* 参 *

3年後 ― 1851年
吉原:『朱華楼』雪花太夫の本部屋

「雪花太夫、無事に初見世お済みになりぃしてようござんした」
部屋からナミとノジコの二人をお付きの禿として初の花魁道中から帰ってきたセト―――今は花魁となり雪花太夫を名乗る姉女郎に、サンジは深々と頭を下げて迎えた。
雪花は漸く着る事に馴染んだ着物を軽く直しながら、ゆっくりと座布団の上に腰を掛けた。
「サンジ、あのようにして道を歩くことは」
「ご心配いらんせん。この先も姉様にはこのサンジ始め、解っている者が付きますえ。喜助のエースさんもそうでありんすよ」
「そう―――ああ、でもこの後」
困ったように顔を伏せた太夫に、サンジはふわりと微笑んだ。
「そのこともご心配しなくてもよござんす。ベックの旦那さまが姉様をお待ちしておりぃす」
「ベックの旦那さま……そう。Hope he knows what he’s doing」
ぼそっと呟いた雪花に、サンジが小さく笑った。
「もちろん、何を為さるか旦那さまはきっちりと解っておられぃすえ。Just relax and be yourself」
リラックスしていつもの通りであればいい、と教えたサンジに、雪花が静かに頷いた。

「雪花太夫、朱駒太夫がお呼びでありんす」
そう声を掛けながら扉を開いた朱駒太夫付きの禿を振り返って、サンジがそうっと雪花の手を取った。
「姉様、ご一緒いたしんしょう」
ゆっくりと立ち上がった太夫が、まだ小さい禿を振り返った。
「ノジコ、花魁のところに行って、今からご挨拶に伺いぃすと伝えておくんなんし」
「あい、姉様」
静かに先に立って歩いていった小さな背中を見詰め、雪花が溜め息を吐いた。
「本当にこんな小さなうちから」
「花魁」
そっと咎めるように首を横に振ったサンジに、花魁は静かに目線を伏せた。
「旦那さまは何を考えていらっしゃるんだろう…あちきは朱駒太夫のようにはなれない……それなのに」



* 四 *

吉原:『朱華楼』店先

「おいサンジ」
「あい?」
店先で用心棒に声を掛けられたサンジは、くるりと振り返って首を傾けた。
自分よりは3つ4つ年上の気がするまだ若い用心棒は、その年令の若さに反して大層腕が立つ男で。大見世である『朱華楼』に押し寄せてきた難客をこれまでに何度となく撃ち負かしていた。
元は浪人の息子であったのを、その腕前を買って朱華楼の主人がどこからか拾ってきたのだと噂になっていた。ざんばらに結んだ総髪が目印の、血気盛んで鋭い眼光の若侍だ。
「なんでありぃすか、ゾロの阿仁さま?」
「この間の雪花太夫だがな」
「あい?」
ぽりぽり、と用心棒が額を掻いた。
「朱駒太夫より会い辛いって、界隈で噂ンなってるぞ」
「ゾロさんは初見世の夜に雪花姉様にお会いしんしたえ?」
「ああ。出て行くところと帰ってくるところを見たくらいだけどな」
「きれいなお人でありんす、姉様は」
「ああ。なんかこう、肌も薄くってな、人形みてぇだった。鎌倉の弁財天、見たことあるか、サンジ?」
ぷる、とサンジが首を横に振る。
「そうか。オマエはちびの頃からこっちか――――江ノ島にある弁財天はな、そりゃあえらい色気のある像でな。なんかそんなカンジがした」
「姉様は特別、ご内所様からもお目を掛けられておいでですえ」

出し惜しみされてんのか、とゾロが小さく笑った。
「雛菊太夫が毒づいてたぜ。自分たちの前にすら滅多に顔を出しゃあしなんせん、と」
花魁の口真似をしたゾロに、サンジはけたけたと笑った。
「朱駒の姉様は良い姉様でありんす。そもそもサンジは朱駒の姉様付き禿でありぃしたけんど、雪花の姉様をご心配なさってご自分はノジコを新たな禿としんした。それを雛菊の姉様は快く思っていないんでありんしょ」
「雪花太夫がまだ禿名の…」
言葉に詰まったゾロに、サンジがにこりと笑った。
「セト姉さま」
「そう、セトだった頃は三人禿だったらしいな?」
「珍しいことでありんす。サンジと、朱駒姉様付き新造になられた玉菊姉さまと、ほんの時々だけ一緒でありぃしたセト姉さま。いまはノジコとサンジより年下のスズが朱駒姉さまの禿になりんした」
サンジはナミと雪花姉さまの禿になりんしたことが誇らしゅうありんす、と続けた禿に、用心棒は僅かに目を細めた。

「サンジももう直ぐ新造になるのか?」
「あい。サンジももう14でありんす。お内所さまが引込新造におなりと言っておくりゃんした」
「ご内所が?ふぅん」
そうか、とサンジの頭を撫でたゾロから視線を落として、サンジが小さく笑った。
「お内所さまは優しいお方でありんす」
「大見世の旦那としては珍しいよな。医者も平気で呼べば薬屋も呼ぶ。大見世だからってできるもんじゃあないよな。雪花太夫だってお客はベックマンの旦那くらいなもんだろ、馴染みなのは。あとは一見で袖に振ってるだろう?」
ゾロの言葉に、す、とサンジが近寄った。
「雪花姉様は、あまりにお綺麗な方でありんす。ちょっとやそっとの旦那さまじゃあ首を縦には振れんせん」
「まぁな。一度でも今かぐやに会えたら、それでもういいって言われてるくらいだもんな」
「気高いだけではなく、サンジたちには優しい姉様でありんす」
「花魁もオマエが新造になったら独りじゃ大変だろう」
「あい」

オマエが新造になったらなにを呉れてやろう。そう笑ったゾロを見上げて、サンジはにっこりと微笑んだ。
「なんもいらんせん。朱駒姉様を、雪花姉様を、雛菊姉様を守ってくれんしたら」
「サンジは何太夫になるんだろうな?」
不意に言われて、サンジはくすっと笑った。
「そんなん知らんせん、ご内所さまに聞いておくんなんし」





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