*8*
身体中の痛覚が稼動しているようだ。
いつのまにこさえたのか、無数の切り傷からじんわりと血が滲み出してくる。
こめかみから溢れる血が流れてきて。
ゾロはグッと顔を顰めた。
それから大人しくなった鬼徹に、やさしく唇を寄せて。
感謝の意を示してから、鞘に戻す。
チン、と涼やかな音がして。
(終わったな…)
ふと、漏れる陽光に気付き、カーテンに近づく。
シャッ、と音を立てて引くと。
眼下に、キラキラと眩しく光る大海原が広がっていた。
地平線に沈みかける太陽。
思ったより、時間がかかっていたらしい。
「う…」
放り出しっぱなしだったサンジが、小さくうめいて。
視線を室内に戻すと、寝惚け眼のコイビトが、ぼんやりと座っていた。
そして、裸体の領主に気付くと。
「あ、ああッ!?ど、どうしたの、リヴェッドちゃん!!賊にでも、襲われたのかい!?」
大声で喚いてから、サカサカサカと這うようにオンナに近づいていった。
慌ててシャツを脱いで、彼女に着せ掛けてやる。
そして、ふと周りを見回して、嵐が通り過ぎたような部屋の惨状に気付く。
うめくローブ姿の、満身創痍の術者どもにも。
ふとサンジの視線がゾロの足を捕らえ。
視線がゆるゆると上に登って、ゾロのそれと絡み合う。
「…オマエ、ここで何してンだ?」
子供が問うように、疑問を口にするサンジ。
ゾロは苦笑を漏らして、視線を落とす。
「あ?オレか?…バケモノ退治、かな」
「ふーん…ていうか、なんでテメぇまで、傷だらけなんだよ?…血、出てるぞ?」
「そうか…オマエは?」
ちらり、と視線を持ち上げ、サンジを見て。
「オレ…?どこも、なんともねェけど…」
「なら、いい」
サンジに近寄り。
跪いて、サンジの状態を見る。
胸の呪の形に、思わず顔を顰める。
(…六芒星。ロクなモンじゃねェな)
妖刀を少しだけ鞘から出し。
2本の指を軽く滑らす。
とろり。
溢れ出してきた血に、眉を顰め。
パチクリと瞬きをするサンジの胸に、指を滑らす。
「うわ、擽ってェよ、コラ!…何してンだよ」
「別に」
集中して、一字を書き上げる。
「うわ、オレまで血だらけに…なに?文字?」
「…後でフロ、入れ」
「そりゃ、入るケドよ…」
そして。
足元で蠢いた領主の額から、サークレットを取り去る。
ソレは簡単に外れた。
(…ったく、こんなモンで…)
一つ、溜め息を吐いて。
気を取り直して、倒れた女の血の気の失せた頬を叩く。
「お、オイ!レディに乱暴するのはヤメろ!!」
「うるせェ」
「っていうか、この惨状、オマエのせいだろ?どうすンだよ?高くつくぞ!!」
「うるせェから、黙っとけ」
「うるせェって、ナンだよッ!!」
キレて叫ぶサンジを、一瞥する。
「…いいから、黙っとけ。頼むから」
オンナに向き直って、再度頬を叩く。
ペチン、ペチンと音がして、その度、サンジの気配が飛び上がるのが解る。
「う…」
赤い睫毛が小さく震え。
緑の双眸が、ゾロを捉えた。
「よぅ、リヴェッド・フェリクルー」
背後で、サンジが息を呑んだ。
「…ロロノア・ゾロ」
掠れた声が、小さく応えた。
「…赤髪の魔女が、こんなトコで何してやがんだ?」
「……」
「しかも、こんなモンに、遊ばれて」
ちゃらり、とサークレットを目の前で揺らす。
「エクソシストが、乗っ取られちまったら、世話ァねェだろ?」
「…面目無い」
『赤毛』の『魔女』『リヴェッド』は『男好き』。
キーワードは、このオンナを指し示していた。
…本人を目の前にして、やっと思い出したということは黙っておいて。
(オトコズキ。……!!)
「おいッ!!リヴェッド!!」
「…なんだ?」
いきなり大声で名前を呼んだゾロに、思いっきり嫌そうな顔をして。
リヴェッド・ホワイトことフェリクルーは、ノロノロと身体を起こした。
「てめェ…オレとコイツを兄弟にしちまってねェだろうな!?」
ゴンッ。
背後から、サンジに踵落としを食らう。
こめかみから、新たに血が流れ出る。
「ってェ〜!!」
「テ〜メ〜エ〜は〜ッ!!いきなりなんてコトを訊いてやがるッ!!このアホ剣士ッ!!!カビ頭ッ!!寝太郎ッ!!」
「つか、元と言えば、オマエがノコノコとこんな年増に付いていくからいけねェんだろッ!」
立ち上がりざま、後ろを向いてサンジに噛み付くと。
赤い顔をしたサンジが、今にも泣きそうな顔でゾロを睨んでいた。
「オレはッ!ここへは香草を分けて貰いに来ただけだ!町のオヤジが、珍しいスパイスも、ここでなら
手に入るって言うから!!」
「スパイスだのなんだの、無くったって、別にどーだっていいじゃねェか」
「バカッ!!オレはだなぁ、キサマに美味いモ…」
顔を真っ赤にして、口を手で覆うサンジ。
「…?」
「…な、なんでもねェよ」
プイ、と横を向いて。
その膨れた顔が、なんだか愛しくて。
ゾロは空を仰ぐ。
(あーあ…オレは一生、コイツに勝てねェかも…)
悔しいが、なんだか嬉しい敗北感に、つい笑みが零れる。
「ッ!ゾロ、てめェッ!!ナニにやけてンだよッ!!」
「ハハッ!気にすンな」
「バカヤロゥ!!」
唸るサンジに笑いかけたところで。
「ご無事ですか、領主サマ!?」
警備員たちが大挙して押し寄せてきた。
*9*
「なんだかスゴい音がしましたが!!」
「うわ、一体何があったンですか?…あ!ソコの緑頭!!キサマが全部コレやったのか!?」
「つか、リヴェッドさま!なんて格好なさっているんです!?まさか、襲われていたりとか!!」
襲われていたのはこっちだ、と言いたいゾロはさておき。
ワラワラと集まってきては喧喧囂囂と騒ぐムキムキ警備員たちに、リヴェッドは手を振って下がらせる。
「…いい。この男たちは、客人だ。それより、レームスたちに医者を呼んでやってくれ」
「は、はい!…あの〜」
「なんだ?解らないことでもあるのか?」
「あ、いえ…随分と、雰囲気が変わられて…」
「ああ…すまない。地はこんなものだ。これから追々慣れてくれ」
「はぁ…」
スゴスゴと引き返す、警備員たち。
入れ替わり、フリフリ衣装の使用人たちがやってきた。
「…リヴェッドさま…お掃除はいつほどから始めましょうか」
「ああ、すぐにでも始めてくれ。ワタシの着替えも用意してもらえると助かる。
それから、こちらの客人たちにはフロの支度と着替えを。船に伝令を走らせて、
こちらの事態を適当に説明してきてくれ」
「かしこまりました」
年配の使用人頭と思しき男が頭を下げ、子供のフリフリに命令を下していく。
『赤髪の魔女』とも『赤毛の魔女』とも呼ばれる、その実態はエクソシストのリヴェッドは、
くるりとゾロとサンジに向き直った。
「あの、リヴェッドちゃん…?」
「サンジ殿、巻き込んでしまってすまない」
「はぁ…」
頭を丁寧に下げるリヴェッドに、サンジは浮かない顔だ。
しかし、リヴェッドはそれに構わず、ゾロに向き直る。
「久しいな、ロロノア・ゾロ」
「…あァ」
「久方ぶりだというのに…面倒をかけた」
「…そうだな。なんでこんなコトになったんだ、オマエともあろうヤツが?」
「ああ、話せば長くなるのだがな…ここは、地形が良くてだな、育てにくいある種の香草や薬草を
育てるのに最適なんだ」
リヴェッドが言うのには、ここの屋上の気候、湿度、空気、日照時間、その他諸々の理由で、
己の魔術に使う珍しい種類のハーブ類を栽培するのに、うってつけなのだそうだ。
リヴェッドは流れ者のエクソシストとして、悪霊成敗の巡業に廻っていたのだが、
手持ちのそれらが不足気味になったため、ここを訪れたらしい。
「もちろん、領主に取り入ろうという気はサラサラなかったのだがな…まさか無償で
土地を借りるわけにもいくまいからな、滞在中は宿賃のかわりに治世を手助けしてやろうと思ったのよ」
占いは、いわば魔女の副業だから。
「もちろんこんな時世だ、グランドラインのこちら側には渡航者が少なく、貿易など以ての外だろう?
それで、まぁ農業のことだとか、気象のことだとかのアドヴァイスをするぐらいだったのだがな…
なぜか、偉くカークさまに気に入られてな、ついつい2年ほど居座ってしまったのよ」
使用人頭が差し出した、真新しいローブを羽織ながら、深い溜め息を吐く。
「さてハーブも揃ったし、やれ暇を請おうと思ったらな…領主さまがご病気になられてな。
恩もあることだし、ならば一つ、病気が回復するよう、とりついていた病魔を祓ってやろうと術を
かけていたらな、ご子息のマークさまが」
「マーク?」
サンジが途中で口を挟む。
「ああ…そういや忘れてたぜ、あのバカ」
ガシガシと頭を掻く。
「そう、あのバカ、だ。あのバカは術の間に部屋に入ってきてな…」
溜め息を吐きながら、リヴェッドは淡々と説明していく。
術が失敗し、病魔に睨まれ金縛り状態になっていたところに、この塔に古くから伝わる
呪われたサークレットを持ってきて、『悪いケド、呪われてもらうよ』と言って、
リヴェッドに着けさせたということだ。
「病魔はあっさりカークさまの命を持っていくし。ワタシは表層意識を持っていかれるし。
ホトホト困った」
「…でも、リヴェッドちゃん。その息子はどうして?」
「ああ…そのサークレットには、あるご婦人の霊が憑いていてなぁ。
何代目かの領主の子女だったんだが…弟君に支配権が譲られたのが腹に据えかねて、この塔から
飛び降りたのだな」
ゾロの手から、サークレットを取る。
「一度でいいから、領主としてこの地を治めてみたかったらしい。マークさまご本人も、
跡取としてやっていく能力が無いのを知っていたんだろう。ワタシが出て行く前に、
彼女をワタシの身体に憑依させることで、二人の間の取引が成立したらしい。
カークさまの実子なのだがな…どうしようもない性格でなぁ…」
髪の毛を一まとめにし、後ろで結わく。
それだけで、印象がキリリとするのだから、女は化けるものだ、とゾロはチラリと思う。
「ただ、霊体が長く身体に『主』としてとり憑いていくには、かなりエネルギーがいてな…
若くて活きのイイ人間から常に搾取していかなきゃならなくてな。この塔で働くのがオトコばっかり
だったのは、憑いていた霊の好みだったというだけのハナシなんだが」
「え?じゃあ、オレも…?」
サンジが指で自分を示し、訊く。
「いや、生憎…そればっかりじゃ、エネルギーの搾取の効率が悪くてな、今までは逃げ込んできた
海賊とかを喰らっていたのだが、最近はとんと訪れる人がいなくてな。…サンジ殿は、久方ぶりの
獲物だったのよ」
そう言って、リヴェッドはさらりと苦笑する。
「この島の人間を殺めるのは、彼女の趣旨に反していたのでな。まぁ、なんにせよ、無事に済んで
よかった」
サーッと顔から血の気を引かせて。
サンジがちらりとゾロを見た。
手を伸ばし、くしゃりとその髪を撫でてやる。
(ああ…まったく。間にあって、助かった)
リヴェッドはさっさとローブと一緒に持ってこられていたスリッパに足を通す。
パリ、と足元で砕けたガラスが音を立てた。
「ああ、サンジ殿にも、なにか履く物が必要だったな」
「いや、かまわなくていい」
ゾロはクルリとサンジに向き直る。
「な、なんだよ」
ツッとあとずさる。
「イテッ」
「ってコトだ。大人しくしてろ」
そして、サンジをひょいと肩に抱え上げる。
「わ、コラ、バカッ!」
「暴れンな」
「って、下ろせよッ!!」
「やだね」
「ばかッ」
「……」
ボカスカと背中を叩かれ、傷が開く。
けれど…。
(…コイツが傷つくよりはマシだ)
「…サンジ殿」
「う?」
リヴェッドに声をかけられ、サンジが固まった。
「彼の傷が開く」
「え?」
「リヴェッド」
余計なコトは言うな、と目で伝える。
リヴェッドは苦笑を浮かべた。
「…もう少しの辛抱だ。あまり暴れずにいてくれ」
「あ、うん」
*10*
ゴージャスな応接室に通される。
埃が舞った、元は私的書庫だという部屋とは、比べ物にならないくらいに落ち着いた雰囲気。
ソファの上にサンジを下ろして、隣にゾロも座る。
リヴェッドは、その向かいに腰を下ろした。
「さて。その術を解かないといけないのだが」
「え?術って?」
「申し訳ない。サンジ殿を眠らせた後で、生贄の印を書いてしまったのでな。ロロノアが封じてあるが」
サンジがゾロを見る。
「…さっき、血で書いただろ?」
「…おまえ、そんなコトまで出来るのか?」
「あー…実は、コイツに習った」
リヴェッドを指し示す。
「え?」
「まぁ、宗派が違う、というか、背景が違う、というか。大まかに、必要な心得だけだけどな…何年前に
なるかな」
懐かしそうにゾロを見るリヴェッド。
ゾロは小さく、肩を竦めた。
「さァ、忘れた」
サンジがじっとゾロを見詰める。
「ワタシがその術を解くのが一番なんだが…」
チロリとゾロを見るリヴェッド。ゾロは方眉を跳ね上げた。
リヴェッドがクスリと笑った。
「生憎、ワタシにはその体力が残されておらんのだ。今、湧き水を汲んでこさせてあるから、
風呂場で解いてもらうといい。ロロノア、やり方は解るか?」
最後の方は、ゾロに直接語りかける。
「あー…あァ。術の形態は、ムシしていいのか?」
「体力に負担がかかが…?」
「まぁ、仕方ねェな」
「…まぁ、清めのぶどう酒ぐらいなら、作れるが。呪文はなぁ…古代魔術方式30212章第4行から
71行だからなぁ。説明しても、覚えきれぬだろうし。要点さえあってれば、解けるだろう」
ふむ、と頷き。
そこへ、使用人がもうひとりやってきて、リヴェッドに何事かを告げた。
リヴェッドは方眉を上げて、ゾロを見た。
「…ロロノア。おまえ、結構やるなぁ」
「あァ?」
「マークさまを、シーツで亀甲縛りにしたって?」
「あー…やぁ、普通に転がしておくには、腹が据えかねたからな」
昔とった杵柄かねェ、なんて呟かれ。
(うわ、黙ってろよ)
ゾロは少し焦る。
サンジはそれに気付いたのか気付いてないのか、胸に描かれた血文字をしげしげと見詰めていて。
ゾロは小さく溜め息を吐く。
「で…迫られたのか?」
リヴェッドがさらに訊き。
「え??」
サンジがガバッとゾロを見る。
ゾロは仕方なく、肩を竦めて誤魔化す。
リヴェッドがカラカラと陽気に笑った。
「まぁ、なんにせよ。アレにはお仕置きが必要だからな…もうしばらく放っておくか」
ゾロはマークを思い出し、思い切り顔を歪めた。
「…アレには調教が必要だぜ?」
「わかっている。乗りかかった船だ、アレが領主として勤まるようになるまで、きっちり教育してから
この地を離れるよ」
「懸命だな」
「それがワタシの責任だからな」
女領主は小さいフリフリをひとり呼びつけ、何かを用意するように告げた。
そして二人に向き直って、こう言った。
「もうしばらくで用意が整う。それまで申し訳ないが、そこで待っていてくれ」
サンジがこっくりと頷いた。
「ロロノア。医者には後で診るよう、言っておく。それでいいか」
「あァ。頼んだ」
「それじゃあ、後で」
ゆったりと立ち上がって、部屋を後にするリヴェッドを見送って。
ゾロは大きな溜め息を吐いた。
「まいった…」
サンジは、少し硬い声で、ゾロに訊いてきた。
「どういう関係だ?」
「アイツか?…昔、海賊狩りやってた頃、逢ったんだよ。アイツは占い師もやっててな…
面白い相だから、診てやるって言われてな」
「ほー?」
「まぁ、人斬りをメシのタネにしてたからなァ…見えるんだよ。てめェも気付いていやがんだろ?」
サンジはズボンのポケットをゴソゴソとしながら、答えた。
「…霊魂?」
「あァ」
「まぁな…オレには見えねェけどよ…たまにオマエ一人で、やたら殺気立ってるしよ。もしかしたら、
そういう体質なンかと」
ついでに、サンジは通りがかった青年のフリフリに、タバコを持ってくるように言った。
「それでだな…仕事柄、タチの悪いのに憑かれるやすいというか、纏わりつかれンだよ」
ゾロが続ける。
「ほほぅ」
サンジは相変わらず、この無い返事だ。
「それでな、まぁ、効率よく、悪い気を消滅させる方法を習ったってワケだ」
「へぇ」
「オレは不器用だからな…力ワザでも的確に祓えるよう、コツを少しな」
「ほー…んで。なんでオレとオマエが兄弟になるわけ?」
じとッと見られ。
(うわ、やっぱりキッチリ聴いてやがった…)
ゾロは小さく舌打ちをし、ガシガシと頭を掻いた。
途端、手に付いた血糊に、顔を顰める。
フゥ、と溜め息を吐いて。
「そりゃーオマエ…若いオトコとオンナだし?」
「…けッ。そーかよ」
「ま、昔のハナシだ」
「そりゃーそうだろうよ。ケド、ここのバカを亀甲縛りってなンだよ?」
「あァ?」
「なんで不器用なオマエが、そんなワザ知ってンだよ?なんでリヴェッドちゃんが『昔とったキネヅカ』とか
言うんだよ?」
「あ?なんだ、オマエも縛られたいのか?」
わざと逸らすと、ベチッと頭を叩かれ。
しぶしぶ答える。
(できれば…言いたくないんだがなぁ…)
「…しばらく花街で用心棒やってて…そン時、やらされたんだよ。手が足りねぇからって」
「ほー?んで、彼女は?」
「リヴェッドは、その時、花街で占い屋を開いてたんだ。ねーさんたちは、スキだろ、ああいうの」
「…そういや、ナミさんも星占いとか熱心に読んでたっけ」
「…そういうコトだ」
「フン」
不服そうに鼻を鳴らしたサンジを、ゾロは横目で見る。
「てめェだって…あんま言いたくねェ過去話ぐらい、あるだろ」
タバコとライタと灰皿を持ってきた使用人からそれらを受け取って、さっそく一本に火を点けて一服。
「あー…そう、だな」
どさり、とソファに凭れ掛かり。
まぁ、てめェがここのクソ跡取りになんもされてないってことで、イイとするか。
ゾロにだけ聴こえるように、歌うように囁いた。
サンジを見ると。
何事も無かったかのように、天井を見詰めていた。
くしゃり、とサンジの髪を掻き混ぜて。
オレにゃ、オマエだけでいい。
呟くと、バカ、と小さな返答が返して寄越した。
バサバサと散らばった前髪の下、顔を真っ赤にして。
*11*
リヴェッドに、清めのワインをボトルで貰って。
二人で風呂場へと案内された。
すでに日は落ちて。暗い海が窓の外に広がる。
あえて電気は点けず、蝋燭で照らされた室内。
床に撒くように置かれた薬草と花弁。
妙に厳粛な空気に、サンジが息を呑む。
着替えも新たに用意され、それから人払いがなされた。
サンジは途惑いも露わにゾロに訊く。
「なぁ…イケニエの印って、ドコにあンだよ?」
「あ…?ちっと待て」
コイツもカンがいいのか鈍いのか、なんて言葉は口の中で濁して。
さっき切った指先はすでにカサブタになり始めていて、仕方なく、腕のきれいなところを選んで、
鬼徹でうっすらと切る。
「ほら、舐めろ」
「え?」
サンジがざっと一歩引く。
「いいから。血を舐めろ。んで、飲み込まねェで、口の中で転がしとけ」
「…う〜」
不満そうな顔をしながら、口を付ける。
少しだけ吸って。
「見てみろ」
上半身をトンと押す。
「えええええーッ!?」
サンジが大声を上げる。
「な、ナニこれ!?」
「式」
「あ…消えてくぞ?」
「そりゃー、オレの血が薄まったからだ。まだそこに刻まれてるよ」
「ほえ〜」
大理石の風呂場。
大きな盥いっぱい、水が張られていた。
背後には、アツアツのお湯が満ちた、湯船が。
「先に、式落とすから。湯船にはまだ入るなよ。先に服脱げ」
「あ?…なんで落とすの?」
刀を濡れないところまで運んで。
鏡に映った己の状態を見て、あーこの服もう着れねェな、なんて思う。
「…だからさ、その悪霊は追っ払ったんだろ?なんで、この印は残ってンだ?」
少し離れたところでズボンを脱ぎながら疑問を口にしたサンジを振り返る。
「生きてるモンってのは、身体と魂がキッチリ繋がってンだよ。だから、普通に元気なヤツには霊は
取り付かねェ。けどな、病気になったり、心が脆くなってたり、死ぬ間際ってのは、その繋がりが
緩くなるんだ。解るか?」
サンジはふむ、と頷いた。
「式ってのは、無理やりそれを強めたり、弱めたりして、魂が身体から抜けやすくするんだ」
血が乾き始めてバリバリになったTシャツを脱ぐ。傷口に張り付いていた部分を力で引っ張ると。
「あ!コラ!ばかッ、血が出たじゃねェかッ!!」
サンジが慌てて寄って来た。
「あー…気にすンな」
「気にするに決まってンだろ?」
開いた傷口を、サンジがなぞる。
湧き上がる感覚を押し殺して、サンジに向き直る。
「…人に害を成す霊魂てのは、だいたい生きている人間に取り付いたり、もしくはその人間を
向こう側へ引っ張り込もうとするんだ。アイツに憑いていた霊は、オノレも霊魂だから、
一度術を使って霊魂を半分、身体から出す必要があったんだ」
「…で?」
見上げたサンジの頬に手を伸ばし、触れる。
ほんのりと伝わる熱に。
今更ながら胸を撫で下ろすオノレの愚か加減を笑う。
「普通死ぬとき、人間の魂は上に昇ると言われている。そして…いずれ消滅するか、転生するか、
どうにかなるんだと。けどな、生贄の式を行うと…魂は上へ昇る道を隠されてしまうんだと。
無理やり健康な身体から魂を引っこ抜かれるワケだから、魂にはこれ以上とないくらい、
力に溢れているだろう?霊がエサにするには、極上のものなんだ」
生きている。
それがどんな奇跡なのか。
生きている間には気付かない、限られた時間だけ燃える炎。
こんなにも愛しい。
力の限り抱きしめると、サンジはポンポンとゾロの背中を叩いた。
「…これが刻まれた間は。魂が抜けやすいんだ。その分、悪霊に取り込まれやすい。だから…」
「わかった。んじゃ、チャカチャカ解いて、さっさと戻ろうぜ?みんな…心配してる」
「あァ」
「んで?どうすんだ?」
「…リラックスして、任せとけ」
「わかった」
クス、とサンジが笑った。
唇が、肩に口付けを落とす。
「…任せたからな」
*12*
サンジに下着を脱ぐように言ってから、自分も残りの服をささっと脱いで。
背後に視線を感じながら、盥に張られた水を桶にとる。
そして、それを勢いよく頭から被る。
2度。
3度。
冷たい水に、肌に張り付いていた埃が流れ落ち、身が清められていくのを、心地よく感じる。
プルプルと頭を振って、水を切り。
次にサンジを引き寄せてから、同じように水を被せた。
冷たさに身を硬くして。
けれども、文句は言わない。
前髪を手でかきあげてやってから、横に置いておいたワインの栓を抜いて。
サンジの胸の上に少し注ぎ、書いた血文字を指で擦って消す。
くっきりと浮かび上がる、魔方陣。
指でなぞる。
「…具体的には、なにすンだ?」
「あー…そうだな」
一口、ワインを口に含んで。
それをサンジの口に、注ぎ込む。
「…オマエは、あの霊のエモノとしてマーキングされたんだ。わかるか?」
コクンと飲み込んだのを確認する。
「それで、オレがアイツを追っ払った」
「そうなのか」
「長ったらしい儀式を通せば、一枚一枚かけられた術を取り除いていくことができるんだが。
オレたちには、そんな時間は無い。だろう?」
「…そうだな」
ゾロは瞳を伏せる。
側に佇むサンジの熱が、少しずつ上がっていくのを感じる。
「だから…オレが上位の存在として、オマエを食っちまえば、術が最後まで遂行されて、効力を失うんだ」
「…まるで、肉食獣だなぁ」
サンジがクスリと笑い。
「…弱肉強食の世界だからな」
「で、オレは可哀想なエモノってわけか」
「あァ」
「まったくなァ…」
サンジがちいさく溜め息。
「…だから。今だけでもいいから」
瞳を開けて、サンジの目を捉える。
「身も心も、オレのものになれ」
濃い青の瞳が、真剣な眼差しでゾロを見詰め返し。
フワリ、と蕩けた。
「バカだなァ…今更だろう?」
口付けを交わす。
冷えた体を抱きしめる。
それはすぐに温まることを知っているから。
背中を撫でてやりながら、舌を絡ませる。
軽く吸って、吸い返される。
夢中になる前に、口付けを解いて。
ワインをもう一口含んで、口移しで飲ます。
「…コレに意味があんのか?」
弾みだした息の間に、サンジがそっと囁いて訊ねる。
「ああ…気を混ぜてるから」
「ふーん…そっか。コレ、薬草入ってンのな」
ボトル半分ぐらい飲ませると、サンジの身体がほんのりと赤くなっていくのが解った。
抱きしめた腕のなか、熱が上がっていくのを感じ取る。
「…寒いか?」
「…少し」
「…風呂、入れ」
「いいのか?」
「あァ。少し、暖まってろ」
サンジの手を離した途端、風がガタガタと風呂場の窓を叩くのが聴こえる。
「…うるせェ」
息吹を吐き出しながら、低く唸る。
「アイツは、オレの、だ」
獣の本性が、表面に浮き出て。
空気が色を変えたのを知る。
「ジャマしたら、消す」
ギラリと空を睨むと、怯えるように窓が小刻みに揺れて。
そして、静かになった。
何も知らないサンジは、能天気に鼻歌を歌っている。
その素直さに、苦笑を漏らす。
殺気がすんなり宥められる。
サンジだけが、持つ魔法。
「ゾロ」
名前を呼ばれて、面を上げる。
「オマエも来いよ」
にこやかに誘われる。
白い肌が濡れて、眩暈がするほど惹きつけられる。
サンジがくすり、と笑った。
「…オマエ、怖いぞ」
「わりィ…抑えらんねェかもしんねェ」
「…構わねェよ。きっちり、喰われてやるから」
そうして伸ばされた手を取って…その手に口付けを落とした。
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