* 弐拾壱 *
吉原:『朱華楼』雪花太夫の本部屋
ひょい、と喜助のエースが顔を覗かせた。
「用心棒が、自分のダチはただ者じゃねぇ、とか言っていやがったが。本当にすげえや。太夫、用意はいいですかい?」
「あい?」
目をぱちくり、と、瞬いた花魁に、エースはにかりと笑いかけた。
「へい。包みが届いていますぜ」
ひょい、と風呂敷に包まれたものと、手桶いっぱいに摘み立てと思われる百合が入れられたものを見せられた。
「花を立てるのなら、剣山がいりますかね?この量なら大きな花瓶にしやすか?」
部屋の中ほどに抱えてきた荷を置いたエースが、振り返りながらそう訊いた。
「ああ、ええと……花瓶を」
「へい。分けます?」
「あい。細いものをいくつか届けて貰いんしたら」
「りょうかーい。ならちょっと待っててくれな、花魁。ナミ、手伝ってくれ。サンジもな」
喜助が禿二人を従えて部屋を出て行ったところで、雪花は風呂敷を解いてみた。出てきたのは金で絵巻が施してある朱漆の、丸い取っ手のついた入れ物であり。その中には兎の毛で作った小さな毬や、鈴のついた鼠のオモチャ、小さな子供も喜びそうな、からくりでカタカタと走る仔鼠や仔兎や仔狐の木のオモチャがわんさと入っていた。
朝餉を終えてまったりと寛いでいた碧が、音に反応して真っ直ぐに飛んできたのに目を細めて。
それから百合の花に手を伸ばした。白いつるりとした花弁を、そっと指先で辿る。
ふ、と文が箱の横に置いてあるのに気付き、慌ててそれを広げた。
整った文字がすぐさま飛び込んできて、雪花はゆっくりと頭で音にしながら手紙に目を通した。
『碧には気鬱の晴れますように。太夫には、さてあなたは何か煩っておられるとのことを聞き及び。百合の項垂れるより先に、碧が曇っておられぬか確かめに伺う所存』
「……確かめに」
ぽそ、と呟き、字面をそっと指先で辿る。
小さく溜め息を思わず洩らしたことに気付き、また手紙を読み直す。
「あねさま、ただいま戻りんしたえ。お花を先に活けてしまいんしょ」
サンジが朗らかに言ってきたのに、そうでありぃすな、と振り向く。
細長い一輪挿しが二つと、少し大きめの、首がきゅっと細められ、角が緩く付けられた花瓶が部屋に置かれたのに微笑む。
「お水も入れて来ぃした」
ナミがにこりと笑ったのに、ありがとう、と雪花が微笑む。
「いまエースさんが盥に水を張って持ってきておくれぃす。先に布を敷いておいておくれ、と言われんした」
「あい。じゃあ支度をしておきんしょ。碧、あお」
鈴のついた仔鼠を咥えて、とと、と部屋を横切った仔猫を見て、ナミを見上げる。
「碧を捕まえておいておくれ。細いのを倒されんしたら、大変なことになりんすえ」
「あい。あお、あーお」
ナミが急いで猫を追いかけ始めたところで、サンジと一緒に大きな布を畳みの上に広げた。
「花魁、お邪魔しますよー!…っと。これでよし。終わったらまた呼んでくれな」
水を張った盥を布の上に置いたエースが、にかっと笑った。
「あい、ありがとうござんした」
雪花が笑みを浮かべて、エースが退室していくのを見詰める。
その間にサンジは心得たもので、花バサミと布巾を用意していく。
「あねさまはお花もお上手と朱駒のお師匠さんが言っていんした」
碧を抱いたまま、ナミが側に戻ってきてぺたりと真横に座った。
「花魁になるには大変でありぃすなぁ……あちきもあねさまと一緒に舞踊も和歌もやりぃすけんど、なかなかあねさまのようにはできんせん」
「あちきも最初はなぁんにもできんせんでしたえ、ナミ。明日花屋が通りぃしたら、お前の好きな花をお買い。それで練習しましょ、ね?」
「あい」
一本を手桶から取り、一度花瓶に挿して高さを見てから、盥に戻して水の中で余分な茎を切り落とす。
戻すと、少し身体を引いて全体を見る。
「百合の花は1本で存在感がありぃすねえ」
ナミがそう言ったのに、雪花は終わった細い花瓶をサンジに手渡した。
「あちきの生まれた家の外には、百合が植えられていんしてねえ。季節が来ると、ざあっと緑が伸びて。それから真っ白の花が現れて、側を通るたびに強い香りがしたものでありぃすよ。遠目で見ても、鮮やかな白が綺麗でありぃしたねえ…」
雪花の言葉に、はあ、とナミが溜め息を吐いた。
「ナミの生まれた家の外は、直ぐに田んぼがありぃした。秋になると穂が黄色になって、綺麗なものでありぃしたけんど……百合のほうが風情がありぃすなあ」
総ての百合を活け終わったところでエースを呼んで盥を下げて貰い。花瓶をサンジに頼んで部屋のあちこちに置いてもらったところで、碧はりんりんと鈴を鳴らしながら鼠を追いかけるのに夢中になり。
それならば、と敢えて碧は遊ばせておくことにして、御礼と返事の手紙を書くことにした。
まずは礼を認め、いかに碧が喜んでいるかを伝え。それから、こう続けた;
『項垂れてばかりいるのは花の生き様ではありんせん、と何度お師匠さんに叱られんしたことか。夜露を払っておくんなんすのは、誰ぞ花摘む人の手か、過ぎる時の為す技か』
言外に会いたいと書いてしまったことに、暫くの間筆を置けずにいる。
この文を受け取ったコーザがどう思うか、浅ましい人間だとは思わないだろうか、と悩み。
それでも、コーザ以外の人と添う気がないのならば、と覚悟を決めて紙を畳んだ。
「ナミ、お使いを頼まれておくれ」
振り返ったところで、サンジが代わりに手を差し出した。
「サンジ?」
「あねさまのお世話をこうしていたせる日も少のうなってきたみたいでありんすえ、サンジが代わりに」
「あい…そうでありぃすね。ではお願い」
「あい」
にっこりと笑ってサンジが部屋を出て行くのを見守る。
その瞬間、呼び止めて文を書き直したい衝動に襲われる。
ふう、と一つ息を吐いて、無理矢理視線を貰った手紙に戻した。
字面をそっと指先で撫で、それから丁寧に畳んでその上に口付ける。
それが年頃の乙女のような行動だ、と自覚して不意に可笑しくなり。手紙を文箱にそっと仕舞った。
ちりり、と音を立てて走り過ぎていった碧を見送ってから、ナミに視線を戻した。
「これを片付きんしたら、お箏を練習しんしょうかえ?」
「あい、あねさま」
「サンジが戻ってきんしたら、三人で弾きんしょうねえ。きっと良い音になりぃす」
* 弐拾弐 *
吉原:『朱華楼』店先
「おーい、用心棒。禿チャンがオマエさんをお呼びだぜ」
そう喜助のエースに呼ばれて、ゾロが寝そべっていた身体を起き上がらせた。
ひょこっと部屋から出て店先でぐーっと手足を伸ばしたゾロに、サンジがくすくすと笑った。
「起こしてしまいんしたか、ゾロさん?」
「いや、そろそろ出かけようかと思ってた頃だ。気にするな」
「ゾロさんはサンジには優しいねえ!」
けらけらと笑ったエースに、がつ、と拳を軽く胸元に当ててやり。更にくすくすと笑ったサンジに視線を戻す。中で誰かに呼ばれたのだろう、アイヨ、とエースが朗らかに声を張り上げて、見世の中に戻っていった。
「で、どうした?」
「あい。ゾロさんはコーザさまのお友達でいんしたえ?」
僅かに首を傾けて訊いてきたサンジに、ああ、そのことか、とゾロはゆっくりと頷いた。
「暫くアイツと連絡が取れないってか?」
「お花と包みが四日前に届きんしたけど、それ以来お返事が来ていんせん。お花だけは今朝また届きんしたけんどお文はありんせんしたえ、雪花のあねさまがどうしていなんすのかと気を揉んでおいでで」
「あー」
「今朝はとうとう寝込んでしまいんした。お熱がおありのようで」
悲しそうに顔を歪めたサンジの頭を、ゾロがぽんぽんっと叩いた。
「悪いな。オレもアイツがどうしてるのかは知らねェんだよ。ただアイツはオレと違ってちゃんとしたお侍だからな、やることが多いんだろう。それに最近は色々と廓の外はきな臭くてな、それで手が離せないんだと思うぜ」
「……ゾロさんも戦いにいきとうござんすかえ?」
じっと見上げてきたサンジに、ふっとゾロが笑みを返す。
「そうだな。今は廓の用心棒より、外のほうが腕の試し甲斐があるかもしれねェ」
駄目でありんす、ゾロさん、とサンジが小さく呟いた。
「もう直サンジは一度里に戻りぃす。ご内所さまがお許しをくださいんした。その間、ゾロさんがきっちりここを、あねさまを守っていておくんなんし。そうでないとサンジは安心して行ってこれんせん」
じ、と強い眼差しで見詰められ、ゾロはぱちくり、と目を瞬いた。サンジがきゅっと哀しそうに顔を顰めた。
「約束、してはくれんせん…?」
「オマエ、じゃあもう直ぐ」
「あい。ベックの旦那さまに最後にご挨拶ができんしたら、薬屋の熊さんと廓を出て。その先は里の者と戻りぃす」
「……そっか。オマエもとうとう新造になるのか」
じぃっと見詰めてくるサンジに、ゾロは小さく笑った。
「じゃあオマエがここに戻って来るまでな。それでいいか、サンジ?」
ゾロが小指を差し出し。それに自分の小指を絡ませ、ぎゅっとしたサンジがにっこりと艶やかに笑った。
「あい!ありがとうござんす、ゾロの阿仁さま」
それから、ひょいひょい、とサンジが左右を見渡し。誰もいないことを確認してから、トン、と伸び上がってゾロの頬にキスをした。
「皆にはナイショ。ね?」
お願いしんしたえ、ともう一度言ってから、サンジが足早に建物の中に入っていった。
その頬が僅かに赤かったことを思い出し、ゾロは小さく苦笑した。
「――――大見世の新造さん、か。こりゃいっそのこと、本気で金を溜めるかな」
サンジが花魁になる前に、もしくは自分が死ぬ前に―――― 一度くらいは本気で抱き締めてみたいよな、とひっそりと決意を固める。
「……オレもヤキが回ったかねえ」
まあでも悪くはないよな、と思い直し。す、と表情を戻した。
もうすぐ友人であるコーザは、念願叶って意中の花魁を落とすところだ。それなのにアイツは呼び出しのお願いもしていないときている。
「……なにやっていやがるんだか」
見上げた吉原の空は、どんよりと曇り空に覆われていた。
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