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 * 伍拾伍 *
 
 吉原:『朱華楼』楼主の部屋
 
 ゾロが足早に朱華楼を出て行き。雪花をコーザの許に送って遣りたいがどうすればいい、と文を書いてベックマンに送ったその日の夜。寝込んだ雪花以外の太夫たちに付いた客に挨拶をして部屋に戻ってみれば、見慣れた忍びの姿が其処に在って、シャンクスは低く笑った。
 「―――――“愛娘”のためには随分と旦那も気遣いするじゃアないか」
 「某もその場に在れば」
 白鷲の返事に、はン、とシャンクスが笑った。
 「で結果がアレだと?」
 ただの皮肉だ、返事はいらんヨ、と言ったシャンクスに、は、と白鷲が頭を下げた。
 
 「で。旦那はなんだって?」
 「セト殿にその気があるのであれば、養生の為にと言って廓から出して構わぬ、と」
 「――――若サマが万が一身罷った場合はこちらに戻すのか?」
 「その可能性も考慮されているかと」
 「……あンのクソ野郎、試しやがって」
 ぼそ、と呟き。主君の悪口に小さく笑った白鷲に、肩を竦めた。
 「まあ、アイツの立場じゃあしょうがねェか。慈善事業はやらねェ筈だもんナ」
 
 頭を垂れた白鷲を見下ろし、シャンクスは溜め息を吐いた。
 「で。市内の家に着いたらどうするのヨ」
 「こちらで引き受ける」
 「あ、ソ。でもゾロがなんとかするって頑張ってるのヨ?」
 「それも承知しております」
 「――――秘策でもあるってか」
 小さく笑ったシャンクスに、にぃ、と白鷲が笑った。
 「三鷹屋次郎久右衛門様が今ごろ上屋敷を訪ねておられる頃かと」
 
 白鷲の言葉に、ちっと舌打ちをして、シャンクスが苦笑した。
 「……鷹のジジィ、さてはどっかに目でも付けていやがったか?」
 「明日の夕方頃にはこちらにいらっしゃるだろうと、お館さまが仰っておりました」
 「は、ン――――じゃああんまりノンビリはしてらンねぇナ。雪花は明朝、廓から静養の為に出すことにする。薬屋は?」
 「まもなくこちらに到着するかと」
 「――――手回しが良すぎてキモチワリィよ。アイツの掌の上で転がされてる気分だ」
 
 コンコン、と扉を叩かれる音に。白鷲が、これにて御免、と囁き部屋を出て行った。
 アイヨ、とシャンクスが声を掛けると、若い衆に連れられた薬屋が、ぺこりと頭を下げた。
 「――――夜分遅く呼び立てて済まなかった、熊サン」
 「太夫に大事あったと文を頂いた。早速容態を診させてもらおう」
 茶番をそ知らぬ顔で二人で演じてから、シャンクスは薬屋だけを自分で雪花の部屋に案内する。
 周りの部屋からは賑やかに話し声や嬌声、三味線の音が響く中、雪花の部屋だけはひっそりと静まり返っていた。
 
 「雪花、入るヨ。熊サンも一緒だヨ」
 そう告げれば、す、と扉が開けられ。ナミが二人を太夫の元に案内した。
 静かに身体を擡げた雪花に横になっているように告げ。シャンクスはナミの頭をそうっと撫でて、しばらく休んでおいで、と部屋から出す。
 素直に部屋を出て行ったナミが、禿たちの部屋に消えるのを待って扉を閉め。こっそりと籠の中に入った碧の姿を見詰めてから、雪花が眠る傍らへと近寄る。
 低いけれどもよく聞き取れる声で、薬屋が雪花に語りかけているのが聴こえた。
 「太夫、よくお聞きなさい。コーザ様の体調をオレは知らぬが、貴方が望むのならば会わせてあげよう。それには廓を出る必要が在るのは解るな?―――――会いたいか。そうか。ならばこの薬を渡しておこう。夜明けと共にお飲みなさい。オレが迎えに来る頃には意識も朦朧としている頃だろう。その状態のまま大門を抜けて江戸市内に入る。そうしたら―――――」
 
 
 
 * 伍拾六 *
 
 吉原:『朱華楼』楼主の部屋
 
 大阪から船で江戸まで出て。婿の屋敷で瀕死状態の孫の様子を一晩見て過ごした後、三鷹屋次郎久右衛門は孫が自分に宛てた文を持参して、吉原にある妓楼『朱華楼』に向かった。
 早朝から廓を訪ねることの無粋さを考慮して、それでも昼前には妓楼の玄関から声を掛け。顔馴染みの朱華楼の主人、シャンクスの部屋に上がったならば、大変申し訳なさそうに告げられた――――太夫は静養の為に市内の別宅に早朝向かいました、と。
 「若君に惚れ抜いていてねェ……報せを聴いて、倒れちゃったのヨ。この間一番可愛がっていた禿を山犬に亡くしたばかりだったから、度重なる不運に心労が祟っちゃってね」
 そう言って深い深い溜め息を吐いたシャンクスに、そうか、と次郎久右衛門は頷き。ふ、と思い至って訊いてみた。
 「太夫はどのような人だ?朱駒太夫…のようだったら心労で倒れはしないか」
 昔孫が贔屓していた花魁の張りの強さを思い出して言えば、楼主は小さく微笑んで言った。
 「ウチの筆頭将来有望株で、吉原一のビジンさ。オオダンナも会えば解る―――――お孫さんは天人って呼んでいたナ」
 
 孫が書いて寄越した便りの文面を思い出す。
 『祖父殿におかれましてはご健勝の趣、大賀の儀に存じ候。比の間御不音に罷過ぎまづまづ忝く存じ候。我事ながら如何とも可笑しく候へども天命を見つけしことに相成り候。されど其の者、武家の者ならぬ朱華楼にある天上花に御座候。父上には我が決め事を隠すことなく申し上げ候へども、許すまじきことと甚だ心中穏やかならぬご様子に候。其の者を迎えるに士を棄つる覚悟これあり候へども、祖父殿には父上に申さずにおきし事象をご相談申し上げたく御出相願たく候』
 
 「天上花と書いていたな」
 ふむ、と唸れば、元皇族の血筋だとかじゃあないよ、とシャンクスが笑った。
 「天照か月読あたりの血筋かもしれないけどナ」
 ふむ、と再び唸った次郎久右衛門に、シャンクスはさらりと江戸市内にある家の住所を書いて渡した。
 「時間がおありならばごゆるりとしていかれよ、と引き止めるところではあるけれども。若サマ、容態が悪いんだろう?」
 「息はしていた」
 「意識はなし、か――――雪花も不幸なコだ」
 溜め息を吐いたシャンクスに、ちらりと次郎久右衛門は視線を上げた。
 「ゆきはな、と申すか」
 「そ。会えば解る、その名の通りのコだよ。とってもいいコでな、若サマが身請けすると言い出さなきゃ、オレが引き取ろうかと思ってたくらいだ」
 
 ふむ、と頷いた次郎久右衛門に、シャンクスが深々と頭を下げた。
 「どうぞウチのかわいいコをよろしくしてやってくれ」
 「愛娘の子が見初めた子ならば、婿殿が何と言おうと添い遂げさせる―――――会ってこようか」
 「江戸市内まで戻られるには、籠をお使いになるといい。支度させておく―――――大門まで送らせてもらうよ」
 
 
 
 
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