* 六拾七 *
夜の間はずっと起きてコーザの側に居て。日中は医者が診ている間に雪花が休むことで落ち着いた。
サンジはずっと雪花のサポートとして側で甲斐甲斐しく働き。何もすることがない時は、起きたり寝たりして常時コーザのいる部屋でゴロ寝をしているゾロの側で休んでいた。
その姿が、精悍な犬と仔猫が寄り添っているような印象だったので、雪花はもとより医者やコーザの屋敷の人も、小さく微笑んで見守るだけだった――――雪花は二人の仲が無事に修復されたことに安堵していた。二人を話し合いに行かせた後に戻ってきた二人は何も言わなかったけれども、新たにより強い絆が結ばれたようであったし、なによりサンジがどこか気恥ずかしそうにしていた姿が初々しくも愛らしくあったので、雪花も何も聞かずに居た。サンジがほっとしている様子は肌で伝わってきたし、ゾロがどこか落ち着きを取り戻したようだったのも一見しただけでも解るほどだったので、聞く必要が無かったのだ。
そうして夜は母屋に泊まっている医者の分を除いて、ご飯は屋敷の人が用意して運んできてくれ。実質三人は茶室にコーザと共に寝泊りをしていた。
雪花は眠っているコーザの身体を拭き、僅かに意識を戻した時には栄養剤を溶かし込んだ水を飲ませ、直ぐに眠りに戻っていく姿を見守り。すっかり艶を失った髪を綺麗に梳かして纏めて脇に束ね、熱と水分不足に乾いた唇に少量の油を塗り込んで、休みやすいように布団を整える。
コーザの熱はずっと下がり気味で、医者はそれが良い兆候だと言った。包帯の下の傷は生々しすぎて、そういうものを見慣れていない雪花はまだ見るべきではないと言い切ったけれども、それでも随分と綺麗に傷がくっ付き始めてると雪花には説明した。
それは一日に何度か訪れて、雪花やサンジやゾロと話しをしては母屋に戻っていく次郎久右衛門を安心させたし。毎朝毎晩、登城して仕事をする合間に黙って茶室を覗いては戻っていく遠衛門吉親をも安堵させた。
雪花が廓を出て四日の朝。夜通しの看病を終えた雪花がほっと息を抜き。温まってきた空気に僅かに気分を和ませながら凝り固まった身体をぐっと伸ばした時。コーザの息が酷く穏やかになっているのに、ふと気付いた。
春めいてきた日差しがそっと差し込んでくるのに目を細め、さらりとコーザの頬を撫でれば、僅かに睫が揺れ。すぅ、と瞼が開き、コーザの随分と力を取り戻した眼差しが現われた。
ふわ、と雪花が微笑み、さらりとコーザの頬に触れる。
「……コーザさま、御目が覚められぃしたか…?」
ふわ、と気持ちが温かくなる。
光りを取り戻した双眸が、自分をしっかりと見つめ返してくれることに嬉しくなる。
震える吐息を押し殺して、熱の引いた頬に触れる――――血を随分と失ってはいたけれども、それでも最初に横たわっているのを見た時よりはずっとマシな顔色になっていた。
くう、とコーザが顔を歪めながら、それでもそっと手を伸ばし。さらりと雪花の頬に指先で触れていった。
すう、と目許で柔らかく微笑み。
「心配を、掛けたな…」
そう掠れた声で漸くといった風に声を出していた。
雪花はそうっとコーザの手を捕まえて、自分の頬に押し当てた。
「セト、」
「ご無理はなさらないでおくんなんし、コーザさま」
ふわりと微笑み、どうしても潤む眼差しで重傷を負った男を見詰める。
「雪花はずうっとお側におりぃす。三鷹屋の大旦那様が取り計らっておくれんした。ですえ、コーザさまはご安心して養生しておくんなんし」
元通りにコーザの手を布団の中にそっと仕舞わせて。ほろほろと零れ落ちる涙を拭ってから、雪花はトンとコーザの包帯の下に隠れた額に口付けた。
「今お医師さまがおいでになられぃす。お起きになろうとしてはいけんせんえ、じっとなさっていておくんなんし」
ね、とコーザに微笑みかけてから、雪花はサンジに呼ばれてきた医者のために場所を空けた。少し離れた場所で涙を拭い、そっと居住いを正す。
それから、医者がコーザに傷の状態やいままでの経過を静かに語るのを黙って聞いていた。
火鉢の上に掛けられていた薬缶から湯を小さな湯呑みに移し。そこから寝たままの人が飲みやすいように作られた水差しに湯を冷ましてから入れて、医者に渡す。
温い白湯をゆっくりと口に含んだコーザが、咽ながらもそれを飲み干していったことにほっと胸を撫で下ろし。コーザに食べさせるための重湯を作って欲しいと母屋の使用人に告げにいったサンジが、次郎久右衛門を伴って戻ってきたのにそっと振り返った。
ゾロが次郎久右衛門を見て小さく目礼し、部屋を後にしていく。
「大旦那様」
頭を下げた雪花に、次郎久右衛門がむっと目線を向けた。
「また沈んだ色のものを着て、」
発言の意味を取りかねた雪花が首を傾ければ、次郎久右衛門についてきていた女中がサンジに新しい着物を手渡していた。隣の部屋に居ります、とサンジが目線で告げてくる。
自分の着物のことを言っているのか、と理解した雪花は、小さくくすりと笑った。
じいっと見詰めてくる金混じりの目をやさしく見上げる。
「眠れているか?」
そう問われたことに、小さく苦笑を浮かべて返せば、困ったものだね、とでも言いたそうな顔で次郎久右衛門が一つ息を吐いた。
「面差しがやつれておるな、何をしている」
とても元気溌剌としてはおれんせん、と言いかけて、雪花はそっと口を噤んだ。
次郎久右衛門が孫息子に視線をあてていたからだ。
「コレならもう死ぬことはなかろう、」
そう言った次郎久右衛門が、ずいっとコーザの枕元に歩み寄っていた。そのまましゃがんで、でしっと包帯に隠れた額を叩く。
医者がびくっとして目を真ん丸くし、雪花はOh myと言い掛けて裾で口許を覆った。
ぎらりと睨みつけながら次郎久右衛門が目を瞑ったまま顔を顰めたコーザを見下ろす。
「三鷹屋を呼びつけておきながら狸寝入りとは愚か者めが。第一おまえは狸御殿には入れぬわ」
祖父のものの言い様に、コーザがうっすらと口許を笑みに緩めた。
僅かに力を取り戻してはいるものの、まだ掠れた声で祖父に告げる。
「いってェな……呼んでねェよ」
フン、と次郎久右衛門が鼻で笑い、もう一度ぺしっと孫の額を叩いた。
すう、とコーザが片目を薄く上げ。それからひとつ息を吐いてから、ぐぐっと身体を起こしにかかった。
「わ、若様、いけません。安静になさって」
医者が慌てて引き止めようとするけれども、コーザは低く呻きながら身体を起こしていき。慌てて雪花が反対側に回って背中を支えようとするけれども、ちらっと寄越された視線に手出し無用と告げられ、静かに息を呑んだ。
次郎久右衛門はじっと間近でしゃがみ込んだまま、大層な苦痛を堪えて身体を起こす孫息子の様子を見据える。
漸く起き上がったコーザが、す、と目礼をした。
「祖父殿、かたじけない」
痛みに吐息を荒くしながらではあったけれども、言葉を発するときだけは、す、と息を整え真摯な声で言ったコーザに、くう、と次郎久右衛門が片眉を跳ね上げた。
「とんだ不始末をしでかしおったな、大うつけめが」
次郎久右衛門の言葉にコーザが僅かに苦笑を浮かべた。
息を呑んで事態を見守っている雪花を、じろりと次郎久右衛門が見遣って言った。
「傷が開けばまた天上花が萎れよるわ。さっさと倒れろ」
とーん、と肩を押され、苦痛に呻きながらコーザが身体を布団に倒す。
痛みに青白くなった顔いっぱいに冷や汗を浮かべている様子に、雪花がきゅっと眉根を寄せれば。
「容赦、ねェなあ、死に掛けだぜおれは」
そう苦痛を滲ませた声で呻くように言いながらも、僅かにコーザは雪花に微笑みかけていた。
医者がおろおろとしているのに気をも止めず、次郎久右衛門が言った。
「死ぬならばまた飛脚でも寄越せ」
す、と立ち上がり、つかつかと襖まで歩いていくのを、三人が見守る。
くい、と次郎久右衛門が振り返った。
「千葉の師範にはこの三鷹屋が稽古を付けに行く、忙しいことよ」
本気なのか冗談なのか、そう真顔で言い残して出て行った次郎久右衛門の言葉に、ぶっとコーザが笑い出しかけ。傷が引き連れる痛みに、コーザが笑いを堪えながら呻く。
雪花は医者とちらりと視線を合わせ。どちらからともなく小さな溜め息を吐いた。
やはりあの祖父あってのこの孫なのだろう、と。
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