* 四拾四 *

吉原:『朱華楼』雪花太夫の本部屋

「あねさま、お文が届きました」
「届きんした、ですえ、アディ」
「お文が届きんした」
ナミに言葉遣いを直された禿になってまだ一ヶ月も経たないアディに、ありがとう、と微笑んで。雪花はそっと手渡された紙を開いた―――目に飛び込んできたのは、いつものコーザの流麗な文字。
『禿の里帰りしたとのこと、あなたを慕っていた者ゆえ寂しくなられたことかと察し候。雛菊太夫に次ぐ跳ね返りの新造もまた見ものかとも楽しみに戻りを待つ所存、雪花の下には三夜のうちに訪ね申し候。面白き客人をお連れいたすゆえ、心しておかれますよう。拙者の師にして希代のへそ曲がりな御仁なり』
文面を読んでから、そろりとその文字を指先でなぞった―――温もりがそこに感じられるような気がして。

1ヶ月半ほど前、コーザの一度目と二度目の登楼の合間を縫うようにしてベックマンが一度顔を出し。その後に迎えに来た薬屋に連れられてサンジが郷に帰ってから二週間、未だその不在に慣れないでいるけれども。先輩禿となったナミが張り切って遣り繰りしてくれているので、こういったナミとアディの遣り取りに微笑ましさを感じるだけの余裕はあった。ナミとアディが同郷で。つまりはサンジとも同郷であることを知らされていることも、雪花がアディに対して心を許せる理由になっていた。それでも心細くはあり。
サンジが居なくなってから初めて道中することになるのに、ほんの少しばかり不安になった。ナミもエースも染花も、変わらず側に居てくれるのにも関わらず。

「あねさま、なんて書いてありぃした?」
ナミがそっと顔を覗きこんでくるのに微笑む。
「コーザの旦那さま、三夜のうちにお客様を連れておいでになられぃす、と」
「お客様」
ナミが目を真ん丸く開いた。
「そう。いつもコーザさまがお話ししておくれでした勝先生でありぃすよ、ナミ」
「ご内所さまにお申し上げおきぃしょうかえ?」
「そうでありぃすねえ、その方がよろしゅうござんしょかねえ」
「では告げてきぃす」
「あい、よろしゅうにね」

部屋を静かに後にしたナミから目線を離し、じっと見上げて来ているアディに視線を落とした―――三年前にナミが朱華楼に来たのと同じ六歳の娘だ。どこか不安げな様子に首を傾げた。
「どうしぃした、アディ?」
「アタシ、じゃなくてあちき、上手くできるか心配でありんす」
「心配いらんせん、アディはよぅやっておくれです。初々しい様子もまた可愛らしゅうござんすえ」
「……あねさまも最初は?」
「大変でありぃした、こんなものがあちきに勤まるわけがありんせん、と思っていんしたえ……でも覚えていきんした。きっとアディも立派な花魁におなりです」
「あねさまがそう仰るのなら…」

にっこりと笑ったアディが文台のしてくれるのに微笑み。サンジがいなくて心細がっている自分を心配してくれるコーザの優しさに、じわりと胸が温かくなった。
「サンジもお文を出しておくれだとよいのにねえ」
呟いた太夫に、アディが、あい、と返事をし。それから、返す文の文面を考え出した太夫をそっとしておくために、甘えた声で鳴き出した碧を抱きしめた。その毛皮に顔を埋めてアディがなにやら複雑そうな顔をしていたことに、雪花は気付くことはなかった。



 * 四拾伍 *

吉原:引手茶屋『原亭屋』

無事に道中をこなして手引茶屋に到着し。いつものように主人の挨拶を受けてから上がった座敷にコーザと一緒に待っていたのは、コーザより多少年上の、眼光の鋭い男性だった。
遣手との遣り取りを経てから、馴染みであり情夫であるコーザにまずは丁寧に挨拶をし。それから、コーザが招いた客である男にもゆっくりと頭を下げた。
「雪花でありんす」
太夫が頭を上げるのを待っていたかのように、にかっとコーザが笑って言った。
「どうだい、センセ?おれの花は美姫だろう」
あっけらかんと告げたコーザに雪花が目を瞬いている間に。鋭い目線を明るい笑みに和らげた男が、“弟子”と同じくらいに爽快なトーンで太夫に言った。
「ほぅ?なるほど、いまかぐやと謳われるだけはありなさるネ」
ふわ、と目許を微笑みに和らげた雪花に、同じように柔らかな笑みを返し。それから、
「あまり人前に出さらないのも、さすが朱華楼の主は切れ者サ」
そうコーザに言うでもなく呟いていた。

す、とまた視線が雪花に戻される。
「おれが勝だよ、よろしくな」
柔らかな眼差しに、雪花もふわりと口許を綻ばせた。初めて“馴染みの旦那さまのお客”に接することに緊張していたのを感じ取られたのだろう、ほっと力を抜いた雪花に、勝がこっそりと囁いた。
「取って喰いやしねェよ、おれはネ」
にかっと雪花に笑ってから、勝がコーザに向き直って言った言葉に、雪花は更にぽっと頬を染める。
「おまえさんの顔つきがちったァ変わってきなさったと思っていたが、なるほどこれで合点がいくさ」
コーザがひょい、と眉を引き上げて、からりと笑った。
「参ったね、センセはお見通しか」

コーザがどれほどに変わったかを、軽く酒を交わしている間に“先生”に語られ。雪花はくすくすと笑って、酒を二人に注ぎながら聴いていた。
このまま朱華楼へ上がって二人とも上がっていく、と告げられるのに、遣手や若い衆が喜び。あまり酒も進まないうちに、一同で賑やかに仲の町通りを抜けて妓楼まで戻っていった。



 * 四拾六 *

吉原:『朱華楼』雪花太夫の本部屋

妓楼付きの幇間と芸者を呼んでまでの酒宴に花が花魁である雪花と、雪花付き新造の染花だけでは寂しい、ということで。唯一雪花が交流のある朱華楼の他の花魁、雛菊が、頃合を見計らって覗くことになった。
それまでは賑やかに、見世の者も盛り上げに交じっての酒宴である。
元より朗らかで快活なコーザに、皮肉屋で天邪鬼な上に身贔屓が激しく、けれどもどことなくチャーミングな勝が一緒である宴が華やかでないわけが無く。
あまり言葉を挟まずにいる雪花がそれでも会話を楽しめるほどにポンポンと歯切れよく言葉を交わしていく二人は。さすが師弟なだけあるのかよく息の合った具合を披露して良く食べて、良く飲んで、廓の者に嬉しい悲鳴を上げさせていた。

勝が蘭語の先生をしていることは有名なのか、時折喜助のエースが単語を訊ねていくのに嫌な顔を一つせず応えていき。
けらけらとコーザと軽い話をして笑い合っていたかと思いきや、す、と顔を近づけて、なにやら阿蘭陀語で会話をしていたりもした。
「Ik houd van waar deze persoon」
そうコーザが言ったのに対し、
「Geen nood zal zeggen」
そう呆れたかのように勝が返していた。

ドイツ語に似ていたことから雪花が推測すれば、それは英語に直したならば「I truly love this person(この人のことを本当に愛しているんだ)」「No need to say(言わなくても解るサ)」といった具合で。
酒を注ぎながらその会話を耳にして軽く耳まで赤く染めた雪花に対して、勝がくぅっと笑った。
「Did you hear that? あんたサンも困ったモノに惚れられちまったねェ」

あちきのほうが深く惚れているんでありんす、と応えようか雪花が迷っている間に。喜助に案内されて雛菊が入ってきた。
それまで明るくてもどこかしっとりとしていた部屋の空気が、一気にからりと軽くなる。
「失礼しぃす。雛菊でござんす」
そう艶やかな笑みを浮かべて挨拶をした雛菊に、勝が両手を叩いて喜んだ。
「両手に花を持てても、ここまで華やかな大輪を同時に目にすることは滅多にできないねェ」
「お褒めに預かりぃして、ありがとうござんす。是非センセのご贔屓をよろしゅうお願いしぃす」
ふわりと笑った雛菊に、勝が朗らかに笑った。
「無理だよ。お大尽じゃあないからね!」
まあ、と雛菊が目を瞠った。
「馴染みにおなりいただきんしたら、ようござんしたのですけんど」

つーん、と勝にそっぽを向いた雛菊太夫に、コーザが笑って訊いた。
「るいは気に入ってもらえたかい?」
「あい。るいはいい子でありぃすえ。雪花さんのお部屋には碧がおりぃすえ、一緒に連れてはきぃせんでしたけんど」
ちら、と視線を投げかけてきた雛菊と久しぶりにまじまじと顔を見合わせた雪花は、くすくすと笑った。
「時折廊下でるいと出会いますけんど、行儀のよい子でありんす」

さらにつーん、と顎を突き出した雛菊の様子に、コーザが笑ってこっそりと雪花の耳元で訊いた。
「雛菊太夫とは仲良くしているか、雪花?」
「雛菊さんはあちきに良ぅしてくださりぃす」
ふんわりと微笑んだ様子に、コーザが「ふゥん?」と言いながら僅かに微笑んで雪花の頬を撫で。
その仲睦まじさに、ぷ、と膨れた雛菊に、くっくと笑って告げた。
「張りがねェって怒るなよ、太夫」

「別に怒りはしんせん。ねぇ勝センセ?」
くるっと向き直って雛菊が心外だとでも言うように膨れて言った。
「お。ようやくこっちにも笑ってくれるかい」
笑った勝に、雛菊がにぃんまりと笑って返す。
「センセも良いオトコでありぃすえ、お酒も美味しゅうなりぃす」
「うーん、その笑みは裏を感じるナ」
「願わくばあちきに惚れておくんなんすよう、願掛けているのでありんす」
「惚れても腫れてもいいけどねェ。無い袖は振れないってナ」
「そこを振れればあちきも惚れんしょ」
「雛菊太夫は蘭語を習得するより難しいことを言う」
けらけらと明るく笑った勝に、雛菊がしっとりと微笑んだ。
「あちきは朱華楼の花魁ですえ、そうそう簡単にはいきんせん」

明るく遣り合う雛菊と勝から視線をコーザに戻し。雪花がふんわりと微笑んだ。
「――――サンジが戻ってきぃしたら、これくらい賑やかになりぃすかえ?」
くっくとコーザが笑って、そうっと雪花の髪を撫でて言った。
「いやもっとすげェかもしれないぞ」



* 四拾七 *

雛菊太夫が自分の客を接待するために(雛菊曰くルイの相手をするために)戻っていき。
場が静かに和み始めたところで、勝は客間の寝屋へと案内されていった。
そして閨には二人だけで残される。
いつもの通りに支度し始めた雪花が帯を解き始める前に、コーザがその白い細い手を捕まえた。
するりと抱き締めて、下ろされた髪に口付ける。

うっとりと目を瞑って身体を預けた雪花が、お会いしとうござんした、と囁くように告げるのに、コーザもふわりと微笑み。優しくその背中を撫で下ろしながら、そうっと額に口付けて、あァ、と応えた。
さら、と顎下を指先で掬い上げれば、とろりと蒼を和らげたセトの目が見つめ返してきて。柔らかく啄ばむ間に、そっと薄い瞼の下に隠されていった。

上掛けを脱がせて長襦袢一枚まで脱がせ。
抱き上げてから布団まで運んでいって下ろせば、きゅう、と抱きつかれて微笑んだ。
腰紐を解いて、最後の長襦袢まで解かせてしまえば、頬を染めた雪花が恥ずかしそうに両手で顔を覆っていった。
つい、と手を引っ張れば、潤んだ蒼が軽く睨むようにしてきて。けれども、唇を合わせれば、直ぐにそれに夢中になって、コーザの背中に腕を回していった。

I longed for you,と吐息に混ぜて零される言葉に、嬉しくなる。
「I’m so delighted to be with you again」
またこうして在れてうれしい、と告げる太夫の目を覗き込んだ。
Then show me, Seth?とからかう風に告げれば。示してくれ、と言われ、さぁ、と頬を赤く染めたセトが、さら、と膝を立てて、ぎゅう、とより一層身体を密着させてきた。
手指がそろりと浴衣の裾を割って這わされるのに、くぅ、と口端を引き上げる。

すい、と脇の下に手を入れて、セトを抱き起こして膝の上に乗せた。
ふわ、と甘く笑って、柔らかく髪を撫でられながら唇を啄ばまれる。
「I want more」
もっと、と囁いて告げれば、とろ、と舌が差し込まれてきたのに微笑む。さらさらと軽い仕種で心臓の上を辿られて、柔らかな絹の下に手を忍び込ませて背中を直に掌で辿った。
「……んぅ、」
甘い声をセトが上げて、柔らかく喘いで離れかかった唇を啄ばんで引き留める。
とろ、とまた熱い舌が絡められたことに小さく笑って、背中からそうっとヒップに手を滑らせた。
ふる、と背中を震わせたセトのなだらかなヒップのラインを楽しみ、さらりと深くなる場所を指先で辿る。
「ぁ、」
セトが甘く喘ぎ。けれど、それでも、そろ、と手を伸ばして中心部に触れてきたのに小さく笑って、もっと身体を引き寄せる。指先ももう熱を持って、以前のように冷たさを感じる場所などなくなっていた。

「目合うことをなんと言う?」
囁き声で訊けば、とろん、と潤んだ眼差しで見詰めてきたセトが、小さく微笑んで耳元に柔らかく口付けてきた。
甘い声が告げてくる。
「To make love」
きゅう、とセトの手の中で優しく握り緊められたことに低く呻いてから言葉を繰り返す。
柔らかな笑い声を小さく上げたセトが、そうっと囁いてくる。
「ですえ、向かいあった時にはこう言ぅておくんなんし……let’s make love」

太夫の背骨を掌で辿り。額に額を押し当ててきたセトに、にぃっと笑いかけて囁いた。
「Alright, my beautiful Seth. Let’s make love」
そして、さらりとセトの身体を浮かせて。柔らかな絹に背中を預けさせてから見下ろした。
ふわ、とセトが微笑み、答えが返される。
「With pleasure」




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