* 参拾弐 *

吉原:『朱華楼』雪花太夫の本部屋

ふ、と意識を飛ばして眠りに落ちていったセトの細い身体をそうっと撫で。
コーザは脱ぎ捨ててあった浴衣を羽織り、セトの長襦袢の前を軽く合わせてから、隣の部屋で待機していたサンジを静かに呼んだ。

「あい、ただいま」
サンジがそうっと赤く火照った顔を覗かせ。太夫の身体をきれいにしてやりたいのだ、と静かに告げれば、直ぐにお支度いたしぃす、と言ってどぎまぎとしながら顔を引っ込めていった。
廓の性質上、閨の戸が閉められることはない。だからサンジも初めて“あねさま”の甘い歌を聴いたのだろう。
そしてセトが快楽に鳴いている間も、何度も喜助のエースが置き行灯に油を注ぐ為に来ていたのにも気付いていた―――――気にするほど不慣れではなかったけれども。
だから、エースが寝ずの番をしながらタイミングを計り。湯を沸かしておいてくれているだろうということにも気付いていた。

予測していた通りに、エースが直ぐに湯を張った盥を持ってきて。サンジにも新しい手拭いと、下ろしたての新しい浴衣を手渡されて、それを受け取った。
くったりとなったまま起きれずに居る太夫を一瞬見詰め、エースは軽く片眉を跳ね上げて一度部屋を出て行った。
サンジが濡らした手拭いを手渡してくれたのに、自分の身体を拭って新しい浴衣に着替える。
その間にサンジが顔を真っ赤にしながら、太夫のほっそりとした身体を拭っていき。エースが置き行灯に新しく油を足して戻ってきたところで、どこかほっとしたように濡れた浴衣や手拭を集めていっていた。

セトの長い髪を整えていてやれば、ひょい、とエースが覗き込んできた。
開きっぱなしだった漆塗りの小箱の中を指し示して気楽に言う。
「あ、その平らな缶の、塗ってやってナ、旦那。オレが代わりにやってもいいんだけどサ、旦那が嫌だろ」
にひゃあ、と笑ったエースに、コーザは、すい、と片眉を引き上げた。そして、にかりと笑って返す。
「はン?訊くなヨ、そんな当たり前のことを」
「やっぱりナ、旦那はそう言うと思ったヨ」
そう言って、うしし、と笑ったエースが、用済みの盥を引き上げていった。
「心置きなく寝こけてくれ!じゃあ朝にまたナァ」

す、とサンジに湯のみに入った冷たい水を差し出されて受け取った。
その間にてきぱきと、サンジがまだ頬を染めたまま部屋を片付けていく。
それから、香立てに小さなコーンを立てて、それにそっと火を点けた。す、とどこか爽やかで優しい匂いが部屋中に広がる。
最後にぐるりと部屋を見回してから、意を決したようにサンジが視線を合わせてきた。
にかりと笑って見遣ると、ぽっと顔を赤らめたサンジが、すい、と頭を下げた。
「それではようお休みになられませ」
部屋を出て行くサンジの背中に、コーザは歌うように告げる。
「サンジもな、また朝に」
あい、とこちらを振り返って頷いたサンジが、寝息も立てずに眠っている花魁を今一度見下ろして、かあぁっと顔を火照らせた。けれどなにも言わずにささっと部屋を出て行く。

漸く落ち着いた部屋で、セトの側に戻り。
乱れた髪をそっと撫でてやり、その頬に口付けを落とした。
ふ、とどこかの力が抜けたように、ほんのわずかだけ微笑んだセトの疲労が色濃く残った顔も、色っぽくてまた綺麗なものだ、と思い。
掠めるように紅も落ちた唇に口付けてから、平らな缶に手を伸ばした――――そのまま寝てろよ、と念じながら。




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