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ホワイト家の朝は早い。
リヴェッドはナイトクラブの店長をしているというからには、真夜中が勤務時間なのだろうが。小学校へと通うフェルーシアと一緒に朝食を摂るために、必ず起きだしてくるらしい。
夜、比較的に早く、そして深く眠った所為か6時にはゾロは起き出していたので。グラスに水でも貰おうか、とキッチンに足を向ければ、二人分の朝食を用意するフェルーシアが居た。そして珈琲を片手に朝刊を読んでいる主の姿も。
「おはよう、よく眠れたみたいだな、」
リヴェッドが柔らかな低い声で言ってきて、ゾロは小さく笑みを返した。
「お陰様で」
「サンジくんは、まだ?」
「ああ、魘されずに眠っているよ」
「それはなによりだ」
新聞に目を戻したリヴェッドから視線をずらし、フライパンでソーセージと目玉焼きを焼いているコドモに声をかける。
「よう、チビ。毎朝支度してるのか、オマエ?」
「チビではありません、フェルーシアです」
「フェルーシア」
「そうですよ。家事をするのがオレの役割ですから。けどゾロは勝手に作ってくださいね。ボクには時間がありません」
トーストがチンと焼き上がり。皿に乗せる。
「バター塗っておこうか」
「ありがとう、オネガイします」
出ていたバターを取り、入っていたナイフでスプレッドする。
香ばしい焼けた小麦にリッチなバターが染み込む甘い匂いが広がる。
リヴェッドが小さく笑っていた。
「サンジくんの方が家事をしそうなのにな、」
「起きてないからしょうがない」
軽く笑って返し、冷蔵庫を再度覗き込む。
「ヨーグルトとか食うのか?果物は?」
「ワタシの分を頼む。ヨーグルトとグレープフルーツな」
「ボクはいりません。牛乳はいただきますけど」
「果物とヨーグルトは身体にいいんだぞ、チビ」
笑ってゾロが言えば、すい、と朝食を盛った皿をテーブルに並べていたフェルーシアが見上げて来て。
「大きくなれます?」
僅かに首を傾げて訊いていた。
「多分ナ。オレが証拠といえば解りやすいか?」
「多少DNAに左右されるかとも思いますが、それならばいただきます」
「ああ、食ってろ。支度してやる」
「ありがとうございます」
リヴェッドと一緒に短く祈りを唱えたフェルーシアに背を向けて。ひとまず小振りのボゥルに盛ったヨーグルトを出してやり、それからグレープフルーツを皮むき機を使って支度した。
テーブルではリヴェッドとフェルーシアが朝食を摂りながら今日の予定を話していた。
どうやら午後にはリヴェッドが一度学校に顔を出し、学長に挨拶に行くらしい。
エスプレッソ・メーカで珈琲を入れている間に、フェルーシアは朝食を終え。身支度を整えてから戻ってき、用意してあったランチバッグを持って、鞄を担いでいた。
「また後でね、姉さん」
「今日は学校で会えるな。気をつけていきなさい、楽しんでくるんだぞ」
軽くハグと、頬にキス。
一緒に玄関まで出て行き、フェルーシアが一度振り返って、ぺこんと頭を下げた。
ゾロも笑って告げる。
「イッテラッシャイ」
「行って参ります」
小さな人影が明るい日差しに出て行く。
ぱたん、と扉が閉じられ。リヴェッドが小さく笑った。
「オマエ、以外と面倒見がいいな」
「チビがしっかりしているからだろ」
「ああ、まったくだよ」
キッチンテーブルに戻って、今後の予定を聞いた。
「今週の土曜日に挙式で、そのまま2週間、ヨーロッパに行ってくる」
「その間、ここで留守番ということなんだな?」
暫くこの家に居ろ、と言っていたベックマンの言葉をゾロは思い出す。リヴェッドがひらりと手を振った。
「ああ―――心配性なんだ、ワタシの最愛は。それもあってベンさんがオマエたちをこの家に寄越したんだと電話で言っていた」
「ふン?」
「越す家であっても荷物がある限り空にしておくのは無用心だと言うんだ」
「へえ」
くすくすと笑うリヴェッドが、酷く美しく見える。
幸せに満ち溢れた顔―――見ているだけで、気持ちが温かくなるような。
「で、いつ越すんだ?」
「挙式から帰ってきた頃に、新居の家具が全部揃うらしい。ルシーアは月曜日から学校に通わせるが、ワタシは休みを貰っているのでな。業者に頼んで、引き上げるよ」
「楽しい新婚旅行だといいな」
「楽しいに決まっているさ。なんと言ったって最愛の人が二人だ」
「ああ、旦那になる人と弟か」
「"愛すること"は幸せだよ」
ふわりとリヴェッドが微笑む。
「愛している人に愛されることは尚幸せだな」
ゾロは目を閉じて、その言葉を受け取めた。
昼前に起きだして来たサンジと一緒にランチを支度し。昼ごはんを終えてからリヴェッドが小学校へと車で出かけていった。
片づけを終えてしまえば、することもなく。
サンジが冷蔵庫を覗いて晩御飯の支度の前にケーキを焼くと言い出した。
「ケーキ?甘いもの好きだっけか?」
そうゾロが訊けば。
「んー…つうかさ、小学校から帰ってきたときにさ、焼きたてのケーキの匂いがしてると幸せな気分になったじゃん?」
にぱ、とサンジが笑った。
「ああ…そういや、そうだな」
ゾロも笑うと、ふにゃりとサンジが更に笑顔を和らげた。
「オマエのとこはどんなケーキだった?」
「クッキーとかは年がらあったな。客が来るとティラミス焼いたりな」
ゾロの返事にサンジがけらけらと笑い声を立てた。
「ああ。"アタシを上まで連れてって"ってか?」
「暫定天国ならともかくなァ」
「うーわ、エロぉい、オマエぇ!!」
サンジが笑いながら、キッチンにあったレシピブックを覗いていた。
「ティラミスはぁ…ああ、マスカルポーネがいるのか。ならダメだな」
「あれはチーズが不味いと誤魔化しようがねェからな」
「ふぅん…ああ、じゃあ今度作って?」
「は?」
にぱ、とサンジがまた嬉しそうに笑った。
「"暫定天国"ならいけるんだろ?"ティラミス"はだったら片道切符?」
サンジのあまりの邪気のなさに、ゾロは片手で顔を覆う。
「サンジ、オマエなあ」
「んにゃ?なんだよ?」
「よぉおっく今まで無事だったなオマエ」
「へ?」
「ばぁか」
トス、とサンジの額を突付くと。む、と頬を膨らませた。
「ええ?ナンデダヨ」
「それより、なに作るんだ?」
「あ、そっか。うんんっと…」
ぱらぱら、とサンジがケーキブックを捲っていく。
ふい、と見えたタイトルに、ゾロは指を差し込んでページを押さえた。
「これにすれば?」
「ん?…ええっと…"エンゼル・フード・ケーキ"?」
「そ。オマエが作るんなら、いいんじゃねェの?」
にかりと笑いかければ、きょとんとサンジが瞬いた。
「へ?"天使の食べ物"が?なんでサ?」
「"天使チャン"」
「ダレがさ?」
「さあ?ダレがだろうなあ?」
くしゃ、と金髪を掻き混ぜれば、サンジは目を大きく見開いて。
「…オレ、結構凶暴だぞ?」
ぽそ、と呟いていた。
「野良猫だもんナ?」
「まーうん。けどさあ、」
はっし、とまだ頭を掻き混ぜていたゾロの手をサンジが捕まえ。じぃっとゾロを見上げた。
「なンだよ、」
「オレは野良猫で構わないけどさ、だったらオマエは狼くんだ!」
ぴしい、と指を突きつけられて、ゾロはぷ、と笑った。
「"ウォルフィ"?コードネームみたいだな、ソレ。」
「よし!じゃあコードネームはそれで決定な」
にひゃ、とサンジが笑う。
「オレが野良猫のロゥワンだったら、オマエはウォルフィだ!」
ウォルフィかよ、とゾロは呟く。
「それでもいいけどなぁ、オマエ。けどいつそれで呼ぶんだよ?」
ゾロが訊けば、サンジがうううん、と僅かに眉根を寄せた。それからすい、と真顔で見上げた。
「じゃあ、もしいつか、オレがオマエを呼ばなけりゃいけない時が来たら。オオカミくん、助けてぇ、ってメッセージ、送るからな?」
「ハイハイ。じゃあその時は助けに行ってやるよ。オレが生きてたらな」
すい、とサンジが視線を落とす。
「サンジ?」
「…オマエは…」
きゅう、とサンジがゾロのシャツを握り締めた。
「どうした、野良猫?」
「……まるで硝子みたいだ」
「―――サンジ、」
「……ヤメた」
する、とサンジが手を緩める。
それから、真っ直ぐにゾロを見上げ。
ふわ、と柔らかな笑みを浮かべた。
潤んだままのブルゥアイズをゾロは見詰める。
「側に置いてもらえるだけでイイって言ったもんな、オレ」
「…だぁから、サンジ」
僅かな苛立ちを隠すように言ったゾロの首にサンジが腕をするりと回した。
「オマエみたいなヤツがいるのって、すっげえ奇跡だと思う、オレ」
「―――ソレはオレのセリフだ、天使」
呟くように囁いたゾロに、サンジがくすんと笑った。
「オレは天使なんかじゃないよ、ゾロ。ただの野良猫、オッケイ?」
そう言ってから、するん、と猫のようにゾロの肩口に頬を摺り寄せ。それから離れて、ふわりとまたサンジが微笑んだ。
「けどステキな女神様とかわいい天使クンに食べさせるフードを作るのは手伝えよ?」
レシピをまた覗き込み始めたサンジの髪を後ろから掻き混ぜ。
ゾロは小さく苦笑して言った。
「ベンさんに電話して、材料持って来させようぜ。もしかしたら、悪魔がツれるかもしんねーぞ?」
すい、と金色が振り向いて笑った。
「うーわ、それって赤い髪の"悪魔"?」
「ベンさんも相当手強いらしいけどな」
「よし!是非やろう!じゃあ材料大目に見積もらないとな。ああ、型もいるんだ。持ってきてもらおう。オオケイオオケイ、じゃあ電話してくれな?」
にひゃ、とサンジが猫のように笑った。
「卵白がいるから、卵と…グラニュー糖、それと薄力粉。牛乳…はあるからいいか。サラダ油と塩もいいとして…ああ、あとバニラオイルな!そんでもって生クリームと…仕上げ用にホワイトチョコレート。シフォンケーキの型3個な!真っ白のふわふわ、作ろうぜ」
「番号は押してやるから、オマエ自分で頼め」
受話器を引き上げ、ゾロは苦笑した。
「おっけい」
にか、とサンジが笑って、ハヤクハヤクと急かしてくる。
番号を押してサンジに受話器を手渡せば。ふわ、と軽やかな口調でサンジがベックマンに話していた。
ひとまず昨日の惨劇は、サンジにとっては闇の中だけの記憶になったらしい。
ゾロは小さく苦笑しながら、朗らかに電話で会話するサンジを見詰めた。
柔らかな日差しがキッチンの中を照らしていた。
→ 3、5