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 * 六拾伍 *
 
 ゾロは手持ち無沙汰でじっと部屋の中を見詰めていた。
 コーザに話しかけたいものの、いまはまだその時ではなく。
 雪花に事の真相を問い質したいと思いつつも、邪魔をできる空気でもなく。
 サンジには―――――サンジには、一から十まで全部話してもらいたくあっても、忙しなく立ち回って雪花とコーザの身の回りの世話を焼いている今は、やっぱりまだその時ではなかった。
 
 つまりは自分ができることが何も無く。じっとしている他無いことが、多少居た堪れなかったのだ。
 そんなゾロの様子を感じ取ったのか、次郎久右衛門が近寄ってきて言った。
 「いまのところは生きておるようだな」
 「あぁ」
 ゾロは淡々と応えた。
 「生き延びるだろ、アレなら」
 
 愛しい人が来ただけで回復の兆候を見せるコーザに、納得しつつも現金なヤツだな、と小さく笑う。ここに居る人間全員と同じくらい、ゾロもコーザの意識が一度戻ったことに安堵してはいたけれども。
 
 次郎久右衛門は次の間に居る遠衛門吉親に、
 「年寄りはもう寝るぞ。婿殿も休まれよ、なにかあればこの者たちが知らせてくれよう」
 そう告げていた。
 そして、去り際にゾロの肩をばしっと叩き。
 「なにを固くなっておる」
 そう笑って言ってきて。ゾロは、
 「……ってねェよっ」
 と返しながらも、その実、ほんの僅かではあったけれども、固くなっていた自分に気付いた。
 
 次郎久右衛門はそんなゾロに構うことなく。
 「世話を掛けるな」
 そう雪花に告げて。視線を合わせたサンジにも静かに頷いてから、部屋に戻りかけていた遠衛門吉親をずるずると引き摺って部屋を出て行った。
 医者も隣の部屋に落ち着いて、戻ってくる気配が無い。
 
 ゾロは腰を上げてコーザの枕元、雪花が居る方とは反対側に座り込んだ。
 ちらりと見遣ってきた雪花はもう泣いてはおらず。その蒼氷色の瞳は澄み切っていた。
 コーザに目線を落とす―――――少しばかり呼吸が楽そうになっていた。
 「驚きぃした…酷い傷でありぃすなぁ」
 溜め息を吐くように囁いた雪花に、あぁ、とゾロは頷く。
 「アンタの生国ではこういうことはないのか?」
 くう、と雪花が眉根を寄せた。
 「どうでありんしょう……ないことはないと思いぃすけんど……あまりそういう話しを聞いたことはありぃせんした」
 
 生国を離れた時、あちきがまだ小さかったせいかもしれんせん、と雪花が目を細めた。
 きゅ、と握り締めたコーザの手をそっと指先で撫でている様子に、どれだけ雪花がコーザを想っているのかが解る。
 
 「なぁ」
 ゾロが呼びかけ、雪花がすっと視線を合わせてきた。
 「あー……コーザは知ってるんだよな?」
 首を傾げた雪花に、ナンデモナイ、とゾロは手を振る。
 野暮天!!とでも言いたそうに睨んでくるサンジに、ゾロはいい、と歯を剥いた。
 ぷっと雪花が小さく笑って。くすくすと柔らかな笑い声が部屋を満たした――――酷く艶やかな、しっとりとした笑い声だ。
 
 「コーザさまは全てをご存知でありぃす……そうしてあちきを受け入れておくれんなりんした」
 雪花のその言葉を発したトーンに、ゾロはこれ以上自分が何かを言う必要がないことを知る。
 すまん、と頭を下げたゾロに、雪花は微笑んで首を横に振った。
 「お友達であられぃすゆえ、ご心配なされるのは当然のこと。あちきの在り様を、ゾロさんもまた受け入れておくれになりぃしたんが、あちきには嬉しゅうござんす」
 「……コーザが知って受け入れてンなら、オレがどうこう言う問題じゃあない。アンタもコイツもそれで幸せなら、オレにそれをぶち壊す理由も無ェだろう?」
 アンタがいい人なのは知ってるしな、と続けたゾロに、ぺこりと雪花が頭を下げた。
 そして、す、と視線をサンジに戻す。
 「それならばあちきはサンジにお礼を言っておかねばなりんせんなぁ……サンジ、どうもありがとぅ」
 
 にっこりと雪花に微笑みかけられ、サンジが酷く嬉しそうに微笑んだ。
 けれど続けられた雪花の言葉に、かちん、と固まる。
 「ですえ、お前さまがたが話し合う必要のあることを解っておりいす。幸いコーザさまは今また眠りに戻られたご様子。このまま暫くはお休みになられたままでおりんしょう。お二人とも、このままこのようにお顔を合わせておられるのは居心地悪ぅござんしょ?ここはあちきがずっとおりぃすゆえ、お二人は少しばかりどこぞにて話しておいでになりんさい」
 静かな口調で、けれど有無を言わせぬほどにぱきっと言い切る姿に、ゾロは雪花の生来の気の強さを感じ取って笑った。
 芯が強く、情が深く、ぴしりと伸ばした背筋のうつくしい人―――――コーザがベタぼれするのも不思議ではないことに、ゾロは小さく笑った。
 
 「確かにここでああだこうだ言うのは、あー……あんまコーザにとっては良くねェことかもな。確かに色々と説明は欲しいところだし。お言葉に甘えて行ってくる」
 来い、サンジ。そうゾロが言えば、ぱくぱくと口を鯉のように開けたり閉めたりしていたサンジが、ぎ、と睨んでき。それから諦めたかのように、深い溜め息を吐いた。
 「―――――そういえばあねさまは思い切りの良いお人でした。解りました、サンジも覚悟を決めて行って参ります」
 ぺこん、と頭を下げたサンジに、雪花が小さく笑った。そしてちらっとゾロを見遣って、またにこりと笑って言った。
 「ゾロさん、サンジの顔に傷一つ付けたらあちきが容赦しんせんえ、よぉく覚え置きおくんなんし」
 「……あー」
 きらきらと光りを含んだ雪花の双眸が射抜くように見詰めてくるのに、ゾロは小さく苦笑した。
 「覚えておくよ」
 
 
 
 * 六拾六 *
 
 サンジが付いて来る気配を感じ取りながら、ゾロはコーザが寝かされている茶室を出て、ぐるっと屋敷を見回した。
 時刻はもう夕方、かぁかぁと烏が鳴いて赤く焼けた空を飛んでいた。
 母屋の方はなにやら賑やかで。時折庭を挟んだ向こう側の廊下を、忙しなく使用人たちが行き来しているのが見えた。
 召し抱えられている侍たちは、けれど一人も姿が見えなかった。茶室に近付くことを禁じられてでもいるのか、とゾロは思い。ちょうど母屋からは陰になる木の側の石に腰を掛けた。
 す、とサンジがすぐ側に立ち止まる。
 草履を履いた素足が寒そうに赤らんでいた―――――男物の生地だな、と思い、着物の柄に沿って視線を上げる。
 きゅ、とサンジが唇を噛んでいた。なにやら緊張しているらしい。
 
 「噛み付きゃしねェよ、サンジ」
 そうぼそりとゾロが言えば、困ったかのようにサンジが俯いた。
 「怒って……おりませんか…?」
 小さな声がおずおずと言うのに、ゾロは小さく笑みを零した。
 「オレ一人謀られていたのであれば怒り狂ってもいいけどな。そうじゃねェだろう?だから、イイ」
 「―――――いろいろ、ゴメンナサイ」
 く、とサンジが深々と頭を垂れた。ゾロは小さく溜め息を吐いた。
 「顔を上げろ、サンジ。オレは理由が知りたいだけだ」
 す、とサンジが頭を上げる。きらきらと光りを含んだ眼差しを見詰めていれば、ああコイツも男だと思ってみればちゃんと男じゃないか、と気付く。
 
 「……ご内所は知っているよな、オマエも太夫も男だってことを」
 静かにゾロが言えば、こっくりとサンジが頷いた。
 「ゾロさんは口が堅いお方なのをサンジは知っていますからお教えします。絵師のリカルドさんを覚えておいでですか?」
 サンジの言葉にゾロが小さく頷く。
 「ああ――――そうか。サンジも忍びなのか」
 「ご内所さまはお館さまと取引をなさっているのです。オレのようなものを引き受けて教育することを」
 「……なにと引き換えに?」
 「それはオレは知らされてません。オレはただの草――――下忍ですから」
 静かに、けれど強い信念を潜ませた声で告げたサンジに、ゾロは小さく首を傾けた。
 「オマエはなぜ朱華楼に?」
 「さあ。お館様が将来的にどういう風に使うおつもりでオレを廓に置いたのかも知りません。オレはただ命令に従って生きてきただけですから」
 
 きぱっと言い切ったサンジに、ゾロは小さく苦笑する。
 「いつから忍びなんだ?」
 「乳飲み児の頃に里に引き取られたそうです。両親は知りません」
 「そのことに疑問は?」
 「ありません。そういう風に育てられているのはオレが最初でも最後でもありませんから」
 真っ直ぐに見詰めてくるサンジの双眸を見詰め返し、ゾロは小さく苦笑した。
 きゅ、と着物の裾を掴んだサンジが、視線を落とした。
 
 「オレたちに与えられる命令は的確なこともありますが、ああいう風に長期に渡って下される使命は曖昧です。オレに下されていた使命は、朱華楼にて禿として育ち、花魁としての教養を培うこと。あねさまが―――――雪花太夫があそこにいらっしゃったのは、予定外のことでした」
 す、とまた見上げてきて、サンジが小さく微笑んだ。
 「あねさまは、ゾロさんもお気づきのことと思いますが、この国のお人ではありません。生まれは英吉利というお国で、朱華楼には語学の先生として匿われておりました。オレは知りませんでしたが、この国は外国の難破船を救助することを積極的には行っていないそうです。雪花姉さまは――――セトさまは、この国に流れ着いた異国の方。お館様がこの国の先を見据えられて、個人的に先生としてお迎えになられたのです。廓は籠ではありますが、他のどの場所に匿うよりも安全で快適であろうとお考えになられたと聞き及んでおります。そしてオレは朱華楼に運び込まれたセトさまのサポートを仰せ遣いました」
 
 サンジの説明に、ゾロはくっと眉根を寄せた。
 「……じゃあコーザが馴染みになったってェのは」
 「全くの誤算です。あねさまに着く客は一見限りの予定でした。ただコーザさまがセトさまに惚れられたように、セトさまもコーザさまに惚れられました」
 そう言って、サンジがまた静かに視線を落とした。
 「あねさまがコーザさまを馴染みの客として受け入れられたことで、いずれは身請け話がでるやもしれぬ、ということで、オレは廓を出るように言われました。オレ自身の背丈が予想していたより伸びてきたこともありますが、いつかセトさまが廓の外に出られた時にお側でお守りし、生活していくことのサポートができるように、と」
 その使命はいまもオレに課せられたままです、と静かに告げたサンジに、ゾロは小さく頷いた。
 
 「仔細は解った。で、オマエは自分が“死ぬ”ことになると知っていて、オレとああいう約束をしたのか?」
 じっと見遣ったゾロに、サンジは小さく息を吐いて、また視線を落とした。
 「廓から出る、と言われた時に、どういう形でオレに新たな使命が下されるか知らされていませんでした。ただもうオレがオンナノコのフリをするのは無理になってきているのは解っていましたし……そういう風にして周りの記憶からサンジという禿の存在を無くすこともあるだろうとは思っていました」
 当初の予定として、オレがサンジの兄貴ということで廓に下男として戻ってくることも検討されてはいたんです、と言って視線を上げたサンジに、ゾロはすっと視線を当てた。
 
 「……じゃあオマエはいまは朱華楼の禿でも、オンナノコでもないんだな?」
 「……ハイ」
 こくん、と小さく頷いたサンジの手を、ぱしりと捉まえた。ぴくん、とサンジの方が跳ねる。
 「ゾロ、さん…?」
 ぐい、と引き寄せて、身体のバランスを崩したサンジを抱き留めた。びくっと身体を固まらせたサンジを、きつく抱き締める。
 「……ぞ、」
 「黙って抱かれていやがれ、この馬鹿が」
 「だっ、」
 「だってもクソも無ェよ、サンジ―――――オマエが死んだって聞かされた時、ガキでもいいから抱いときゃよかったってオレぁ思ったんだぜ?いいから抱かせろ、コラ」
 抱き締めたまま、首筋に顔を埋めれば。くてん、とサンジが力を抜いてその細い身体を預けてきた―――――見知っていたよりはしっかりと筋肉の付いた身体だった。
 溜め息を含んだような声がぽそっと呟く。
 「……酷い言い草でありぃすなぁ」
 「酷ェのはテメェだ」
 「……そう、ではありぃすけんど…」
 
 ぽた、と熱い雫が首筋に降ってきて。ゾロはそっと腕を緩めて、サンジの背中をゆっくりと掌で辿った。
 「オレだって泣いたんだからな、オマエを泣かしたことを謝らねェぞ」
 「……あい、ゾロさん」
 ぐず、と鼻を啜ったサンジの身体をもう少しだけ離して、そっと顔を覗きこむ。
 う、と泣いていた途中のサンジが少しだけ顔を背けたのを、掌で戻させる。
 「……オマエ、オレのことが好きだろう?」
 ゾロがにいっと笑って言うのに、サンジがこくんと幼い仕種で頷いた。
 「……あい、好きでありぃす」
 「それは全部、任務だのなんだの放り出したところにあるんだよな?」
 「……あい」
 「だったらイイ。全部許す」
 「ゾロさん……」
 
 確認するのは野暮でありぃす、と呟いたサンジに、ゾロはくっと眉根を引き上げた。
 「だってしょうがねェだろ、そうしねェとオマエ、オレに抱かれる覚悟持たねェだろうし」
 「……え?」
 目をぱちくり、と瞬いたサンジに、ゾロはくぅっと口端を引き上げて笑った。
 「まぁ今日明日って話しじゃねェけどナ。オマエ、花魁が客とよろしくやってるの、側で聞いてたんだろう?」
 「……ばっ、ゾロ…ッ!!」
 がば、と身体を起こしてぎらっと睨みつけてきたサンジの顔が真っ赤なのを見て、にやりとゾロが笑った。
 「オマエが雪花太夫…ああ、セトさん?の側に居るってンなら、オレも一緒にオマエの大事なヒトのこと、守ってやるよ。朱華楼のほうはしょうがねえ、諦めてもらうしかねェけどナ。オマエがセトさんに着いている限り、オマエのことを守るついでに一緒に守ってやるよ」
 「あちきは…ッ、オレはっ、守られる必要無いっ」
 
 癇癪を落とすようにしたサンジの腰をするりと撫でて、ゾロがくっくと笑った。びくぅ、とサンジの身体が跳ねるようにしてまた固まったのを、ずい、と引き寄せて抱き締める。
 「腰が据わってきたのは見て解るけどな、まだまだだって。それにオレは最強だぜ?真剣な試合じゃまぁだ負けナシ。いいじゃねェか、安いモンだろ。オマエがセトさんを守ってる間にオレがオマエをオマエの抱えている秘密ごと守る。そんかし、オマエはオレに骨の芯まで愛されて、でもってオレのことを心底愛する――――いーい取引じゃねェか」
 「ゾロッ」
 ばっ、と身体を引いて離れたサンジを見上げて、ゾロが首を傾げる。
 「それともそれじゃあオマエ、不満か?」
 
 顔を真っ赤にしたままサンジが何かを言いたそうに口をぱくぱくとさせ。それから、ぎゅ、と口を結んで、むぎゅっとゾロに抱きついた。
 「不満じゃないっ、この馬鹿野暮天っ」
 ぎゅうぎゅうと絞め殺す勢いで抱き締めてくるサンジの背中をくいっと引っ張り、ゾロがサンジの顔を覗きこんで、にかりと笑った。
 「好きだぜ、サンジ。こんなに惚れたのはオマエだけだ」
 「オレ、は…っ、惚れたのはアンタだけだ…ッ」
 睨みつけるようにして言ってくるのに、くっとゾロが笑って。ぐい、とサンジの腰を引き寄せて、ちょん、と触れるだけのキスを唇にした。
 かああ、と顔を真っ赤にしたサンジの項を掌で引き寄せ、ぺろっと舌で引き結ばれた唇を舐める。
 
 「あの時、オマエにしたかったこと、今してもいいか?」
 唇が触れるか触れないかの距離で囁いたゾロをぎらりと睨みつけて、サンジが言う。
 「だから訊くなってこのクソ野暮天ッ」
 そして、自分からぎゅむっと目を瞑って唇を押し当てた。
 くっくとゾロが笑って、柔らかくサンジを抱き寄せ直しながら、甘く唇を食んでいく。
 戸惑っていたサンジの両腕がそろそろとゾロの背中に回されたのを合図に、僅かに開いた隙間に舌を差し込んだ。
 ぴくんと跳ねたサンジの肩が、とろ、と内側を辿るゾロの舌に、別の緊張に強張っていく。
 それでも、縋るようにぐっと背中に爪を立てられたことに、ゾロが喉奥で低く笑った。
 
 きゅう、とサンジが眉根を寄せるのを、薄目を開けて確認しながら、ゾロが差し込んだ舌でサンジの口腔内を弄り始める。
 んう、と戸惑ったような呻き声をサンジが洩らすのに、ちゅく、と吸い上げてからそっと唇を解いた。
 潤んだサンジの双眸が間近で展開するのに、にっこりと笑って口端に口付けた。
 「直ぐに花魁以上にオマエのことを色っぽくしてやるって」
 ナ、サンジ?と笑ったゾロに、サンジは、う、と僅かに怯み。それでも、ぎゅ、と抱きついていった。
 「……だからそういうことをイチイチ言うから、アンタは野暮天なんだって」
 ゾロさんの馬鹿、と言ったサンジの首筋に軽く唇を押し当てて、ゾロが言った。
 「ゾロでいい――――今日からオマエはオレの情人なんだしナ、サンジ」
 むぎゅう、とゾロに抱きつきながら、その首筋に顔を埋め返してサンジが呟いた。
 「………ゾロのばかっ」
 
 
 
 
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