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 * 六拾 *
 
 『熊に預けはしたが鷹に奪われたやもしれん』
 そう言われていたことをゾロは思い出しながら、シャンクスに指定された大きな家を訪ねてみた。
 外には大きな篭が二つ出ていて、篭屋が四人、垣根に座ってなにやらくっちゃべりながら煙草を吹かしていた。
 彼らに視線をやれば、腰からぶら下がっているものを見た四人が、すい、と頭を下げてくる。
 けれど視線はオモシロソウに好奇心で満たされていた――――――この場合、ゾロに興味があるのではなくて、多分中に居る人との関連を疑っているのだろう。
 
 木の扉を開けて、頼もう、と声をかければ。
 とすとすと廊下を歩いてくる音が聞こえた。
 す、と見遣れば――――――薬屋ではなく鷹のジジィだ。
 孫が居る年にしては若々しく、眼光が鋭く。衣装はハデで髪型はもっとハデだ。
 ひ孫が出来たってきっとこのジジィは大人しくなんざならないだろう、とゾロは思う。
 
 「小倅めが大きくなってみたものだな!」
 そう声をかけられ、開口一番の挨拶がそれかジジィ、とゾロは小さく笑った。
 「おまえが寝ておってもジャマであろうなあ」
 そう続けられて、コーザにはもう既に会って来たのだろうことを知る―――――祖父だからアタリマエ、と言えなくもないが、この相手はあまり“アタリマエ”が通用しない人であることをゾロは知っていた。現に今、死に掛けの孫を放り出して、孫の嫁候補の所にまで迎えに来ているのだ。
 「―――――ジーサン、」
 それでも、ゾロは問わずにはいられない。
 「なんでアンタがここに居る」
 
 けれど、ゾロの問いに次郎久右衛門は臆するでもなく。
 「太夫をアレに添わせるために決まっていようが、阿呆か御主」
 そう堂々と言い切っていた。
 ゾロは僅かに瞠っていた目を苦笑に崩す。
 「―――――あ、そ」
 経験上、この御仁には誰が何を言ったところで暖簾に腕押し、糠に釘、馬耳東風で馬の耳に念仏なことを知っていたから、ゾロは大人しく口を噤んだ。
 そもそも余計な言葉をゾロは持ち合わせてもいなかったので。
 
 うむ、と次郎久右衛門はどこか満足そうにゾロに向かって頷き。
 「ちょうど良い、無体を申すものが沸いて出たら斬捨てよ」
 等と無責任に言い切った。
 くぅ、と笑ってゾロは片眉を跳ね上げた。
 「おいおいイイノカヨ、」
 「婿殿は止せ」
 そう言って、次郎久右衛門が、に、と口端を引き上げた。
 コーザのオヤジサンの意向は無視しまくっていやがるんだな祖父子揃って、とゾロは軽く苦笑してから、本音を漏らす。
 「そぉれが一番の難関だと思ってた」
 そして、す、と部屋の奥を見遣って、ゾロが声を落として次郎久右衛門に言った。
 「けどよく太夫が了承したなぁ……ってアンタに逆らえるニンゲンはいねェか」
 
 「狸御殿のわっぱも戻ったしな」
 そう次郎久右衛門が告げて、にーっと口端をつり上げていった。
 「―――は?」
 狸御殿?わっぱ?とゾロが目を丸くしたところで、す、と現れた人影の見慣れぬ姿に更に大きく目を見開く。その後ろに澄ました顔をして付いていた少しだけ違うけれども見慣れた顔を見付け、狸御殿の意味を知って、ゾロがぎゅうっと眉根を寄せた。
 「……あァ?」
 声が低い。
 「……テメェら、どういうことだ」
 
 ゾロの戸惑いや疑惑に一切関知せず、次郎久右衛門がきっぱりと言い放った。
 「狸御殿というたであろう!急ぐぞ」
 “ショウネン”が聞きなれていたものよりほんの少し低い声で、けれど間違うことなく同じトーンで次郎久右衛門に訴えた。
 「大旦那さま!籠に乗せる前からたったか行かないでくださいヨ」
 くるりと振り返って、次郎久右衛門が頷いた。
 「うむ。用心棒は籠には乗るな」
 
 オマエら……、とゾロが言いかけたところで、す、とこちらも見知った顔のオトコが近づいてきて。
 「斯様なことでありんす、あちきもまだよう解ってはおりんせんが、あちきの時のようにサンジにもなにかしら理由がお有りなんでありんしょう、サンジを責めないでやっておくんなんし」
 そう聞き覚えのある声でそっと告げてきた。
 「雪花――――太夫」
 そう呟いたゾロに、太夫は苦笑するように微笑んで。そっと頭を垂れてから、篭の中に乗り込んでいった。
 篭屋が雪花のあまりの美しさに、息を呑んでいるのが聴こえた。
 着物は男物でも、性別の判断尽きかねる容姿だ。けれどそれ以上にどこか神々しさすら感じさせる風貌に、見蕩れる以外のことができないのだろう。
 
 丁稚奉公している小僧のようなシンプルな着物を着たサンジが、次いでするりと近づいてきて。
 「いろいろ――――ごめんなさい」
 そう言って、懐からごそっと何かを取り出していた―――――ゾロが頼んでシャンクスに、サンジの墓に届けてもらえるよう贈った櫛。
 
 大事に握りこんでいたそれをちらりとゾロに見せて、サンジが言った。
 「嬉しかったのは本当なんだ」
 それから、酷く小さな声で、けれどゾロにはくっきりと聞き取れるだけの声で続けた。
 「オレは――――いまでもお前さまが好きでありぃすえ」
 
 ふにゃ、と笑ったサンジが、茫然として固まったままのゾロに背中を向けて、す、と雪花と同じ篭に乗り込んでいった。
 促され、我に返ったらしい篭屋が、よいせ、と声を掛けて篭を持ち上げ。えっほ、えっほ、と声を出しながら、ゆらゆらと篭を揺らしながら遠のいていく。三鷹屋のジジィを乗せた籠はもう遥か遠くに消えていくところだった。
 雪花とサンジを乗せた僅かずつ小さくなっていくのを見守り。ふ、と我に気付いてゾロが思わず叫んだ。
 「―――――ちょっとは待てよコラ!!」
 けれど、遠のいていく篭からはおろか、一人残されたシャンクスの別荘だか薬屋の療養所からは当然返事もツッコミも入るわけはなく。
 チュチュ、と雀が二羽可愛らしく囀る音が響いただけだった。
 
 茫然とゾロは立ちすくみ。
 けれど、不意に口許が緩んでくる。
 それを手で押さえようとし、自分の手が震えていることに気付いた――――マジかよ??
 「…ンだよ、このヤロウ、馬鹿めが…ッ」
 “サンジが生きていた”。
 少し陽に焼けて、少し細く締まって。少しだけ背が伸びて、随分と髪が短くなってはいたけれども……。
 死んだと思っていたサンジが生きていたことが、ただ単純にとてつもなく嬉しい。
 「ハ、ハハ…ッ」
 
 ゆっくりと歩き出した歩みは、気付いたら駆け足になっていた。
 暫く浮かべたことのなかった笑みが、勝手に零れていくのも気にならない。
 いつの間にか近づいていた二組の篭屋が駆けて行く姿が不意にぼやける。
 ゾロは一度足を止め。静かに目を瞬いて、それからまたその後を追って駆け出していった。
 
 
 
 
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