くう、と細められたブルゥアイズを見詰めて、トッドが酷く素直に心情を吐露する。
 ふ、とウォレンが目元で笑った。
「どれがイチバン?」
 そうからかい口調で訊いてくるのに、本気でトッドは困ってしまって。けれど無性に嬉しさがこみ上げてくるから笑みは消せずに呟いた。
「分けてランク付けするのは難しい」
 する、とリネンを腕が滑るオトが響き。次の瞬間、きゅ、と首ごとウォレンの両腕で抱き締められていた。それが酷く気持ちがよくて。トッドは、こてん、と頭をウォレンの首元に押し当てて、目を瞑った。
すぐ近くでウォレンの声がした。
「じゃあ、“おれ”じゃん」
 いちばん、と続けられた言葉に、ああなんだ、そうなんだ、とトッドは腑に落ちて、ふにゃりと笑った。閉じていた目を開けて、ウォレンの目を覗き込むようにし。その柔らかな頬をさらりと撫でた。

「Warren?」
「Yea?」
 ふにゃ、と。ゴキゲンな猫のように柔らかでどこか幸せだと伝わってくる笑みを浮かべたウォレンの唇を、あむ、と啄ばんだ。
 それから目元でウォレンに笑いかけ。ふぃ、と思い浮かんだことを口にしていみた。
「一緒に眠ろ?」
「んん、」
 ず、と身体をずらし。同意を示して笑ったウォレンに両腕を伸ばして、その身体を抱き寄せてみた。酷く柔らかな感情が奥深くから沸き起こり。それをそのまま口端に刻んでみた。
 身体に添うように預けられたウォレンの体温が心地よかった―――――まるで、最初から自分の腕のなかにあるべきもののような気がして。
「ウォレン、」
「んー、」
 とろん、と柔らかな、どこかもう眠りに半分落ちかけの声が応えてきたのに小さく笑って。その濃いブロンドとも、薄い茶色とも取れる色合いの髪に鼻先をもぐりこませた。ちゅ、と額に口付けてから頭を抱きこむ。
 もぞもぞ、とさらにウォレンの身体が沿わされて。トッドはくすくすと笑った。
「Doesn't everything seem to be alright, somehow?」
 なんか知らないけど、こうあるべきだってなんでだか思わないか?と。とろとろとやってきた眠りに意識を任せながら訊けば。
「It happens, huh?(そういうこともあるね、)」
 同じくらいに蕩けた声が返され。しかもむぎゅ、と首元にカオを埋められて、トッドはふにゃりと笑った。
 Like shit happens, but this ain't no Shit, it's……。
 クソッタレな展開みたいに。ただこれはちっともクソッタレじゃなくて―――――
「I've been blessed, I think」
 くあ、と欠伸をしながら呟いた。
 ――――――なんか、祝福されたっぽい?

「Just sleep, babe(もうねろって、ベイビイ)」
 半分寝言みたいなトーンでウォレンに返された言葉に、ウン、と呟いて返した。
「We'll sleep tight for now, and later…」
 今は良く寝て。後で――――そこまで呟いて、トッドはオトを紡ぐのを止め、微かに残った意識で自分に言い聞かせるように脳内で呟いた。
 ―――――後で起きたら、なにをしたいか決めような。ひとまずオレは……さっきの続きがイイけど。








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