* 参拾 *

吉原:『朱華楼』雪花太夫の本部屋

雪花が風呂を浴びている間に、部屋が丁寧に掃除され。
戻ってきて新しい着物に着替えたところで髪結いが上がってきて、いつもの通りに立兵庫に結われていく。
髪が結い終わり、コーザがどこかへの行き掛けに届けるように頼んでおいてくれたのだろう、届いた台の物で朝餉を済ませてから、サンジとナミを呼んで英語の授業をいつもの通り始め。軽く昼を取ってから、今度は雪花付き新造の染花も交えて箏の練習に励んだ。
夕刻の掃除がされている間に花屋を呼び止め、毎日活け替えている花を取り替え。化粧をさらりと仕上げた。

辺りが暗くなりだし、部屋に明かりが灯され。仲の町通りに数ある見世から、内芸者や新造が弾く三味線の音が響いてきた頃に、居続け客であるコーザが遣手に伴われて部屋に上がってきた。
「旦那さま、ようお帰りんさい」
そう微笑んで迎えた太夫に、
「こちらは空気が甘いな」
そう笑って告げ。
「芳しい、なのにゾロは外のほうが面白いとさ」
そう続けたのにクスクスと雪花が笑った。
それから酒宴の支度が整うまで、コーザが今日あったことなどをさらりと太夫に話して聞かせ。太夫やサンジ、そして時折ナミが楽しそうに相槌を打ったりしてくるのに、朗らかな笑い声を響かせた。

昨夜のように、けれど昨夜よりは明るく、賑やかに酒宴が進み。台の物などが粗方一同の腹に収められ、場も静かになってきたところで、閨の支度が整えられた。
前日とは打って変わって打ち解けてはいたものの、やはり緊張は隠しきれず。昨夜と同じように手指を冷たくした太夫がコーザを浴衣に着替えさせ、自分の帯もするりと解き。長襦袢一枚の姿になってから、そっとコーザの手を引いて昨夜と同じように布団に誘った。

コーザは太夫の冷たい手に軽く唇を押し当てた。
「無理はいけねェよ」
そう言って、からかうようにその眼を煌かせた。そして、雪花の額に唇で軽く触れて、にこ、と笑い。
「ここまで手順が長ェんだから付き合うさ」
そう言って、ン?と太夫の顔を覗きこむ。
「どちらにしろ、雪花を抱けるのはおれだけだろう?」

にこお、と笑いかけて、さら、と唇に触れるだけの口付けをしたコーザを見上げ、雪花がそうっと冷えた指先を伸ばして男の頬に触れた。
「抱き締めてはくれんせんの……?」
僅かに潤んだ双眸で、じぃっと見詰める。それは熱を含み、覚悟を決めたことをコーザに伝えてきた。
「あちきでは駄目でありぃすか?……雪花は旦那さまを喜ばしとうござんす」
そして、そっと唇を耳元に寄せて。
「I want you to want me」
お前さまに求めて貰いとうござんす、と囁いた。

す、と顔を引いて見上げてきた雪花に、ふ、と笑いかけて。する、と太夫の額から髪までを指先で愛でてから、
「では、ひとつだけ、」
と、コーザがそうっと言葉を紡ぐ。
「旦那さま、とか呼ぶなよ。そんな大したモンでもなし」

ふわ、と微笑みを浮かべたコーザが、さらに太夫の目許にも指先を滑らせ。睫の淡い色を見遣り、あァ、と今更気付いたように呟いた。
「同じ色だね、初めて見たときと。あのときはこの世のものか自信が無かったが、」
少し微笑んだ雪花が口を開く前に、唇を合わせ。さらりと背中に手を滑らせ支えるようにして肌蹴られた布団に太夫の背中を着けさせた。
何度も柔らかく唇を啄ばみ。慣れない接吻に苦しげに唇を開いた太夫の口内に、舌先をそうっと滑らせる。

「んン」
目をきつく閉じ、ぴくん、と肩を跳ねさせた太夫が、戸惑いを含んだ声を洩らし。言葉でさらりと床でどういうことを為すのか教えられてはいても、実際には何の経験もない太夫は、手や腕をどうしたものかが解らずに、縋るように男の浴衣をきゅっと握り緊めた。
髪や頬を優しく撫でられながら、そろ、と何度も唇を舐めていく舌が滑り込んできたのに、またぴくりと指を跳ねさせ。とろ、と舌先が合わせられたのに、く、と息を呑んでから、そっと舌を自分から合わせる。
とろりと混ぜ合わされてから、薄く唇が浮かされる。
「愛で、抱き締めて。腕のなかで月下の華を咲かせてみようか、」

齎された言葉に薄く瞼を開いた雪花に、ふわ、とコーザが微笑みかけ。また深く唇を合わせて、拙い仕種で受け止められる口付けを堪能する。
また閉じられた瞼を縁取る淡い金色の睫が長い影を落とし、それが微かに震えていることにコーザはどうしようもなく愛おしさを覚えて。太夫の背中に回した片腕に込める力を、もう僅かばかり強めた。
そしてとろりと何度も深く舌を絡み合わせては吸い上げ、やさしく歯を立てたりして甘い口付けを堪能する。その間に浴衣を握り緊めてきている手を、頬や髪を愛おしんでいた方の手でそうっと解かせて、代わりに自分の肩口に預けさせた。
する、と縋るように両腕が回されたことに、口端が自然と引き上がる。

「ん、…っ、」
知らず鼻を抜け出て行った声が色を含んでいることに気付き、こくん、と雪花が息を呑み込む。
ちゅ、と甘く濡れた音と共に漸く口付けが解かれ。はふ、と漸く息をした太夫が、ぼうっと潤んだ眼差しで男を見上げた。
とん、と柔らかく押し当てられるだけの口付けが為され。愛しい、と眼差しで告げてくるコーザをぼうっと見上げてから、はた、とあることを思い出し、腕を解いてからそうっと僅かばかり、身体を擡げる。
「コーザさま……少し待っておくんなんし。いま支度を…っ」
そう告げながら顔を真っ赤に染めた雪花の言葉から意味を汲み取り。コーザは軽く腕に力を入れて、そうっと身体を起こさせながら、
「あァ、わかってるさ。頃合はおれが見計らってやる、」
そう甘やかすように言って、火照った雪花の目許に、ちゅ、と唇を押し当てた。

どこかほっとしたような雪花に微笑みかけて、する、と鮮やかに赤い長襦袢の上から、胸元から肩口まで優しく辿り。緊張に身体を強張らせたまま、それでも喘ぐように息をした太夫の片袖だけを肩から落とさせた。
熟れた果実の皮が剥ける様に、それはするりと滑り落ち。陽に曝されることのない白い透き通るような肌を露にさせ。
どこか困ったように僅かに眉根を寄せた雪花にそれは優しい眼差しで微笑みかけてから、まだ冷たさが指先に残った太夫の手を引き寄せ、自分の首に掛けさせた。

ぎこちなく微笑を浮かべた雪花が両腕をコーザの首にかけ。その背中を片手で支えながら、腰紐をするりと解く。
衣擦れの音にぴくりと肩を跳ねさせた太夫を、またそうっと優しく横たえてさせて。置き行灯の光りに照らされたなだらかな線を掌でさらりと撫でる動作と一緒に、衿をそうっと開かせる。
熱い掌が触れたことに、ぴくん、と肩を跳ねさせ。雪花は縋るように見詰めていた双眸をそうっと瞼の下に閉じ込めて、薄く唇を開いて震える吐息を零す。
けれどじんわりと触れられた箇所から広がっていく感覚が何なのかを限定できずにいる。

身体をそうっと重ね、指先でふわりと紅の引かれた唇に触れ。コーザは柔らかな声でそうっと訊ねる。
「怖いか……?」
すう、と目の前に潤んだ蒼氷色が現れ。く、と笑みを刻み、間近で見詰めながら額を合わせる様にし。
「雪花、名前はなんという?」
そう静かに問うた。
さらりと大きな掌で頬を包み込むようにし、
「この名もあなたに大層お似合いだが、おれは“太夫”じゃなくて“あなた”を大事にしてやりたいよ」
と、柔らかに触れるだけのキスを落とし、ん?と潤んで揺れる蒼氷色の双眸を覗き込んだ。

じ、と見詰めながら、子供のようにあどけない小さな声で、
「Seth」
とそう太夫が返した。
「せと、と呼んで」
そう続けて、ふわ、と柔らかに微笑みを零す。
そして優しい声が、
「Seth……?」
と舌の上で転がすように、音を愛しむように見事な発音でそっと名前を繰り返し。
「せと?」
と呼んでくるのに、不意にくぅっと顔を歪める。じわ、と涙がその目を満たして、頬から静かに滑り落ちていく。

コーザが酷く嬉しそうに目を輝かせながら、セト、と名前を何度も繰り返して呼び、目許や口許に、羽根が触れるほどに優しく、名前を唇で閉じ込めるようにして触れていく。
“セト”は、す、と男の首筋に顔先を埋め、ぎゅう、と両腕で縋りつきながら、
「好き」
と酷く小さな声で、堪えきれずに告げた。
「お前さまを好いておりぃす」

次から次へと零れ落ちていく涙を唇で吸い上げて押し止め。コーザはふわりと濡れた瞼や眦にも唇で触れていく。
くう、と子猫のように嗚咽を飲み込んだセトの髪をそうっと撫で、頬にも触れて。
うれしいよ、とコーザは囁きを落とした。
ぎゅう、としがみ付いてくる首元にもするりと触れ、肩を辿り下り、手の先まで優しく撫で下ろしていき。曝された細い首筋にそうっと口付けを落とす。
「…っ、」
ふる、と快楽の兆しに肩を震わせたセトの浮き出た細い鎖骨を唇で辿り。長襦袢に隠されていた胸元から腰までを僅かに肌蹴させながら、さらさらと掌を滑らせていく。

「ん、」
ふつ、と体温が上がるのに、セトはぼんやりと目を開き。
やんわりと鎖骨の窪みを啄ばまれるのに、ふぁ、と甘い吐息を零した。ちゅ、と音を立てて金鎖の上にも口付けを落とされる。
「セトの肌はあまいな、」
柔らかいけれどもどこか誑かすように甘い声に、セトはひくりと男の背中に埋めた指先を跳ねさせた。
ちゅ、と宥めるかのようにまた口許に口付けられ、戸惑いを隠せずにいた視線を柔らかな男の双眸に合わせ。
柔らかに唇を吸い上げられながら、長襦袢をそうっと引き上げられるくすぐったいような感触に目を閉じ。知らず反応を示していた部分を、袷の間から滑り込んできた手に包まれ、びくりと身体を跳ねさせた。




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