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 * 拾八 *
 
 吉原:『朱華楼』客用寝屋
 
 朱華楼の人間たちが起き出した気配に、コーザも起き出すことにした。
 扉を開けて人を呼べば、はぁいただいま、と柔らかな声が戻ってきて。サンジがとたとたと廊下を歩いてやってきた。
 手には洗顔用の湯桶を持っていた。どうやら支度をして待っていてくれたらしい。
 
 洗顔を済ませ、着替えも手伝って貰い。その間に褒美代わりにと、色々な話をしてやる。
 クスクスと笑いながら、サンジが着替えが済んだことを伝えてきたのにくるりと振り返った。
 さら、と滑らかな額を指先で撫でてやる。
 「サンジは太夫のことが本当に好きなんだな、」
 「あい、サンジはあねさまが大好きでありんす」
 にこにことしてサンジが応える。
 「あねさまは、芯では寂しがりなお人でありんすえ、コーザさまのような旦那さまがあねさまをご贔屓にしてくれておりぃすのが、ほんに嬉しゅうありんす」
 
 その答えを聞いて、コーザもにっこりと笑みを口端に刻み。
 「太夫こそ、良い禿を持てて幸せだね」
 そう言って、優しい光りをその双眸に浮かべた。
 そして、一瞬だけ考え込むようにしてから。
 「そうだな、あのヒトを悲しませるようなことだけは、おれもしたくねェよ」
 そう酷く真摯な眼差しで、そっと告げた。
 サンジはふわりと微笑んで、ぺこりと頭を下げ。それから、
 「今、太夫のご様子を聞いてまいりぃすゆえ、もう少しごゆるりとお寛ぎになっていておくんなんし」
 そういって部屋を出て行った。
 
 
 * 拾九 *
 
 吉原:『朱華楼』客用の部屋
 
 サンジが既に湯桶を持って既にコーザの居る寝屋に向かったと遣手に告げられたナミが戻ってきたのに合わせて、湯を沸かし。
 下ろしたままの髪を軽く背中の中ほどでナミに結ってもらいながら、薄く白粉を伸ばし。口紅を塗って眉と睫を黒くして化粧を終え。
 お茶を点てる用意をして待っていた雪花が、サンジに連れられてコーザが現れたのに、ふわりと微笑んだ。
 「ようお休みになれんしたかえ?」
 同じように柔らかに微笑んだコーザが頷いて肯定を返し。それから、そっと手を伸ばして雪花の頬に指裏を滑らせた。
 「太夫、さてあなたは何の夢を見られたか、話してはくれないか?」
 
 触れられたことに驚いて、雪花が軽く眼を瞠る。
 それでも優しい声で、
 「月が恋しくてそれとも涙されていたか、」
 と続けられ。心配そうに僅かに顔を曇らせたコーザの様子に、微かに微笑んだ。
 「生国に帰るなど、夢のまた夢。それは確かに哀しいことでありぃすけんど……あちきは今が続くことを望んでおりんすえ」
 そう告げて、じっと強い眼差しで見上げる。
 そしてもう一度、柔らかく眦の辺りを触れられ、その指先の感触を覚えこむように目を閉じた。
 「今がずっと続けば、と……」
 
 溜め息に乗せるように呟かれた太夫の言葉に、その言葉の意味を汲み取り。コーザは伏せられた目許を、三度そうっと指先でたどった。
 「また来る、」
 その酷く真っ直ぐな物言いに、雪花はゆっくりと目を開き。柔らかな光りをその双眸に湛えてイトオシイ、と告げてくる男をじぃっと見上げた。
 
 暫しそうして見詰め合ってから、ふ、とコーザが目許を微笑みに崩した。
 いつものように明るい声で、
 「送ってくれるのか?」
 と太夫に尋ねる。
 雪花は込み上げる切なさを無理矢理飲み込み、微笑みをそっと返してから。
 「あい、大門までご一緒しぃすえ」
 そう気丈に言葉にした。
 二人の様子をはらはらとしながら見守っていたサンジとナミが、ほっとしたようにお茶を点てる準備に取り掛かる。
 
 雪花が丁寧に茶を立て、コーザに差し出し。それを呑み干したところで、帰りの合図となる。
 茶碗を置いてからゆっくりと立ち上がったコーザに続いて、花魁も腰を浮かせた。
 流したままの髪が肩に落ちていたのをそっと指で払ってからコーザを見遣れば、いきなり腕が伸ばされ、その胸に抱き寄せられた。
 熱く逞しい腕に包み込まれたことに、意識が追いつかない雪華は目を見開いたまま身体を固まらせ。抱き締められたのと同じくらい唐突に腕が離されたことに、ふい、と男を見上げた。
 
 抱擁されることは、この時点ではマナー違反であっても。
 雪花はそれを厭うどころか、もう二度とそうしてもらえないかもしれない、という事実に、泣きそうに歪んだ顔を、懸命に微笑みに変えた。
 コーザが低く、僅かに掠れた声で、そうっと囁く。
 「約束は違えないよ、」
 優しく微笑みを向けられ、雪花が静かに目を伏せた。そうして震えるような囁き声で、一言だけ、あい、と返事を返した。
 その様子に、碧を抱えたナミとサンジが静かに顔を見合わせ。互いにこれは秘密にしておこう、と決めた眼差しを交わして頷きあった。
 
 雪花がゆっくりと目を開けてから、サンジに向き直った。
 「旦那さまがお帰りになりぃすえ、皆を呼んでおくれ」
 まだどこか掠れているようではあっても、りん、とした口調に、サンジがしっかりと頷きを返した。
 「あい、あねさま。ただいま」
 
 
 
 
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